ニニエル高地の戦い・二
ぎょう! ぎょう! と叫び、口元から涎を流しながら、腕と足で岩肌を掴み、跳ぶように迫ってくる三チャーンはある岩色の猿――魔獣、マンティコア。
それが三方の岩肌からおおよそ六匹、迫ってくる。
マンティコアの群れの習性にある狩り当番と呼ばれる、得物を狩ると同時に斥候を行うための雄たちの群れだ。
一番最初に台地の上に到達したのは右の岩肌から迫ってきた群れだった。
「一斉射、撃てっ!」
士官の絶叫と共にばん、ばばばばばんっ! と黒色火薬小銃の大げさな射撃音が連続し、火薬の白煙が右翼の兵を覆う。
一斉射撃で発された何十発の小銃弾はマンティコアの群れを襲った。
だがマンティコアは一頭が倒れたばかりで、他は傷を負いながらも……と言うより傷を負ったからこそ、より早く、より凶暴に、口元を剥き出しにし、絶叫を上げて尾を振り回して迫ってくる。
「撃てっ!」
そのマンティコアの群れに次なる射撃が襲いかかる。一斉射の殆どはマンティコアの硬い皮膚と筋肉を突き破れず致命打とはならなかったが、皮膚が薄く筋肉のない眉間や目に銃弾を食らったマンティコアが二頭倒れた。
それでも迫る二頭のマンティコアを、歩兵隊の前に立ちはだかる灰銀の鎧を着込んだ猪人の重装兵が振り下ろした擲弾筒槍の刃が捉える。
鈍い、嫌な音がしてから、ぎょおおおおおぅ……と高地全体に響き渡る絶叫が鳴り響いた。
あれが本隊に自分達の危機を知らせる絶叫なのか。
「遂に始まるか」
テオドールは前を向く。ちょうど一つの群れが目の前に迫っていた。
「重装隊、歩兵隊、一斉射!」
歩兵科士官の下令の後にギルマンが「撃てぇ!」とマンティコアの絶叫に負けぬほどの声を張り上げて、それに続くようにばばばばばんっ! と言う小銃の射撃音と、ぼんっ! と擲弾筒の放つ少し大きな射撃音が高地に谺する。
射撃は群れを襲い、小銃弾の被弾や、職人芸のように動く群れの中心に落ちて炸裂した擲弾の弾片が皮膚を食い破り、筋肉に食い込み、少なからずの被害を負っていた。
特に擲弾の炸裂を間近に食らった一頭は弾片で肉が削げ、その場に倒れ込んでいる。
だがそいつが盾になってしまったおかげで群れ全体の数と勢いは削げていない。
マンティコアはどんどん加速し、尾を上げて迫ってくる。
やはり銃は皮膚と筋肉で留まってしまい、効果が無い。確実に仕留めるには白兵戦に挑む他無さそうだ。
テオドールが『アッシャー・ヘイロー』を強く握り起動文を口にしかけたのを、革手袋に収まった小さな手のひらが遮った。
「少佐、あれは我々がやります」
メルセデスはそう言うと、「構え」と短く口にし、亜人用の大口径ライフルを構える。
他の人馬の騎兵が倣うようにメルセデスと同じように銃剣の着いた大口径ライフルを構えた。
「撃てっ!」
どんっ! どんっ! と一際重い銃声が響いたかと思うと、群れのうちの一頭、二頭、三頭と、次々のマンティコアが紫色の血を吹いて吹っ飛んでゆく。
その間にもう一度の歩兵の小銃の一斉射が浴びせられる。
近づいてしまったが故に近距離で威力が減衰しきっていない弾丸を次々浴びてしまったマンティコアは銃弾に肉を食い破られ、臓腑に弾丸が達する。
ぎょおおおぉぉぉううぅぅ……
またニニエル高地いっぱいに絶叫が響いた。
「少佐、あなたは群れの本隊が来るまで力を温存してください。貴方は制圧戦と乱戦の際の要なのですから、前哨戦で消耗されては困ります」
