第2話 アルメスタ王国の騎士
上を見上げれば空が少しずつ赤く染まり、浮かんでいる雲が風にふかれては流されていく。
その空の下を一台の列車が線路の上をなぞるように走っていた。
ガタンゴトンと音を立てては揺れて、中にいる乗客を目的地へと送り届ける。
とある車両には同じ制服を着た、男性ばかりの集団が椅子に座っていた。
だがその集団の中に、女性かと思うほどの美貌を持った青年が窓から見える風景をただじっと、眺めていた。
映画のフィルムリールが高速で回り、次から次へとシーンが変わるように、青年の瞳には喉かな田園地帯に大自然あふれる草原、さらには人が住んでいる証である小さな村などが映る。
列車はそんな風景をよそに、ただ目的地に向かってその車輪を回す。
突如、車内に音楽が鳴り、女性の声が聞こえた。
『まもなく終点、王都メランシェルに到着いたします。お忘れ物がございませんようご注意ください』
車内放送が聞こえた青年は、窓の向こうに見える一つの大きな街を見た。
この列車が向かう最終目的地、アルメスタ王国の王都、メランシェルへと。
数分後、王都に入った列車は駅に止まるために少しずつ速度を下げていき、やがて列車は完全に止まり、最後に先頭車両から高い汽笛が鳴り響いて到着の合図を出した。
『終点、メランシェル駅に到着いたしました。ご利用いただき、まことにありがとうございます。次の出発時刻は……』
駅に列車が到着し、椅子に座っていた人たちが次々と立ち上がり、車両から次々と人が降りる。
青年もその人込みに紛れて車両から降りて、久々の街へと足をつけた。
「あー! 疲れたぁ! やっと帰ってきたわぁ」
帰ってきた青年は両腕を空に伸ばしながら背伸びをし、そう言い放った。
「ロベルトさん! お疲れ様です!」
横を見ると制服を着た後輩の騎士たちが挨拶をしてきた。
「おう、お疲れさん。気を付けて帰れよー」
「はい! ではこれで失礼します!」
青年は後輩騎士たちにそう返事を返し、彼らは一足先に家へと帰るために駅の出口へと向かう。
ロベルト・エルヴェシウス、それがこの少年の名前であるが……彼にはもう一つの名前がある。
その名は……海堂翼。
彼は一度死んで、前世の記憶を持ちながら、前世で読んでいた異世界転生小説のような展開でこの異世界「ルナティール」へと転生した。
小説や漫画のような異世界転生というやつをリアルに経験したのだ。
ロベルトは現在アルメスタ王国という国の騎士団に所属する騎士であり、ある任務のために一か月ほど王都を離れていのたが、ようやくその任務も終わって帰ってきたのだ。
王都メランシェル、それがこの街である。
異世界というと文明があまり発展しておらず、よく中世ヨーロッパ風の世界がよくイメージされる感じだが、このアルメスタ王国はどちらかというと産業革命が起こっている18世紀後半のロンドンといった感じで、ある程度文明が発展している。
何せ今、彼が乗っていた蒸気機関車がこうして存在しているのだから。
「おかーさん! こっちこっち!」
「こらこら、走らないで。他の人に迷惑でしょ?」
ロベルト以外にも隣国の人たちも今の列車に乗っていたようで、次々と下車をする。
この国では見られない、独特の服装をしている人たちだが、前世の記憶を持っている彼にはその服装は見覚えのあるものだった。
中華風の服とハイカラ和服や着物を着た人。
アルメスタ王国の隣国、ナギ国とヤクモ国の人の服装だ。
ナギ国の人は漢王朝時代の中国のような国でヤクモ国は日本の京都を意識した国。
乗客だけではなく、この国の他の騎士たちも次々と下車をする。
アルメスタ王国の列車には騎士専用車両があり、その車両だけでも100人近く乗っていた。
ロベルトは改札口に向かい、改札口の車掌に騎士団の団員のみに配られている乗車許可状を見せて、駅を出る。
駅前には大きな広場が整備され、真ん中に大きな噴水があって、その噴水からは汚れが一つもない綺麗な水が一定間隔で水を天に向かって噴き出していた。
