半端魔導師の憂鬱な旅路
昨日の晩にイヴァミーズ西駅を南に向けて出発した汽車は、今やトプカプ州の麦畑の海に浮かぶ築堤を突き進んでいた。
二等客車の客達が車窓に流れる、一面の緑に染まったトプカプの麦畑の海にそれぞれが感心の声を上げている中、テオドールだけは眼鏡越しにその景色を眺めて、はあぁ、と大きな溜息を吐く。客車の座席で一昼夜揺られていた疲れの溜息にしてはやけに大きなそれは、広くもない車内いっぱいに広がる。
「どうしたのよ、お兄さん。そんな大きな溜息ついて」
向かい合わせの前席に座りさっきまで麦畑の海に感動の声を漏らしていた白髪混じりの身なりの良い婦人が、テオドールに声をかける。
大きな溜息に感動をぶち壊され、興ざめした様子が半分、目の前で布袋に収めた大きな長物の荷物とトランクを抱えながら、憂鬱な表情を浮かべる青年に対する心配半分と言った様子の婦人に、テオドールは「いえ、こっちの事情です」と乾いた苦笑と共に返す。
「随分景気の悪い顔をしているようだから、何かあったんでしょう。話してくれませんか。そうすれば貴方も楽になれるかもしれない」
婦人の連れ合いであろう、こちらも白髪交じりの頭にカンカン帽を被った、麻の背広の壮年紳士が訊いてくる。
テオドールは絶対答えたくないと思った。
が、壮年紳士を見上げて、考えが変わった。
心配の中に好奇の混じった色の顔の連れ合いの婦人と違って、紳士は眉根と瞼がだらんと落ち、何か言いたげに唇を開いた、諦めと憂鬱と悪い未来を考えすぎて疲れ切った顔を――恐らく自分もそんな顔をしているんだろう――自分の憂鬱をなんとなく理解して、分け合えてくれるような顔だった。
紳士は懐から紙巻き煙草のケースを取り出すと、自分の口に咥え、テオドールにも「一本どうですか」と勧めてくる。
「ありがとうございます」
テオドールは煙草を受け取ると、背広のポケットからマッチを取り出そうとする紳士を「ああ、マッチが勿体ないです」と押しとどめて、代わりに自身のジャケットの裏ポケットから金属で出来た棒を取り出す。万年筆より少し長い程度の灰銀鋼で出来たそれは磨き上げられ、トプカプの麦畑の緑の海を鈍い色に映している。
テオドールは自身の指に挟んだ煙草と、紳士が口に咥えたそれの先端に意識を集中させ、息を吸う。二等客車の車内の空気に混じっていた魔素を体内に取り込み、自分の身体の中で像を練り上げると、それを腕の先の、短杖と呼ばれる杖から放出する。
「ベアル・タルテ」
起動文と共に、何も無い空中から小さな火の玉が現れ、二人分の煙草に火が点くと、火の玉は最初から何も無かったように消えてしまう。
テオドールは指に挟んでいた煙草をふうぅ、と吸い込む。
紙巻き煙草はほんのりとバニラと紅茶の風味が混じっていて、それだけでも壮年紳士の趣味と品の良さが伝わってくる。
「魔法使いさんなんですね、お兄さん!」
婦人がテオドールに更なる好奇と、恐らく珍しいものを見たと言う尊敬の混じった視線を向け、ワントーン上がった少女のような声で言う。
「……魔法使いなんて珍しいものじゃないでしょう」
テオドールは煙と共に呆れと一抹の怒りの混じった声で返す。
今時あの程度の魔法なんて魔法学院に通う子供なら誰でも出来る。
テオドール自身ひけらかすつもりでも無く、単に彼女の夫からマッチまで施されるのが申し訳ないと思って火を点けただけなのだ。
それだけでこの反応は、馬鹿にされているようで腹が立つ。まるで自分が魔導師であることを揶揄い、嘲笑っているかのように。
「うちのは町の外に出ないですから、魔法使いと会う機会があまり無いんですよ」
舞い上がる妻と不機嫌そうなテオドールの反応に、壮年紳士が妻とテオドール両方への助け船を出す。
「あら、そうでもないわよ」と婦人は夫の助け船を意に介さず返す。「薬局のベルタさんと仕立屋のマイネルさんに……でもお兄さんみたいにぱっと火を出せる魔法使いさんは始めてよ」
一人盛り上がる婦人を余所にテオドールも、紳士も、バニラと紅茶の煙を重ったるく吐く。
そういう事じゃないんです。
自分は半端物の魔導師でしかないんです。
テオドールはそう言いたい気持ちに駆られたが、この婦人には多分話した所で通じなさそうだと思い、口を噤んだ。そして代わりに、テオドールは二人に訊ねる。
「……お二人はイヴァミーズからどちらに?」
「オヴェリフル中央駅で乗り換えて、スウィンケの町へ」紳士が言う。「秋の甜菜砂糖と冬の林檎の買い付けです」
「菓子工房のマイスターなんですのよ、この人。イヴァミーズ城の通りに店を出していて」
「イヴァミーズ城の中央通りの菓子工房……と言えばマイスター=コッフィーの店ですか?」
「ええ、そうですの」
婦人の返答にテオドールは「ああ!」と始めて不満の混ざらない感激の声を上げる。
「いやマイスター。僕も昨日イヴァミーズを発つ時に『コッフィー』で土産菓子を買ったんです。チョコレートのパイを。『コッフィー』の菓子は僕の中ではイヴァミーズ一ですから」
テオドールの言葉に婦人は鼻を鳴らして自慢するが、当の紳士――マイスター=コッフィーは恥ずかしいのか居心地の良くなさそうな様子だ。
