第1話 「本当はちゃんとしたいけど、ちゃんと出来ない人の話」
自分でも気落ちした時に良く読み返す文章です。気に入ってもらえると嬉しいです。
こういう事書くと、怒られるかもしれないんだけど、「皆、本当に9時から会社行って働いてるのかなあ……」って思うことがよくある。
ちゃんと出来る人は、ちゃんとすればいいけど、世の中には一定数ちゃんと出来ない人がいて、ちゃんと出来ない人にも、「怠惰でちゃんと出来ない人」と、「ホントはちゃんとしたいんだけど、ちゃんと出来ない人」の二種類がいると思うんだよね。僕は後者なんだけど、結局怒られるのは一緒な訳で、それって理不尽だと思ってずっと生きてきた。
まあ勿論、基本、昼間っから株やってる奴とかクズなんだけど、それでも僕が株を止めないのは、止めたらきっと早起きすらしなくなるって恐怖からだ。ちゃんとしてない人は、大体朝が弱いけど、僕は何時に寝ようが、8時半には起きて寄り付きを見る。それが僕の中の、最低限の【ちゃんとしたこと】なの。
まあ、ちゃんとした人は、そもそも金融庁に追っかけまわされたりしない。だけど、そういう事はまったく気にしないにもかかわらず、普通の人が普通に出来ることが出来ないことに対しては、ガキの頃から恐怖心がある。例えば、逆上がりが出来ないとか。
まあ、逆上がりなんか出来なくても人生何も困らないし、体が睡眠を欲してるのに無理やり起きるとか、健康のためには良くないと思うんだけど、「怖い」から起きる。じゃあ、その怖さの源泉がどこにあるのかっていうと、多分ガキの頃に「ちゃんとしなさい」って、親から言い続けられたことだと思うんだよね。
で、最初の話に戻るんだけど、やればちゃんと出来る子にはやらせりゃいいと僕も思う。だけど、やりたくても出来ない子にそれを言い続けても、「なんで自分は出来ないのかなあ……」っていうネガティブな気持ちが溜まるだけで、何にもならない。少なくとも僕はそうで、今でもそれを引きずってる。
水木しげるの親父は偉くて、まあ、自分がしっかりしてないせいもあると思うんだけど、息子が昼まで寝てて、飯は人一倍食って、絵ばかり描いてても、「何とかなるだろ」って、ほっといた。まあたぶん、コイツに何言っても無駄って思ったんだろうけど、実際それで水木しげるは93歳まで生きて、戦争で左腕を失ったにもかかわらず、凄いマンガを一杯描いた訳だ。
まあ、水木しげるが本当はちゃんとしたかった人だったかは、僕にはわからない。ただ、ほぼ確実に言えることは、「本人がちゃんとしたいと思ってても出来ないことを、ちゃんとしなさい」という事には何の意味もないってことだ。多分そういう行為のせいで、優秀な才能が沢山潰されたんじゃないかって思う。
そもそも僕の親からして、僕にちゃんとしろという割には全然ちゃんとしてなくて、「お母さんは働いてるんだから、ギリギリまで寝ます」っていって、マジでギリギリまで寝る人だった。僕は、その母親が再婚するまで、親に朝飯を作ってもらったことがない。でも、その事には感謝してる。
「自分で出来ることは、自分で何とかする」ってことを学んだからだ。今でも僕は、晩飯をわざと少しだけ残したりするし、お腹いっぱいで食べられない時にも、残り物は絶対に捨てない。それは多分、「起きた時に何も食べるものがなかったら悲しいなあ……」っていう、ガキの頃の気持ちが残ってるからだと思う。
とはいえ僕は、別に不良少年になったりはしなかった。「働いて、お金を稼いでる人が一番偉い」っていう気持ちはガキの頃からあったから、母が寝るのは当然だと思ってたし、有給とか言うシステムを知らなかった僕は(今でもよく知らない)、母親が体調不良で寝込んでる時に、これでお金が貰えなくなるんじゃないかって、そっちの方がよっぽど不安だったくらいだ。
晩飯はちゃんと作ってくれたし、仕事が忙しくてどうしても作れない時には、お金がおいてあって自由に使えた。それもまた感謝してることの一つで、僕はガキの頃から、その金をいかに有意義に使うかに頭を働かせてた。つまり、ガキの頃から限界効用について自然に学んでいた訳だ。それは絶対、今に活きてる。