思いっきり背伸びをしてさぁ家に帰ろう、と思い足を進めようとした時。
「翼君」
後ろからロベルトに向けて声がかけられた。
しかしロベルトの前世の名前である翼という名を言うのは、この世界では限られている。
そして彼にとっては聞きなれた女性の声であり、知っている人である。
「副団長」
ロベルトは彼女のほうを向いて返事をすると、一際綺麗な人物が立っていた。
麗しい水色の短髪でスタイルも抜群、前世であれば間違いなく読者モデルをやっていること間違いないだろう。
服装も他の騎士団員が来ている制服ではなく、彼女専用の白い制服。
腰にさしている剣も他の騎士団員に支給されている剣ではなく、綺麗な装飾が入った細剣をさしている。
シャルロット・カタルーシア……アルメスタ王国騎士団の副団長。
女性でありながら僅か23歳という若さで騎士団のNo.2の地位に立っている。
だがシャルロットというのはこの世界での名前で、彼女にはもう一つの名前がある。
その名は……二ノ宮杏。
前世でのロベルト……翼の幼馴染の姉さんであり、彼女もあの事故で死亡して翼と同じくこの異世界ルナティールに転生した。
「副団長は違うわ。もう任務は終わったんだからいつも通りの呼び方でお願いね」
シャルロットは仕事とプライベートはちゃんと分けており、ロベルトは仕事の時は副団長でプライベートの時は前世での呼び方、姉さんと呼んでいる。
生前の時と同じように姉のいないロベルトからしたら、姉のような存在だからだ。
「はは……すみません、姉さん。ところでどうしました?」
「実は華蓮が迎えに来ているのよ」
「華蓮が?」
「時間的にはもう迎えに来ているなんだけど……」
シャルロットは人で溢れかえっている広場を見渡す。
しかし右を見ても左を見ても、たくさんの人でごった返している広場から、一人の特定の人間を見つけるなんてものは至難の業でもあるのだが……
「お姉ちゃーん! 翼ー!」
突如、広場の向こう側にある道路から一際目立つ少女がロベルトとシャルロットに向かって手を振っていた。
水色の腰まで伸びている長い髪に、ひとたび微笑みを浮かべれば女神のように見える美少女が、噴水の向こう側からロベルトたちを見つけると、今度はこちらに向かって駆け足で向かってきた。
「お姉ちゃん。翼。お帰り」
「華蓮、ただいま」
「あぁ、ただいま」
それがこの美少女、ロベルトこと翼の幼馴染……二ノ宮華蓮。
この世界ではアイリ・カタルーシアとして転生した少女だ。
あの事故で死んだのは翼だけではなく、杏も華蓮も死んでこの世界に転生し、彼らはこの世界で再会を果たしたのだ。
転生後は3人とも騎士団に所属し、互いに仕事に励みながらも第二の人生をそれなりに楽しんでいるようである。
「二人とも、一か月の任務お疲れ様。それと翼、はいこれ」
「ん? 何だこれ?」
アイリは手に持っているものをロベルトに渡してきた。
長方形の形をした、ファンシーな柄がおしゃれの紙袋である。
「誕生日おめでとう。今日でしょ?」
「……あっ、そういえば忘れていた」
ロベルトは今日で任務が終わることしか考えていなかったが……本日は彼がこの異世界に転生しての18歳の誕生日だ。
この異世界、ルナティールでは18歳から成人としてみなされる。
実質、生前で生きていた年齢を上回ってしまい、多少照れながらもロベルトはアイリからプレゼントを受け取る。
「ありがとな。開けていいか?」
「もちろんいいよ」
ロベルトはアイリからもらったプレゼントを紙袋から出すと、入っていたのは女性と男性が椅子に座ってお茶を飲んでいる表紙が印象的な、一冊の少し厚い本だった。
「あ、これ……」
「ルカ先生の新作、翼が任務中に発売されたんだよ」
アイリのいうルカ先生というのは、今アルメスタ王国で人気の作家である。
推理作家といったほうがいいだろう。
異世界ではゲームやパソコンにスマホ、ネットといったデジタル文化はほぼないといっても過言ではない。
そのため、こうした世界では趣味は限らてくる。
