第34話 劇団 雪月花
ミクリの後をついていくように建物の中に入ると、大きな正面ホールが彼らを出迎えてくれた。
若い人から老人、男性女性関係なく大勢の人たちでホールが埋まっているが、よく見ると若い女性のほうが多い。
「ミクリ様、ここはどんな場所なんですか?」
ロベルトの横にいたリナリーがミクリに質問する。
「ここはな、我がヤクモ国で人気の劇場なのじゃ。定期的に演劇が開かれている。『みゅーじかる』ともいうな」
「演劇ってことはお芝居ですか! 私お芝居好きなんですよ!」
「おぉそうか。リナリーと言ったな。其方と妾は趣味が合いそうで嬉しいぞ。ちなみにここの劇場はな、我が花簪の者たちが交代制で劇を行っていてな。本日は特に一番人気の劇団『雪月花』が劇を行うのじゃ。彼女たちの劇は常に満席で埋まるから、それを特別に見せるのだから其方らは実に運が良い」
「そうなんですか? なんだか楽しみになってきました!」
「そうかそうか。なら妾の横で一緒に楽しもうではないか」
「はい!」
実はアルメスタ王国にも演劇を行っている劇場はある。
ヤクモ国ほど立派な建物でもないし劇団員もそれほど多くはない。
ロベルトも一度リナリーに連れていかれて見に行ったことがあるが、劇団員の演技力が凄くてみっともない話、思わず泣いてしまった。
前世では演劇なんて縁がなかったため、こんな素晴らしいものがあるんだなと心の底から感激したほどだ。
「ミクリ様、ようこそ。お待ちしておりました」
この劇場の関係者と思われる女性がミクリに近づいて挨拶をした。
「席は用意しているか?」
「もちろんです。しっかりと掃除もさせていただきました」
「よろしい。では皆のもの、妾についてまいれ」
その言葉を聞いたロベルトたちは再びミクリの後をついていく。
階段を上って二階に行き、右に曲がると他とは少し豪華な扉がそこに存在した。
扉の札には特別席と書かれていた。
「ほれ、ここじゃ」
そう言ってミクリがドアの取っ手を掴み、ドアを押し開ける。
「…うわぁ、凄いなこれ」
ドアの先の空間は、豪華かつかなり広い空間……一言でいえば和風のコンサートホールだ。
落語などを行う寄席と呼ばれる場所がめちゃくちゃ広くなったようなところだろう。
1階から3階まで席が並べられており、ホールを見ると既に多くのお客さんで埋まっていた。
ロベルト達が来た特別席は2階部分にあり、そこだけは他の席より豪華な作りになっていた。
「好きなところに座っていいぞ。ほれリナリー。妾の横に座るがいい」
「はい。では失礼しますね」
優しい笑みを浮かべてミクリはリナリーを自分の横に座らせる。
その表情は一国の女王というより、一人の母のように慈愛に満ちた笑顔だ。
見ているだけでとても心が落ち着く。
「そういえばミクリ様、これから何を見るんですか?」
「おぉ忘れておった。ほれ、これを見るがよい」
ミクリの傍に控えていた巫女服の女性……花簪の人たちが折りたたまれていた紙をロベルト達に配る。
彼らはそれを受け取って中身を開くと、今日の公演の内容が書かれていた。
どうやらこれはパンフレットのようだ。
そして肝心の今日の公演は……町娘ツキノの天誅犯科帳。
「これって……時代劇ですか?」
「らしいな。妾も今日の公演の事は詳しく知らないが、あの雪月花が演じる部隊じゃ。面白くないわけがない」
どうやらミクリはよほど雪月花の演じる公演が好きなのか、表情から既に期待が滲み出ているのが分かる。
パンフレットには本日の公演について詳しいことが書かれているが、実際に公演を見たほうが楽しいだろう。
先にパンフレットを見てしまうと、楽しさが半減してしまうだからだ。
『本日はイズモ劇場アマテラスへお越しいただき、誠にありがとうございます。まもなく花簪、雪月花により公演『町娘ツキノの天誅犯科帳』が開園致します。ご入場のお客様はお席につくようにお願いいたします』
館内に女性の声でアナウンスが残響する。
劇場アマテラス……これもまた日本神話のアマテラスからとったのだろう。
開演時間が近づくにつれて、一階のホールの席が他のお客によって埋め尽くされる。
やがて開演時間となり、ブザーがホールに鳴り響いて場内が真っ暗になった。
「翼、楽しみだね」
「そうだな。前世ではライブハウスとかにはよく行ったけど、こういったミュージカルはあまりなかったからな」
