イヴァミーズのメルセデス・下
テオドールがスラティ州軍本部で辞令を交付され、そのまま一頭立て馬車でイヴァミーズ西駅に到着したのは、午前の十一時頃だった。
「南は良いとこだと聞いているんですけど、どうなんですか? ミュッケ少佐?」
布で包んだ『アッシャー・ヘイロー』を持ち、窮屈な菫色のスラティ州軍の軍服で半日以上汽車に乗るのかと、少し嫌気が差していたテオドールに、トランクを手に隣を歩くリヒト=ヴァッサー二等兵が声をかけてくる。
まだ精勤章が一つも付いていない菫色の袖の余った軍服をまとい円筒型の軍帽からのぞく巻き毛が特徴的な短躯の少年は、去年からテオドールの従兵を勤め、軍務の時はいつもトランクや書類鞄を持ってテオドールに付き従っている。
その様子を口がさない将校仲間は「犬の散歩」と称しているほどだ。
だが今はリヒトの楽しそうな顔が、テオドールの嫌気を和らげてくれた。
「良いところだ。少なくとも石炭の煤煙と城壁は無くて陽もすぐには落ちないから、太陽が長く照ってくれている」
「とても良い場所じゃないですか」
生まれてからずっと石炭と雪に埋もれたスラティで育った素朴な十七歳の少年兵は、まるで弟のように――と言うより物静かな本物の弟のカールよりも楽しげに――テオドールに語りかける。
帝立魔導院に進んだカールと同い年のリヒトは、しかし普段は物静かで、兄や姉にも容赦なく正論を口にするカールとは全てが正反対だ。
「テオ、こっちです!」
駅の中央玄関でメルセデスが人の波に埋もれまいと上半身と腕を精一杯に伸ばしてテオドールを呼ぶ。彼女も旅行着ではなく、洋酒色のトプカプの軍制服をまとっていた。
軍制服をきちりと着込んだ彼女は新鮮で、いつもの無邪気さの中にどこか凜々しさが混じる姿に、思わずテオドールは息が漏れてしまう。
「あれがミュッケ少佐の婚約者の方ですか。凄い溌剌とした女性ですね」
リヒトがメルセデスを評して笑みを浮かべる。
無論リヒトは下心など無く褒めたのだろうが、テオドールは少しむっとして、リヒトの脇腹を肘で小突く。
「やらんぞ」
「わかってますって」
リヒトは珍しく大人げない上官に苦笑しながら言う。
「僕もトプカプで良い出会いがありますかね。ミュッケ中将の言ったように」
「マインツ中将の言ったことは半分デタラメぐらいに流しておけ。リヒト」
先程辞令を受け取ったときにマインツに「お前にもトプカプで良い出会いがあると良いな、ヴァッサー二等兵」と適当なことを吹き込まれて、リヒトはそれを半分本気にしてしまっているのだ。
「僕の経験だが、外で出来た恋人は長続きしないぞ」
「じゃあ少佐と婚約者の方とも長続きしないのでは?」
「前言を撤回する」
二人はメルセデスの元に向かい、リヒトをメルセデスに軽く紹介する。笑みと共に手を取られたリヒトは瞬く間に顔が紅潮して、辿々しく自己紹介をしていた。
テオドールはすっかり緊張してしまっているリヒトにやや苦い思いを抱きながら、駅の中へと入ってゆく。
「その軍服は?」
「アリシア様と婚姻の誓約魔法を交わした際に、正装に着替えてほしいと言われて。それでテオも軍服で汽車に乗ると伝えられたので、このまま行こうと」
「成る程」
アリシアがわざわざエリスと二重の誓約を交わしたのは、この先の面倒を見越してだろうか。
昨日アリシアがメルセデスを連れ回していたのも、彼女がテオドールの伴侶としてこれから先の面倒を乗り越えられるかを推し量るためだったのだろう。とテオドールは勝手にではあるが母の意図を推測する。
汽車の汽笛が鳴る。駅の中央ホールの汽車行先表示板にはオヴェリフル行きの汽車の改札が始まったことが記されていた。
改札を潜り、テオドール達はプラットホームから二等車に乗り込んだ。
折りたたみ席を畳み、空いた空間にメルセデスが、向かい合う座席にテオドールとリヒトが腰掛ける。
おそらく夜半にはトプカプに付いているだろう。
急に一番上までボタンをしめた軍服のシャツの立襟越しの首が苦しくなってくる。
この前イヴァミーズを発ったときとは違った不安――彼女の伴侶として、そして一端の魔導師として相応しく振る舞えるか。トプカプに果たして慣れられるか。そう言った期待に応えられるかの不安に呼吸が苦しくなる。
テオドールは思わず立襟を引き、呼吸を整える。
「大丈夫、緊張しないで」
向かい合うメルセデスが、柔らかく口元を緩ませながらそう声をかけてくれた。