18年という第二の人生でロベルトが見つけた新たな趣味、それが読書だ。
前世では異世界転生小説を読み漁っていた彼にとっては唯一、自分の世界に没頭できる趣味である。
そのためこの世界のことを知るためにロベルトは、暇さえあれば読書の世界へとのめり込んでいった。
そして、その中で出会った本……それが今ロベルトが手にしているルカ先生という作家の本だ。
いつの間にかロベルトは彼のかく本の世界に魅了されてしまい、今では彼のファンになってしまった。
「欲しいと思ってたんだ。ありがとな華蓮。しっかり読ませてもらうわ」
「後日、ちゃんと感想きかせてね」
よほどこの本がもらえたのが嬉しかったのか、ロベルトは笑顔でアイリにそう返事を返す。
「そういえばここ数年で、本の値段が急に下がったね。最近、街中で本を持っている子供とかたくさん見かけるよ」
「そうですね。特に文字を勉強する本もたくさん出ていますし。陛下がこれからの時代は学問の時代だー! って言っていましたからね」
異世界では本などは大量生産ができず、個人による制作のため物価が高いイメージがある。
ルナティールでも例にもれず数年前までは本が高かったのだが、5年ほど前にこのアルメスタ王国の国王、オスカー陛下が紙を大量に生産する技術と文字を大量に書く印刷技術を開発したおかげで、本の大量生産が可能になった。
おかげで今まで高かった本が急に値下がりして、今では庶民にも手が届くほどの値段となり、街にはたくさんの書店もできている。
この国の王、オスカー・スタンリー・アルメスタはアルメスタ王国16代国王陛下。
5年前、先代の国王が崩御し、今の座に就いた。
彼は40歳というまだそこそこ若いながらもすでに様々な功績をあげている。
そしてオスカーは発明家という面もあり、10歳の頃から現在にかけて様々な機械の発明に取り組んでおる。
そのため小さい頃から彼は天才王子とも周囲から呼ばれていた。
十数年ほど前にはなんと電話機を開発し、さらに音楽を聴ける蓄音機、蒸気機関車や路面電車などを開発した。
現在では街の至るところには電柱が建てられてそこに電線が敷かれている。
王都が僅か十数年でここまで文明化したのは、オスカーの発明と知恵の賜物だ。
「あっ、そういえばこの後報告が残っているから本部に向かわないと。あなたたちは先に帰っていいからね。それじゃあお疲れ様」
その後の予定を思い出したのか、シャルロットは残りの仕事を片付けるために大通りの人込みに紛れて消えていった。
「せっかくだから一緒に帰ろう?」
「そうだな」
ロベルトはアイリから受け取ったプレゼントを鞄の中に入れると、彼女の横に並び、そのまま自宅のある方向へと一緒に歩く。
彼女と一緒に歩いていく中で、ロベルトはこの街、アルメスタ王国の王都メランシェルを今一度、この目で見渡す。
異世界というと中世ヨーロッパのイメージがかなり強い。
ロベルトにとっては前世で読んでいた異世界転生小説の影響でそういうイメージが根付いてしまったせいでもあるのだが。
しかしメランシェルの街中は中世ではなく、18世紀後半に起こった産業革命真っ只中のイギリスそのもの。
特にここ数年は鉄やコンクリートなどが建物などに使われ始め、街の景観は一気に様変わりした。
右を見ればシルクハットをかぶり、高価なタキシードやスーツを着た紳士もいれば、華やかなドレスを着た女性もあちこちにいる。
そして今は大通りにいるため人がかなり多く、渋谷のセンター街並みに人が多いといってもいいだろう。
人と人が行き交う喧騒が、任務で長いこと街を出ていたロベルトの心に安心感を与えた。
「あ、ママ! 電車が来たよー!」
近くにいた元気そうな男の子がお母さんの手を繋ぎながら、右手である物を指をさす。
ロベルトはそれに目を配ると、いかにもレトロチックな路面電車がたくさんの人を乗せて彼の近くをゆっくりと通り過ぎていく。
路面電車は地面に敷かれた金属製のレールに沿って音をガタンゴトンと出しながら、大通りの向こう側へと消えていった。