ロベルトの横に座っているアイリも、初めて見るミュージカルに心躍っている。
そして……ついに舞台の幕が上がった。
祇園精舎の鐘の声、所業無情の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す……この世のすべては絶えず変化していく。
国や時代、人の心までもが常に動くこの世界。
月が照らす街の闇に紛れ、今日も悪事が蠢く……
とある屋敷では二人の男が邪悪な笑みを浮かべながら食事をしていた。
「お代官様、カイナの国から取り寄せた極上の酒でございます。ぜひお飲みくださいませ」
「ほぅ。イマカワ屋、そちも気が利くのぅ」
太った男が細身の男のお猪口に酒を注ぐ。
これはあくまで劇なので、酒ではなく小道具の水だろう。
しかし水だとしても酒と思いながら飲む。
それがプロの役者としての務めだ。
「で? 頼んでおいた礼の件は、やってくれたであろうな?」
「無論ですとも。それに関しては滞りなく……」
「よかろう。ではその対価としてこれを」
代官役の男が黒い重箱を手に取って、蓋を開けると中には金色に光る楕円型のあるものがびっしりと詰まっていた。
それを見た代官は悪意の笑みをにやりと浮かべる。
「これはこれは……実に見事な山吹色のお菓子ではないか」
山吹色のお菓子……俗にいう賄賂の隠語。
即ち小判の事である。
「イマカワ屋よ、よい仕事をしてくれたな。これからもよろしく頼むぞ」
「はい。こちらこそ今後ともご贔屓に……」
二人の男が不気味に笑いながらも、夜は更けていく。
この夜の間にいくつもの悪が行われたのだろうか。
だが悪あればそれを正す者も存在する。
太陽が昇り、青空が広がる中、城下のとある茶屋で一人の女性が元気な笑顔でお客を呼び込んでいた。
「美味しいお団子いかがですかー!? 国一番のお団子はここで食べれますよー!」
着物を着た若くてアグレッシブな女性が大通りを歩く人々にそう呼びかける。
彼女こそが、この劇の主役であるツキノ。
この国の茶屋で働いている娘であり、彼女目当てに来る客も少なくない。
とはいえ、そのほとんどは言うまでもなく男の客なのだが。
「おっ。おツキちゃん、今日も可愛いねー!」
「やだなー。そんなに褒めても何も出ませんよー! さぁ今日はこのお団子がおすすめですよ」
「じゃあ3本……いや、5本いただいちゃおうかな!」
店先に出ている椅子に座っている男は彼女目当てで来ているようだ。
どうやらツキノにお熱のようだが、彼女はいつも通りの接客をする。
空に昇っていた太陽は既に傾き、夕日にへと姿を変えては鴉が鳴いて一日の終わりを告げる。
本来であればツキノも仕事が終わり、家に帰るはずだが、現在彼女はある場所に来ていた。
大きな部屋に畳が敷き詰められ、襖には花や虎の絵が描かれている豪勢な部屋。
ツキノの目の前には竜の刺繍が施されている、厳しい顔つきをした髷の男が座っている。
彼女はその男に向かって正座をしていた。
「ツキノよ。本日の仕事はどうだった?」
「とても毎日が充実しています。下町の仕事をすることで民がいかにこの国で幸福に暮らしているのかを、この身で実感しています」
「そうかそうか。それではツキノ、呼び出した件についてだが……御庭番の仕事だ」
茶屋の人気娘、ツキノにはもう一つの顔がある。
それはこの国の幕府に仕える隠密諜報部隊……御庭番だ。
「実はここから近いアマノ藩内で童子が行方不明になる事件が頻発している。お前にはその調査を頼みたい」
「御意。このツキノ、殿の命にかけてこの任務、こなして見せます」
ツキノにそう呼ばれた男……この国の殿様は真剣な顔をして彼女に仕事を頼む。
一方、二階の席から舞台を見ていたロベルトは、ツキノ役の女性の演技の虜になっていた。
演技のうまさだけではなく、それに加えて美人のため、男性であればだれでも見とれてしまう。
手元にあったパンフレットを見ると、ツキノ役の女性の名前はカエデ・ハヅキとなっている。
(あの人……凄いな。演技のレベルが段違いだ)
ツキノ……カエデの演技は前世であればプロで間違いなく通るほど上手い。
このホールにいるお客の視線は既に彼女に釘付けだ。
ミクリが推すだけある。
事実、アイリやリナリーもカエデの演技力に脱帽している。
「……zzzZZZ」
(……ん?なんだこの声?)