先頭の汽車がぷうぅー、と長閑な汽笛を鳴らす。
「甜菜砂糖は帝国中の菓子職人が買い付けに来ますし、林檎のパイやケーキは菓子工房で一番大事な聖夜祭のかき入れ時の材料だって言うのに、この人ったらね。グロシュニィ山脈のマンゴスチンが怖くって怖くって、ずっと溜息ばかりなのよ」
「……マンティコアだよ」
婦人の言葉を煙混じりにコッフィーが訂正する。
マンゴスチンでは南国の果実だ。雪深いグロシュニィ山脈にそんなものがあるのもそれはそれで怖いか。とテオドールは心中で苦笑する。
「あいつらは冬の巣籠もりと子育てのために蓄える餌に、トプカプの農産物が最高だと知ってしまっているからな。秋のマンティコアの襲撃の被害次第じゃあ買い付けた甜菜も林檎もパアになっちまいそうで……」
はあぁ、と、大きくコッフィーは重ったるい煙の混じった溜息を吐き、ちびた煙草を客車の窓下の灰皿箱に押しつけ、もみ消す。
楽天家らしく「悪いことは考えない!」と声に出す婦人には伝わってないコッフィーの現実味を帯びた不安に、テオドールは同じようにちびた煙草を灰皿箱に落とし、心中で同情する。
天険グロシュニィ山脈に住まう魔獣・マンティコアの群れは魔獣の中でも知力の高く、『獣魔法』と呼ばれる魔獣独特の疑似魔法や分泌毒を使う厄介な魔獣で、冬の食糧を得るために実りの秋に『帝国の食料庫』トプカプを襲撃する。それをグロシュニィ山脈から降りてくる前にトプカプ州軍が食い止めるのは毎年の事だ。
年によってはマンティコアの群れが巨大化したり群れのボスが凶悪な時があり、そうなると勇猛果敢で知られるトプカプ州軍だけで対処できず、耕作地が被害を受ける中で帝国中央軍の軍団まで投入することすらある。
現に二年前には精強なボスに率いられたマンティコアの群れのおかげでトプカプ東部の耕作地がやられ、中央軍第四軍とトプカプ州軍が総出になって掃討した末にやっと収束した。同じ年に立て続けて魔獣による災厄――レーゲンラッヘンの大銀竜やハクスハーフェンの海竜被害――が重なって食糧不足に陥ったのもあり、まだその記憶は人々には鮮明に残っている。
マンティコアの群れの襲撃に不安を覚えるのはトプカプ州の農家だけでない。その実りをあてにする帝国中の人間全てだ。とテオドールは改めて思い知らされた。
テオドールはコッフィーに、できるだけ落ち着いた声で返す。
「……トプカプの州軍は優秀ですし、州を治めるシュリーフ侯やご長男のフランツ殿も優秀な人馬騎士です。ご心配には及ばないでしょう」
それに「ええ」とコッフィーは力なく答える。
「ですが、シュリーフ候のご長男様は先日の観閲式でミュッケ伯のご長男に……二年前のレーゲンラッヘン事変の英雄にこう言っては悪いですが――中央軍へ入れなかった州軍止まりの『半端物の魔導師』に敗られたと言うではないですか」
コッフィーの言葉を聞いてテオドールは目を閉じて、しばしの逡巡をする。
ぷぅー、と汽車がまた汽笛を吹いたのを聞いて、腹を決めて口を開いた。
「あれは……私の仕掛けと運が良かったからという物です。正攻法で戦えば十中八九フランツ殿に敗れていたでしょう」
目の前の金縁眼鏡をかけた青年の言にコッフィーと夫人が揃って目を丸くした。
当然だろう。なんにせ目の前の冴えない顔の大きな丸眼鏡をかけた青年が、まるで本物のミュッケ伯の長男のようなことを言い出すのだから。
その事についてはテオドールは自覚もしているし、いつもの反応だ。
「申し遅れましてすみません、マイスター。ご婦人。私、スラティ州軍少佐テオドール=フォン=ミュッケ……現ミュッケ伯の半端物の長男です」
寂しげに苦笑いを浮かべるテオドールは、チョッキのポケットから懐中時計を取り出し、ぶら下がったスラティ州軍の魔導科飾緒を見せ、殆どやけっぱちで名乗ってみせる。
コッフィー夫妻は慌てて「これは失礼――」と畏まり、謝罪の素振りを見せようとするのをテオドールは「いえ! 全て事実ですから!」と手を振って制止する。
そう、全て事実なのだ。
半端物の州軍少佐でしかないテオドールがシュリーフ候の跡継ぎとなるであろう帝国中央軍のフランツ=フォン=シュリーフ騎兵少佐を観閲式で倒してしまったのも。
それが原因で、シュリーフ候の長子である彼の姉に今回呼び出されたのも。
人馬は純人に比べてプライドある種族だ。無作法な戦いを仕掛け、おおよそ魔導師らしいと言い難い手で同門の者を下した格下の者に対して、容赦のない裁きを下すに違いない。
しかもその場に中央から呼ばれたミュッケ家の者まで同席するという。
だからこそテオドールの心は、トプカプの風景を眺める度に重くなるのだ。
この事をコッフィー夫妻に話そうか、話すまいか。テオドールは少し迷ったが、コッフィーの言葉に甘えて、結局、全てをぶちまけることとした。
まだ見ぬ憂鬱に気が沈んだままのテオドールと、気分に大分温度差のあるコッフィー夫妻を乗せて、汽車は一路東の州都・オヴェリフルを目指し続ける。
カクヨムで連載していたものですが、小説家になろうでは初めての投稿になります。
宜しくお願いします。




