つまらないこと1
動物園の日に言った、世界で一番つまらないデートをしよう。
私の方から真紀にそう送った。
つまらない場所へ行って、つまらなく遊ぼう。
私と遊ぶのに、そんなに頑張って準備しなくていいんだって伝えたかった。
私は現実主義者で無駄なことはしたくなくて、それでも悔しいくらい、真紀との時間は現実として楽しかった。
真紀からの返事を待つ。
自分の部屋にいても、ときおり真紀との行為を思い出す。
毎週、真紀の部屋で私たちは汗ばみながら体を重ねている。
あれは、いけないことなんだろうか。
例えば、学校では異性不純交友はいけないことだと言われている。
私たちが同性だってことを考慮しても、学校としてはこれはいけないことではあるのだろう。
でも考えると、そもそも異性不純交友ってなんだという気持ちになる。
大人になったらすることが奨励されているのに、なにが不純なんだ。
意味も分からず不純と言われ、10年後には早く子どもを産めと社会から急かされるのだ。
行為そのものに善悪なんてないんだろう。この行為に意味をつけるのは、私たちをとりまく状況だ。そして多分、その状況はこれから一年ごとにめまぐるしく変わっていく。
変化する社会の要求を一年ごとにこなしていかなければ、私たちはあっという間に取り残されてしまう。なんだか全部、気持ち悪い。
それでいうと、私たちの行為は今も未来も社会からは望まれていない。
少なくとも社会は、女性同士の性行為を必要なものと認識していないだろう。
望まれないままに、私たちだけのために行う。それはやっぱり、退廃的な気持ちよさがあった。
私たちはどこへも行かない。誰にも望まれていない。でも、やりたいからやる。
意味のないことの気持ちよさを、振る舞う必要のない楽さを、私は知ってしまった。
真紀が教えてくれた。
でも私たちは、いつまでここにいるんだろう。
いつまで踏み外し続けるんだろう。
そんなことも頭によぎる。
私はまだ17歳だから、焦る必要はない。
でも5年後、男の人を好きになって、男の人とやって、その人といるのが真紀といるよりも楽しくて、そんなことがありえるのだろうか。
ずっとそれが怖かった。
スマホが鳴る。真紀からの返事だ。
「家に来て話さない?」
「いいよ。でも今日はやらないからね。勉強で疲れてるから、あんま体動かしたくない」
「はーい」
このメッセージを誰かに見られるだけで、私は終わるなあ。
そのくらい、私たちは後ろ暗いのだ。