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第29話 夢と未練

 夕日は完全に落ち、満月が空に上り始めて夜の帳が降りた頃……アルメスタ王国の王都メランシェルはいつも通りの夜を迎えていた。

 何も変わらない日常風景……街を見渡しても夜のため、人の姿はほとんどまばら。

 せいぜい夜の酒場で飲みに出かけるお客が、夜の街を出歩いている程度だ。

 夜になって点灯し始めたガス灯だけが、闇に包まれたメランシェルの街を明るく照らしていた。

 そして……アルメスタの王城、エドワード城にあるオスカーの執務室。

 その部屋だけが今、緊迫した異様なフインキに包まれていた。


「こんの…バカ息子があああああああああああああ!!」

「も、申し訳ありませええええええん!!」


 夜であるのにも関わらず大きな怒号を上げて、目の前で土下座している人物を叱る人物がいた。

 ……それがこの国の王である、オスカー・スタンリー・アルメスタ。

 オスカーの目の前にはある人物が土下座をしていた。

 その土下座をしている人物こそが、オスカーの息子でありこの国の第一王子、ラマー・ゴードン・アルメスタ。

 ラマーの今の表情は今まさに絶望そのものであり、イケメンたる美男子とは思えないほどひどい顔をしていた。

 この部屋にはオスカーやラマーだけではなく、ラマーがグラハマーツ大陸から連れてきた4人の冒険者、そしてアルメスタ王国騎士団の団長、ハイド・エストルンド。

 さらにオスカーの秘書であるナタリー・ベルネールも神妙な顔つきでラマーを睨んでいた。


「バンから電話で聞いたぞ! テメェ、ついにやってくれたな! ナギ国の民に手をかけたそうだな! なんとか未遂に終わったからよかったものの、もし大ごとになったらどうしてくれるんだテメェ!!」


 オスカーが何に対して怒っているのかは……ラマーが昼間に隣国で起こした事件が原因だ。

 隣国の王でありオスカーの昔から仲の良い友人であるバン・ハオランのお膝元、ナギ国の民をラマーが手をかけようとしたことだ。

 言うまでもなく昼間の事件……レイシュン亭での出来事だ。

 自分の服を汚されたラマーは亭主を殺そうとし、さらにはレイシュン亭の亭主の女房と娘を嫁候補にしようとしたこと。

 そこにナギ国の首都警備部隊……ローファンの総隊長であるロウ・セイランが介入し、王族であるのにも拘わらずラマーをボコったことなど。

 どうやらあの件はロウはしっかりとバンに事態の経緯を報告したようだ。

 電話でバンからそのことを初めて聞いたオスカーは再び仁王のオーラを放出し、魔王ですら泣きわめきそうなほどの迫力を感じる。


「で、ですが父上……それに関してはちゃんとした理由が…」

「うるせぇ!! 何が理由だ!? さっきテメェの部屋で汚れた服を見つけたぞ! どうせ服を汚されたから殺そうとしたんだろ! そんなもの理由どころか言い訳すらならねぇわゴラアアアァァァ!!」