要するに、彼女は子どもへの愛情がなかった訳じゃなくて、ただ単純に朝起きられないダメな人だっただけだ。もし僕の母親が、中途半端にちゃんとした人で、ブツブツ言いながらも起きて子供に朝飯を作ってくれるような人だったら、僕はすっげえ、つまらない人間になってただろう。
だからまあ、今この文章を読んでくれてる人に、どれくらい親がいるのか知らないけど、自分のガキがちゃんと出来なくても、「ちゃんとしろ」とはなるべく言わないで上げて欲しい。自分がちゃんと出来ない人間なら猶更だ。なんでも人並みに出来るようになることは、意外と難易度が高い上に、先の人生において大して役に立たない。
早起きが出来なかろうと、お片付けが出来なかろうと、別に致命的な欠陥にはならない。何か人並み以上にやれることを見つけて、やれないことは人にやってもらうか、やらなくて済むようにすればいいだけだ。「自分は人並みのことすら出来ないダメ人間なんだ」と思いこんじゃうのが、一番まずい。
そもそも僕は、自分がちゃんと出来ないからこそ、「確かにちゃんと出来ないけれど、それでも怠惰でやってない奴とは違うんだ」ってことを説明したくて、口が達者になった気がする。そして、数少ない自分の強みを見つけて、相場の世界で金を掴んだ。
僕の本当の才能は、口じゃない。トレードでもない。どんな状況であっても、面白いと思う事を自分で見つけて、それを延々とやってられることだ。不幸を楽しむ才能と言ってもいい。ガキの頃の、「やべえ、飯がねえ。どうしよう」から始まって、「やべえ、ガサ入った。どうしよう」まで行きついたけど、結局全部どうにかなった。
勿論ちゃんとしてないと、不幸はどんどんやって来るし、人もどんどん消えていく。だけど僕は、最初に書いた通り、全然ちゃんとしてないんだけど【本当はちゃんとしたい】人間だ。そして、そんな僕の今の一番の関心は、
「いい年したおっさんの僕が、未経験から作家になって、本当に才能のある若い奴をどんどん作家にしたいなあ……」
である。それを知ってる奴だけが、今の僕の周りには残ってる。
勿論、それは難しい。一昔前なら、作家の支援どころか、映画一本作れるくらいのお金があったけど、コロナのお陰でほとんど全部なくなった。でも、「もしここから何とか出来たら、すげえ痛快だろうな」って、僕の中の【不幸を楽しむ才能】が叫んでる。
だから今、僕はなろうで小説を書いてる。ここ数年、ずっと僕の傍で支えてくれたDJ君はもういないけど、僕の中の不幸を楽しむ才能だけはまだ生きてる。ダメで元々なんだから、やらなきゃ損だ。
「やべえ、もう無理! 絶対詰んだ!」ってとこまで追い込まれて初めて、奇跡的なアイデアが降りて来たり、異常な行動力が生まれて来たりすることが、モノを創る人間にはよくある。今の僕はそういう状態だ。最近はFANBOXの支援者も頭打ちで、いくら書いても全然お金が集まらない状態だけど、そういう状況も、それはそれで楽しんでる。
僕はドMだから、相場でいくら大損しようとめげない。むしろ喜ぶ。相場稼いで喜んでる奴なんか、相場の事を何もわかっちゃいない素人だ。相場の本当の醍醐味は、自身の全力を尽くして相場を作り、無慈悲に全財産持ってかれることにある。
僕はそれを何度も味わってなお、相場作りを諦めようと思った事は一度もない。無事に作家になれるか、もしなれなかったとしても、自分の全力を尽くして闇人妻の最終回を書き終えたら、また相場の世界に復帰しようと思ってる。だらだらやるつもりはない。ここ半年か、長くても一年間の勝負だ。
【無謀な目標に挑むことそのもの】が、生きる喜びなんじゃないかと、物心ついてからの僕はずっと思っていた。そしてそれは、僕が「ちゃんと出来ないのに、本当はちゃんとしたい」人間だから出来るんだと思ってる。ちゃんとした人間は、勝つ勝負しかしない。怠惰な人間は、そもそも挑まない。【ちゃんと出来ないのに、ちゃんとしたい人間】だけに、挑む権利はあるのだ。
