第6話 「たった一人の親友の話」(後編)
話を元に戻そう。僕はその後、鷹野君と一切連絡を取らなかった。もし僕が逆の立場だったら、絶対に連絡なんてして欲しくないだろうと思ったからだ。
「今の生活から這い上がったら、きっと鷹野君の方から連絡をしてくるはずだ」
僕はそう信じて、その日の苦い記憶を忘れ去ろうとしていた。
それから数年の時がたち、僕は再び鷹野君と再会した。博多駅の在来線ホームだった。鷹野君は同僚らしき人間と二人で、ホームにある自動販売機の商品の入れ替えをしていた。僕は再び強いショックを受けた。
いや、その仕事自体は、学生の頃のレジ打ちバイトより遥かにマシだ。少なくとも就職したからこそ、鷹野君はその仕事をしている。だから、僕がショックを受けたのは、鷹野君が肉体労働に従事していたからじゃない。
僕が悲しかったのは、もはや鷹野君が傍にいる僕の存在に気づかず、その仕事をしている自分にも、全く疑問を抱いていなかったことだ。彼は商品の入れ替えをしながら、おそらくは身内であろうスタッフと共に、しきりに談笑をしていた。その表情には、今の自分に対する疑問は微塵もなかった。
当時の僕は、自分の会社を興したものの、資金繰りに苦しんでいた。目の前の鷹野君は、そんな自分よりも遥かにマシだとも、正直思った。もしかしたら彼は、小さな家庭を築いて幸せなのかもしれない。だけど、僕にとってはそんな彼よりも、レジ打ちする姿を僕に見られて恥じている彼の方が、遥かにマシだったのだ。
僕は、入れ替え作業を続ける彼の姿を呆然と見つめていた。とてもじゃないけど、声なんか掛けられなかった。彼はガキの頃と変わらぬ笑顔のまま、テキパキと仕事を終わらせ、僕の前から消えた。僕の中でずっと大切に思ってた何かが、その時完全に壊れた気がした。それっきり、僕はもう鷹野君とは会っていない。
早めに結婚して、体が丈夫なうちに子育てを終え、老後を悠々自適に暮らす。そういう考えの人が、地方には沢山いる。その幸せを僕は決して否定しない。だけど、もし今の鷹野君が幸せなのだとしたらなおの事、【家庭の幸福】は、僕にとっては討ち果たさなくてはならない絶対の敵だ。
昔の彼は、自販機の入れ替え位で満足する男じゃなかった。彼はいずれ傍にいるのも恐れ多いくらいの人物になるんだと、プロのサッカー選手として大成し、TVや広告で引っ張りだこになるような人物になるんだと、ガキの頃の僕は確信していたのだ。それ位のカリスマ性が、昔の彼には確かにあった。
そんな、まばゆいばかりの才能を持った人間が、たかだか家庭を持ったくらいで、そこらの凡人と同じになってしまう。それが僕には、悔しくてならなかった。すべては家庭が……「家族の幸福こそが一番大事」という価値観が、この世に蔓延しているからだ。
サッカー選手になるならなる。もしそれが叶わなかったとしても、ひとかどの人物として大成し、あの優しい笑顔で「頼りにしてるぞ」と声をかけながら、僕を右腕として使ってくれる。それが、ガキの頃の僕が思い描いていた未来だった。レジ打ちのバイトに身をやつした姿を見た後ですら、僕はその夢を捨て去ってはいなかったのに……。
もうお分かりだろう。本当の僕は、いつも過去の方ばかり向いて生きている。もはやどうにもならないことを何度も思い返し、メソメソ泣きながら暮らしている。「この会社の未来は有望だ! 一刻も早く買え!」と煽りまくる相場師としてのDJ全力は、僕と相方が作り上げた偶像に過ぎないのだ。
それでも、剣乃さんや鷹野君のように、思い返すだけで泣ける思い出を沢山持っている僕は、そこらの連中よりも幸せだと思ってる。
鷹野君だけの話じゃない。僕の人生の陰には、たかだか金がないだけの事で、身を持ち崩した人たちが沢山いる。だから僕は、「お金なんかどうでもいい」と心底思いながらも、ずっと相場の世界で金稼ぎにいそしんできた。もう二度と、大切なものを失いたくはないからだ。
もし僕がもう一度大切な人を見つけて、似たような状況に遭遇したら、たとえ傲慢に思われようと無理やり金を押し付け、「目を覚ませ!」と言ってやるために頑張って来たのだ。
鷹野君はある意味、小さな幸せを掴んだだけまだマシだった。信用していた仲間に金を持ち逃げされ、僕に何一つ助けを求めないまま、首をくくった友人すら僕にはいる。あんな思いはもう二度としたくない。たとえどんなに得があろうと、金が一番に来る奴と同じ空気を吸う事は、僕がこれまで歩んできた人生のそのものの否定だ。
たかだか金がないだけの事で、僕は自分の人生で一番愛した女性と、長い人生を共に歩もうと思ってた親友を同時に失った。僕は一生、全ての不幸の始まりとなった貧困と、僕の親友をただの凡人に変えてしまった『家族への愛』を、心の底から憎むだろう。もし鷹野君が、自分の人生に満足していたとしても、僕はその事実すら否定する。
だって君は、他人が羨んでやまない、凡人がどんなに努力したって到達出来ない、素晴らしい道を歩めたはずの男だからだ。
たとえ最後の一人になろうと、僕はいまわの際までこう叫び続けるだろう。
「家庭を持ったくらいで幸せになれる奴らは、勝手になってろ! でも、その価値観を他人に押し付けて、まばゆいくらいの才能をもってる人間の足を引っ張るな!」と……。
もし彼の家に十分なお金があったら、そしてもし、世間に蔓延する「やっぱり家庭が一番だよ」という同調圧力に彼が屈してなかったら、僕は今でも彼の傍らで、「鷹野君はいいなあ……」って思いながら、ニコニコ笑って人生を過ごせてたはずなのだ。その夢がもう二度と叶わないことが、とても悲しい。
話を元に戻そう。このエッセイの第1話にも書いた通り、僕の本当の目的は、「いい年した僕が未経験から作家になって、本当に才能のある若い奴をどんどん作家にする」ことにある。つまり、自分が実際にやってみることでノウハウを蓄積し、若い才能ある人たちに、筆を折らせないことが本当の目的だ。
そしていつか相場師に戻り、相場の世界で表現を再開するつもりでいる。良い作品を書く作家はいくらでもいるが、相場の世界でそれが出来るのは、多分僕しかいないからだ。今の僕には、その夢を思い描くことしか楽しみがない。
僕の書く闇人妻と、この文章を読んでる人の支援があれば、その夢はきっと叶う。その夢が叶えば、トラウマレベルの苦い思い出を夢に見て、書き直すたびに何度も涙した、僕の苦労も報われることになる。そして、このエッセイそのものが、【いま作家になるべく頑張っている貴方】に対する、最高のプレゼントになるだろう。
僕の書く闇人妻が、そして僕がこのエッセイの中で語る言葉が、今も虐げられ続け、言葉を発する気力すらない人たちの希望になることを、僕は切に願う。
本編はこれで終わりですが、エピローグがちょっとあります。




