第5話 「たった一人の親友の話」(中編)
ゲームと、ゲームを金にすることに夢中になってから数年の時が経ち、僕は再び親の引っ越しで、鷹野君と同じ学校になった。中学3年生の頃だ。彼は相変わらず学校のアイドルではあったが、【取り巻き】が悪かったのか、勉強の方は昔ほど出来てない様子だった。
今にして思えば、彼はその取り巻きの中に、僕の代わりを求めていたのだろう。話せば意外と良い奴だっていたかもしれない。でも当時の僕には、そんな事はまるで理解できなかったし、「鷹野君はどうして、ガラの悪い連中とばかりつるんでいるんだろう?」と不思議でならなかった。
そのころの僕は、ゲームをすっぱりやめて、受験勉強に打ち込んでいた。少しでも環境を変えたかったからだ。僕や鷹野君の住んでた地域は、決して柄の良い場所じゃなかった。ただでさえ【修羅の国】と揶揄される地域の、そのまたガチで抗争が勃発してるような場所で、僕と鷹野君は少年時代を過ごしたのだ。
刺青の入った人間を見かけるのは日常茶飯事だったし、銃声を聞いた事さえ何度かある。あそこで生まれ育った人間は、熱狂的な郷土愛を持つ奴が多いけれど、僕にはまるでピンとこない。僕にとってあの場所は、飯が安い事と女性が綺麗なこと以外は何の取り得のない、思い出したくもない場所だ。
生まれも育ちもあそこなら話は違うのだろうが、僕は港区の虎ノ門病院で産湯に浸かった。そして、三つの時に、父の実家のある福岡に移住した。生活費が嵩むからだと母は言っていた。けれども両親は、その後すぐに別居した。僕は母に引き取られたが、東京に戻る気はなさそうだった。
ゲームやアニメに夢中になってた頃の僕は、『どうして東京で生まれたのに、こんな所で暮らさなきゃいけないんだろう』って、いつも思ってた。楽しいのは、鷹野君と一緒にいる時だけだ。理不尽って言葉を、当時は勿論知らなかったけれど、ずっとそんな気持ちを抱えながら暮らしていた。まるで、冤罪で島流しにされた罪人のような気分だった。
ゲームやアニメのイベントは、大抵、東京か大阪で行われる。雑誌でその様子を見るたびに、僕はいつも悔しい思いをした。東京で生まれたにも関わらず、東京を知らなかった僕は、「どうして、吉祥寺は寺なのに、いっつもイベントをやってるんだろう?」と不思議に思ったものだ。
僕はその悔しさを全て勉強にぶつけた。学力を上げて、誰でも知ってるような有名大学に進学し、必ず東京に戻ってやるんだと思っていた。
話を中3の頃に戻そう。その頃、鷹野君の家庭環境は激変していた。久しぶりに上がった彼の家には、見知らぬオヤジがデカい顔して座っていた。彼のお母さんは相変わらず綺麗で、久しぶりに顔を出した僕にも優しく接してくれたけれど、彼はそのオヤジの事を快くは思っていない様子だった。
鷹野君もまた、二人っきりの時は昔のように接してくれたけど、学校ではお互いに近づかないようにしてた。僕は彼の【取り巻き】が大嫌いだったし、彼にも色々立場があるようだった。家に遊びにいっても、オヤジが居ると、すぐに空気が悪くなる。だから帰宅の時間が見えると、僕はさっさと退散していた。
ある意味僕は、鷹野君以上にそのオヤジの事が嫌いだった。鷹野君にとってお母さんは家族だけど、僕にとっては初めて好きになった異性だからだ。子供の頃の憧れだった人が、どうでもいいオヤジの【もの】になってる。彼女のそんな姿を、僕は見たくなかった。
今にして思えば、鷹野君のお母さんはお母さんなりに考えて、そのオヤジと一緒になったのだろう。子供には父親が必要だとか、経済的な事情だとか、理由はいくらだって考えられる。でも、当時の僕にはそんなことは全く理解できなかったし、ここでもまた、現実の理不尽さばかりを感じていた。
僕は今でも、「十分なお金さえあれば、鷹野君の運命は変えられたんじゃないか?」って思ってる。勿論、僕にも責任はあるけれども、取り巻きの質が悪化したのも、勉強が急に出来なくなったのも、家庭環境の変化が原因だったのかもしれない。そう思うのだ。
