第36話 声が導く調べ
太陽は落ちて、やがて空は黒に染まる……夜の時間の始まりだ。
人々の喧騒に賑わっていた街も今や静寂の時が訪れ、夜の鳥や虫による小夜曲があちこちで響き渡る。
そんな小さき生き物たちの合唱の聞きながら、ロベルトは部屋の中で行燈から放たれる小さな灯と、障子の隙間からの月の光に照らされながら本を読んでいた。
彼が呼んでいるのは以前誕生日にアイリがプレゼントしてくれた推理小説、その続きだ。
ここ数日はドタバタしていたため読む暇がなかったが、ようやく時間ができたので彼はこうして本の続きを読んでいる。
部屋に残響するは外からの鳥や虫の鳴き声と、ロベルトがページをめくる音だけだ。
「……ふぅ、ようやく終わった」
どうやら全部読み終えたようだ。
あの本……ルカ先生の執筆した推理小説、その真犯人が今、明らかになった。
早い話、屋敷の主人を殺したのは他でもない、主人に仕えていた執事だ。
彼の正体は作中に登場する盗賊団のメンバーであり、一年ほど前ある者を盗むために屋敷に忍び込んだはいいものの、その時に彼は屋敷の主人に見つかってしまい、服従の魔法をかけられてしまう。
その結果、彼は主人の執事として屋敷に仕える羽目になってしまった。
最初のうちは従順だった。
だが盗賊団に所属している以上、いつまでも執事として仕えているわけにはいかない。
主人の命令は忠実ながらも、彼はどうやったら服従魔法をとけるのか、探っていた。
そして魔法を解く方法の一つに、魔法をかけた張本人の死亡という情報が彼の耳に入り、彼は主人の殺害を計画する。
そこで最近入ってきたメイドに罪を着せることを思いつき、ついに計画を実行に移す。
しかし……それも名探偵の推理によって暴かれることとなった。
「もしかしたら続編も出るかもしれないな。楽しみだ」
結末としては主人を殺したことで服従の魔法が解け、彼は警官が駆けつける前に逃亡してしまう。
もしかしたら次回作はあるかもしれないと、ロベルトは少しながら期待する。
だが……ここ最近は仕事もそうだし、ロウの八極拳の稽古のこともあって、読む時間がなくなってしまうかもしれない。
そう思うと少し残念だ。
「さて、もう寝るとするか……ん?」
やることが亡くなったロベルトは、畳の床に敷かれている布団に入ろうとするも、一瞬彼の動きが止まる。
突如として感じた心のざわつき、全身に走る不快感。
この時、彼の頭に何者かの声が入り込んできた。
『そ……の者……わ……の……が……える……』
「だっ、誰だ!?」
突然の出来事にロベルトは壁に立てかけていた白竜を手に取り、抜刀して構える。
しかし何も起こらず、障子の隙間から漏れている月の光だけが刀身を美しく照らす。
体はそのまま動かさず瞳だけを動かして周りを警戒するも、鴉の声だけが耳に入り込む。
「……気のせい、か?」
もしかしたらただの早とちりなのかもしれない、と。
そう判断したロベルトは白竜を納刀した瞬間……
『聞……た……ら、……ちま……る……よ……』
再び頭の中に声が入り込む。
耳ではなく、脳に直接送られてくる感覚。
予想だにしていない事態に、ロベルトも額から汗を流して警戒する。
しかし待てと待てども何も起こらない。
(……何なんだ? ……少し、調べてみるか)
このまま寝ようとして再び頭の中に話しかけるのも嫌だったので、彼はこの声の正体を探ることにした。
壁に掛けられている上着を羽織ったロベルトは襖を開けると、冷たい夜風が彼の顔を襲い掛かった。
「うー寒い。なかなか冷えるな。でも……いい眺めだな」
彼の瞳に映っているのは幾多の光が灯るイズモの街。
あちこちに建てられている灯篭から漏れ出る光が、夜のイズモを風情感じる世界へと彩る。
ロベルトは顔を見上げると、一際存在感を放つ大きな月が光を放っていた。
「そういえば、あの月って随分と大きく感じるな。それに……綺麗だし」
月はラテン語でルーナと呼び、ルナとも呼ぶ。