人が多く行き交う大通りをアイリと共に歩いていると、ちょうど近くにあった街頭……ガス灯に火が灯る。
10年ほど前はガス灯なんてなかったので夜になれば真っ暗だったが、今では夜でも明るくなっている。
これに火が灯ったということは、これから夜が訪れるという合図。
今はまだこの大通りは人が多いのだが、あと数十分もすれば少なくなり、空が暗くなればやがて人はいなくなるだろう。
「そういえば、この世界に転生して18年経つね。時の流れって早いなー」
「そうだな。そう言われると、この18年、色々なことを思い出す」
「騎士学校のこととか?」
「あぁ」
ロベルトはアイリの言葉でこの18年間……この異世界ルナティールに転生してからの人生を頭の中で振り返った。
このアルメスタ王国には中小合わせても100近くの貴族が存在するが、八貴族と呼ばれる特に力を持つ一族が八組存在する。
ロベルトとアイリはその八貴族のエルヴェシウス家とカタルーシア家で生を受けた。
前世ではただの庶民だった彼が、異世界では貴族の息子として生まれるとは誰が予想できただろうか……
この世界に転生した直後、ロベルトは赤ん坊として人生を再スタートした。
赤ん坊だったロベルトをやさしく抱きかかえる母と父の笑顔を今でも鮮明に思い出す。
その時から彼は前世の記憶を持っていたので、今思い出すと赤ん坊時代の生活は意外と大変だった。
立つことも歩くことも、記憶では覚えているのに体が言うことを聞かなかったので、思いのほか苦労もした。
恥ずかしながらも母親におんぶされたり嫌々ながらはいはいしたりもしたこともあり、今振り返ると思わず赤面してしまいそうである。
そんな赤ん坊人生が3年たったころ、ロベルトにとっては嬉しいニュースが入った。
それは彼が3歳のころに妹が誕生したことだ。
前世では兄妹もいなくて一人っ子だったロベルトにとっては、歳の近い兄弟ができたのは心の底から嬉しい出来事だろう。
そんな妹も現在は15になり、今でも兄離れができずにロベルトを見るとお兄様と言って彼にすり寄ってくる。
そして時は流れて7歳……ロベルトはこの国の騎士学校へと入学することなった。
騎士学校というのは文字通り、この国の将来を担う騎士たちを教育する学校のこと。
9年制で7歳で入学し、15歳で卒業して騎士団に入隊するのだ。
騎士になるための学校だが、入学してからの3年間は剣を握らず、この異世界ルナティールの常識や知識を学ぶ。
4年生になると、ようやく剣を使った授業を受けることになる。
二度目の人生で二度目の学生生活を送りつつも、騎士学校を卒業したロベルトは無事に騎士団に入り、なんとか仕事をこなしつつ現在に至る。
「確かに色々あったね。でも、この二度目の人生で一番うれしかったのは……翼と再会できたことかな」
「……随分と恥ずかしいことを簡単に言ってくれるよな。まったく」
アイリはそう言って満面の笑顔をロベルトに向ける。
茜色に染まる空に浮かびし太陽が、西に少しずつ沈みながらも彼女の横顔を照らす。
太陽の光に晒された彼女の笑顔は邪気が全くなく、無垢な子供そのものの顔。
その笑顔にロベルトも照れながらも、思わずつられてほほ笑んでしまう。
少し歩くと、大通りのとある場所までたどり着き、彼らは一度この場所で立ち止まる。
ロベルトとアイリは自宅が少し離れており、この大通りの西側にアイリの家があって東側にロベルトの家がある。
「あっ、そうだ翼。明日お休みでしょ?」
「あぁ、姉さんが気を聞かせて休みをくれたんだよ」
「私もさぁ……明日またお休みなんだよねー。……もう言わなくてもわかるよね?」
アイリがニヤニヤと笑いながらロベルトにそう言ってきた。
先ほどの笑顔とは真逆の小悪魔のような微笑み。
その笑顔を向けられた男をハートを鷲掴みにして虜にしてしまいそうである。
「明日付き合え……だろ?」
「うん! じゃ、そういうことでまた明日ねー! あ、それと最後にもう一つ! 誕生日おめでとう!」