「ひいいいいいいぃぃぃぃ!!」


 オスカーは怒鳴りながら自分の書斎のデスクを右手で大きく殴りつけた。

 うるさいとか言っておきながら一番うるさいのはこの男だろう。

 殴った衝撃でデスクの上に載っていた数枚の書類が地面にひらりと落ちるが、それを見たナタリーがすぐに書類を拾う。

 今のオスカーの姿はもはや王の威厳や風格など微塵に感じられない。

 その姿はまさに非行を働いた息子を怒鳴る、一人の父親の姿だった。

 オスカーは一通り怒鳴り、一度ため息をついて息子を睨むも緊迫した空気に包まれた部屋の中である男が声を上げた。


「……陛下、一つよろしいでしょうか?」


 その男はハイドだった。


「なんだ?」

「最近の王子の行動には少し目に余るところがあります。ここはひとつ地下牢にでも入れて自らの行いに対して反省を促すべきだと……」

「……それがいいかもしれんな」


 地下牢という言葉を聞いた瞬間、ラマーの顔色が真っ青になり肩が震える。

 この城にはかつて罪人を収監していた地下牢があり、現在ではそのほとんどがオスカーの研究室に改造されているものの、一部は当時の地下牢がそのまま残っている。

 噂では深夜0時になると、夜な夜なその地下牢で非業の死を遂げた罪人の怨念が、収監されている者の命を奪いにくるとかなんとか。

 ラマーも小さい頃そのような噂を聞いており、彼はその噂を知っているからこそ地下牢行きだけは何としても免れたいのだ。


「ち、地下牢にですか!? いや、そっ、それだけは!! お願いです父上! 地下牢にだけは勘弁してください! あそこの噂は知っておりますでしょう!?」

「あぁ知っているとも。知っているからこそお前にはそこで頭を冷やしてもらおうと思ったんだがな……ミス・カタルーシアだけじゃなくてナギ国の民にまで手を出すようなクソ野郎にはお灸が必要だからな。ハイド」