この世界、ルナティールの名前の由来にもなったかもしれない大きな月は神秘的な光を大地に注ぐと同時に、どこか神聖なものをどことなく感じさせる。
それほどまでのこの世界では月は特別視されているのかもしれない。
『そ……の者……わ……の……が……える……』
再び頭の中に響いていた不快な声。
ロベルトは再びその場から動かず首だけを動かして周りを見渡すも、声の主らしきものは見当たらない。
『聞……た……ら、……ちま……る……よ……』
「まさか……俺を呼んでいるのか?」
寝る前に人様を呼ぶとはなんとも迷惑極まりない。
だが放っておいても気分も悪いので、ロベルトはあまり気乗りはしないが声の主を探すことにした。
廊下を進み、先ほどから感じる声の主へと近づく。
一歩一歩、歩くごとに廊下の床板が軋み寒さが肌に直に刺さる。
おそらくこの城自体、建てられて数百年がたつのだろう。
そのため床板もそれなりに傷んでいる。
近いうちに修理なり点検なりしなければ、最悪床板を踏み抜いて下に真っ逆さまだ。
そうならないように慎重に歩く。
天井から釣り下がっている吊るし灯篭の僅かな光を頼りに、夜の世界と言う静かな空間をロベルトは歩く。
『その……角、左……がっ……じゃ』
歩くたびに脳内の声が大きくなってくる。
どうやら声の主に近づいているようだ。
正体不明の声をたどり、ロベルトがたどり着いたのは随分と年期の入った木の大扉の前だ。
扉自体にも豪華な絵が描かれており、よほど大事な部屋だというのが推測できる。
声の主はこの中にいるのか、どんな奴なのだろうかと不安もあったが意を決してロベルトは取っ手に手をかけようとしたが……
「ありゃ、鍵がかかってるじゃないか。それにしても……これまたデカい錠前だな」
扉には大きな錠前が掛けられており、結果的に中には入れなかった。
ふと顔を上を向けると、プレートには宝物庫と書かれていた。
「宝物庫……なるほどね。そりゃ宝物庫なら勝手に入られたら困るから、カギをかけて当然か」
声の主については気にはなるものの、鍵が掛けられていればどうしようもない。
部屋に入れないのであれば諦めるしかないと思いつつ、ロベルトは自分の部屋に戻ろうとした時だった。
廊下の更に奥から麗しい女性の歌声が聞こえてきた。
聞いているだけでも心が安らぎ、楽園へと誘われるような感覚に陥る癒しの声。
先ほどの正体不明の声のような不快感はまったくなく、むしろいつまでも聞いていたい歌声だ。
「誰だ? こんな時間に……気になるな」
今度はそっちの声が気になったロベルトは、自分の部屋には帰らずに歌声のするほうへと向かう。
薄暗かった廊下の向こう側が少しづつ光に照らされいく。
まるで闇の中に一筋の光を見つけたような感じだ。
やがてその声に導かれるようにロベルトは足を歩み続けると、驚くべき光景が彼の瞳に映し出された。
「これは……凄いな。こんな大きな桜の木、前世でも見たことがない」
霧の中にうっすらと見える桜の大樹。
舞い散る桜の花びらが幻想的で、神秘の世界へと迷い込んだ気分だ。
ロベルトがたどり着いたのはイザナミ城の中庭。
この中庭には大きな大樹が生えており、天を仰げば空を覆いかぶさるように桜の花弁が咲き誇る。
庭にはいくつも建てられている朱い灯篭の光が。夜の桜をライトアップさせている。
こんな桜の下で食べるご飯は最高だろう。
季節外れの花見としゃれこむのも悪くはない。
「ん? 誰かいるな」
霞の中でぼんやりと浮かぶ人影。
この中庭には屋根の付いた足湯が作られており、桜を見ながら足湯を堪能することができる。
中庭に霞が広がっているのは、この足湯から出ている湯気だ。
その足湯に……一人の女性が歌を口ずさんで寛いでいた。
先ほどからロベルトの耳に入っていた綺麗な歌声はあの人物の声。
ロベルトは目をよく見開いてその人物を確認すると、それは知っていた人物であった。
「あれって……カエデさん?」
カエデ・ハヅキ……昼間に劇場アマテラスにて素晴らしい舞台を見せてくれた名女優であり、花簪の隊員の一人。
「あら? あっ、君は昼間の……確か、ロベルト君だっけ?」
