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千年書館 ―悠久恋書―5 (上)

5.王女と服と祝祭と



 ――――人間(ひと)でないから、何だと言うのか。




 お見舞い用の匂いが控え目で色彩鮮やかな花束を手に、カノンはルドルフの病室を探して病院の廊下を歩いていた。

 消毒液の臭いやキュッと音の鳴る独特の廊下。昼の時間帯という事もあり、カノンのようにお見舞いに来ている人やリハビリをする人とすれ違う。

「あ。ここかな」

 病室に足を踏み入れる。

 六人部屋の窓側。大部屋だが、今この部屋に入っているのはルドルフだけのようで、他のベッドは空っぽだ。

「失礼します。ルドルフさん」

「君か……」

 ベッドの上で上体を起こし、ルドルフは読んでいた本から顔を上げてカノンを見た。

「御加減いかがですか?」

「大分回復した。来週には復帰出来る見込みだ」

「それなら良かったです」

 それほど多くない小さな花束は、先客が生けた花瓶に足す形になる。すぐに帰るのも何だからとルドルフはカノンにベッドの横にある椅子を勧めた。

「つい先日、君の上司も来た」

「えっ。メーラ先生達が、ですか?」

「ああ。まあ、金髪の彼が主に話して、あれはただついてきただけに見えたがな」

 パロマが話してメーラはおまけにいるだけだったと言うルドルフに、それでも一応お見舞いにメーラが来たことにカノンは驚きを隠せない。基本的に開館時は誰かが分館に残らなければならないので、その時はセレーヤが残ったのだろう。