「委細承知」


 オスカーに呼ばれたハイドは数歩歩き、ラマーの前に立つ。

 女ばかりに現を抜かすバカ息子に対して父はあえて心を鬼にし、非情を持って突き放す。

 これも教育だ。


「では王子……申し訳ありませんがご容赦を……」


 オスカーに命令されたハイドはラマーに近づいて、彼の腕を掴む。

 相手は王子だが命令を下しているのは更に上の立場にいる王。

 この国の騎士団長の肩書を預かる者として、君主である王の命令は絶対。

 故に彼は王の言葉に従う。


「い、いやだ! 俺は決して地下牢には入らないぞ! なぁハイド! これは命令だ! 俺を助けてくれ!」


 ここまで来てラマーは駄々をこねて、何としても地下牢には入りたくないと喚く。

 ハイドの顔をよく見ると眉間にしわが寄っており、彼も若干いらだっているのか分かる。

 いくら王子だろうが、20歳になる彼の我儘に付き合うのはもううんざりなのだろう。


「はぁ……仕方ない……ふんっ!!」


 ここまで騒ぎを起こしておいて反省の態度が見られないラマーを見てハイドも嫌気がさしたのか、右手に拳を作ってラマーの鳩尾に強烈な一撃をお見舞いする。


「ぐぼぉ!!」


 ラマーは変なうめき声を上げながらその場にどさりとうつ伏せに倒れて気絶した

 美男子ともいえる顔は白目をむき涎を垂らすなど、もはやイケメンとは言えない表情をしていた。

 そして気絶したラマーをハイドを担ぎ込むように肩に乗せた。


「やれやれ……では陛下、王子を地下牢にぶち込んできます」

「あぁ、任せたぞ」


 仮にも自分の息子であるラマーがハイドに殴られたのにも関わらず、オスカーは特に怒ることもなくラマーをハイドに任せる。

 気絶したラマーを担いだハイドはそのまま執務室のドアを開けて出ていった。


「……お前たちも与えた部屋に戻れ。いいか? 俺の命令がない限り部屋から出ることは許さん。わかったらさっさといけ」


 オスカーは部屋の中に残った鎧姿の冒険者たちを睨みつけながらそう命令する。

 冒険者たちは何も言うこともなく、そのまま執務室から出ていった。

 その中にはロウと戦った緑髪の女性の冒険者もいたが、彼女も特に言葉を発することもなく部屋から出ていく。

 そして部屋の中にはオスカーと秘書のナタリーだけが残った。


「陛下、お疲れ様です」


 ナタリーはそう言ってデスクの上に紅茶が入ったティーカップをカチャリと音を立てておいた。

 淹れたばかりなのか紅茶からは湯気が立ち上っており、いい香りがオスカーの鼻をくすぐる。

 デスクに座った彼は再びため息つき、ナタリーが入れた紅茶を一口飲んだ。

 上品な甘さが口の中に広がり、癖もなく飲みやすい紅茶。

 疲れた体にはうってつけの一杯だ。


「ナタリー、後は俺がやっておく。お前は帰っていいぞ」

「そうですか? 分かりました。ではお言葉に甘えて先に帰らせてもらいますね」


 ナタリーはそう言うと、そのままオスカーの執務室から出ていった。

 これでこの部屋に残ったのはデスクに一人座っている、この部屋の主であるオスカーだけとなった。

 ようやくこの部屋に静寂が戻り、彼はため息をつきながらデスクに飾られているあるものに目を向ける。

 彼の視線の先にあるもの……それは二枚の写真であり、一枚目には大人2人と子供3人が笑顔で収まっている。

 二枚目には先ほどの一枚目に映っていた大人の女性が、聖母のような優しい笑顔でほほ笑んでいた。


「なぁクラリス。俺は本当に……父親失格だよ。なんでラマーはあんな風に育っちまったのか……あんな奴を次の王にさせていいものなのか……お前はどう答えるんだろうな」


 そうつぶやいたオスカーの瞳はどこか儚げで、悲しさを漂わせていた。

 彼は椅子に座りながら窓の外に浮かんでいる月を眺める。

 右端がほんの少しだけ欠けた十六夜だ。


「……もし時が戻せるのであれば、あの頃に戻ってクラリスやラマー……ジェイドにアイリスと、家族みんなでもっと過ごしたかったな」


 悲しさが込められている彼の瞳の奥には、昔の若き頃の後悔が残っていた。

 結婚して、子供ができてもオスカーはいつか国を継ぐ者として勉強に励み、国を豊かにしようといろんなものを開発してきた。

 その結果が今のアルメスタ王国だ。

 街中のいたるところには路面電車が走り、電気を使う電柱が至るところに立っている。

 更に電話も作って離れた場所から通話も可能だし、近年では貴族層向けの自動車の開発にも成功した。

 隣国を繋ぐ鉄道網だってオスカーの功績だ。

 彼の研究によってこの国は豊かになりつつあり、近代化へと進んでいる。

 が……それゆえに代償も大きかった。

 それは家族である。

 家族に向ける愛情、家族と一緒にいる時間など、家族サービスよりも研究を優先してしまった。

 気づいたときには既に手遅れで自分が愛する妻は帰らぬ人となり、息子は愚者になってしまった。

 しかしそんな後悔を口にしたところで、時間が巻き戻るわけでもない。

 国を発展しようといろんなものを作り上げたオスカーは王としては尊敬できるが、子を持つ父親としては失格だろう。


「……せめてジェイドとアイリスだけは、あいつと同じようになってもらいたくない。クラリス。お前はどうなんだ?」


 オスカーは月の向こう側にいるしれない妻に向かってそう言葉を投げる。

 しかしそんな言葉を言っても返事が返ってくるわけでもない。

 空に浮かんだ十六夜の月はただ空しく、夜のメランシェルの街を照らすだけだった。


 アルメスタでオスカーが息子にブチ切れている頃、ナギ国では……


「はははは!! ほらロベルト! 飲め飲め!」

「はは……じゃあ頂きます」


 林鳴館にて八極拳の修行を終えたロベルトは風呂に入って汗を流し、大食堂にてバン達から歓迎祝いをされた。

 大食堂はバン親子やローファンの隊員たちが集まり、その総数は一万人にも及ぶ。

 その一万人いるローファンの率いているのがロウだ。

 机に上に並べられている数々の中華料理……餡が掛けられた肉団子に餃子、八宝菜や炒飯を次々とローファンの人たちは己の腹の中にいれる。

 ロベルト達もバン達と喋りながら出された料理や酒で腹を満たしていた。

 リナリーはアイリやシャルロット、シンイー達女子組と楽しくおしゃべりしながら、ロウはアルトや他のローファンの隊員たちを酒を飲みあってバカ騒ぎしている。

 一方のロベルトはバンと色々と話していた。


「そういえばバン大王。オスカー陛下って八極拳をやっていたんですね」

「セイランから聞いたのか? 確かに俺とオスカーは若い頃、今は亡き師匠から八極拳を習っていてな。昔はどちらか強いのか殴り合ったりもしたもんだ。それでやりすぎて師匠から怒られたりしたもんだ」


