第9話 「幻の最終回、建田さんと僕」(後編)
僕は広尾の駅までトボトボと歩きながら、これからどうしようかと考えた。今回分は仕方ないとして、これから先もこの調子だったら、僕のやりたい話にはいつまでたっても辿り着かない。
相場の話を書けば、確かに客は増えるだろう。僕だって書いてて楽しい。だけどそんな話をいくら書いたって、堅気の人たちは引くだけだ。ただでさえ僕は、闇人妻を肯定的に評価してくれている人間からすら、犯罪者扱いされている。他人から金を奪うことにしか興味がなく、財布の紐は異常に厳しいあの連中にいくら持てはやされたところで、僕と相方が生み出した、MACROSSの復活にはつながらない。
闇人妻の杜は、この国の歴史を真面目に描く話だ。それはそれで、僕にしか書けない自信がある。為政者には金が必要で、相場はその要素として重要な地位を占めるが、表のテーマには絶対になりえない。アケミの立ち位置が変わったせいで、ただでさえ迷走気味なのに、これ以上、闇人妻の路線を変えたくはなかった。
勿論、お話を面白くするためなら、僕はどんな修正だって受け入れる。だが、建田さんが書けという状況説明や、アケミ以外のキャラ以外の掘り下げに、僕はこれ以上、自分の時間を使いたくはない。
「困ったなあ……」と独り言ちた瞬間、一筋の光明が目の前にさした。怒野ジャス子――いつか使おうと思っていた、あのネタキャラだ。
そうだ、こいつを使って、本筋とは無関係の外伝をもう一つ書こう! それならきっと、ストレスなくやれる。キャラの深みも増すことが出来るし、本伝のクオリティにも影響は与えない。共通してるのは、登場するキャラの名前だけだ。いわゆる、スターシステムである。
いっそ思いっきりギャグ方面に振って、頭のおかしい連中の織り成す、スラップスティックな前日譚にしてしまえ! それなら、いくらエグいことを書いても、堅気の人たちから引かれなくて済む。株クラのクズ連中を笑わせながら、本編にまともな人たちを引き込むことも出来るはずだ。
そう思った瞬間、うるる村田とか、CCC投資顧問とか、兜町のマ〇クで仕手情報を交換する仕手筋の高校生のネタなんかが、次から次へ湧いてきた。
「電車なんかに乗ってる場合じゃねえ!」
僕はそう独り言ち、地下鉄の出入り口の直前で回れ右をすると、近くの喫茶店に飛び込んだ。看板には『KaWA・KaWA』と書いてあった。なんだかよく分からないけど、オシャレっぽい店だ。僕は勝手に席に着き、ウェイトレスむかって、こう叫んだ。
「レイコーひとつ! 巻きで!!」
「れっ、れいこー?」
「アイスコーヒーだよ! お冷とおしぼりも忘れずにな!!」
冷ややかな周囲の視線を気にすることなく、僕はカバンからパソコンを取り出し、粗筋を書きはじめた。キーボードを打つ手に、次第に汗がにじんでいく。僕は、【最後の無頼派】といっても過言ではない師匠の魂が乗り移ったかのように、猛スピードで第一話を書きあげた。
「できた……」
僕は書きあがったばかりの第一話を黙読しながら思った。完璧だ。数分でこれを書きあげる僕は、マジで天才かもしれん。いや、どんなに内容が素晴らしかろうと、読みづらければただのゴミだ。試しに音読してみよう。
僕は手元の水を一気に飲み干すと、仕上がったばかりの作品を声に出して読み始めた。まずは、粗筋からだ。
「私の名前は、怒野ジャス子。胸の大きさに悩む女子大生! 資産家のおじいちゃんが、私にも4000万程の遺産を残してくれたんだけど、『ここはやっぱり、堅実に資産運用だよね!』って思って、株式投資を始めたの。でも私は、投資の知識はまったくないから、お勧めアカウントで出てきた、うるる村田さんっていう女性をフォローしてみたんだよね。
フォロワーが10万人もいるし、つぶやいた銘柄はめちゃくちゃ上がるし、『ホント凄い!』って思って、私、うるるさんが経営してるCCC投資顧問の無料セミナーに行ってみたの。そしたら、セミナー後にうるるさんから食事に誘われて、
「ジャス子さんには才能があります。会費100万円の超VIP・AAAトリプルエー会員を今回に限り、3万円にしてあげますから、私の元で勉強してみませんか?」って、熱心に口説かれたのね。私、これは超お得だと思って、速攻で入会したの!