「はい。覚えていてくれたんですね」
「そんな可愛い顔していたら印象に残るよ。ほら、せっかくだからそんなところに立ってないで、こっちにおいで」
可愛い顔と言われて少し照れるロベルトだったが、本心はまんざらではないようだ。
それに冷たい風が吹きすさぶこんな夜に、廊下に立っていたら体も凍える。
カエデがせっかく足湯に招いてくれているのだ。
ここは誘いに乗るべきだろう。
「それじゃあ、お言葉に甘えておじゃまします」
ロベルトはカエデに誘われるがまま彼女が足をうずめている足湯へと近づいて、彼女と対面するように座る。
そしてあったかいお湯に足をゆっくりと入れる。
「うおおおおおお……身に沁みますねぇー」
心地よいお湯加減が足のつま先から体全体へと伝わり、ロベルトを微睡の世界へと誘う。
ついうっかりしてこのまま寝てしまいそうだ。
「とても気持ちいいでしょ? 私ね、ここでお仕事が終わった後にお酒を飲むのが日課になっているの。私のお気に入りの場所なんだ」
そう口にしたカエデの横には一升瓶に入った酒と、一口サイズのお猪口があった。
彼女はそれを手にして口にすると、ぐいっと顔を真上にあげていい飲みっぷりを披露する。
酒を飲んだ後の顔はどこか官能的で色気を感じさせる。
思わずロベルトをどきっとさせるほどだ。
「どう? ロベルト君も飲む?」
「いいんですか?」
「いつも一人で飲んでいるからね。たまには誰かと飲みたいなって。はいどうぞ」
と、彼女は今さっき自分が口付けたお猪口をロベルトに渡す。
「ちょ、それってカエデさんが口付けたやつじゃ……」
「あはは、それ一つしかないから仕方ないよ。本当は恥ずかしいけどね」
彼女も流石に男性相手に自分が口付けたおちょこを渡すのは、抵抗感があるようだ。
だがカエデ自身が最初に言い出したので、取り消すわけにもいかない。
「それじゃ注ぐよ。零さないようにね」
ロベルトに渡したお猪口にゆっくりと、一升瓶を傾けてお酒を注ぐ。
お猪口が透き通った酒に満たされる。
間接キスになってしまうがロベルトは意を決してお猪口に口付けて、顔を真上に向けて酒を飲み干す。
「うー、体に染みわたりますねぇ」
口に含んだ瞬間、清酒特有の辛さが喉に伝わり、癖のある風味を味わう。
ロベルトが飲んだ酒は日本酒に近いものがあり、アルコールの度数が高いため飲んだ瞬間に一気に酔いが頭の中を駆け巡る。
だがそれが日本酒の魅力だ。
「それはよかった。それとロベルト君、今日の私の公演、どうだった?」
「そうですね……月並みな感想かもしれませんが、とてもよかったですよ。脚本もよかったですし……演じているカエデさんの真剣な顔……俺から見たらプロだなって」
「そう言ってもらえると、とても嬉しいよ。ほら、もう一杯どうぞ」
一杯だけというものもったいないのか、カエデは更にお猪口に酒を注いで、ロベルトも遠慮なく彼女から晩酌を受け取る。
既に夜遅い時間なので晩酌とはいいがたいかもしれないが、細かいことは気にしない。
お互いアルコールが回って気持ちいのか、カエデは口ずさむ。
「そういえばさっきの歌ってカエデさんが歌っていたんですよね。いい声ですね」
「ありゃ、聞こえていた? ちょっと恥ずかしいな……」
「そんなことないですよ。いつまでも聞いていたいような歌でした」
確かに彼女の美声は心惹かれるものがある。
もし前世であれば彼女はアーティストとしてもやっていける。
世間の大衆からは歌姫とも呼ばれること間違いなしだ。
「それじゃ……せっかくだからもう一曲歌っちゃおうかな。ロベルト君にだけ、特別にね」
「いいんですか? それじゃ……お願いしてもいいですか?」
「よろしいですとも。たった一人だけの観客……私のお気に入りの歌を披露しちゃいます」
カエデは姿勢を正し、深呼吸をして気持ちを整える。
頭に浮かんだ歌詞を声に乗せて、彼女は美しい歌声と共に歌いだす。
桜舞い散る湯気に包まれた中庭にて、観客一人だけのコンサートが始まった。
(……ん?)
