半端魔導師と魔導参謀・四
「やってくれますな、ご令息――いや、ミュッケ州軍少佐」
通路の先の作業足場に着地したグロックナーは傍らの足場に横たわって気を失うイザークに向けて、中級の外傷系回復魔法をかける。
テオドールは圧縮槽の通路の真ん中に着地して、目の前の禿頭の魔導参謀を見ていた。医療科以外の魔導士官で回復魔法を使うのは珍しいが、テオドールの見てきたグロックナーという人間の一端から考えれば、自分から使う機会があると信じて学んだのだろう。
あらゆる前線であらゆる敵と戦うことを考えて、魔法の技を磨いた勤勉で実直な魔導科士官。それが故に参謀という立場で指揮官の考えという鎖に縛られている。そしてそれすら任務と呑み込んでいる割り切りと忍耐力の持ち主が、目の前のヘンリック=フォン=グロックナーという軍人なのだ。
北方の人魔国境か南方のメアリス国境の前線に立ち続けるか、士官学校教官職にあればきっとお互いに刃を向け合わず、テオドールは彼のことを尊敬していただろう。グロックナーにとっての最大の悲劇は、父の下に付いて参謀飾緒を着けてしまったことだ。
「そう言って頂いた方が嬉しいです、グロックナー中佐。小官もクルト=フォン=ミュッケの長男ではなく、魔導士官のテオドール=ミュッケ州軍少佐として見て頂きたい」
テオドールはまだ荒い呼吸のまま、『アッシャー・ヘイロー』の刃を翻すと、姿勢を低く保って再びグロックナーのもとに走って行く。
「イズア・ジェルタ。燃えたぎる炎精の王よ、我に向かう敵の前に立ち塞がり、我を守りたまえ。『炎門』」
グロックナーはあくまで平静を保ちながら、魔法ダイナモのハンドルを引いて通路の出口に巨大な炎の壁を発生させる。
一瞬にして現れた、分厚く高い炎の壁。防護を兼ねた高位攻撃魔法は、先程の『雷槍』のように防護魔法を乗せた『アッシャー・ヘイロー』で切り裂くことは不能だ。
ならばどうするか、今更テオドールが足を止めても、テオドールを押し粒さんとする動き出すであろう炎の壁に激突して焼け焦げるか、グロックナーから遠ざかるだけだ。
「ミュッケ少佐っ!」
瞬間、テオドールの耳に黄色い声が聞こえる。その方向を向くと、アルマが遠くで羽ばたいていた。
「シュリーフ中佐より伝令! リヒト達が通信室を抑えて本隊が突入! ノイチュ大尉が蒸気ポンプの弁とボイラーを止めました! それとこれ!」
そう言うと、アルマはにっと笑って、傍らで停止していた梁の下のクレーンを蹴り飛ばした。
「使って下さいっ!」
野生の中型鹿を蹴り殺す程度には強い人鳥の脚力で思い切り蹴られたクレーンはがらがらと鎖の音を立ててテオドールの方へ直線的に向かってくる。
「ありがとう、アルマ!」
テオドールも口元に笑みを浮かべてアルマに答えると、『疾脚』で強化された脚力で足場を思い切り踏み切って、蹴る。
アルマが蹴り飛ばしたクレーンは急速に速度を失っていったが、それでもテオドールの撥ねた距離にぎりぎり届いて、テオドールはそれも両方の靴の底で蹴り飛ばした。
再びがらがらと反対の壁の方向に走っていくクレーンと真逆に、テオドールは脚全体を撥条にしてばしん! と弾丸のように、通路と足場に立ちはだかる炎の壁をぎりぎりで飛び越え、グロックナーの至近へと甲高い音を立てて着地し、『アッシャー・ヘイロー』の剣先をグロックナーの眼前に突き立てる。
眼下を眺めればアルマの言ったとおりに洋酒色の軍服と制帽の一団が完全に黒服の兵や作業着や白衣の一団を抑え、施設を占拠していた。ばたばたと人が動き回る中で施設の中心では、小さな人馬が圧縮槽の足場に向けて、真剣な面持ちで騎兵銃を構えている。
長弓を武器としたルメン伝承の短躯の人馬騎兵・黒騎士ラインハルトもあんな面持ちで弓を構えていたのだろうか。鬼気迫る妻の姿を見て、テオドールは思わずそんなことを考えてしまう。
「クレーンを蹴り飛ばして跳んで来るなど――本当に魔導師らしくないお方だ」
剣先を突立てられても、まだ落ち着いた声色でグロックナーは言う。
「怖くないのですか。グロックナー中佐」