突如、ロベルトは自身の背後から不気味な声が聞こえ、振り向くと……
「zzzZZZ」
そこには間抜けな面をしたロウが目を閉じながら、涎を垂らして寝ている情けない絵面があった。
ロベルトの耳に聞こえたのはロウのいびきだ。
(こ、この人寝てるよ!!)
せっかくミクリが歓迎のために演劇をみせてくれているのにも関わらず、この男は呑気に夢の世界にダイブしていた。
幸いにもミクリは目の前の演劇の世界に入り浸っているため、ロウのいびきには気づいていない。
これは不幸中の幸いだろう。
招待しておいて寝ているという最大級の不敬、もしミクリが気づけば彼女の怒りが有頂天になることは目に見えている。
(まったく……この人はもう放っておこう)
仮にも武術の師匠であるロウの事はもう知らんと見限り、ロベルトは再び舞台のほうに向けて芝居の続きを見ることにした。
夜になり、鴉が鳴いては声が闇夜に木霊する。
こんな夜は女性の一人歩きは自殺行為だ。
しかしある小道に黒い忍び風の衣装を着た女性が歩いていた。
「ここもダメだったか……じゃあ最後はこの問屋だね」
その女性とはツキノだ。
彼女は手にリストを持っていて、筆でバツをつけていく。
その中にはイシカワ屋だのオオスギ屋といった、問屋の名前が書かれていた。
ここ数日の調査でツキノはとある問屋が童子が他の国に売られているとの情報を掴んだ。
そのため、彼女はしらみつぶしに怪しいと思った問屋を調べていたのだ。
そして彼女のリストに残ったのは、イマカワ屋という問屋であった。
「それにしても立派な屋敷ね。普通の商売だけでこんな屋敷が建てられるとは到底思えないけど……」
ツキノの前に立っている立派な門……イマカワ屋の屋敷だ。
この藩にはいくつもの問屋があるが、一番大きい問屋はここだけである。
まっとうな商売をしていてここまで大きな屋敷が建てられたのであれば、さぞかし立派だろう。
まっとうであれば……の話であるが。
彼女には既に見えているのだろう。
視線の向こうに側にある、大きな屋敷の中に渦巻く欲深い人間の悪意が。
いずれにしても、そこに悪意があるならば、その悪意を消し去るのがツキノの仕事だ。
さて、動くとしようと思った矢先、彼女は後ろから気配を感じ取った。
「おい、そこの女。そこで何をしている?」
男の声だ。
振り向くと、提灯を持った二人の男がツキノに声をかけてきた。
服装からして岡っ引きや奉行所の者でもない。
男たちが来ている小袖に描かれている紋を見ると、丸の中に今の文字。
だとすれば、この男たちはイマカワ屋の関係者なのだろう。
しかもツキノは現在、忍び風の衣装を着ており、さらに怪しさ満点である。
完全にごまかしようがない。
ならば、ここは当たって砕けろ、直接聞くのみ。
「貴方たち、イマカワ屋の関係者ですか?」
「質問しているのはこっちだ。そこで何をしていた?」
「実は今、この藩で童子たちがいなくなる事件が起きていましてね。それを調べていたのですよ。貴方たち……何か知りません?」
と、わざとらしく彼女はそう言い放つ。
あたかもあなたたちを疑っていますよと、そんなニュアンスを出しながら。
その言葉を聞いた男たちは分かりやすく目の色を変える。
「くそっ、お前幕府の犬か! もう嗅ぎつけてきやがった!」
「仕方ない! ここで切り捨てる!」
バカな男たちだと、ツキノは内心見下す。
自分たちからこの事件の犯人は俺たちです、と自白したようなものだ。
わざわざ殺気を込めて刀を向けて、ここで口封じをするつもりなのだろう。
「仕方ないですね……じゃあ私も……」
彼女はこれでも幕府の御庭番。