 そう笑いつつバンは昔の武勇伝を酒を飲みながら語る。

 ロウやバン、オスカーの八極拳の師匠……もしかしらその師匠はロベルトと同じようにラグナを宿していたかもしれない。

 もし生きていれば直接話を聞いてみたかったが、亡くなったのであれば残念だ。

 今頃その師匠は空の上で自分の弟子たちを見てどう思っているのだろうか。


「ロベルト。お前セイランから八極拳を教えてもらったらしいな」

「はい。先ほどロウさんからご指導ご鞭撻させて頂きました」

「そうか……一応行くが、なぜ強くなろうとする?」

「それは……」


 バンの質問にロベルトは言葉を詰まらせる。

 彼が強くなろうと力を求める理由は、アリシアから力を奪った邪悪なる者を倒すために。

 更に厄災を食い止めるためだ。

 しかしラグナや邪悪なる者の事を知っているかどうかも分からないバンに、そのことを言っても簡単に信じないだろう。

 だが……


「お前、ラグナを宿しているんだろ?」

「っ!!」


 バンの口からラグナが出てきたことに思わず驚くロベルト。


「ははは!! その反応図星だな!?」

「えぇ。まさかバン大王もラグナの事を知っていたとは」

「若い頃にオスカーと一緒にエドワード城の図書室を探索してたら、ラグナに関する書物を見つけてな。少し興味があったから調べてみたんだよ」

「じゃあロウさんの事も?」

「そうだ。あいつもラグナを宿していることも知っているよ」


 バンは一升瓶を片手にバカ騒ぎしているロウに目を向ける。

 騒がしことこの上ないが、彼がいるおかげで食事もおいしいし楽しいのは確かだ。


「ロベルト、お前が何のために力を得ようとして強くなろうとするのかは分からないが、人生の先輩としてこれだけは言わせてくれ」


 濁りがなく、透き通った酒が入った一合升をぐいっと飲み干してロベルトのほうに顔を向ける。

 アルコールの影響で顔が少し赤く、酒の匂いが漂っているが彼の瞳は真剣そのもの。


「力を求めるのは悪いことではないが、力に溺れるな。お前やセイランはラグナを宿しているものの、それは所詮借り物の力だ。力だけ得ても意味がない。己の心も鍛えるんだ」

「心も……」

「そうだ。心技体。お前にとって力とは何か、心とは何か。答えを見つけたとき、お前は真の境地にたどり着けるだろう。その時にお前は本当の意味で強くなれる」


 力説するバンの言葉に思わず聞き入ってしまうロベルト。

 だが彼の言っていることは一理ある。

 異世界に転生した転生者はよく神様から力をもらって無双するが、よく考えればその力は神様からの借り物の力であり、そのもの本来の力ではない。

 借り物と言う点ではラグナだって同じだ。

 この先、ラグナばかりに頼っていればいずれどこかで壁にぶつかるだろう。


(真の境地か……)


 バンの言っている言葉は理解できても、その意味には気づけていない。

 ロベルトのこの反応からして、彼がバンの言った言葉の答えにたどり着けるのはまだまだ先の事だろう。


「まぁお前はまだ若い。焦っても答えは出ないからな。時間をかけて見つければいいさ。さて、暗い話をしちまったがせっかくの客人だ。ほらロベルト、これ食べてみろ」

「これは?」

「アルメスタ近辺の海でとれた新鮮な貝だ。めっちゃうまいぞ? 食ってみな? 飛ぶぞ」

「飛ぶぞ!?」


 訳の分からないことを言っているバンだが、おそらく飛ぶほどうまいぞってことなのだろうか?