「どうせその剣には『不殺』の魔法が掛かっているのでしょう。そんなものでは脅しにはなりませんよ――第八次ヴァッケブルグ防衛戦で首筋に断頭剣を突きつけてきた魔族の娘に比べれば、貴方は凄みも殺意も圧倒的に足りない」
淡々と、自分自身が感情の薄い魔族にでもなったように禿頭に樹脂眼鏡の参謀は語る。
「そして貴方は……貴方の部隊は甘い。施設制圧が目的でも殺し無しで出来ると、欠片でも思っているところが」
そう呟くと、グロックナーは魔法ダイナモの引き金を引いた。
ぱぁん! という破裂音と濃いラベンダー臭がしたのにテオドールが気づいて、グロックナーを止めようと刃を翻すが、刃は彼の大杖の竜銀の柄でがぎん! と音を立てて止められた。
「イズア・ジェルタ! 雷精の王よ、我が敵に均しくその槌を振りおろしたまえ――『雷槍天槌』ッ!」
グロックナーの絶叫に近い詠唱と共に、施設全体に圧縮魔素のラベンダー臭よりも濃い水辺のような匂いが辺りを包み込む。そして数十条の紫電が天井の鍾乳石の上で走り始めた。高位雷系魔法の前兆だ。
テオドールが振り向いて逃げろ、とも伏せろ、とも言う前に、だぁんっ! と複数の雷が混凝土を叩きつける音と強烈な光が鍾乳洞全体に響き渡った。
光のあと、強烈な焦げ臭さが鼻を突く。強烈な光で灼かれた目がやっとまともに目の前を見られるようになった時、テオドールの目には薄暗い施設の中の様子が見えてくる。
過剰な電気を受けてアーク灯が壊れてしまったらしく光源はもう圧縮槽の中の濃縮液体魔素だけとなり、さっきよりもずっと薄暗いが、倒れている影の中には黒い軍服や白衣、作業服。そして何人もの洋酒色の軍服や灰銀の鎧の兵が、服と身体を焦がし、地面に伏せっている。
呻き声こそ聞こえているが、幾人かはもう事切れてしまっているのが薄暗い中、テオドールの眼鏡越しにもわかった。
「グロックナー中佐!」
テオドールは灰銀の刃を立て、再びグロックナーと切り結ぶ。しかし彼も大杖を槍のように巧みに扱って、竜銀の長い柄で刃を受け止め、テオドールの斬撃を凌ぐ。ぎん、ぎん、ぎぎぎ、と刃と柄のぶつかる音が周囲に響いた。
グロックナーは魔族との戦闘経験のおかげか棒術にも通じているようで、テオドールの剣を的確に受け流し続ける。
「味方殺しは軍法会議で極刑ものだぞ! それを承知でやったのか!」
ぎり、と奥歯を噛みしめながら、大ぶりの一撃と共にテオドールが口にする。
「味方殺し。ならば我々も貴方がたにそれを問う権利がある。貴方がたはこの施設を制圧するのに何人の我々の部下の命を奪ったのか?」
グロックナーの問いに、テオドールは即答することは出来なかった。
命はできるだけ奪わないとは決めていたが、あの乱戦で実弾の実包を使っているのだ。警備兵側にも不運な死者は必ず出ていたはずだ。
「そもそも独断専行が華の我がミッテルラント軍において、軍法なんてものがどこまで通用するとお思いで? 我々も貴方がたも参謀本部の裁可なき独断専行の秘密作戦だ。お互い軍法など問える立場でもない」
「だとしても、貴方のやったことは許されざることだ! 独断専行で部下や味方を犠牲にするなど!」
がぎん! とまた刃が弾かれる。テオドールは魔法ダイナモのハンドルを引いて、「ベアル・タルテ! 雷精よ、我が刃に宿りたまえ『電光刃』!」と胸の締め付けに耐えながら、刃に再び魔力を宿らせる。
そして下段から打ち込むも、「イズア・ジェルタ」と短く詠唱したグロックナーの杖にこれも防がれる。
「州軍出身者らしい素朴な考えだ、ミュッケ少佐。独断専行は即ち部下殺しであり味方殺しであると気づかないとは……独断専行は全てが実行者の手柄であると共に、味方殺しの罪の全ても実行者とその協力者が被るものなのだ」
「そう言うのなら何故貴方は独断専行に加担し続ける! 抗命する気は無いのか!」
「自らの意志で抗命や独断専行を止め、責めを負えるほど私は器用でも懸命でも無い。参謀として上官の命に従うしか出来ない男だからだよ。ミュッケ少佐」
がきん、がきん。刃が、柄が何度も叩きつけられる。それと共に言葉の応酬が繰り広げられる。互いの肩で金モールの参謀飾緒が揺れ、先端の魔法筆がかちかちと音を立ててぶつかる。