綺麗な声で思わず聞き入ってしまったが、カエデが歌っている歌にロベルトは違和感を感じた。
いや、もはや違和感なんてものではない。
あるワンフレーズを聞いた瞬間、ロベルトの脳裏にある曲が浮かんだ。
カエデが歌っている曲、それはロベルトもよく知っている曲……翼と華蓮の思い出の曲である、前世で有名だったロックバンドのバラード曲であった。
(この曲って……嘘、まさか!)
カエデがなぜその曲を知っていたのか……ロベルトの中で答えは一つしかない。
「あれ? ロベルト君、どうしたの?そんな険しい顔をして」
考え事をしている間に、カエデは歌い終わっていた。
いつの間にかロベルトは険しい顔をしていたが、彼女の言葉はもはや頭の中に入っていない。
ロベルトは視線をカエデの右手に移す。
浴衣に黒い手袋という、明らかに不自然な組み合わせ。
まるでその右手に何かを隠しているようにも見えた。
しかし彼女が何を隠しているのか、ロベルトにはわかっていた。
「カエデさん……申し訳ありませんが、一つ質問させてください」
「なに?」
「貴方……転生者ですね?」
「!!」
意を決して確信を突いた質問をカエデにする。
すると彼女は顔を青くして、分かりやすい反応をした。
「えっ……ロベルト君……何で……わかったの?」
言い訳することもなく、カエデは自分が転生者だと大人しく白状した。
なぜカエデが転生者なのか、その理由は……
「貴方が今歌った曲は、俺が前世で好きだったバンドのバラード曲でした。それを聞いた瞬間、すぐにピンときました。それに……その右手の手袋、何かを隠しているように見えますが……その右手にあるんですよね? アリシアの紋章と、指輪が」
「……まさかその歌を知っていたなんて……ちょっと失敗しちゃったな。でもロベルト君もこの歌、好きなんだね」
「ものすごく好きですよ。俺にとっても、思い出の曲ですからね」
「じゃあロベルト君も転生者なの?」
このルナティールで前世で一緒だった幼馴染を再び繋ぎとめてくれた曲、忘れるわけがない。
「はい。俺の前世は海堂翼というただの高校生でした」
ロベルトは右手を上げて、己の手の甲に刻まれた紋章を見せる。
ラグナ所有者の証……アリシアの力を授かった証拠である三日月の百合を。
「それじゃ……改めて自己紹介しようかな」
観念したのかカエデは立ち上がり、右手に嵌めていた手袋を外した。
その手袋によって隠されていた真実がついに、月の光に晒される。
三日月の百合の花、アリシアを象徴する紋章と指輪を。
そして彼女は優しいながらも真剣な顔つきでロベルトと向き直る。
「カエデ・ハヅキ……それはこの世界での名前。私の前世での名前は……桜井絵里瀬。アニメ声優をしていました。よろしくね」
「……え?」
桜井絵里瀬、その名前を聞いた瞬間、ロベルトの意識は過去へとタイプスリップする。
生前の学生時代、授業が終わったあとのお昼休みを知らせるチャイムが鳴りびく校舎。
『あっ、そういえば海堂! ほらこれ見ろ!』
『なんだそれ?』
『お前知らないのか!? えりっちの新曲だ! 昨日えりっちの新曲だ! 昨日店にダッシュして手に入れた最後の一枚だ!』
ロベルト……翼の前の席に座っていたクラスメイトの男子は、欲しいCDが手に入ったのか相当ご満悦のようだ。
ジャケットには綺麗な女性が森の中で純潔の白い衣装を着て、手を伸ばしている写真が写っている。
その女性こそ、クラスメイトが推しに推している最近人気の声優、桜井絵里瀬だ。
『へーよかったな』
しかしあまり声優に興味がない翼は喜ぶクラスメイトを他所に呑気にスマホをいじっている。
『お前なぁ……もう少し空気よめよ! そこは欲しいものが手に入ってよかったなって! 言ってくれよ! やっぱり予約しておけばよかった! 俺としたことが……ついうっかり予約を忘れてしまうとは……ファン失格だぜ』
激戦の戦地から無事帰還した英雄のようにかっこつけるが、はっきり言って似合わない。
『それで? 俺にも聞けってか?』
