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トプカプ戦記 ――半端名門魔導師は小さな人馬に求婚される  作者: 伊佐良シヅキ
トプカプでの日々と、ニニエル高地の戦い
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ニニエル高地の戦い・一(上)

「進めぇ、軍馬よぉ、戦友たちよぉ。敵を蹴散らしラッパを鳴らそうぅ」


「やめろヘタクソ、お前が歌うと歩く気が失せる」


 誰かが歌い出したビブラートを過剰に効かせた統一戦争の頃の軍歌を、また誰かが遮って止める。

 汽車で夜を明かして朝方にノイトックの駅を出発したトプカプ第一軍をはじめとした先遣部隊のひとつとして、第一〇九独立混成大隊はザイサーの指令でニニエル高地を目指して朝から前進を続けている。

 テオドールの睨んだとおり、ザイサーはニニエル高地を最大の決戦地と考えていたようだ。


 しかしノイトックの駅からニニエル高地までは三十カムチャーンもの距離があり、ノイトックの町との高低差は実に七〇〇チャーンと言う、実質的な距離では五十カムチャーン以上を歩くのと大差ない行軍なのだ。

 鉄道開通以前に通された、旧神聖帝国時代由来のグロシュニィ山脈越えの街道も整備されているとは言い難く、坂が急な上に山から転がってきた石や染み出た水でぬかるんだ場所があちこちに出来ていて、とてもまともな行軍ができるような場所ではない。

 第一〇九独立大隊が機動力に優れた部隊と言ってもそれは戦場の話で、行軍速度は通常部隊と変わらない。

 結局は陣を構築する荷物も、砲も、弾薬も、今は全て人と馬の背に乗るか馬の牽く荷車に乗せて坂道を登っているのだから、素早さなど期待できないのだ。

 たまに訪れる小休止の時以外は人も馬も喘いで脚を畳んだり投げ出したりしているが、高地が近づくとその小休止も無くなっていっている。

 もどかしい上にわずらわしいが、それも仕方ない。

 

「リヒト、中央軍には飛行艦で行軍する部隊もあるんだってな。羨ましいよなあ」


 さっきの小休憩で配られた岩塩を舐めながら歩くリヒトに、後から恨みがましい声色でホイスが聞いてくる。

 

「そんなのは参謀総長直属の師団か近衛師団だけですよ」

 リヒトはうんざりした口調で返した。

「魔族が人魔国境を侵したら出動する、少佐の妹さんのいる部隊ぐらいです」


「それじゃなくても蒸気牽引機(トラクター)とかで兵士引っ張るとかできねえのかよ。重砲連隊は蒸気牽引機持ってるってのに、俺たちは歩きだぜ」


「何ともなりませんよ、こんな山道。馬でも難儀するんですから蒸気牽引機なんて真っ先に立ち往生しますよ」


 リヒトもホイスもいい加減片手の平に持った銃と背嚢はいのうが痛くて仕方なくなってきた。足も怠くなってきてしょうがない。ニニエル高地に入る小休止まだまだ先のようだし、辛うじて道らしい態を保っている坂道を登っていくのも辛い。

 本来お喋りなどしていたらどやすだろう下士官も方々から聞こえるお喋りを見逃していた。

 

「お疲れぇ。リヒト、オーベル」


 空の上から影が降って、ひょいと前の馬の牽く運水車の上に降り立つ。


「てめ、アルマ。横着するんじゃねえよ」


 ホイスが苦々しく恨み節を口にする。リヒトも軍帽の下の彼女を見る目は冷ややかだ。


「横着じゃないってば。先行斥候の帰り。シュリーフ中佐がちょっと羽休めしてもいいよって言ったから、そうしてるの」


「じゃあゲルダを手伝ってあげなよ。さっき小休止の時、通信機とアンテナ背負って死にそうな顔してたよ」

 さっきの小休止で見た、ぜえぜえと肩で息を切って通信機材の背負い紐が食い込んでいた肩をさするゲルダの姿を思い出しながら、リヒトは言う。


「休んだらそうするつもりー」


 水運車を牽く輓馬ばんばに乗った兵士が露骨に嫌な顔をしてるのを気にせず、アルマは金髪と黄色い羽根を風に梳かす。

 その姿をリヒトがぽうっと見上げていると、ホイスの肘が脇腹に飛んできた。

 

「あんま見蕩れるなよ。あいつ飽きっぽいことで有名なんだから、飽きられたときにショックが増して二度と直視できなくなるぞ」

 ホイスがひそひそとリヒトに呟く。

 