黙って殺されるわけがなく、腰に差しているクナイを抜き取ろうとしたときだった。
「こらー! お前たち、何をしている!?」
反対側から別の男の叫び声が聞こえ、ツキノを始末しようとした男たちが急に慌て始めた。
「しまった! ここは引くぞ!」
「こら待たんかー! 御用だー!」
右手に十手、左手に御用と書かれた提灯をぶら下げた男がツキノに駆け足で近づくと、怪しい男たちはそのまま闇夜の中へと消えてゆく。
彼女に近づいた男……岡っ引きと呼ばれる江戸時代の警察官のような者。
正確に言うと非公認のため、組織ではなく個人でやっていることが多い。
そしてその岡っ引きは、ツキノもよく知っている顔だった。
「おや? よく見たらツキノさんじゃあありませんか! こんな夜に一体何を? あっ、まさか殿様からまた極秘任務を受けていたとか?」
聞いてもいないのに勝手に一人でぺらぺらと喋る男だ。
この男はツキノとはそれなりに親しい中で、彼女の正体を知っている数少ない男であり、信頼できる人物。
「あら、ゴンザブロウさん。その通りですよ。今この藩で童子たちがいなくなっている事件を調べているのですよ」
「あっ、それでしたら、あっしも知っておりますよ。実はですね……あっし、それに関して詳しい情報を握っているのですよ!」
「そうなんですか!? ぜひとも教えていただけませんか?」
まさかの岡っ引きが重要な情報を知っていると知ったツキノが、それに食らいつく。
このまま手ぶらで帰るわけにはいかないので、なんとしてもここで情報は欲しいところ。
しかしこういう男はただで情報を渡そうとはしないと、ツキノの感がそう言っていた。
「そうですね……それじゃあ今度、アヤメちゃんと一緒にお茶したいって思っていたんですよ。どうですか? 彼女に話をつけてくれたら情報を渡してあげますよ」
案の定、ゴンザブロウは情報を渡す見返りに女性とお茶がしたいと要求をしてきた。
ちなみにアヤメというのはツキノと同じ御庭番に所属しており、彼女とは同期である。
だがアヤメはこの男に対してはいい印象を持っておらず、恋愛面に関しては眼中にないであろう。
それでもこの男はアヤメをおとしたいと意気込んでいる。
「はぁ……分かりましたよ。それじゃあアヤメとは話をつけておきますから、情報をくれませんか?」
ツキノの脳裏にアヤメの嫌な顔がすぐに浮かぶ。
しかしこれは情報を手に入れるためだ……仕方ない。
彼女には申し訳ないが、ここは心を鬼にするとしよう。
「わかりました! 実はですね……他の岡っ引きも知っていることなんですがね……ここ数日、このイマカワ屋に代官様が何度も出入りしているのを目撃してるんですよ」
「代官様が?」
「そうなんですよ。それもね、門を潜るときに周りの目を気にしながら入っていくんですよ! これって怪しくないですか!?」
調子のいい男ではあるものの、信頼はできるのは確かだし、この様子からして嘘をついているとは思えない。
ただの問屋に代官が何度も出入りしている……かなり怪しいとみた。
この情報を一刻も早く殿に届けるべきだろう。
「なるほど……ありがとうございます。さっそく殿に報告しなければ」
「アヤメ殿との約束をお願いしますよー!」
後ろでゴンザブロウの声が聞こえるも、彼女は情報を届けることで頭がいっぱいになり、その言葉は聞こえていなかった。
後日、城に帰還したツキノは殿に情報を伝え、数日の間に事実確認をしたのち、イマカワ屋とその代官が関与していることが確定した。
イマカワ屋が童子を攫い、それを他国に売り渡していた。
さらに代官に賄賂を渡して抱きかかえていたことも明らかになった。
そこでツキノは明日、太陽が沈んだ三日月の夜に、作戦を結構することに決めた。