『友であるお前にもぜひ聞いてもらいたいな。歌姫えりっちの美声をな!』
クラスメイトはスマホにイヤホンを繋ぎ、それを無理やり翼の右耳に突っ込む。
そして画面をいじって桜井絵里瀬のある一曲を流す。
イヤホンから聞こえる脳を癒すような麗しい声に、翼も思わず関心する。
聞いているだけでも脳内麻薬が分泌され、快楽の海へと落ちてゆく。
そして気づいたらいつの間にか彼女のファンになっていた……という人も多い。
『いい曲だな。お前がはまるのも納得だ』
『だろ! じゃあ明日えりっちの曲たくさん持ってきてやるから、全部貸してやる!』
『あ、ありがとう……時間があったら聞いておくわ』
「じゃあ次はライブだな! 次回のツアーが発表されたらお前の分のチケットも予約しておいてやる!』
翼も彼女の歌は素晴らしいと評価した。
しかし今思えば、時間の都合もあって貸してもらったCDのすべてを聞くことはできなかった。
事故で死んでしまうのであったならば、生きているうちにもっと聞いておいてもよかったかもしれない。
かつてのクラスメイトが大ファンであった声優、桜井絵里瀬。
その彼女がカエデ・ハヅキとして……前世では決して会う事すら叶わなかった人物が、今、ロベルトの目の前にいる。
「……え」
真実を知ったロベルトは一度喉が詰まるも……
「ええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
盛大に腹の底から声を上げて、夜のイザナミ城に雄叫びが唸る。
彼の大声によって桜の花びらがひらり、はらりと舞い散って足湯にひたりと浮かぶ。
だが問題は……今の時間に大声を出したことが、非常にまずかった。
「どうしたのですか! まさか曲者ですか!?」
「出会え!! 出会ええええええ!!」
廊下の奥から凄い形相をした花簪の隊員たちが、薙刀を持って中庭まで走り込んでいき……
「翼くんどうしたの!?」
「ものすごい大声が聞こえたけど、何かあったの!?」
ロベルトの大声で眠っていたシャルロットとアイリまでもが飛び起きて、寝ぐせがついたまま中庭にやってきた。
この二人も起きてすぐにこっちに来たせいで浴衣が着崩れしており、肩や胸が少しはだけている。
しかも最も最悪だったのが……
「うっせんだよ!! 寝ているときに騒いでんじゃねええええええええええぇぇぇぇ!!」
ロウが障子を蹴破りながら夜の中庭に怒号を響かせる。
どうやら彼の寝ていた部屋はちょうどこの中庭に面した部屋だったようで、ロベルトの叫び声がモロに聞こえていたようだ。
しかも先ほど夜の食事の際この男は酒を飲んでおり、アルコールがまだ頭の中を回っているようで相当機嫌が悪い。
ただでさえロベルトの絶叫で大樹の桜の花びらが散ったのだが、この男の怒号で更に花びらが舞い散る。
「……は、ははは……やってしもたわ」
喧騒に包まれた中庭でただ一人、ロベルトは顔を引きつらせながら、なぜか京都弁でそうつぶやいた。
天の玉座に腰を下ろす月が、中庭に植えられている桜の大樹を光に染める夜の刻。
中庭に作られた足湯に、ある人物たちが集まっていた。
ロベルト・エルヴェシウス……アルメスタ王国の騎士であり、アルメスタ王国八貴族の一つ、エルヴェシウス家の令息。
アイリ・カタルーシア……ロベルトと同じアルメスタ王国の騎士であり、アルメスタ王国八貴族の一つ、カタルーシア家の令嬢。
シャルロット・カタルーシア……アイリの姉であり、アルメスタ王国騎士団副団長。
ロウ・セイラン……ナギ国首都警備治安部隊、ローファンの総隊長。
カエデ・ハヅキ……ヤクモ国国家安全警備隊・花簪の隊員であり、小部隊、雪月花の隊長。
所属する国も年齢もバラバラの彼らだが……この5人は二つの共通点がある。
一つ目……彼らは前世は日本人であり、何かしらの不幸に巻き込まれて命を落とし、この異世界ルナティールに転生した……転生者である。
二つ目が、彼らは全員アリシアから神の力、ラグナを授かったことである。
こうして……5人の転生者が、一同に集うことになった。