思えば僕の引っ越しだって、母が少しでも家賃の安い公団住宅に引っ越そうと、短絡的に考えたからだった。僕はそのせいで、会おうと思えばいつでも会えた大切な親友を失った。たかだか金がないだけの話で、僕は僕の大切な友人を失い、僕の好きだった人たちも、皆不幸になった訳だ。
僕の人生は、ずっとそんなことの繰り返しだ。僕がガキの頃から金稼ぎにいそしみ、相場で身を立てながらも、「金が一番に来る奴は嫌い」と口を酸っぱくして言うのは、この頃のこういう苦い経験があるからだと思う。
僕は今でも、鷹野君と鷹野君の母親の事を愛している。だから、夢を見たくらいで泣くのだ。だけど正直、この思い出はあまり掘り返したくはなかった。僕もまた、彼を不幸にした責任者の一人であり、あの引っ越しが、母を憎むようになった最初の切っ掛けだと思うからだ。
勿論、僕が引っ越さなかった場合の彼の人生を知ることは出来ない。もしかしたら、僕のせいで、何かひどい目に遭ったかもしれない。だけど、僕の母親が短絡的に引っ越しなんかしなかったら、少なくとも彼の取り巻きが、あんなに劣化することはなかった。僕が阻止するに決まっているからだ。
僕と鷹野君は、別々の高校に進んだ。僕は彼の取り巻きとオヤジに会いたくなかったから、高校時代は片手で数えられるほどしか、彼に会っていない。早稲田に進学してからは、声を聴くことすらなくなった。次に再会したのは、大学生活も終盤に差し掛かってからだ。しかも、約束して会った訳じゃない。
帰省時にたまたま入ったスーパーで、鷹野君はレジ打ちをしていた。ガキの頃、皆のアイドルだった鷹野君が、人影もまばらな夜のスーパーでレジ打ちをしていたのだ。気づいたのは、既にレジに並んでしまった後だった。向こうもようやく僕に気づいた。
鷹野君の表情には、「僕にだけは、そんな姿を見られたくない」という強い思いを感じた。僕はショックで、何か買い忘れがあるような振りをして慌ててレジを離れた。商品を棚に返し、一刻も早くその場から離れたくて、慌てて店を飛び出した。駆けながら僕は、あふれる涙を抑えきれなかった。
鷹野君に全く非がなかったとは言わない。だけど、もし家庭環境に激変がなかったら、そして、【取り巻き】が悪くなかったら、鷹野君は僕が子供の頃に思い描いていたように、日の当たる舞台で立派な仕事をしてたんじゃないだろうか? そんな風に思えて仕方なかったのだ。
今みたいに、携帯やメールがあったなら、少し違っただろうと思う。だけど当時の僕には、家の電話だって気軽には使えなかった。僕の母は、お金の無駄遣いには異常に厳しい人だったからだ。大学時代も電話こそ引いていたけれど、長距離は高くて(昔の電話は、距離の長さで通話料が跳ね上がった)、こちらから電話をかけることは殆どなかった。
僕だって、同じようになる可能性はあった。僕はたまたま口が達者だったから、大人とも普通に駆引きができて、自分の小遣いを自分で稼げたけど、もしそうじゃなかったら、「皆が持ってるファミコンすらやらせて貰えない」と、荒んでいたに違いないと思う。
それに結局、転売好きが高じて相場に嵌り、お上に付け狙われるような生活を送っているのだから、結局は道を踏み外したのと同じことだ。
一体何が悪かったのだろう? すべては金がない事から来ていると僕は思う。鷹野君のお母さんは、彼を傷つけようと思って、あのオヤジと一緒になった訳じゃないだろう。彼の事を大事に思い、彼の将来のためにお金が必要だと思ったからこそ、あのオヤジと一緒になったはずだ。
そう思いたくなる程に、あのオヤジにはいいところが一つもなかった。一番辛いのは、僕が本気で何とかしようと思えば、何とか出来る立場だったことだ。だけど僕は、おそらくは鷹野君が一番辛かった時に、ファミコンと小遣い稼ぎに没頭していた。目先の快楽におぼれ、自分にとって、一番大切なものを失っていたことに気づかなかった。
これは別に鷹野君だけの話じゃない。いったい何人の人間が、金や家族を理由に僕の元を離れていったことだろう。
「金が一番に来る奴はクソだ」
「家族を、【言い訳】にする奴はクソだ」と、僕が口癖のように言うのは、多分この頃の苦い記憶に原因がある。