悪事を働くイマカワ屋と代官を、神に変わって天誅を下すことを。
ちなみにゴンザブロウの件はアヤメには伝えるのを忘れていたツキノであった。
その後、劇は進み場面はイマカワ屋。
空に三日月が浮かぶ中、部屋の中で再びイマカワ屋と代官が不敵な笑みを浮かべながら食事をしていた。
「見事だぞイマカワ屋よ。それじゃあさっそくあれをいただこうか」
「はい。もちのろんでございます」
イマカワ屋は横に置いてあった黒い重箱を手に取り、それを代官へ渡す。
それを受け取った代官は蓋を開けると、箱には光る小判が詰められていた。
目が眩むほどに黄金色に光る小判だが、まっとうな商売ではなく、汚い商売で設けた汚れたお金である。
それをみた代官の顔が更に悪意に満ちた笑みに変った。
まさに下衆という言葉が似あう。
「みごとだぞ。それじゃあこれはありがたく……」
「そこまでよ!!」
「何奴!?」
突如、庭から女性の大声が聞こえ、彼らは警戒態勢に入る。
どこにいるのか、庭に出た彼らは首をあちこちに動かしては声の主を探す。
その声の主は……塀の上から月をバックに立っていた。
「童子を攫っては他国に売り渡し……そのお金で私腹を肥やす悪党どもよ……三日月浮かぶ夜の闇……悪を裁くのは月の紋を背負いし忍び……それがこの私」
その言葉の後に太鼓の演奏が入ってスポットライトが当てられ、その者は姿を現す。
「宵闇の照らす一夜の月、御庭番ツキノ! 月に替わって天誅を下します!」
びしっと決めポーズを決めるツキノ。
その瞬間、一階で見ていた子供たちもテンションが上がり、彼女と同じポーズをしていた。
「くそっ! もう気づかれたか!」
「仕方ない! 見られた以上生かしておくわけにはいかん! 者ども! 出会え! 出会えーー!!」
イマカワ屋の大声で屋敷にいた侍たちが次々と舞台に登場していく。
ツキノも塀の上から庭に降りると、腰から短刀を取り出して臨戦態勢に入る。
そして侍もツキノを取り囲んだ。
「幕府の御庭番だろうが相手は一人だ! 全員でかかれば大したことない! ここで切り捨てぃ!」
今日一番の見せどころ、時代劇ではお約束の殺陣のシーンに突入である。
刀を抜いた侍たちが次々とツキノに向かって襲い掛かるも、彼女は見事な動きでそれを交わしては短刀で相手を切りつけていく。
時には高くジャンプし、塀の上に上がっては飛び降りながら攻撃する。
軽やかな動きで相手を翻弄していく姿にロベルトも思わず心躍る。
会場に鳴り響く太鼓や三味線の音楽がより一層、この場に臨場感を生み出していた。
(凄いな……動きが素人じゃない。完全にプロのそれだ)
ツキノをよく見ると、彼女の腰には透明なワイヤーが付けられている。
おそらくはそれで高くジャンプできるのだろう。
と、ここで彼女は会場を盛り上げる。
「数が多いね。じゃあこちらも数を増やしましょう! 分身の術!」
手を合わせるとツキノの両脇から煙が噴き出し、それが晴れると二人の人物が現れた。
狐のお面をかぶっているため顔が分からないが、ツキノと体形がそっくりな女忍者が二人、舞台に颯爽と参上したのだ。
無論あの分身役は別人であろうが、ここで会場は一気にヒートアップする。
「ツキノちゃーん! がんばれー!」
「負けるなー!」
思わず観客席の子供たちがツキノに向かって応援を送る。
時代劇を見ているのにまるで、戦隊もののヒーローショーを見ているようだ。
ツキノと分身役が次々と侍をばっさばっさと切り倒していくシーンはなかなかの見物。
「まさかここで忍術が来るとは思わなかったな」
「だよね。異世界って魔法のイメージが強いから、この世界に忍術ってあるのかな?」