 彼の手には湯気が立っている美味しそうな貝が収まっており、よい香りが引き立っている。

 更にほんのりアルコールの匂いがしていることから、この貝は酒で蒸したのだろう。

 せっかくバンが差し出したものを受け取らないわけにはいかないので、ロベルトは彼のご厚意に甘えて貝を受け取りそれを己の口の中に放り込んだ。


「……おぉ、これはおいしいですね!」


 何時間も蒸したおかげか、噛んだ瞬間うま味が口の中で広がり、ほんの少しの甘さが絶妙に合う。

 これは酒のつまみとしては文句なしの一品。

 今のロベルトであればいくらでも食べてしまいそうだ。


「ほら遠慮するな! もっとあるからたくさん食べろ! そしてもっと飲め! 若いんだからな! ガハハハ!」

「あはは……じゃあ頂きます」


 まさか一国の王と酒の席を共にするなんて予想もつかなかっただろう。

 既にバンは顔を赤くして酔っぱらっており、彼の様子は相当上機嫌だ。

 ロベルトもコップに入った酒を片手に、豪華な食事を堪能する。


「おいチョウ! この肉は俺のもんだ! とってんじゃねぇ!」

「嫌です! 早い物がちですから。それに親父これさっき食べたじゃないですか!!」

「うるせぇ! いいから寄こしやがれ!!」


 少し離れた席ではロウがチョウと共に大きな肉の奪い合いをしていた。

 彼らだけではなく、周りのローファンの者たちも騒ぎながら食事の取り合いをしている。

 おそらく彼らにとってはこういうのは日常茶飯事なのだろう。

 いい意味でいえば楽しい、悪い意味で言えば騒がしい。

 しかしロベルトはいつも家族と共に静かな食事を楽しんでいる。

 彼にとってもこんな食事はたまには悪くないであろう。


 各々が騒ぎながらも机の上の食事はどんどんとなくなり、宴会の時間も終わりに近づいてきた。

 後は寝るだけだ。

 ちなみにロウとチョウの肉の取り合いの結果だが、ジャンケンでロウに軍配が上がり肉は彼のものになった。


 空には無数の星が浮かんでいる。

 手を伸ばせばつかみ取れると思っても、それは決して叶うことはない。

 遥かなる夜空の向こうに浮かぶ十六夜も、星々を統べる王として君臨し地上を照らす。

 この月が率いる星々は、人々に希望をもたらすであろう。

 ここに、天空に浮かぶ月を見ている一人の男がいた。


「……心技体か。それにバン大王の言った真の境地って一体……」


 豪華な食事を酒と共に堪能した彼は、中庭で夜風に当たりながらロベルトは月を眺めていた。

 右端がほんの少しだけ欠けた十六夜、空に浮かぶ月を見て先ほどの宴会でバンに言われたことを思い出す。

 真の力を得るためには鍛えるだけでは駄目。

 体だけではなく心も鍛えなかければならない。

 しかしどうしたら心も鍛えられるのか。

 もしかしたら天に浮かぶ星々はもうその答えを知っているのかもしれない。

 だが、今ここであの星に問いかけても答えなぞ返ってくるわけがない。

 一体どうしたらいいものかと、空を見ながら悩むロベルトだったが……


「あれ? まだ起きてたんだ?」


 横から聞きなれた声がしたので首を横に振ると、アイリが突っ立っていた。

 ロベルトの姿を確認した彼女は彼に近づく。


「ちょっと眠れなくてな。お前もか?」

「そうだよ。あっ、それとさっきいいところを見つけたんだ。一緒に来る?」

「どこに?」

「ついてこれば分かるよ。ほら、行こう?」


 アイリはロベルトの手を取り、自分から率先してある場所へと向かう。

 ゲンブ宮の裏の小さな門から外に出て、石垣でできた階段を上っていく。

 脇には無数の竹が生えた竹林があり、夜のため奥は目視ではまったく見えず中に入ってしまったが最後、朝になるまでは出てこれないであろう。


「ほら、ここだよ!」

「これは……いい景色だな」


 二人の目の前に広がる光景はとても綺麗なものだった。

 建物から漏れる灯りや街の各地に建てられている灯篭が光を齎し(もたらし)、リンメイの街を煌びやかに彩る。

 イルミネーションのように飾り、夜になれば光の舞踏会が行われているようにも見えてくる。

 近年のメランシェルでも見られる光景だが、街も違えばそこに映る景色も違ってくるのだろう。


「よくこんな場所を見つけたな」

「さっき見つけたばかりなんだけどね。この国に来てよかったね」


 アイリの嬉しそうな質問にロベルトはそうだな、と一言返す。

 つい最近までラマーの件で色々と嫌な目に遭っていた彼女だが、久々にこういったものを見れて心の底から嬉しいのが見ていて伝わってくる。