「ちゃんと生きて、ちゃんとした人間と結婚して、ちゃんとした人間を育てて、それの何が楽しいの?」と、本気で思う。まあ僕はちゃんとしてないから、そういう生き方にも喜びはあるのかもしれないけど、ちゃんとしたもの同士が結婚しても、子どもがまともに育ってない例を、僕は沢山知っている。
それは、親がどんなに優秀な人であろうと、「ちゃんとしたくても、ちゃんと出来ない人間」が一定数生まれてくるからだ。ちゃんと出来る人間は、そういう人間の気持ちが分からない。そういう人間が存在することを、想像することすら出来ない。ただ、怠惰だったり、能力が劣ってると見なして叱るだけだ。それで子供がまともに育つ訳がない。僕はずっと、そういう状況を納得いかないと思って生きてきた。
もし僕が、そういう鬱屈とした気持ちを表現できない人間だったら、地獄だったと思う。そして、そういう生き地獄を現在進行形で送ってる人間が、今も沢山いるだろう。まともにも、馬鹿にもなれない、「ちゃんとしたくても、ちゃんと出来ない」人間が、この世で一番割を食ってると、僕は思う。
怠惰は恥ずべきだけど、出来ないことを恥じるな。出来ないにもかかわらず、それでもなお、ちゃんとした人間でありたいと願うことは、貴方がまだ真っ当な人間である証拠だ。出来ることを探せばいい。どんな人間にでも、一つや二つは出来ることがある。逆に言うと、普通はそれくらいしか出来ることはない。
一つか二つしか出来ることはないのに、それ以外の事をやろうしてるんだから、失敗するのは当たり前だ。貴方の目から、【出来る】ように見える人は、出来ることしかやってないか、本当は出来ないことを出来るふりして、こっちをバカにしてるだけだ。騙されちゃいけない。
まずは一つ出来ることを見つけて、自信を回復して、それから出来ないことに挑もう。そしたら、少なくとも自分自身は幸せになれる。挑んでもおそらく失敗するだろうが、その失敗はもう貴方を不幸にはしない。出来る人が出来ない、「失敗を覚悟で挑む」という崇高な行為を、既に貴方は成し遂げているからだ。
そしていつか成功した時、つまり、無謀な目標に挑みそれを成し遂げた時、「僕もこの辺に金脈があると思ってたんだけどね」と言わんばかりに【出来る】人間が、わんさと押し掛ける。貴方を「怠惰だ」と、「能無し」だとバカにしてきた連中が、貴方の真似をし始める。その時こそ、復讐のチャンスだ。
にっこり笑って、握手でもしながら言ってやれ。
「貴方のおかげで、ここまで来れました」と。
皮肉が通じる奴も、通じない奴もいるが、この瞬間は最高に気持ちいい。このセリフに文句を言える奴はいないから、安心して使うといい。人間的にも、実績的にも、貴方が【出来る奴】の上に立った瞬間だ。
正直ここまで来たら、今まで自分の事を馬鹿にしてきた連中のことなど、歯牙にもかけていないだろう。僕は人間が出来てないから、思いっきり皮肉を込めてやり返すけど、もしかしたら、本心からそう言える人だっているかもしれない。
もし、僕のこのエッセイを読んで、そういう人が出て来てくれたら滅茶苦茶嬉しい。僕は幸せそうな奴らを見ると、「ふざけんな、死ねよ」って平気で口に出す奴だけど、自分と同じような人間、つまり、「ちゃんとしたいと思ってるけど、ちゃんと出来なかった」人間の成功ならば、心の底から祝福できるからだ。
今までずっと口に出来なかった気持ちを、言葉にしてくれたと思った人間が多分いるはずだ。そう信じてずっと書いてきた。そういう人間に勇気を与え、一歩足を踏み出させるのが、おそらくは僕の役割なんだろう。作家になるっていうのは、今を下を向いて生きてる人たちに、希望を持ってもらうための「過程」に過ぎない。
僕は自分の言葉が真実であることを証明するためなら、これから先の人生でいくらだって失敗し、ケラケラ笑って生きようと思う。
いつの日か、「あの時の、伊集院さんのセリフが使えました!」っていう連絡が来る、その日までね。
(おしまい)
こんな感じで、エッセイとかも書いていきたいと思います。最新情報はTwitterで公開してますので、フォローよろしく。
伊集院アケミ
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