それから約三か月。最初は凄く儲かったんだけど、うるるさんが「鉄板!」って勧める【ある株】を全力で買ったら、4000万が38万円になっちゃった!
まあ、うるるさんは本当に親切にしてくれたし、株は自己責任だからそれはいいんだけど、やっぱり、少しは取り戻したい。そうだ、株クラスタで女性には超優しいって有名な、DJ全力さんに相談してみよう! うるるさんも、あの人はフォロー必須だって言ってたし!」
僕は周囲の人たちの奇異の視線を受けながら、久しぶりに涙が出るほど笑った。いける。これなら絶対にいけるよ!
「あのー、誠に申し訳ありませんが、周囲のお客様のご迷惑になりますので、少し声を落としていただけますでしょうか……」
アイスコーヒーを持ってきたウエイトレスが、かなり引き気味の顔で僕に注意してきた。だが今の僕は、そんな事じゃ止まらない。
「そいつは大変失礼しました。今ここに居るお客様全員に、僕のおごりでワンオーダー振舞ってってください。せめてもの、お詫びです」
「へっ?」
僕は席から立ち上がり、周囲の人たちに向かって叫んだ。こんな察しの悪い女とはもう付き合っていられない。
「大変お騒がせして申し訳ありません。せめてものお詫びに、一品おごらせていただきます。僕は新進気鋭の作家で、今まさに傑作をものにしようとしているんです! この歴史的瞬間を、皆も一緒に祝ってくれ! Prost!!(プロースト)」
そう言って僕は、ウェイトレスさんが持ってきたアイスコーヒーにガムシロを全てぶち込み、一気に飲み干した。そして、空になったグラスを勢いよく床に叩きつける。「こいつはマジでヤバい奴だ」という感じで、数組の客がそそくさと席を立っていったが、そんな事くらいで、今の僕の勢いは止められない。僕の灰色の脳細胞は、新たな傑作をこの世に生みだすために、ものすごい勢いで糖分を欲しているのだ!
ドン引きするウェイトレスさんに向かって、僕は大声で追加オーダーを頼んだ。
「アイスミルクとレイコ―と、バスク風チーズケーキを二つ! 巻きで頼む!!」
僕は再び自分の席に着き、猛烈な勢いでキーボードを叩き続けた。息を吐くように第2話のテキストを吐き出しながら、同時に先の展開も考えてゆく。
そうだ! どうせなら、ラブコメ要素も入れちゃおう! 巨乳でパッパラパーなジャス子に対して、吉田さんは、巨乳に憎悪を燃やす貧乳のメンヘラだ。うるるから金を取り返してあげることで、ジャス子はアケミを好きになる。アケミも悪からず思うんだけど、いつも良い所で吉田さんに邪魔が入って、半殺しにされる。これだ!