「……わかりました、中佐」
普段は暴走しがちなメルセデスに珍しく諫められて、テオドールは苦笑してしまう。
二つの群れはなすすべ無く倒されたが、左翼に展開した連隊の歩兵群に向かっていった三つ目の群れ――一番狩り当番の頭数の多かった群れは、小銃の斉射と擲弾に一頭、また一頭と倒れながらも、しかし前の群れと違い、トプカプ州軍に対して一矢報いた。
群れの一番先頭を走っていたマンティコアが間合いに入り、薙ぎ払おうと猪人の重装兵が擲弾筒槍を振り下ろそうとする。
しかしマンティコアはそれを待っていたとばかりに腕と足を撥条にして大きく飛び上がり、重装兵のラインを飛び越えた。
「ぎゃっぎゃっ!」と耳障りな声と共に魔素が集まり、大きく開いた口から涎を思わせる黒い粘性の液体が歩兵に向かって撒き散らされ、べしゃり、べしゃり、と粘っこい音を立てると共に、複数の絶叫が響く。
皮膚を灼く強酸性の魔素由来の液体――獣魔法を浴びた歩兵は痛みのあまりの叫びと共に小銃を投げ出し、洋酒色の軍服と一緒になって灼かれただれた皮膚を抑えていた。
「この野郎ぉぉ!」
「これ以上やらせるかっ!」
一矢報いたマンティコアは、しかし「ぎっぎっ」と満足そうに笑いながら着地したところを、兵士たちの着剣小銃の槍衾を受けて絶命する。
三度、ニニエル高地には仲間を呼ぶ絶命の雄叫びが響いた。
銃声が止む。
皮膚を灼かれ、後ろの天幕に運び込まれる兵の叫び以外は、鳥の囀りと風の音に彩られた静謐な朝が再びやって来る。
そんな中でメルセデスが耳をぴくりと動かした。
彼女だけで無く他の人馬や森人の兵も、純人よりも小さな音を拾う耳で『それ』を聞いていた。
険しくなるメルセデスの顔に、テオドールはいよいよかと唾を飲む。
遂に群れの本隊が降りてきた。
「第一〇九独立混成大隊、総員に告ぐ!」
メルセデスの小さな口から発せられた凜とした声が、朝の冷たい高地の空気を揺るがす。
「この討伐戦、面制圧戦の後、乱戦になる! 歩兵隊・騎兵隊は乱戦の際は各々の判断に任せ一匹でも多くの魔獣を仕留めろ! 砲兵隊と魔導士官は乱戦に入ったら陣の防衛を第一務、援護を第二務とせよ! 総員、敵の獣魔法と毒針に注意し立ち回れ!」
そしてメルセデスはテオドールを見て、力強く頷く。
テオドールはそれに頷き返し、飾緒と『アッシャー・ヘイロー』を強く握った。
「魔獣の影が見え次第、面制圧戦を開始する! 砲兵隊は山砲と迫撃砲を用意! 重装兵と魔導士官も擲弾筒槍と制圧魔法で面制圧を援護する! 魔導士官隊は私に続け!」
テオドールが絶叫したと同時に、彼の耳にもぎょう、ぎょうと言う響きが聞こえてきた。
やがて姿を現す、岩肌に混じって降りてくる灰色の群れ。思った通り三つの群れがニニエル高地を目指して駆け下りてくる。
一つの群れでもマンティコアの数は二十や三十では済まず、さっき倒した物より一回りや二回り大きな物も幾らか混じっており、緋色の乳房を露出した雌のマンティコアも混じっている。
そしてテオドールの目には、あのスケッチにあった三周りは巨大な雄と、その背に乗るようにして岩肌を降りてくる雌のマンティコアの姿を捉えていた。
『巨人』と『魔女』だ。
「遂に来たか」
テオドールは『アッシャー・ヘイロー』を立て、振り払った。
砲声が響き渡る中、テオドールは周囲の魔素を身体に取り込む。
「ベアル・タルテ! 爆ぜ我が敵を蹴散らせ! 『業爆炎』!」