 と、ここでロベルトは視界の片隅にある人物が映る。


「あれ? あそこにいるのってアルトじゃないか?」

「は? あっ、ほんとだ」


 ここから少し離れたところにアルトがリンメイの街を眺めていた。

 しかし彼は神妙な顔つきをしており、何やら悩んでいるようにも見える。


「おーいアルト!」


 気になったロベルトは声をかけてアルトに近づいていく。

 彼も二人の存在に気づき、顔をロベルトに向けた。


「ん? あぁ、お前たちか」

「どうした? さっきから葬式みたいな顔をして」

「いや、なんというか……」


 昼間にロウに言われた言葉をそのまま言う。

 しかしその問いにアルトはどうにも連れない反応で言葉を濁す。

 確実に何かに悩んでいると二人はすぐに判断した。


「何か悩んでいるのか?」

「ん。まぁそうだな。けどお前たちには関係ないことだから」

「何言ってんの? あたしたち友達じゃん。友達なら悩みの一つでも二つでも吐いてすっきりしたら?」

「……じゃあ聞いてくれるか?」

「もちろん」


 最初は言うべきか言わないべきかと迷ったアルトだが、アイリの言葉で覚悟を決めた。

 いよいよ自身の口から、心に溜まっている悩みを彼らに語る。


「実はな、最近ある夢を見るんだよ。その夢の内容なんだけどな……」


 アルトが悩んでいる事、それはとある夢の事だった。


 空には星が昇り、三日月が地上を照らす夜。

 だが穏やかな夜とは言えなかった。

 目の前が見えないほど強く吹く吹雪が一面を白き世界へと変え、外にいる者に容赦なく雪を叩きつける。

 地面も瞬く間に雪が積もり、足をつければはっきりと深く足跡が残るほど。

 無論、寒さも尋常ではない。

 息を吐けば白く見え、厚着をしていようが寒さが肌に直に刺さる。

 こんな大吹雪の夜、対策もせずに長時間外にいれば、間違いなく凍死するだろう。

 しかし……地面に積もった雪の上には、二人分の小さな足跡が残っていた。

 足跡の向こう側には、厚着を着た二人の子供が夜であるのにも関わらず雪原を歩いていた。

 少し背の高い長い銀髪の少女と、彼女と同じ短い銀髪の少年。

 少しでも暖を取りたいのか、二人は互いに手を握って温もりを確かめながら、行く当てもなくただひたすら雪原を歩く。


「……オル。もう……し……だか……」

「……さま。……もう……め」

「大……夫。……すこ……しん………ね」


 吹雪のせいで彼らの会話にはノイズがかかっているかのように、うまく聞き取れない。

 見たところこの二人は姉弟と言ったところだろう。

 少女が姉で少年は弟。

 こんな吹雪が舞う夜にて、二人は一体どこに行こうとしているのか。

 と、彼らの背後に数名の大人の人影が薄っすら見えた。


「おい! ……たぞ!」


 一人の男が姉弟を見つけ、指をさしながら大声を張り上げる。

 大人たちは一斉に動き出し、姉弟のほうへと向かって歩きだす。

 見たところ統一感のある青い服を着ていることから、大人たちはどこかの組織に属しているかもしれない。

 だがこんな大吹雪が吹き荒れる中、図体の大きい大人でも動くことは困難を極める。

 積もった大雪で足元がすくわれ、思うように歩けないからだ。


「……ル! あそこ……げる……よ!」

「姉……! 待……てくだ……」


 姉弟の行く先には大きな洞窟があり、二人はそこに逃げ込もうとする。

 幸いにも追いかけてくる大人たちとは距離が離れている。

 今のうちに洞窟に逃げ込めば、大人たちを巻けるだろう。


 洞窟に入った姉弟は、足を止めることなく奥へと歩き続ける。

 中に入ったことで吹雪の影響はなくなったものの、寒いことに変わりはない。

 それにあの大人たちもまだ諦めずに姉弟を追いかけてくるかもしれない。

 だとすれば、立ち止まらずに奥に進むしかない。


「……様、どこ……いく……すか?」

「ついて……わか……わ」


 以前としてノイズが強くかかり、姉弟たちは何を言っているのかよく分からない。

 少女は腰から小さな杖を取り出し、何やら呪文らしきものを唱えると、杖の先から強い光が現れて周辺を照らし出す。

 おそらくは何かの魔法を使ったのだろう。

 右手に杖を強く握り、左手は弟の手を強く握りしめる。

 寒さのせいで手は冷たいくなってしまっているものの、弟を思う姉の気持ちが心に伝わり、温かく感じる。

 例えそれが気のせいだとしてもだ。

 暗かった洞窟も、彼女の魔法のおかげで明るくなり、二人は手を繋ぎながら奥へと進む。