「そ、そんな。見蕩れてなんて……」


「いや、見蕩れてたよ」


 当のアルマには聞こえていない様子で、彼女はふんふんと上機嫌に鼻歌を歌ってから、またバサバサと羽根で空を打って、列の後へと飛んでいく。


「あとなリヒト、惚れた腫れたのまま戦場に出たら死ぬってよく言うだろ。だからアルマとあんまり仲良くするなよ。少なくともこの戦の間は」


「やめて下さい、縁起でもない」

 リヒトは首を振った。



 それから一時間半ばかり歩いただろうか。すっかり日が落ちた頃、列はやっと草の生い茂るニニエル高地に達したのだった。

 かつては街道の山越えの中継地の宿場としてそこそこ賑わっていて、運河や鉄道が開通し山越えの街道ルートも変わったと同時に廃れていった様子が、草原に残った石積みの建物の基礎の跡やその裏に咲いた『離地花りちか』ことルピナスからも窺い知れた。

 見たところ、数カムチャーンほどは開けた草の覆う台地が広がっており、前線陣を張るにも迎え撃つにも確かに適した場所だとテオドールは感じた。

 後ろでは大隊と第一軍の歩兵・重歩兵連隊の手によって、かつての宿場跡に陣の天幕が張られている。さっきまで蒼白な顔で水運車からの水をガブ飲みしていた通信兵も元気を取り戻し、魔素通信機材の魔鍵まけんを叩いている。

 天幕の辺りからはガスランプの明りも少しづつ点り始めていた。

 

「食事を摂らせますか」

 テオドールが妻の背から降りて、側に立つ第一軍の連隊の長に訊く。山羊頭人ゴートヘッドの将校は顎髭をごつごつした指で触りながら返してきた。

 

「はい。缶詰で」


「缶詰で、ですか」

 それは少し兵に酷では、と思ったが、その疑問にはメルセデスが返した。


「煮炊きをすれば飢えたマンティコアは食べ物の匂いを嗅ぎ取って襲ってきます。見てください、少佐」

 メルセデスの籠手に包まれた左手の指が、沈み行く陽に辛うじて照らされたニニエル高地の草原を指さす。頭上の耳をぴくぴくと動かして、声を聞く。

 

「標高千チャーンの台地でありながらこれほどの豊かな草原なのに、鹿一匹、兎一匹居る気配がない。皆魔獣の気配を感じ取って逃げてしまったのです」


「それに、耳を澄ませてください。テオ」


 メルセデスに言われたとおりに片耳に手を当て、テオドールは目を閉じる。周りの音――兵のざわめきや高地を吹く風の音に混じって、やかましい鳥の鳴き声と蒸気駆動のラインシャフトのベルトの低い唸りを足したような、ぎょう、ぎょう、と言う音が微かに聞こえてくる。

 その聞き慣れない音に眉をぴくりと動かしたテオドールに、メルセデスが頷く。

 

「純人の耳にも鳴き声が聞こえるほど、もう奴らは近くに居るということですか」


「ええ。今はまだ騒がしいこちらを警戒して出方を伺っている。と言うところでしょうな。夜目がそれほど効かないマンティコアは夜は手出しが出来ないですが、陽が昇れば……」

 山羊頭人の連隊長の横を向いた瞳孔が、その次に続く言葉を訴えるように力強くテオドールを見る。

 

「奴らはすぐにでも襲ってくる、と」


「はい。刻限は夜明け頃……その辺りで群れの『狩り当番』が降りてくるでしょう。それが討伐されれば、断末魔の声を聞いた群れの雄を中心とした本隊が降りてきます」


 ようはそれまでの間に食事と休息と戦闘準備を済ませろという話か。

 列車に揺られ、妻の背に揺られていただけのテオドールも身体が怠さを覚えているのに、さっきまで山道を登ってきた兵や馬に、まだ疲れが抜けきっていない中で、少し休んでから戦う準備をしろというのはなかなか酷だ。


「予想より山を下りてきたのが早かったか……」


 軍事行動は予定通りにはいかないのはテオドールも良くはわかってはいたが、兵に負担を強いるのは得策ではない。


「大丈夫です。トプカプの兵は最新の武器はなくとも、皆中央の兵などよりもずっと疲れには強いですから」

 メルセデスがにこりと笑みを浮かべるが、その顔にはやはり疲れの色が見えた。

 きっと夜の間少し休んでも十全とは言い難い状態だろう。


 しかし、それしかできないのなら仕方が無い。テオドールはメルセデスと顔を見合わせ、覚悟を決めて、陣の方へと向かった。

 陣に座った大隊の兵たちを前に、テオドールは口を開く。


「マンティコアの進みが思ったより早く、もう高地の近くに潜んでいる可能性がある。よって食事は缶詰食とし、各自休息は夜明けまで。それまでは交代で歩哨を立てる」


 テオドールの言葉に陣からどよめきが聞こえてきたが、それもやがて収まる。


「少佐、あんたは何を食うんですか」


 ジャイム准尉が上目遣いに、皮肉げな口調で尋ねてきた。

 それにテオドールは疲れた声で答える。

 

「缶詰と乾パンだよ。将校だけ調理した温かいスープを啜ってもみろ。匂いを嗅いで降りてきたマンティコアに全員殺される」


「そりゃあ違いねえ」


 ジャイム准尉はまた皮肉げに、しかし刺々しさはなく笑ってみせた。

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