アルトとリナリーは今頃ぐっすり眠って夢の世界に没頭しているのか、幸いにもあの二人はいなかった。
騒ぎを聞きつけて鬼気迫る表情をしてやってきた花簪の人たちには、魔獣が迷い込んだので追い払おうとしたと、強引すぎる言い訳をしたがなぜか納得してお帰り頂いた。
「えーカエデさんも転生者だったんですか!? しかも声優をしてたなんて、凄いですね!」
「そう言われると照れちゃうな……子供の頃からの夢でね。まさか死んでしまってアニメや漫画のような異世界転生を経験するとは思わなかったよ」
今や声優といえば芸能人。
そんな人が目の前にいるせいか、アイリは夜にも関わらず少し興奮気味だ。
「どうりで……昼間の演劇もプロ並みにうまかったんですね。役を演じている絵里瀬さん、とても素敵でしたよ。いい物を見させていただきました」
「カエデでいいですよ。そう言ってもらえると、私としても非常に嬉しいです」
シャルロットは生前はほとんどアニメは見なかったため、声優事情にはあまり詳しくはない。
だが昼間の劇場でカエデが演じた劇は、アニメをほとんど見なかったシャルロットでさえも思わず息をのむほど素晴らしいものだったと、自身を持って言える劇だった。
「そういえば……カエデさんも転生者ってことは、前世で死んだんですよね? やっぱり事故ですか?」
「うん。確か……夏だったかな?その日はオフでちょっとプライベートで江の島に遊びに行こうとしたら、後ろからトラックに突っ込まれてそれで死んじゃった」
「嘘!? カエデさんもそれで死んじゃったんですか!? あたしたちもその事故に巻き込まれたんですよ!」
「そうなの!? じゃあ私たちがこうして出会ったのは偶然じゃなくて、運命だったかもしれないね」
驚くことにカエデもあの日、ロベルト……翼たちと共に江の島に行く道中であのトラックが突っ込む事故に巻き込まれたようだ。
当時、ロベルトは死ぬ数分前に右側車線に走っていた桜井絵里瀬にの女性を一瞬だけ目撃している。
あの時はただの気のせいで片付けたが、やはりあれは彼女に間違いなかったのだ。
彼女曰く、あの日は仕事はオフで私用で江の島に行こうとしたのだが、一体どういった用事で江の島に行こうとしたのだろうか。
女性陣はガールズトークで盛り上がっている一方でロベルトとロウは……
「まったく……お前は人が寝ている夜にデカい声出しやがって……」
「……すみません」
「俺は少し寝る。後で起こせ」
寝起き直後で不機嫌なのかロウは目を充血させ、イラつきながらロベルトを睨む。
まだ酒が残っているようで彼が喋るたびに酒の匂いが口から漂い、ロベルトは思わず鼻をつまむ。
そんなロベルトだが……現在彼の頭の上にはそれは見事な赤く腫れたたんこぶが、煙を出しながら浮き出ていた。
大きさとしては自分の顔にも匹敵するほど。
その原因は隣に座っているロウが殴ったからだ。
そりゃ人が気持ちよく寝ているときに大きな声を出されて起こされたら、誰だって機嫌が悪くなる。
まだ眠気があるのか、ロウは一升瓶を右手で強く握りしめながら、そのまま座って眠りこけた。
「え、と……ロベルト君、大丈夫?」
「はい、大丈夫です……それにしてもカエデさんがまさかあの桜井絵里瀬さんだったなんて……驚きましたよ。まさか知っている声優さんが目の前にいたなんて、今でも信じられません」
やはり芸能人と面と向かって会うというのは、内心興奮してしまうものだ。
どれだけ表面上は冷静を保っていても心の中は落ち着かず、心臓の拍動が少しだけ早くなる。
もしかつてのクラスメイトも一緒に転生して、ここにいたら彼はさぞかし発狂してたであろう。
「ロベルト君は私のファンなの?」
「失礼ながら……俺はファンというわけではありません。ですが俺のクラスメイトがものすごくファンで俺にCDとかよく押し付けてきました。一度貴方の曲を聞いたことがあります。聞いているだけで心が癒されて満たされる……人並みの感想ですが、とても美しい歌声に感服しました」
