ハルザールの木馬
婆様、三度の登場です。
おや学者さん、大岩は見に行きなすったかね。
ふむ、ま、あれ以外には田舎なりの物しかこの辺には無いで、都に比べたら退屈かもしれんのう。
……また何か話を、と。
ふむ、じゃあこんな話ゃあ、ご存知かね。
この村が出来るより少し前の話じゃ。
西の方、ベイリンの山を背にした盆地に、大きな森に引っ付く様な形で、ベッケンちゅう村があった。
そこの村長は長い事子宝に恵まれなんだが、四十手前でどうにか赤ん坊を授かった。
玉のような男の子で、村長は大層喜んだ。
あんまりにも嬉しかったもんじゃから、子供が立派に育つ様にと、良い玩具を与えとうなった。
そこで、村の職人に頼んで、木馬を作らせた。
真っ白な体に、赤や黄色や緑の色鮮やかな模様を入れた、小さな子供が跨って遊べる綺麗な木馬じゃった。
木馬はまだはいはいも出来ぬ赤子の枕元に飾られ、子供が大きゅうなって自分に乗れる様になるのを、楽しみに待っておった。
ハルザールと名付けられたその赤子はすくすく育ち、やがて木馬で遊ぶ様になった。
小さなハルザールにとって木馬はお気に入りの玩具で、暇さえあれば木馬に跨っては、手足をばたつかせたり、楽しげな笑い声を上げておった。
年を経てハルザールは立派な若者に成長したが、木馬は相変わらずハルザールの宝物じゃった。
もちろん、跨って遊ぶ事なんぞはせなんだが、いつでも見たり触れたり出来る様、寝床の側に飾られておった。
「いずれ、私も子供を授かる日が来るだろう。
そうしたら、その子のお供をしてやっておくれ」
時折ハルザールはお気に入りの木馬を撫でてやりながら、そんな事を言うておった。
そんなある年の春、この国と東の国との間で戦が起こった。
村からも男手を出す事になり、ハルザールも戦の支度を整える事になった。
出立の前の晩、ハルザールは木馬を撫でてやりながら、こう言った。
「戦とあれば死ぬ事もあろう。
けれど、私はちゃんと帰ってくる。
お前の背に私の子が跨るのをこの目で見ない限り、死んだりは出来ないよ」
ハルザールの言葉に、木馬は大層不安になった。
もちろん、御主人の言う通りちゃんと帰ってくるかもしれない。
けれど、御主人が危ない目に逢う時に、ここでただじっとして居なければならんと思うと、気が気で無うなった。
村じゅうが寝静まった夜更け、窓から差し込む月の光に、木馬は祈った。
「私が本物の馬の様に走れたら。
私が本物の馬の様に、御主人と一緒に戦に行けたなら。
そうしたら、私も御主人を御扶け出来るのに」
すると、木馬の耳に声が響いた。
「よろしい、お前の願いを聞き届けよう」
満月に宿る神様は木馬の願いを聞き入れ、木馬は本物の様な大きさになり、自由に動き回れるようになった。
翌朝、大きゅうなった木馬を見たハルザールは大層驚いた。
「お前、これは一体どうした事だい」
木馬は嬉しそうにハルザールに言った。
「神様が私の願いをお聞き下さいました。
これで御主人と一緒に戦に行けます」
この言葉にハルザールも大層喜び、木馬を自分の騎馬として、意気揚々と戦へと赴いた。
軍の集まった所へ着くと、ハルザールの木馬は皆から怪しがられた。
じゃが何より、白い体に色鮮やかな模様の入った木馬に跨るハルザールの姿は、皆の目には滑稽に映った。
指をさして哂う者も大勢おったで、木馬は憤慨し、ハルザールはちぃと気落ちしてしもうた。
「御主人、気を落とさないで。
哂った奴ばらめ、今に見ているがいい。
私と御主人は、きっと大きな手柄を立ててやるぞ」
木馬の励ましで、ハルザールは気持ちを奮い立たせた。
いざ戦が始まるや否や、ハルザールと木馬は真っ先に駆け込んで、群がる敵を斬りつけ蹴りつけ、散々にかき回した。
その日の働きは正にハルザールが功名一番という事で、大将からお褒めの言葉を頂いた程じゃった。
戦はこっちの軍が押しておった。
東の国の軍は、こちらの軍に押されてじわじわと下がり、野を進み、山の麓を回り、大きな川も越えて、夏が過ぎても戦は続いた。
ある時、ハルザールを含めた騎馬武者達に、敵の軍へ切り込むよう、命令が下った。
皆勇んで敵軍へと突撃したが、この日は敵が上手い事陣を敷いておって、騎馬武者達は大勢の敵に取り囲まれてしもうた。
ハルザール達は命からがら逃げ出したが、敵はどんどん追いすがって来る。
やがて川に行き当たったが、川は深く、流れも速かったので、馬たちは泳いで渡るのに難渋しておった。
大半の馬が水に溺れて流されてしもうて、ハルザールは怖気付いたが、木馬はハルザールを励ましてこう言った。
「私は木馬ですから、深い川でも浮いて渡れます。
大丈夫です、御主人。
きっと逃げ切れます」
励まされたハルザールは、思い切って川へと乗り入れた。
その言葉通り木馬は水に浮いたので、ハルザールは無事対岸へと辿り着いて、味方の元へと逃げ戻った。
一時は押し返された物の、戦はそのままこちらが押し続け、やがて敵軍はすっかり追い詰められた。
今こそ決着と、こちらの軍は一斉に敵軍へと攻めかかった。
じゃが、敵軍はこのまま負けるのは業腹とばかり、お互いの軍が入り乱れた所で、そこらじゅうに火をつけて回った。
ちょうど戦場は草っぱらで、秋も近い時期じゃったもんで、それこそ辺り一面、瞬く間に火の海となってしもうた。
敵も味方も、火の無い所を捜し求めて逃げ惑うたが、ハルザール達も同じじゃった。
幸い木馬は充分足も速く、またハルザールはちゃんと安全な場所を見定められたで、どうにかこうにか逃げ出した。
じゃが、木馬は逃げる途中に燃えた叢を踏んでしまい、その足にはとうとう火がついてしもうた。
足元を燃やしながら、それでも木馬はハルザールの言う通りに駆け、草も少ない安全な場所へと辿り着いた。
それと同時に、途中まで燃えておった木馬の足は、ぽっきりと折れてしもうた。
ハルザールはマントや砂で必死に火を消そうとしたが、木馬は全ての足と体の半分以上を失い、とうとう動くことも出来なくなってしもうた。
「御主人、私はもう動けません。
最後までご一緒出来ず、申し訳有りません」
木馬は力なくそう言うと、焼け焦げた元の小さな木馬に戻ってしもうた。
戦が終わり、ベッケンの村へと戻ってきたハルザールは、持ち帰った木馬の亡骸を家の裏庭へと葬った。
やがてハルザールも嫁を娶り、子宝も授かったが、その子供の為に木馬は作らなかったそうじゃ。
ベッケンの村は、もう無うなってしもうとる。
一度、山津波があっての。
その後、あの辺りにはまた別の村が出来て、今じゃあこの村より、よっぽど大きゅうなっとるよ。