「かもしれないな」
異世界は魔法という固定概念があったため、意外にも忍術があるとは思わなかった。
今回はあくまで演劇のため、ツキノが使った分身の術は演技だとしても、もしかしたら本当に忍術があるかもしれない。
だとすれば、今後のためにも忍術は覚えておきたいところだ。
「く、くそ……幕府の犬が……こうなったら拙者が直々に切り捨ててくれる!」
舞台もいつのまにか終幕に近づいてきたようで、代官が腰に差している刀を抜いてツキノに突き付ける。
しかしその刀を持つ手は震えており、視線もどこか泳いでいる。
おそらく自分より弱いやつを切ったことがないのだろう。
大してツキノは短刀を構え、視線も揺らぐことなく代官のほうを見ていた。
「か、覚悟しろーー!!」
わざとらしく代官は刀を振り上げてツキノを切ろうとするが……
「切り捨て、御免」
ただ一言、冷たく言い放った彼女は短刀で代官を切る。
鮮血が辺りを血で染め、醜い体がその場でドサリと崩れ落ちた。
悪事を働いた男の無様な最期だった。
「ひ、ひいいいい!!」
代官がやられたのを見たイマカワ屋がびびったのか、彼はツキノにばれないようにこっそりと逃げようとするが……
「はいそこの人、逃がしませんよ」
「ぎゃああ!!」
いつの間にか目の前に移動していたツキノがイマカワ屋の首元に手刀を当てて、気絶させた。
「これにて一件落着、と!」
夜が明けた次の日、ツキノの姿は城下の茶屋にあった。
仕事を終えた彼女はいつも通り、茶屋の娘として城下の民にお団子を売っていたのだ。
「いやーそういえばツキノさん、聞きました? アマノ藩のイマカワ屋が子供たちを攫って他国に売っていたですって」
「えぇ知っていますよ。でも売られた子供たちは今頃どうしているのか心配ですね」
「それなんですけど、売られた子供たちはその藩の代官様が保護していたようで、無事だったらしいよ」
ツキノ以外の御庭番がさらわれた子供たちの行方を探ったところ、子供たちはその売られた国の藩の代官が保護されていたことが発覚した。
アマノ藩の代官とは違い彼は正義感が強く、アマノ藩の代官の所業を知ったところ、彼は顔を真っ赤にして怒りを露わにしていたとかなんとか。
「これで平和が戻りましたなー! ははは!」
椅子に座って団子を頬張る男。
出来ることなら平和はいつまでも続いてほしいものだ。
しかし……そんな願いはすぐに破られる。
その日の夜、ツキノは再び忍びの衣装を着て城の上に立っていた。
彼女の見つめる先……空に輝く月こそが、彼女を象徴する証。
「まさかもう次の仕事がくるとはね……さて、今宵も頑張るとしましょうか!」
ツキノはそう言って城から飛び降りて、夜の城下へと消えていった。
人の悪意ある限り真の平和は訪れない。
そこに悪事ある限り、御庭番は今日もどこかで天誅を下すであろう。
幕が降り、場内が明るくなると一階席から拍手の嵐が巻き起こる。
これにて終幕というやつだ。
「いやー凄かったな! 特に戦うシーンは思わず熱くなったよ」
「だよね! あのツキノ役のカエデさんだっけ? かっこよかったよね! また時間があったら見に行きたいなー」
「盗賊団の件が片付いたらぜひ、また見に行きましょうね」
主役であるカエデの演技は見る人の心を見事に射止め、今日もまた彼女の虜になった人もいるだろう。
ロベルトもまた機会があったら是非見に行きたいと本気で思った。
「どうじゃ? これぞ我が花簪の演劇じゃ」
「とても素晴らしかったですね。思わず見入ってしまいました」
「アルメスタの演劇もよいですが、ここのほうが劇に熱が入っています! また見に来てもよいでしょうか?」