 やがて、洞窟の一番奥へと進んでいくと、一枚の大きな鉄の扉が二人の行く手を遮った。

 大扉には雪の結晶のような意匠が凝らされている。


「ちょっと……待って……」


 姉はポケットに手を入れ、ガサゴソと探るとそこからある一つの物を取り出した。

 それは水色の宝石が埋め込まれたブローチで、その宝石の中には大扉に描かれている意匠と同じ模様が描かれていた。

 姉は扉に近づき、わずかに見える小さな窪みに嵌めると、扉は引きずるような大きな音を立てながら少しずつ開いていく。


「さぁ、入ろう」


 姉は弟にやさしい声でそう言ったのち、二人そろって部屋の中に入った。

 扉の先にある空間はとてつもなく広大で、いくつも巨大な氷の彫像が建てられており、一番奥には祭壇がある。

 祭壇に続く通路の両脇は湖になっており、祭壇も湖に囲まれていた。


「うわぁ……」


 見たことのない空間に弟の瞳は興味津々に輝き、思わず心が躍る。

 大人たちに追われているという事すらも忘れて、今はただ目の前の光景を脳に焼き付けては無自覚のまま祭壇のところにまで足を運ぶ。

 と、その時だった。


「えっ……姉様……?」


 背後から再び大きな音が鳴り弟はそちらに顔を向けると、姉はなぜか部屋の外におり……



大扉は少しずつ閉まっていく。



「ね、姉様!」


 弟は思わず声を荒げて扉のほうに向かって走るも、彼は祭壇のところにいたので扉かは距離が離れている。

 短い脚を必死に動かしても扉は無常にも閉まっていき……


「……ごめんね」


 閉まりゆく扉の隙間から見えた最愛の姉の最後の笑顔。

 しかしその笑顔から一筋の涙がこぼれていた。

 本当であれば彼女も弟とは離れたくはない。

 だが大人に追われている以上、誰かがこの子を守らなければならない。

 そのためには……自分が囮になるしかないと、姉は考えた。

 やがて重い扉は完全に閉じられ、姉と弟は分断された。


「姉様! 開けてよお願い! 姉様!」


 広い部屋に一人取り残された弟は扉を何度も叩いて、姉に必死に言葉を投げるも何も返答はない。

 ただ一つ彼の声だけが響き渡るだけだった。


「姉さまーー!!」


 鳴きながら最後の雄叫びを上げた弟……しかしそれも無意味に終わった。

 部屋に建てられた幾多の氷の彫像だけが、彼のみじめな姿を映す。

 憐れんでいるのか、それとも蔑んでいるのか。

 人たる存在に、彫像の意志など測れるはずなどない。

 弟は疲れが溜まっていたのか、扉に体を預けるようにしてそのまま気を失ってしまった。


 星が浮かぶ夜空の下でアルトの夢の内容を黙って聞いていたロベルトとアイリの二人。

 しかしその夢の内容があまりにぶっ飛んだものだったため、二人はどう反応していいか困りなんとも言えない表情をしていた。

 夜の虫だけが鳴く中、最初に言葉を出したのはアイリだ。


「えーと、聞きたいんだけど……それってあんたの昔体験した事?」

「んなわけねぇだろ。仮に弟が俺だとしても髪の色も違うし、そもそも俺には姉はいないっつーの」


 アルトの言う通り、彼には姉ではなく兄のレオンがおり、いたとしても義姉のナタリーくらいである。

 しかもアルトの髪の色はサファイアのような青色であり、決して夢の中に出てきた弟のように銀髪ではない。

 あの姉弟とアルトとの因果関係は不明ではあるが、ここでロベルトは話を聞いているうちに気になったことがある。


「アルト、お前の話だと姉弟たちは雪一面の世界を歩いてんだよな?」

「そうだ。でもセルメシアは雪は降っても積もることはあまりない。だとすれば……」

「間違いなくルユカだな」


 セルメシア大陸の北にある大陸、ルユカ大陸。

 グリーンランドほどの面積を誇る大陸の中央には一つだけとある国がある。

 ネーヴェニクス皇国、ルユカで唯一の国で大陸全土が雪と氷に閉ざされた極寒の土地だ。


「ルユカ……あんたってルユカにいったことあるの?」

「行ったことはない。俺は生まれも育ちもセルメシアだからな、生憎とこの大陸からは一歩も出たことはない」


 もしアルトの言っていることが本当の事であれば、彼の見た夢とはいったい何なのだろうか。

 と、ここでアルトはある可能性を一つ上げた。


「けど……もしかしてだけどさ。あの夢に出てきた子供って俺かもしれないな」

「「はぁ!?」」

「夢だとあの子供、扉にもたれかかって気を失っただろ? ひょっとしてあのまま死んじゃって……俺に転生したのかもな」