彼女は元気な声でそう言って西側の脇道へと走っていき、人込みに紛れて消えていった。
ロベルトはアイリが入っていった脇道とは反対側の小道へと向かい、帰るべき家に向かって足を動かす。
やがて10分ほど歩いていくと大きな屋敷が見えた。
前世でいう19世紀初頭にイギリスなどの大きな建物に使われていた、俗にいうゴシック・リバイバル建築の建物。
エルヴェシウス家……それが現在のロベルトの家だ。
ロベルトやアイリなどのアルメスタ八貴族の家は豪邸であり、大きさや屋敷の構造、作りに関しては各貴族でバラバラであるがほとんど似ている。
おそらく同じ建築家が設計したのだろう。
ロベルトは門を通り、大きな噴水が中央に鎮座する庭を通り、屋敷へと向かう。
扉を開けると大きな玄関ホールが彼を出迎えるが、誰もいないのか階段の踊り場にある置時計の振り子の音が静かにホールに響くだけであった。
「ただいま帰ったぞー!!」
ロベルトはホールに向かって叫ぶと、奥の扉から二名の可愛いメイドが現れて帰ってきた者を迎える。
着ているメイド服は汚れが一つもない清潔なもので、上品さを漂させている。
前世の秋葉原などにいるミニスカートのコスプレメイド服なんかとは違い、ロングスカートのクラシックなメイド服という奴だ。
「ロベルト様、お帰りなさいませ。今、旦那様と奥様をお呼びしてまいります」
メイドの一人が軽く頭を下げてそういうと、ホールの奥の扉を開けて中に入っていった。
「ロベルト様、妹様が貴方のお帰りをお待ちしておりましたよ。今お呼びしてまいります」
もう一人のメイドもそういって階段を上がって二階の廊下へと入っていく。
ロベルトは玄関で靴を脱いで、近くのスリッパを履いて屋敷の中へと上がり、目の前の階段に腰を掛ける。
日本では基本的に家では靴を脱ぐものだが、海外では土足のままというのが多く、アメリカなどはその例の一つだ。
だがこの国は家では基本的に靴を脱ぐというのが習慣になっている。
帰ってきて5分くらい待っていると、上のほうから元気な女の子の声が聞こえた。
「お兄様!」
見上げるとそこには腰まで伸ばした銀髪の長い髪と、少し幼さが残る顔立ちをした少女がロベルトを見下ろしていた。
少女はロベルトの姿を見ると階段を駆け足で降りていき、彼に近づいていく。
「お兄様! お帰りなさいませ!」
「あぁ、ただいま。リナリー」
天使のような笑顔を向けてくるこの少女こそ、転生したこの世界でできたロベルトの妹、リナリー・エルヴェシウス。
現在彼女は騎士学校の生徒であり、あと三カ月で学校を卒業する。
大事な兄が無事に帰ってきたのがそれほど嬉しいのか、リナリーはロベルトに抱き着いてきた。
「お兄様! それよりも今日はお誕生日ですね! おめでとうございます!」
「あぁ、華蓮から本をもらったよ。お風呂とご飯食べたら読もうと思ってね」
ロベルトはアイリからもらった本をポーチから取り出し、リナリーに見せた。
ちなみにアイリこと華蓮の呼び名だが、リナリーにはあだ名ということで以前から知っている。
「それ、ルカ先生の新作ですよね? 私もご用意いたしました!」
「え?リナリーもルカ先生の本を?」
「いえ、私は別のものですよ。同じプレゼントを買わないように、アイリさんとご相談したのです」
彼女の言う通り、プレゼントは下手をすると知らずに同じものを買ってしまう恐れもある。
買ったプレゼントが実は持っていたやつとか、先ほど違う人からもらったやつだと非常に気まずい。
そのためリナリーはアイリと事前に相談したうえで、違うやつを用意したのだろう。
「リナリーは何を用意したんだ?」
「それは……」
リナリーにプレゼントの事を聞こうとした時、奥の扉が開く音が聞こえて二人の男女が現れた。
「ロベルト、お帰り」
「息子よ。よく無事に帰ってきたな」
とても威厳がある40代男性と、宝石のようで綺麗で美しい20代にしか見えない女性。
二人は並んでロベルトにそういってきた。
「親父、母さん、ただいま」