「もちろんじゃ。またいつでも来るがよい。歓迎するぞ」
女性陣はこの演劇にご満悦だったようだ。
素晴らしい劇を見終えた彼らの姿はエントランスにあった。
演劇が終わった直後なので、人の出入りが激しく、その人込みの中にロベルト達はいた。
各々とても満足していたが、何より一番嬉しかったのはリナリーだ。
演劇好きな彼女にとっては、今回の劇は一番思い出に残る出来事になったであろう。
「それにしてもあのツキノ役のカエデさんの演技、凄かったよな! 後でサインもらおうかなー。それと電話番号も交換して……」
「おいアルト。ノエルに報告するぞ。お前が浮気……不倫寸前だってな」
「冗談だって! でもあの人の演劇は凄かっただろ?」
「まぁそれは確かにな」
アルトとノエルはまだ籍は入れてはいないので不倫ではなく浮気になるのだが、婚約者同士なので実質不倫だろう。
それにしても婚約者がいるのにも関わらず、アルトの女好きは少し考え物である。
帰ったら本当にノエルに報告してお灸をすえてやるのも悪くはない。
「いやー俺も思わず見入ってしまったぜ!」
(嘘をつくな。あんた寝てたろ!!)
隣でロウが堂々と嘘をつくものの、突っ込んだら殴られるかもしれないと判断し、ロベルトはあえて黙っておくことにした。
「そうじゃ。せっかくだから本日の主役であるカエデに挨拶でもしておこう。お主らも来るか?」
「えっ!? あの人に会えるんですか!?」
「妾を誰だと思ってる? 劇が始まる前にも言ったが、雪月花は花簪に所属しているのだから妾の部隊。当然会えるに決まっておる」
本日のスターに会えると聞いたリナリーが満面の笑顔を見せる。
彼女の笑っている顔は見ているこちらも心安らぐ。
その証拠にミクリもリナリーに吊られるように笑んでいた。
ミクリの言う通り、彼女はこの国の女王だからこれくらいの事はできるのだろう。
本日の主役であるカエデは前世で例えるなら芸能人に近い立場であり、彼女は女王特権で気軽に会いに行ける。
一般人であれば一生叶わないであろう。
「本来はこんな機会はめったにないぞ? それじゃあ控室に……」
ミクリは彼らを引き連れてカエデのいる控室に行こうとした時だった。
「うぐぉ!! ちょ、まってごめん。俺腹下って……うおおおおおおおおおお!! トイレええええええええええ!!」
ロウは顔面蒼白で腹を両手で抑え、そのままトイレのある方向へ一目散にダッシュしていった。
巨大魔獣を単騎で倒せる最強クラスの力を持っている男でも、腹痛には唯一勝てなかったらしい。
慌てて走る彼の背中を見たロベルトも、思わず深いため息をついた。
「やれやれあのうつけは……まぁいい。うつけは放っておいていくぞ」
ミクリはロウに呆れながらも、ロベルト達を引き連れて劇場の奥へと進んでいく。
関係者以外立ち入り禁止の札がはられた扉の奥へと入り、さらに進む。
すると襖がたくさん並んでいる場所に出てきた。
おそらくここは出演者が待機する楽屋なのだろう。
「確か……ここじゃったな。おい、いるか?」
ミクリは襖の向こう側にいる人物に声をかけると、女性の元気な声が帰ってきた。
「あっ、ミクリ様ですか? どうかしました?」
「なに、ちょっとお前に会わせたい奴がおってな。男もいるが入っていいか?」
「いいですよー」
もしかしたら襖を開けた瞬間、着替えている最中かもしれないと思ったミクリは、男もいると言ったうえで中にいる人に了承を得る。
そして許可を得て彼女は襖に手を伸ばし、横にスライドさせた。
「カエデ、今日の劇は見事じゃったぞ。もしかしてお前の脚本か?」
「そうですよ。ただ私としてはいまいちでしたけど」