「「………………」」


 アルトとしては半分冗談で言っているのだろう。

 だが本当に転生したロベルトとアイリは彼の言葉を聞いて、表情が重くなる。


「ははは、冗談だよ。でもお前たちに相談してよかった。おかげで少しだけ気が楽になったわ」

「そ、そうか? それならば何よりだ……」

「さて、そろそろ遅い時間になるし俺は部屋に戻るわ。じゃあまた明日な。おやすみ」


 そう言ってアルトはこの場を離れ、一人ゲンブ宮へと戻っていく。

 残ったロベルトとアイリも重苦しいフインキの中、ゲンブ宮へと戻ることにした。

 道中二人は肩を並べながらも言葉を交わさず、沈黙したまま歩く。

 ここで、アイリが急に足を止めた。


「翼、一つ聞いていい?」

「……何だ?」


 足を止めたことでロベルトだけが少し先を歩く形となり、アイリが足を止めたことに気づいて彼も足を止める。

 言葉を投げる彼女の表情は少しだけ寂しさが漂っている。


「あのさ……翼って、未練とかない?」

「未練って……前世のか?」


 ロベルトの言葉にアイリは黙ってうなずく。

 彼女のいう前世への未練……二人は17歳という若さで一度は命を落とした。

 今はこうして第二の人生を送ってはいるものの、普通であれば未練などたくさんあるだろう。


「逆に聞くが、お前はどうなんだ?」

「あたしはね……たくさんあるよ。欲しい物もたくさんあったし、友達とカラオケやゲーセン、買い物をもっとしたかったし、好きなバンドのライブにも行きたかった……でも死んじゃってそれも全部叶わなくなっちゃった」

「………………」

「あんたは……どうなの?」


 少しずつではあるが、言葉を必死に出すアイリの目から涙が流れている。

 一粒、また一粒とこぼれ落ちて地面を濡らす。

 まだ生きていたかった、まだやりたいことがたくさんあった。

 生前の後悔や未練などが彼女の涙と言う形で作られ、次々と瞳から出てくる。


「……俺は……」


 アイリの言葉でロベルトの脳裏にとある光景が次々とフラッシュバックする。

 思い出すのは生前のアイリ……華蓮との楽しい日々の思い出。

 学校のクラスメイトとの会話や華蓮との休日との買い物。

 カラオケに行ったりゲーセンに行ったり、好きなバンドのライブで一緒になってテンションマックスで盛り上がったり。


『翼! 明日開いてる!? ちょっと買い物に付き合って!』

『海堂! ゲーセン行こうぜ! 今日こそは負けねぇからな!』

『そういえば海堂、お前えりっちの新曲買ったか!? 買ったよな!? 買ってないなんていわせねぇぞ!!』


 前世で過ごした華蓮や友との思い出がアルバムが開かれるように次々と鮮明に思い出す。

 そして……ロベルトの頬から涙がこぼれた。


「……未練なんて……あるに決まってるだろ……俺だってなぁ、もっと生きていたかったし友達と遊んだりしたかったよ!」


 目を赤くして声を張り上げ、自分の心に秘めた想いを必死に叫ぶ。

 転生したからって、未練がまったくないわけではなかった。

 むしろ未練たらたらで、思い出さないようにして記憶の奥底に自ら封印していた。

 思い出そうと思えば、つらくなって泣き出してしまいそうだったからだ。


「でも現に今俺たちは死んじまって、転生して……今更前世の事を考えたって生き返るわけがないだろ!! 思い出そうとすると心の奥底が傷んで……涙が出そうになるから……だから思い出さないようにしてたんだよ!!」


 決してロベルトはアイリの事を責めているわけではない。

 だが感情的になってしまい、目を赤くしてダムが決壊したかのように彼の瞳から涙が次々と流れ出ていく。

 涙を流すロベルトを見たアイリは、彼に近づいて優しく抱きとめる。


「……ごめんね。嫌なことを聞いちゃって」

「……いや、俺のほうもごめん。少し……感情的になっちまった」

「ううん。それよりもう遅いから、早く帰ろう?」

「……そうだな」


 今更前世の事を思い返しても、あの日々はもう永遠には戻ってこない。

 だからこそ、彼らは前を向いて進まなければならない。

 アリシアから力を奪った邪悪なる者を倒すために、たとえそれが理不尽な運命だとしても。

 ラグナを持つ彼らにしかできない宿命なのだから。

 この二人に天に輝く星々の導きと、アリシアの加護があらんことを。

次回は12月19日の夜22以降、更新予定です。

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