鷹野君のお母さんは、悪くない。悪いのは、「人間は家族の幸せの為に生きるべき」という、世間からの同調圧力だ。最初は誰も悪くなかったはずなのに、善意が自分を、そして周囲の人をも傷つける。家族への執着が恐ろしいのは、正にここだ。正しくない事だなんて誰も思わないからこそ、深みに嵌る。
「家族は助け合わなければ生きていけない」と、子供の頃から、僕は何度も母から言い聞かされた。子供の頃の僕はそれを当然だと思い、僕らを養うために働く母を尊敬し、自分の要求を表に出すことは殆どなかった。母に迷惑をかけない事が、自分にできる唯一の事だと思い込んでいたからだ。
母から理不尽な扱いを受けても、僕は常に我慢した。癇癪が収まるまで物音一つ立てずに部屋に潜み、少し機嫌がよくなったのを見て取ると、殆ど自分に非のない事であっても、必ず自分から詫びた。「この人に逆らっては生きていけない」と、本能的に察知していたからだ。
地震や台風で家が壊されても、運が悪いと嘆くことはあっても、怒る人間は殆どいないだろう。僕にとって、母親とはそういう存在だった。愛されなかったとは言わないが、女性という生き物に対する根源的な不信感と、「どうして僕だけ……」という不平等感は、全てこの母の立ち振る舞いからきている。
機嫌がいい時の菩薩のような母と、機嫌が悪い時の烈火のように怒り狂う母――どっちが本当の姿なのだろうかと、幼いころの僕は何度も思い悩んだ。そのうち僕は考えるのを止め、どんなに辛くとも決して笑顔を絶やさず、自分の本心を隠す卑屈な人格を作り上げていったのだ。
家族という概念は、この社会の枠組みを維持し、自分一人では何一つ決められない弱者たちが、【はみ出し者】にならないために存在するものだ。だからヤクザは、擬制的な家族関係を他人同士で結ぶし、親のいう事には絶対服従する。親に歯向かう時は、命を取り合う覚悟でやらなきゃいけない。
貴方がたの言ってることは、基本的にそれと同じだ。「何を置いても家族が一番」という考え方は、本質的にはヤクザのそれと変わらない。僕は別に、家族制度を否定しないけれど、「自分たちが正しい」と主張しながら、反社会勢力を白眼視する行為は、自己矛盾も甚だしい。
自分で考え、自分で決める。自分の行動の責任は、全て自分でとる。そういう生き方が認められても何もおかしくないのに、日本ではそういう生き方は、とても奇異に受け取められる。そして僕も、そういう呪縛に捕らわれ続けた一人だ。
そんな母の呪縛を断ち切ってくれたのが相場だった。信じていた仲間に裏切られ、お上に追い掛け回されるようになった時、母はかつて苦楽を共にした僕よりも、再婚後の新しい家族を選んだ。
「お父さんに迷惑はかけられない。それに、〇〇が可哀想だ」
母ははっきりそう言った。ここでのお父さんは僕の義父であり、〇〇の部分は再婚後に生まれた僕の妹を意味する。
僕は黙って、養子縁組の解除を受け入れた。お上が居場所を探りに来たら、「勘当したと言ってください」と、こちらから頼んだ。そしてそれから、ずっと一人だ。
実の親から縁を切られて初めて、僕はようやく自分が間違ってたことに気づいた。仲間は愚か、実の親にすら捨てられた僕は、「家族なんて信じても無駄だ」と自信を持って言える。愛する者の為に生きるのは、本当に素晴らしいことだし、僕は今でもそれが正しいと信じているが、果たして【家族】がその対象に当たるかを、もう一度よく考えてみた方がいい。
多分それは、強力な刷り込みに過ぎないからだ。
人間は基本的に自分の事しか考えない生き物であり、自分の立場が危うくなれば、身内ですら平気で切り捨てる。他人なら、猶更だ。そして僕には、家庭を全く顧みなかった父と、「今」を維持するためなら息子すら切り捨てる母の血が、間違いなく流れているのだ。
つまり僕には、真っ当な幸せを掴む権利や資格がない。おそらくは、その能力もない。僕に出来ることは、この不幸の連鎖を僕の代で止めることだけだ。
そのことを教えてくれた相場には、心の底から感謝している。
(続く)
まだまだ続きます。