決してお世辞なんかではない、心に思ったことを素直にカエデに伝える。
嘘偽りなく彼女が生前に歌った歌は、今でも記憶に残るほど素晴らしいものであったことを。
「うん。やっぱりそう言ってくれると、私も声優になれてよかったって思えるよ」
決して楽な道のりではなかった夢。
叶えられたとしても、乗り越えるべき壁はいくつも立ちはだかっている。
彼女は幾多の壁を乗り越えたからこそ、多くの人たちを虜にし、多くの人たちが彼女の味方になった。
「そういえば、昼間カエデさんに会った時、翼は違和感を感じたんだよね」
「そうだ。だけどこうしてカエデさんと話して彼女が転生者……しかも声優だと知ったら、その違和感の正体も分かったよ」
「芸能人だから知っている、でも気軽に会える人じゃないもんね!」
ロベルトが昼間にカエデと会った際に感じた違和感……会ったことはない、だか知っているという矛盾した違和感。
その正体は彼女は生前では声優でメディアやCDジャケットなどに顔出しして知名度はあるものの、そう簡単に会えるような存在ではない。
唯一会える機会といえば……ライブくらいだ。
それがロベルトの感じた違和感の正体だ。
あの時感じた心の中に広がった懐かしさも、彼女の事を知っていたからだろう。
「そういえば……ロベルト君の隣に座っている人も、転生者なの?」
「はい、そうですよ。ほらロウさん、起きて挨拶してください」
カエデと話し込んでいるうちにロウは小さないびきをかきながら寝ていた。
綺麗な桜の木が咲き誇るいいムードの中で、それをぶち壊してくれる。
ロベルトはロウの体を揺さぶって、なんとか起こした。
「ん? あ……あぁ、俺はロウ・セイラン。ナギ国首都警備部隊、ローファンの総隊長であり……ロベルトたちと同じ転生者だ。前世の名前は高坂琢磨、よろしくな」
未だ瞼が半開きになっているロウは、酒臭い息を吐きながら失礼にもカエデに自己紹介する。
転生者同士だからこそ前世のことを言っても問題はない。
だがカエデはロウの前世の名前を聞いた瞬間、目を大きく開いて驚いた。
「えっ? 高坂……琢磨? ま、まさか……たっ……たっくん?」
「あ? 何言ってるんだお前?」
「やっぱりたっくんだ! 覚えてる!? 絵里瀬だよ!?」
ロウの正体がわかったカエデは、食い気味でロウに突っかかってきた。
当初ロウは何が何だがという顔をしていたが、絵里瀬という名前を聞いたとき彼の意識は次第に覚醒していき……
「お、お前……まさか、絵里瀬、桜井絵里瀬か!?」
「そうだよ! たっくん久しぶり!」
「ろっ、ロウさん!? カエデさんの事を知ってるんですか!?」
どうやら二人は知り合い同士のようだ。
しかもロウはカエデの生前の名前を呼んでいる。
まるで声優になってから知ったのではなく、昔からの知り合いという感じで。
さらにカエデもロウ……琢磨の事をたっくんという、いかにも親しい同士のあだ名で呼んでいる。
「……こいつ、俺とは小中学校時代の同級生だったんだよ。しかもクラスもよく一緒だった」
「そうだよ。中学卒業以来だね! 高校で離れ離れになっちゃったけど」
「……えっ」
この二人は学生時代の同級生……この事実を知ったロベルトとアイリは時が止まったかのように表情が硬くなった。
とんでもない衝撃の事実である。
本当であれば今ここで大声を出して叫びたい気分だったが、また叫んで花簪の人たちに迷惑をかけるわけにはいかない。
ロベルトは今にも叫びたい気持ちをぐっと腹の中で押し込めた。
「たっくん、随分と見ない間に大きくなったねー。全然連絡取れなかったけど生前は何の仕事をしてたの?」
「あ、いや……精々金融関係の仕事とか、かな?」
ロウはカエデの質問してきたことに脂汗を流しながら、お茶を濁す形で返す。
彼の生前の職業はヤクザ……ましてや、彼女は声優であり芸能人……決して交わってはいけない黒い繋がりだ。
もしそんなことがあれば大スキャンダル間違いなしであり、彼女は声優人生を最悪の形で終えていたであろう。
