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第8話 「幻の最終回、建田さんと僕」(前編)

闇人妻の杜外伝『実録 DJ全力!』を、当初の予定通りコメディー路線で作ろうと思ってた時の最終話です。今となっては、どうリテイクしても組み込むのは難しいのですが、闇に葬り去るのも惜しい出来なので、没エピソードとしてここで公開させていただきます。

「まあ、面白いは面白いんだがね……」と、【彼】は僕に言い、吸っていた煙草たばこを灰皿に押し付け、こう続けた。


「仮名でも良いから、登場人物に名前と設定が付く方が、読者は感情移入しやすいと思う。例えば、君が実際に口座を貸していた男を……」

「えっ! コイツ、今回限りの捨てキャラですけど、わざわざ名前をつけるんですか?」

「モチーフになった人物がいるんだろう? このキャラを、この先のストーリーに絡めないのは勿体ない」

「はぁ……」

「試しに僕が、手を入れてみよう。何でもいいから、君の方で名前を決めてくれないか?」

「じゃあ、土佐波とさなみにします」


 土佐波というのは、僕が主催している相場部屋マスドンメンバーの1人だ。コロナ騒動で、他県ナンバーの車が襲われた話を聞くと、「オレも焼き討ちされたい!」とか言って、わざわざ現地に出かけていくような男である。一応は堅気だが、頭のネジの外れっぷりがアイツにちょっと似ていた。


「土佐波ね……」と彼は言うと、机上に置いていたTREASURERトレジャラー BLACKブラックのアルミ缶から一本取り出して口に咥え、手慣れた手つきでタバコに火をつけた。彼の本名を記すことに意味はないし、下手に許可を取って、半日かけて書いた話がお蔵入りになるのも嫌だから、今は建田たけださんと呼ぶことにする。


 20秒ほど煙をくゆらせた建田さんは、虚ろな表情のまま灰皿に器用に灰を落とし、こんな風に僕に切り出した。


「——その男の名前は今はまだ書けないが、仮に、土佐波としておこう。土佐波は、僕の師匠にあたる相場師の元で、共に修行をしていた男である。全盛期には10億円以上の資金を運用していたが、自ら本尊となって仕掛けた相場で大失敗し、この頃は完全に行き詰まっていた。それで、昔の仲間である僕の元に金を無心に来たのだ」


「……と、こんな感じでどうだい?」


「どうだい?」と言われても返事に困った。元々が、この場限りの名前のない捨てキャラである。そもそも師匠の事ならともかく、僕に散々迷惑をかけたアイツの事なんか、今さら思い出したくもない。


「いや、僕の相場の師匠は、猜疑心さいぎしんの塊みたいな人で、僕以外に誰も信用しませんでした。そんなキャラを出しても、イメージがわきませんよ」

「そんなのは、僕の知った事じゃないよ。こうした方が面白くなる。そういう話を僕はしているんだ」

「はぁ……」

「ライバルを出すのは、基本中の基本でしょう? この作品はエンタメなんだから、君の一人語りを延々聞いてたってしょうがない。このエピソードはそこそこ面白いけれど、素材をそのまま出してくる奴は、作家とは言えないよ。ただの痛い奴だ」


 それは全くその通りだし、アケミの過去を膨らませれば、それはそれで面白い話になる気もする。だけど、僕がこの作品でやりたいのは歴史ものであって、相場ものじゃない。それに、僕がいま本当にやりたいことを実現させるには、頭のネジのぶっ飛んだ株クラスタの連中じゃなく、真っ当な日々を生きてる堅気の人間の協力が必要なのだ。


 しかし、そんな僕の【本当の目的】を話したところで、建田さんは理解しないだろう。仕方なく、僕はこの気まずい状況を打破するためだけに、こう尋ねた。


「どこか他に、直すべきところはありますか?」

「そうだな……。土佐波の見た目を、少しで良いから描写するといい。ここの金融庁の取調べ官もそうだ。具体的な描写を入れるだけで、このシーンの緊張感はグッと増すはずだよ」

「はぁ……」


 さっきから僕は、「はぁ……」しか言ってない。僕が改定に乗り気じゃないのが流石に伝わったのか、建田さんはこう続けた。


「まあ、君が憂鬱になる気持ちもわかる。情景描写は、基本的につまらない作業だからね。だが、君の頭の中では、今描いているシーンがしっかりとイメージされているはずだ。それを文章で丹念に描き出す。それが、【書く】という事なんだよ」

「そういうものですかねえ……」

「そういうものさ。今の読者は想像力が低下してるから、いちいち丁寧に説明してやらないと、頭の中にまともに映像が浮かばない。ストーリーだって、一晩寝てしまえば、前回の事すらまともに覚えちゃいないんだ。だから、この作品を連載するなら、情景描写を丁寧にするだけでなく、粗筋あらすじもちゃんと付けてやらなきゃダメだね」


 ようやく、同意できる言葉が彼から出た気がした。


「それはそうですね。僕は恐ろしくて、時系列を入れ替えることすら出来ないです。どうしてもやるときは、こんなの蛇足だなあ……と思いつつも、『時を〇〇をした時あの時まで遡ろう』という一文を入れてます」

「それでいいんだよ。彼らはちゃんと読まないくせに、イメージが浮かばなかったり、時系列が混乱したりすると、すぐに『つまらない』と投げ捨てる。今この一瞬、楽しい気分になれればそれでいいんだ。だから皆、まともな小説なんて書きたがらないんだよ」