「そうでもないぞ。妾は大満足じゃ」
ミクリは笑いながら本日の劇の評価をする。
そしてロベルトたちは初めて間近で見ることになった女性……桔梗の花のように気品に溢れ、清楚の雰囲気を出しており、大和撫子という言葉がぴったりかもしれない。
それが彼女……カエデ・ハヅキだ。
カエデは先ほど舞台で来ていた衣装を着たまま、座布団の上に座って寛いでいた。
まさに和の印象が体全体からにじみ出ている。
「それとこちらの者たちはアルメスタの騎士たちじゃ。今回、蓄音機の輸送任務のためにわざわざ来てくれてな、せっかくだから今日の劇を見せてやろうかと思って連れてきたのじゃ」
「あら、そうなんですか。皆さま初めまして。私はヤクモ国、花簪の雪月花の隊長を務めております、カエデ・ハヅキと申します。以後、お見知りおきを」
カエデは座布団から立ち上がり、両手をお腹に当てて礼儀正しく頭を下げてロベルトたちに挨拶をした。
挨拶のための動作一つ一つだけでも気品が漂う……これぞ真の大和撫子だ。
彼女につられてロベルトたちも一人一人挨拶をし返す。
「カエデさん先ほどの演劇、とてもお見事でした! 私もう見ているだけで胸がドキドキして興奮してしまいました!」
「あら、ありがとうリナリーちゃん。また時間があったら是非また見に来てね」
「もちろんです!」
「その時は妾と一緒に見に行こうではないか」
横でミクリが優しい笑みを浮かべながらリナリーと演劇談義に花を咲かせている。
兄としても妹がこんなに幸せそうな笑顔を浮かべているのは、とても嬉しいもの。
「それじゃあそろそろ妾はこれにて失礼するとしよう。確かお主は夕方の公演もあったな?」
「はい。それが終わったら城へ帰ります」
「そうか。ではおぬしら、帰るとしよう」
これ以上楽屋にいては彼女の邪魔になるので、ミクリもロベルトたちを引き連れて楽屋を出ていこうとする。
しかし……
「…………………」
帰る直前、ロベルトはカエデに対して何か心に引っかかるものを感じ取った。
懐かしくも、初めて触れるその感覚に、妙な違和感を掴んだのだ。
「あれ? どうしたのロベルト君?」
「あ、いえ。では俺たちも失礼します」
変にじろじろみては失礼になると判断し、最後にロベルトもカエデの楽屋を出ていった。
エントランスに戻る道中、浮かない顔をしているロベルトにアイリが口を開く。
「どうしたの? 考え事?」
「あぁ。実はカエデさんを見た時にさ……ちょっと懐かしい雰囲気を感じたんだよ」
ロベルトがカエデを見た時に感じた違和感……心の中に広がる懐かしさ。
その違和感にある一つの推測が浮かぶ。
「懐かしい……会ったことあるの?」
「いや、転生してからは会ったこともない。会うのは今日が初めてだ。ということは……」
「まさかカエデさんって……転生者? 紋章は?」
彼女が転生者であるのならば、ラグナを宿している可能性は十分ある。
そしてそのラグナを宿している証……右手の甲にアリシアの紋章があるはずだが……
「そう思って右手を見たんだけどさ。カエデさん、衣装の手袋のせいで紋章が見えなかったんだよ。でもあの人を見ているとさ……なんだろう、会ったことないけど知っている。そんな気がしてならないんだ」
「会ったことない、でも知っている……なんかおかしくない?」
「俺も自分で変なことを言っているって自覚はある。けど言葉にすると本当にそんな気分なんだよ」
カエデが転生者であるならば、ロベルトは生前彼女と会ったことがあるはず。
しかし彼はカエデと会ったことがないとはっきり断言した。
さらにいえば会ったことはない、しかし知っていると矛盾した言葉に、ロベルト自身も悩み始めた。