だが幸いにも、彼女は先ほどロウとは中学卒業以来、会っていないし連絡もできなかったと言った。
ならば、ロウ……琢磨が大人になってヤクザになったのは知らないのだろう。
「金融関係って……」
「おそらく取り立ての事を言ってるんじゃないか? あながち間違っていないし」
ロベルトとアイリは、久しぶりに再会した同級生二人に聞こえないように小声でそう会話する。
確かにヤクザの仕事の中には借金の取り立てをすることもある。
金が絡んでいるのだから金融関係というのも嘘ではない。
「そ、そんなことより、お前も転生者ならアリシアからラグナをもらったんだろ!? お前のラグナは何なんだよ!?」
あまり自身の事を聞かれたくないロウは、逆にカエデに質問して自分の事から話をそらそうとする。
確かにカエデも指輪とアリシアの紋章があるならば、彼女もラグナを宿していることになる。
ならば彼女のラグナは一体なんなのだろうか。
「私の? んー……今はまだ秘密!」
「はぁ!? ずべこべ言わずに教えろ!」
「ダメでーす。そういうところ、昔から変わらないねー」
どうやらこの二人は小さい頃、それなりに仲が良かったようだ。
傍から見ていると幼馴染同士のようなやり取りだ。
もし中学卒業時、この二人が別々の道に分かれることなく同じ道を共に歩んでいれば、前世で結ばれていたかもしれない。
「なんだかあの二人って、あたしたちに似ているね」
「ふふっ、そうだな」
アイリの言う通り、ロウはロベルト、カエデはアイリにどこか似ている。
まるで自分自身を見ているような気分にロベルトも思わず笑みがこぼれる
転生者同士による談笑が一時間ほど続いていると……ふと風が吹き、地面に散った桜の花弁が宙を舞う。
冷たい風が体を冷やし、空を見上げると暗雲が立ち込め、やがて静かに雨が降り出した。
「ありゃ、雨が降ってきたよ」
強くはない小雨が足湯を堪能している彼らの体を濡らそうとする。
せっかく足湯で体の芯まで温めていたのに、雨でぬれてしまっては意味がない。
「それじゃあそろそろお開きとしましょうか。華蓮、行くよ」
「そだね。じゃあ翼、ロウさん、カエデさん、おやすみなさーい」
「あぁ、お休み」
シャルロットがアイリを引き連れて廊下の奥にある自分の部屋に帰っていった。
「それじゃ俺も寝なおすとしよう。ロベルト、今度は叫ぶなよ?」
「分かっていますよ……」
先ほど大声で起こされたことに相当根に持っているのか、ロウは部屋に入る前にロベルトに振り返り、目を充血させながらひと睨みする。
ただでさえ生前ヤクザだった人物故に、睨まれるだけで魂の奥底から彼に対して恐怖心が生まれる。
しかし今回に限ってはロベルトに非があるのだから仕方ない。
ちなみにロウが蹴り飛ばした障子は、先ほど花簪の人たちが直していってくれた。
「ではカエデさん、俺も失礼します」
「そうだね。じゃあお休みなさい」
こうして中庭に集った転生者は、一同に解散した。
自分の部屋に帰る道中、ロベルトは廊下から雨降る空を見上げ、何を思ったのか右手を伸ばす。
指先に落ちる天からの一滴。
ひとたび触れてしまえば弾けて消える小さな雫を見て、ロベルトはあることを思い出した。
「そういえば……さっきの声ってなんだったんだ?」
寝る前に聞こえた正体不明の声。
カエデが転生者だったという話で持ち切りになっていてすっかり忘れてしまっていたが、再び気になった。
あれだけ不快感を感じた声だ。
気のせいという言葉で片付けるわけにもいかない。
だが声の聞こえた場所がカギのかかった宝物庫である以上どうしようもないし、ミクリに頼んで開けてもらうのも図々しいと思った。
「まぁいいか。それより……明日は土産を買ったりあの爺さんにも会ったりしないとな」
彼らアルメスタの騎士団の任務は明日で終え、明後日の朝にメランシェルへと帰還する。
悔いのないように明日最後の一日、開いた時間を使ってこの街を堪能するべきである。
そして明日の朝には晴れているといいな、と願いながらロベルトは右手を戻し、部屋へと戻っていった。