父、シリウス・エルヴェシウスと母、エミリー・エルヴェシウス。
シリウスは青の短髪をオールバックで纏めて左目に片眼鏡をかけた男性で、エミリーは銀髪の長髪にドレスを着た美人。
ロベルトとリナリーは髪の色が銀だが、母の遺伝なのだろう。
「さあロベルト、色々と語りたいがまずはお風呂に入り、任務の疲れを癒しなさい。そのあとの夕食で話をしよう」
「分かった。リナリー、プレゼントは後で受け取るよ」
「分かりましたわ。お兄様」
その後、ロベルトはシリウスに言われるがままに浴室へと足を運び行き、着ている服を脱いで入浴した。
「あぁー……生き返る」
お湯が入っている浴槽に体を肩まで沈め、その温度で体を温める。
体の芯まで温まり、ロベルトは今まさに生きているという実感を、この身でしっかりと感じていた。
王都の文明化が進んでいるおかげで昔は水くみをして体を洗いながしていたのだが、今では温かいお湯につかることができる……やはり文明は素晴らしいものである。
流石にシャワーとか全自動湯沸かし器がまだないのが残念だが、この異世界で風呂に入れるだけありがたい。
あまり家族を待たせるのもいけないし、そろそろ料理もできる頃合だと判断したロベルトは十分温めた体と共に浴槽を出る。
「それにしても、こんな顔立ちに育ってしまうとは……まぁいいか」
壁に取り付けられた鏡にふと顔を向けると、彼は思わずそう呟く。
そこには綺麗な顔をした女性よりの顔立ちをしたロベルトが映っていた。
それはさながら水に滴る人魚姫のように、とても美しいものであり、とても男には見えなかった。
転生した彼は髪も生前よりも少し伸び、体格もやや女性よりに育った彼は、よく女性と間違われることが多かった。
当初は言葉にはできないような気分が心の中に漂っていたものの、それは時間がたつにつれて少しずつなくなっていき、今ではこういうもの悪くはないだろうと考えるようになった。
風呂から上がったロベルトは、体や髪をふいたあと、自宅で身に着けている服装に着替えてから食堂へと向かう。
食堂に近づいていくと、とてもいい匂いが鼻先を掠め、その匂いはどんどんと強くなっていく。
そして食堂の扉を開けると横に長いテーブル、複数の椅子に家族とメイドが座っており、風呂から上がったロベルト待っていた。
「ロベルト、上がったか。さぁ座りたまえ」
シリウスの言葉に従い、ロベルトはリナリーの隣の席に座る。
テーブルの上は豪華な食事で埋め尽くされており、部屋中に香しい匂いが漂う。
普段はこんなに作らないのだが、今日はやはり特別なのだろう。
シリウスとエミリーがワイングラスを手に持ち、それをみたロベルトも自身の前に置かれたグラスを手に持つ。
「ロベルト様、失礼いたします」
「ありがとう」
近くで待機していたメイドがロベルトのグラスに、手に持っていたボトルの中身を注ぐ。
それは白い液体……白ワインである。
グラスに注がれた瞬間、濃縮された甘い香りがグラス一杯に広がり、ロベルトは軽くグラスを回し、香りを軽く嗅ぐ。
「いい匂いだ」
ワインというものは味だけではなく、香りも楽しむもの。
目の前に置かれた豪華な食事と相性は抜群だろう。
「では、ロベルトの任務の帰還、そして18歳の成人を祝い、乾杯だ」
「「「乾杯」」」
シリウスの言葉と共に手に持ったワイングラスを家族全員でカチンと軽く音を鳴らして、そのままグラスに入った白ワインに口をつけて飲む。
口の中に広がる白ブドウ特有のすっきりとした甘味と甘い香りが、ロベルトの舌を唸らせる。
ルナティールでは18歳で成人になるのだが、飲酒に関しては16歳から可能である。
ロベルトは自身が飲むワインはもっぱら白ワインと決めている。
2年前……16歳の誕生日に初めてロベルトはワインを飲むことになり、その時に口にしたのが赤ワインである。
香りはよかったものの、グラスに入った赤ワインを口に入れた瞬間、強烈な酸味が口の中を襲った。
その時はなんとか飲み干したものの、初めてのワインデビューは苦い思い出となった。
