小さな人馬の想い
エンツェンヴィル城をぐるりと囲む神聖帝国時代の城門の石畳をぽくぽくと蹄鉄を慣らして、メルセデス=フォン=シュリーフは練習用の槍を持って城の外に向かっていった。
外気には雨の匂いが混じっている。きっと明日は雨だろうか。メルセデスは鼻を鳴らしながら城門を出て、土の道に蹄を踏んだあと、蹄でたたらを踏んでくるりと尾を振り、城館の方を振り向く。
城館の二階、テオドールの部屋には、まだ仄かに灯が点っているのが窓越しに見える。
メルセデスはその灯を目にして、ふぅ、と息を吐いた。
今はテオドールとは顔を合わせたくない。
ぽく、と踵を返して、メルセデスは槍を振り、夜のオヴェリフル郊外の田舎道を走り出した。
月と星、過ぎ去る家の灯を眺めながら、メルセデスは脚を伸ばし、蹄で強く地面を蹴る。
無心で走ろうと思っていても、馬体の背の軽さと手綱の胸紐の無さが気になってしまう。
少し前まではそれが普通だったのに、何故かそれが寂しくてどうしてもテオドールの顔が浮かんでくる。
いつも困ったような顔をしていながらも、それでも自分の言葉に力強く応えてくれる彼。
そんな彼があんなに弱々しい顔と言葉を見せたのは、初めてだった。
ギルマンたちを自分の力不足で失ったことや、グロックナー中佐の経緯を聞いて、自分が同じ立場に居たらと考え始めて、ああなってしまったのか。あんなに弱く、痛々しい彼を見るのは辛かった。
あのハントという参謀はグロックナーの真面目さを指摘していたが、テオドールも存外真面目すぎるのだ。
そして、そんな彼を支えければならないのに、何も言い出せず、拒絶の言葉を口にして逃げ出してきた自分が、メルセデスは嫌になった。
メルセデスがテオドールに惚れたのは、折れそうな中に折れない強さを彼の中に見たからだった。
観閲式で行われる弟フランツの決闘。その相手の銀竜の頸を折ったと言うスラティ州軍少佐で伯家の後嗣という男に、最初彼女は何の感情も抱いていなかった。
伯家後嗣に花を持たせる箔付けのために戦果をやったのだとさえ思っていた。彼が上位魔法を使えず州軍落ちした半端者だと客席で聞かされると、余計にその少佐は道化だと思い、場違いな決闘を組まれフランツに倒され、無様に鼻っ柱を折られるのをいい気味だとさえ思うようになっていた。
メルセデスの憧れへの想いは時として、そうやって場違いな栄誉を得た者に対してとても冷酷な勘定に反転する。メルセデスも悪い癖だとは思っているが、この国にはそんな虚栄の英雄が沢山いるのだ。
帝室の魔法の天才と褒めそやされるジグムント皇弟だってどんなに魔力が強大でも、実際に人魔国境の戦にでも立てば、すぐに逃げ出すだろう。と鼻を鳴らしているくらいだ。
それが、いざ戦いが始まったら、メルセデスはすぐにその少佐の戦いに魅せられた。
剣型の騎杖を振るい、フランツの大剣を払っては切り結び、魔法ダイナモを燃やして練兵場を駆けて観覧席を駆け上り、そこからさらに跳び上がって、連続でダイナモを使い反動の痛撃に耐えながらフランツに刃を叩き落とす――。
どこが半端者なのか。メルセデスはその戦いと、彼が軽やかに鉄骨の上を走り抜け、歯を食いしばりながら魔法を撃つその姿に神話時代や神聖帝国時代の英雄譚の魔法使いを重ねたのだった。
そして、立ち上がり見せた、辛さに耐えながらもやり遂げたことを感じた表情に、メルセデスは心の底から彼に惚れてしまっていた。
彼を手元に置いておきたいと思ってしまった。
それからは手を尽くした。人馬の常識を押し通して至らないこともあったものの、今の関係を築き上げ、テオドールとも上手くやってきた。
いつも困ったような顔や慌てたような顔を浮かべていたり、それでも戦いに臨むときは灰色の瞳に光を宿し、力の籠もった声でメルセデスの名を呼んでくれた。それだけで体中から勇気が湧いてきた。
それがあの戦いで全てが変わってしまった。テオドールを一人で魔導師の戦場へ行かせてしまったとき、メルセデスの手元からテオドールが零れ落ちてしまったようにさえ思う。
「やっぱり、テオは真面目すぎるんです。全部一人で抱え込もうとしている」
テオドールは、多くの部下を失ったことを自分が作戦を立案し、グロックナー中佐の魔法を止められなかったせいだと嘆いている。
だけどそれを言えば、作戦を許可したのはメルセデスで、――グロックナーの言葉を借りれば――『もし』彼女がもっと頭上の戦いに注視していれば、騎兵銃の斉射で詠唱を止められたかもしれなかった。
或いは階段を駆け上がって彼に助太刀していたなら、状況は変わったかもしれない。
そんな風に考えればきりが無くなる。
テオドールはそのきりが無い後悔を自分の胸に抱えているのだ。
そしてグロックナー中佐も、きっとミュッケ中将も。テオドール同様に真面目なのだ。
そうやって自分の力の埒外のことにまで罪悪感や使命感を覚えてしまい、無力を呪い、それを変えることを望む。
それを成し遂げてきたメルセデスの憧れる英雄譚の主人公や、メアリスやアンジーリア、魔王グスウィンをあらゆる手管と実力で抑え込んだミッテルラント草創期の『強い』軍人たちのように。
「……でも、そこには辿り着いてはいけないんです。英雄譚の主人公はなってしまえば、強く、臆病で、全てを抱えて全てを疑う者になってしまうのです」
メルセデスは目をつぶっていた自分の心に言い聞かせるように、口にする。
時の魔王を倒したメアリス王は魔王討伐の全ての功を抱えて、魔族の土地を掌握できぬままたった数年で人間同士の戦に敗れた末に島へと流され、朽ち果てた。
幾つもの英雄譚の主人公が築き、護り上げた神聖帝国は英雄譚の主人公達の想いを受け継げぬまま、旧態依然とした政体のままメアリスと時の魔王に滅ぼされた。
ルメンの英雄、短躯の黒騎士ラインハルトは衰えを隠せなくなったのに後悔しながら酒に溺れ、酒毒と自分を狙う刺客の虚妄に蝕まれたまま生涯を終えた。
ツーヤ選帝侯マクシミリアンもまた、自分の抱えたものを子に受け継げぬまま、死後の内紛でツーヤ選帝侯家を分裂させた。シュリーフ家はその負けた者の末裔だ。
メルセデスは立ち止まり、槍を地面に刺すと、ぐっと背を伸ばして星に手を伸ばす。
自分の短躯では絶対に届かない。それを確かめて、彼女はふふっ、と笑う。
「憧れてばかりじゃダメだ、私」
もう星に手を伸ばす段は過ぎた。
これからは誰かに憧れるのじゃなく、彼と一緒に自分たちだけの道を歩んで行かなければならない。そうしなければ彼は支えられない。頼ってくれない。
思えば騎士鉄丁字勲章を受け取った日から、その道は始まっていたのかもしれない。メルセデスはそう思いながら再び槍を手に取り、エンツェンヴィル城への帰途についた。