いや、待てよ。巨乳を憎むだけじゃ、アケミを半殺しにする要素としてはちょっと弱いな。そうだ、吉田さんを今は亡き師匠の娘という事にして、土佐波と僕で奪い合った過去があった事にしよう。勝負は僕が勝つが、「師匠を超える相場師になるまでは……」という事で、吉田さんには指一本触れてない。それなら彼女が怒ることに、多少の必然性が出てくる。本物の吉田さんは既に結婚しているが、理不尽が服着て歩いてるような女だから、ある意味でリアリティありまくりだ。
ここで創作の神が、僕に対して第2の天啓を遣わせた。この時の僕は、マジで手〇とか言う雑魚を超えていただろう。
そうだ! 昔の吉田さんは今とは違い、清楚な美少女だったことにしよう。彼女は父親の死をきっかけにおかしくなった。売り方の仕手筋が放ったヒットマンが、父親を殺害する現場を目の前で見たのだ。仕手戦に命の取り合いは付き物だから、これで必然性もOKだ! ピュアな恋愛ものにすれば、そっち方面の客もまとめてゲットだぜ!!
執筆に集中する僕の目の前に、いつの間にか、アイスミルクとレイコーと、バスク風チーズケーキが二つ置かれていた。だか気づけば、周囲には客は誰もいない。店員すら一人もいない。なんと、不真面目で不用心な店なのだろう?
僕は、バスク風チーズケーキをムシャムシャと貪りながら思った。
「これで建田さんの要求もちゃんと満たせる。彼は、描写を丁寧にしろといっただけで、ギャグをやるなとは言っていない。それに、ギャグはギャグでも、僕の書くギャグはマジギャグだ。その中に、適当に真実をちりばめて、読者の中のアケミ像をどんどん膨らませよう。いくら僕が外伝を書き進めようと、本編のクオリティには何の影響もない。師匠の教えと、建田さんの要求を満たすには、これしかないはずだ」
ふと外に目をやると、目の前の道路にはパトカーが三台止まっていた。黒い服の人々が店を取り囲み、訝し気な眼差しで僕の事を眺めている。広尾は治安の良い高級住宅街だと聞いていたが、凶悪犯でも逃げ込んできたのだろうか?
警察官が一人、店の中に入り、僕の方に向かって来た。勿論、公僕に協力するのは、まごうことなき堅気である僕の責務だ。
「私は広尾署のものです。実は、この辺に異常者が現れたという通報があってね。君にちょっと話を聞きたいんだが……」
「そうですか。あいにく僕は見てませんが、ご協力できる事なら、何でもご協力いたしますよ」
僕はニッコリ笑ってそう答えた。警察官はちょっと、ホッとしたような顔をして僕に言った。
「じゃあ、署の方まで任意同行してくれるね? 大丈夫、何か特別な事情があるなら、ちゃんと話は聞くから……」
「なんでやねん」
「なんでやねんって、君たった今、何でも協力するって言ったじゃないか!」
「異常者の捜索をするためなら協力いたしますが、僕は異常者じゃないので同行は出来ません。僕はただ、創作の神がリアルタイムで降りて来てる新進気鋭の作家です。サインをもらうなら今のうちですよ」
「わかったわかった。ちゃんとね、君の言い分も調書に残してあげるから。店の迷惑になるからね。とりあえず、ここから離れようね」
「なんでやねん」
「いいから!」
僕は4人の警官に羽交い絞めにされ、パトカーの中に引きずり込まれた。
「畜生! これはきっと、僕の再起を阻もうとする、ラスプーチンの陰謀だ! 折角、堅気に戻れるところだったのに、何がどうあっても僕に前科を付けようというのか! あの事件は土佐波が勝手にやっただけで、僕は無関係だって言ってるだろぉおお!!!」
僕がパトカーの中でそう叫んだ時、車窓の外に立つ建田さんの姿を僕は認めた。その口角は少し吊り上がっていた。
そうか、僕を嵌めたのはラスプーチンじゃなかったんだ。あの人は最初から、僕の才能を潰すつもりで難癖をつけてたんだ。一体いつから……いつから僕を裏切っていた。畜生! 貴方だけは信じていたのに……
建田さんの姿が次第に遠ざかっていく。少しずつ、冷静になっていく頭の中で、「これって民事で済むのかな……」と、僕は思っていた。
エピローグに続きます。