グロックナーは自ら招いた惨事を完全に飲み込んでいるのか、一向に呼吸も心も乱れていない様子で打ち合ってくる。むしろテオドールの方がグロックナーの行いに心を乱され、息が詰まりそうになっているくらいだった。
「ならば何故あんなことを!」
「……あれが私に出来る唯一の抗命の手段だからだ」
そう言うと、グロックナーは竜銀の杖を自分から振るい、大ぶりな上段からの一撃を打ち込もうとしていたテオドールの腹にめり込み、後方へと吹き飛ばされる。
テオドールはすんでの所で靴底を鉄の足場に叩きつけて踏ん張るも、その時にはグロックナーは次の動作に入っていた。
樹脂眼鏡のずれを直すと、ゆっくりと足場の下を瞠り、魔法ダイナモの引き金を引く。
ぱぁん、と軽い音が弾け、「イズア・ジェルタ――」と再びの彼の詠唱と水場の匂いが辺りに立ちこめた。
そしてテオドールがグロックナーの視線の先を追うと、赤みがかった栗色の髪と馬体の赤毛を焦がし、騎兵銃を杖によろめくように立ち上がった、小さな人馬の姿がある。
二撃目は逃さない。眼鏡の弦から見え隠れする皺と隈に挟まれた焦げ茶色の目が、メルセデスに、そしてテオドールに向けてそう語っているようだった。
「――やらせるかっ!」
テオドールはそう言うより先に上体を前傾させ、走り出した。
『疾脚』の効果がまだ切れていない脚は、前傾したまま脚を思い切り前方に伸ばしたあと、後方に叩きつけるように降ろされる。彼の妻が後脚をそうするように、テオドールは一直線に鉄の足場を駆け抜けた。
「その槌を振りおろしたまえ――」
次の言葉――魔法の本質文が紡がれるより先に、グロックナーの視線の先に向かって下りた大杖に、振り下ろされた『アッシャー・ヘイロー』の刃先が食い込んだ。
叩きつけられた灰銀の刃を受け止めて欠けた柄からは紡がれて魔法に変換され始めた魔素が漏れ、ばちばちと火花が上がる。
グロックナーは視線を下方から逸らし、無言でテオドールの方を向く。その表情は凪いでいるようだが、挑戦的にも、諦観のようにも見えた。
テオドールは想像を巡らせると、魔法ダイナモのハンドルを引く。軽い爆発音と、クリップの飛ぶ金属音が混じる中でテオドールは食い込んだ刃に想像を巡らせ、呪文を唱えた。
銀竜の頸を、マンティコアの躯を抉ったときよりももっと単純に、己の想いを想像に変えて魔法を洗練させる。グロックナーが魔法を練り直すよりも早く、魔法を無効化させるために。
「ベアル・タルテ! 我が剣よ、我が同胞を護り、魔を折る槌となれ! 『光輪降下』ッ!」
『アッシャー・ヘイロー』の刃に特大の重圧が加わる。先端を足場に叩きつけられ、グロックナーの手の間でしなったと思った彼の大杖は、次の瞬間にはさらに追い打ちで上からの爆圧を加えられた刃によって、硝子の割れるような音を立てて、真っ二つに折れる。
練られたまま出口を失った魔素はグロックナーの体内に流れ、グロックナーは杖を握っていた手が魔素色に染まると、「がはっ」と空気が肺から抜けるような叫びを伴って軍服の胸を赤く染め、その場に崩れ落ちるように倒れた。
ノックバックによる急性魔素中毒。発動直前の練られ、杖に流れ顕現された高位魔法は魔素が濃縮されている分、術者の魔素の許容閾を上回ることが普通だ。
グロックナーの場合もまた杖を折られ『雷槍天槌』の魔素が逆流したことで、内臓を傷つけたのだろう。
テオドールは倒れたグロックナーに駆けよってまだ息があることを確認し、イザークと合わせて拘束魔法をかけると、足場の下部に向かって、枯れ気味の声で叫んだ。
「責任者の魔導参謀を拘束した! 『クレスタⅨ』はここに制圧された!」
テオドールの声にちらほらと歓声を上げ始める兵たち。
だが当のテオドールは、やるせない表情のメルセデスと顔を合わせたまま、無言で頷き合うのだった。
『クレスタⅨ』制圧戦は寡兵のトプカプ州軍第一〇九独立混成大隊の奮戦により成功に終わったが、一方で大隊には多くの犠牲者も出た。
オットー=ギルマン准尉も、その一人だった。