 【彼】は吐き捨てるようにそう言った。彼は今、TVドラマや映画の脚本で引く手あまたの売れっ子だが、元々は、純文学で身を立てることを志していたという。勿論、そっち方面の才能もちゃんとあって、誰でも知ってるあの文学賞にも、若い頃に二度もノミネートされたのだ。だが結局、受賞することは叶わなかった。受賞とノミネートじゃ、売り上げの数が二ケタ違う。


「小説っていうのは、手間ばかりかかるうえに、大した金にならない。元々、割に合わないものなんだ。それでも目指す奴が、本物の作家だと思うがね。僕も君も、所詮は偽物まがいものだよ」


 食うために仕方なくやっていた放送作家の真似事が、局の上の人間に止まって、今じゃそっちの仕事が建田さんの本業メインになった。限られた時間内で、大して頭も使わない人たちを楽しませる。そういう仕事だ。金には困らなくなったが、純文学作品はもう20年も書いてない。そんな自分の現状に、内心、忸怩じくじたるものがあるのだろう。


 僕と彼とは、元々何の接点もなかった。Twitter上で書いていた、僕の過去の回想話(昨日書いた、鷹野君の話の元ネタだ)を彼が偶然見つけて、共感を寄せてくれたのが付き合いの始まりだ。あり得ない話過ぎて、僕は最初は騙り(かたり)だと思った。だけど、少しやり取りを続けてみて、どうして彼がそんなことをしたのか合点がいった。僕も彼も大切な仲間を失い、その後、途方もない才能を持った天才クズに見いだされ、創作への道を歩みだした人間同士だったのだ。


 僕らは同じような天才クズを師匠に持ち、師と同じ道を行こうとしたが果たせず、若くして師に旅立たれた。そうして結局、本来の道ではない、別の世界で成功した。そういう苦い過去だけが、僕らをつないでいる。だからこそ彼は、この世界では何の実績もない僕の書く、『闇人妻の杜』という作品を、こうして添削してくれているのかもしれない。


「君の文章で一番面白いのは、書き手である君自身のキャラクターが表に出ている部分だ。無理して、歴史ものなんかやらない方が良い。第一そんなモノ、僕は全く読みたくない」

「はぁ……」

「書くなら、君や師匠や、昔の仲間の事をネタにして書けよ。それは君にしか書けない、君だけの素材オリジナルなんだから。だったら僕も、もっと有効なアドバイスが出来る」


 また、「はぁ……」の連鎖が続いた。僕の中には、物書きとしての僕と、プロデューサーとしての僕がいて、後者の僕は、「彼の言ってることはもっともだ」と叫んでいる。だけど物書きとしての僕は……つまり師匠に先立たれ、25歳で筆を折った僕は、「これ以上、【余計な事】を書いてどうするんだよ?」と抵抗しているのだ。

 

 その後の僕は、基本的にはプロデューサーとして生きてきた。そして、その分野ではそこそこ成功した。物書きとしての僕は、そのプロデューサーの指示に従い、煽りを書くだけの存在に過ぎない。そして、その役割すらDJ君あいかたにとってかわられた。


 もしDJ君が心を壊してなかったら、そしてもし、その後僕が相場で金を失わなかったら、書き手としての僕は一生、表に出ないままだっただろう。VACUSを除くほとんどすべての資産を失った後、プロデューサーとしての僕が、20年ぶりに僕に頭を下げた。皮肉なものだと、書き手としての僕は思った。


 さて、書き手としての僕が、煽り屋のライターに身をやつしても、ずっと守ってきた教え(ルール)が一つある。


「なくても済むものは徹底的に省け。付け足しなんて、愚か者のやることだ」


 それが師匠の、数少ないまともな教えだった。


「大事なのは、面白いか面白くないかだ。面白けりゃ、読み手は勝手に補完してくれる。だが、面白くなければ、どんなに丁寧に説明しようと、読み手は絶対に作品を理解しようとはしない」


 そういうカッコいいことを言いながら、弟子の前で女の股間をまさぐり、借金を踏み倒し、家族に散々迷惑をかけながらくたばったのが、僕の師匠だった。そして今も、夭折ようせつした天才作家としての名をはせている。建田さんの師匠も、おそらくは似たようなものだろう。


「とりあえず、今日のアドバイスを元に書きなおしてきます。なるべく早めに再提出しますので……」

「期待してるよ」


と、大して期待もしてなさそうな表情で彼はいい、僕は後ろで待つ業界人らしき人間と席を変わった。広尾の某所にあるこの店は、政治家や外交官といった、上流階級の人間だけが使える会員制のクラブで、本来なら、僕みたいな人間が足を踏み入れることなど、絶対に許されない場所なのだ。


 マスコミの上層部に顔の利く建田さんですら、ここの利用許可が出たのは、特例中の特例だと聞いた。それだけ彼の才能が、一般大衆を扇動するのに役だつと判断されたのだろう。人を笑わせることの出来る人間は、相手を恐怖におののかせることも、絶望の淵に追い込むことも、簡単に出来る。


 この国の未来は、国民が決めているのではない。良い悪いは別として、ごく一部の限られた人間の意思によって、昔から【作られている】のだ。 


「月に30万払えば誰でも利用できる、兜町のマ〇クのVIPルームなどとは比べ物にならないな……」と思いながら、僕はその店を後にした。


(続く)


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