後日、エミリーの勧めで白ワインを飲んだロベルトは赤ワインとは違った甘味が癖になり、以降ワインは白と決めている。
「どうかしら? 今日のために仕入れたのよ?」
「今日は特に料理に気合入っているな。ワインともよく合う……ありがとう、母さん」
一か月間、あまりまともに食事をしていなかった為か、ロベルトは久々に口にした家庭の味に安心感を得ていた。
現地ではほとんどが配給品の食事だったので、心も満たされたなかったというものある。
「ではお兄様! 先ほどお話していたお誕生日プレゼントです!」
横に座って食事をしていたリナリーが机に置いていたラッピングされたプレゼントをロベルトに渡してきた。
リナリーのプレゼントは見たところ。大きいものだが厚さはあまりなく薄いもの。
プレゼントを受け取ったロベルトは、ラッピングされた袋を開けて中身を取り出す。
「あ、これは……」
「お兄様、音楽を聴きながら本を読むのがお好きでしたよね? アイリさんとご相談の上、選ばせていただきました!」
リナリーが渡してきたのは、蓄音機のレコード。
表紙を見る限り、ジャンルはクラシック。
レコードに蓄音機、生前ではもはや見ることは少なくなったが、アルメスタ王国では現在進行型で大流行している。
さらにメランシェル西側に工場を建設し、そこで大量に製造が可能になり、レコードや蓄音機も庶民に手が届くほど大人気となっていた。
ロベルトの部屋には蓄音機が置いてあるので、リナリーの言う通り、部屋で本を読みながら音楽を聴くのが彼のもっぱらの趣味となっていた。
「ありがとうリナリー。食事を食べた後、本を読みながらゆっくり聞かせてもらうよ」
「ロベルト、私からはこれを」
今度はエミリーが厚さがそれなりにある長い箱を取り出してロベルトに渡す。
箱に少し装飾が入っているので、おしゃれでありながら高級感が漂う。
ロベルトは箱を受けとって、それを開封した。
「これは……万年筆か」
万年筆…これも数年前に国王であるオスカーが開発したものだ。
残念ながらアルメスタではまだボールペンが実用化されていないので、現在の筆記具は万年筆が主流となっている。
値段も安いものか高いものまであるので、安物であれば蓄音機と同じく庶民でも手が届く品物だ。
エミリーの渡した万年筆は見た感じ、随分と高そうな万年筆であり、前世の日本であれば……5万円くらいは値を張りそうなもの。
騎士団の仕事とて、剣を振るうだけの肉体労働ばかりではない。
時々ではあるが、報告書を書く事務仕事もあったりするのでこれはありがたいとロベルトは思った。
「大事に使わせてもらうよ。ありがとな。母さん」
ロベルトはそう言って万年筆を再び箱の中に戻して、リナリーのレコードの横に置く。
「ロベルト様、私たちメイド一同もプレゼントをご用意いたしました」
「どうぞ、お受け取りください」
メイドたちも次々とプレゼントを渡してきた。
腕時計、ミニポーチ、オルゴールに色々とバリエーションが豊かなものが贈られた。
「みんなありがとう。大事にするよ」
メイド全員からプレゼントを受けとったロベルトはお礼を言う。
雇われ人だからって無下に扱うわけにはいかない。
この家で食事ができたり、生活ができるのは彼女たちがいてこそなのだから。
「ねぇお父様、お父様はどんなプレゼントなんですか?」
「あぁ、もちろん用意してあるとも。ただ、渡すのは後にしておこう」
「えー!? どんなプレゼントなんですかー!?」
リナリーはロベルトのプレゼントが気になるのか、シリウスに食い入るように迫る。
「こらこらリナリー、今は内緒だ。明日ちゃんと教えてあげるから今は食事を楽しもう。ロベルト、食事が終わって少ししたら私の書斎に来なさい」
「分かった」
「むー。お父様のいじわるー」
リナリーは少しご機嫌斜めになりながらも、家族全員でその後の食事を楽しんだ。
机に置かれた豪華絢爛な食事とワインを香りと共に堪能しながら、今日という一日はゆっくりと終わろうとしていた。