「館長補佐として、早く復帰しなくては。本館の仕事も支障が出ているようだ」

 カノンは知らなかったが、メーラ達とルヴィやクーベルトが本館に代わる代わる手伝いにも行っているようで、その報告を受けたのだと言う。

「トーヤが、迷惑をかけたと聞いた」

 その言葉に思わずあの光景を思い出して身体が小さく震えた。

 そんなカノンの様子を見逃さず、不意にルドルフが頭を下げた。

「ルドルフさん?」

「すまない。本館の者が掛けた迷惑は、館長代理を務める私の責任だ」

「頭を上げて下さい! あの、大丈夫ですから」

 カノンが何とか頼み込むようにそう言って、ようやくルドルフが頭を上げる。

「トーヤさん、今はまだ、安静にしないとってパロマ先生が言ってました、けど、大分安定してきたって」

「そうか……」

 少しだけ安堵したようにルドルフは息を吐く。その様子がカノンには少し不思議に見えて、我知らず首を傾げた。

「…………トーヤは、私にとって家族同然でな」

 家族同然、と言うことは血の繋がりはないのだろう。

「私が館長補佐になって初めて採用した奨学生だ」




「メーのバカ……」

「…………」

 丘の上に立つ図書分館。宿直できるようにと造られた宿泊棟の食堂では、メーラたち特級司書とルドヴィヒにクーベルトが顔をつき合わせていた。

「メーの、バーカ」

 セレーヤの半眼と不機嫌満載の声がメーラに突き刺さる。

 その原因はメーラがカノンに大司書のはなれないとキッパリハッキリ言って突きつけたからだ。

「後で知るより、いいでしょ」

 ぶすっとした顔でそう言うメーラに、セレーヤが返す。

「成れないとは限らない、よ」

「努力して、それでも成れない絶望を与えたいの?」

「そんなこと、言ってない」

「あー。はいはい、メーラさん、セレーヤさん、落ち着いて」

 ルドヴィヒが言い合う二人の間に入る。

「とにかく、謝って。カノンに、メーは謝って!」

「なんっで、俺が!」

「あーもう! 二人とも、落ち着いて下さいよぉ!」

 聞き分けのない特級司書(上司達)にルドヴィヒがサラサラの金髪を掻き乱す。

「貴方がたいい歳して子供みたいな事しないで下さい」

「お二人とも、そろそろ背後をご覧になった方が良いですよ」

 クーベルトの言葉にメーラとセレーヤが「後ろ?」と振り返り、同時に前に向き直る。

 目の笑っていないパロマの微笑みがそこにあった。

 「ところでメーラさん、あの時、土壇場(どたんば)で言うこと変えたでしょ」

 パロマのお小言をメーラとセレーヤが聴き終えた後、ようやく落ち着いた食堂にて、紅茶をすすりながらルドヴィヒがそう言う。

「…………」

 その指摘にメーラは唇を引き結び視線を逸らす。

 それはその指摘が痛いところを突いている証拠(しょうこ)だ。

「はぁ……。意外とメーラさんてヘタレですよね」

「ちょっと」

 ムッとして言い返そうとするメーラだが、実際ヘタレ以外の何者でもない行動をしていると自覚している為、ルドヴィヒ及びセレーヤのジトッとした視線に何も言えなくなる。

「前にパロマさんにも言ったんですが、何がそんなに怖いのか俺にはわかりません。カノンちゃんはメーラさん達の事を知っても、何も変わらないと思いますけど」

 ルドヴィヒの言葉に今度はメーラがジト目になった。

「俺達の事はともかくとして、ちょっとそれも心配なんだけど。魔法使いとか今どき信じる? 全然疑ってなかったのはどうなの」

「良いじゃないですか。素直で。何が問題何ですか」

「いや、素直過ぎ。頭の心配するよ」

 今どき高等部に通う歳で、魔法や人以外の存在を信じてるなんて、うちの子いじめられるんじゃない?

 そんな顔でメーラは溜め息をつく。

「頭の心配って……。じゃあ拒否された方が良かったんですか」

「そうは言ってない。けど」

 ルドヴィヒとてメーラの心配がわからないわけではない。しかし、メーラが言うほどの問題でもないと思うのだ。

「あんまりいじめてると、嫌われちゃいますよー」

 呆れ混じりにルドヴィヒが呟く。

「いじめてない! 俺がいつカノンをいじめたって言うの!」

「成れないって、言うのは違うって言うの?」

「だから」

「あーもう! 本当に二人とも頭冷してくれません!?」

 再び火がついたメーラとセレーヤの言い合いに、ルドヴィヒが悲鳴を上げる。

「二人とも、いい加減にして下さいね?」

 ひやっとする冷気にメーラ達のみならずルドヴィヒも凍りつく。

「メーラ」

「…………」

「セレーヤ」

「…………」

 パロマがそれぞれを見て、言う。

御主人様(マスター)なら、何ておっしゃると思います?」

 二人がその言葉に互いを見て静かになる。

「えーと、何て言う人だったんですか?」

 呑み込めないルドヴィヒが手を上げて聞く。

 パロマはそれに小さく笑って。

「『喧嘩両成敗(ケンカりょうせいばーい)!』でしょうか」

「…………大司書(ライブリア)は思ったより気さくな方だったのですね」

「ふふ。そうですね。優しく強く……どことなく、カノンさんと通ずる雰囲気があります」

 パロマはちらりとメーラを見た。

「だからこそ、最後の最後で言えなかったのでしょう? メーラ」

 むすっとしたメーラが、そっぽを向きながら返す。

「何を」

「私達が『幻想化身(イマジンアバター)』だと」



     ◆ ◆ ◆



「トーヤは君のように両親を亡くし、身寄りがなくなった。そこで私が奨学生として受け入れたんだ」

 しかし、とルドルフは言葉を続ける。

「昔から……いざとなると緊張するのか、実力を発揮できない性質(たち)でな」

 何度も試験に落ちた。

 後輩にも追い抜かれ、段々とその背は小さく、丸まって。

「少しだけ。少し休めればと……」

 表作業から裏方に。それは休んでまた歩いて欲しかったから。

「だが、それは……違う意味で伝わってしまった」

 休めば心も回復すると思っていた。

 けれど、その為に取るべき行動を、間違えた。

「違う意味で伝わったと、気づかなかった」

「…………」

「笑い話にもならない。…………言わなくても、伝わると、勘違いして」

 ルドルフは一つため息をつく。

「君達が、羨ましかった」

「え?」

 眩しかった。真っ直ぐに、憂いに曇らず、のびのびと育っていく若芽。のびのび育てるように導けるメーラ達が。

 羨ましく、妬ましかった。

 自分の弱さを見たくなくて、目を背け、口から出たのがあの言動だ。情けない。

 本当に、愚かで小さい。

 ルドルフの口許に浮かぶ苦い笑みが、そう言っているようで。

 そんな様子見て、言葉を黙って聞いていたカノンは思う。

(でもそれは、誰でもある、普通の事なんじゃないかな?)

 羨ましい。妬ましい。

 誰かと自分を比べたりして、そう思う心は、誰でも抱く可能性がある。

 悔しい。苦しい。辛い。

 良い感情だけでなく、負の感情があるからこそ、それをどうにかしたいって思うのだ。

 失敗して、上手くいかなくて、泣きそうになる。

 誰かに八つ当たりして、そんな自分が嫌で。

「私も、そういうこと、ありますよ」

 誰だって、そんな一瞬がある。

 上手くいかない。思い通りにいかない。伝わらない。

「でも、負けたくないなっていう事も思うんです」

 誰に? ――――自分に。

 そこで()ねて諦めてしまえば、楽かも知れない。

 でも、嫌なのだ。

 自分にだからこそ、負けたくない。そんな自分に負けるほど、悔しくて(いと)わしいことは、ないのだから。

「自分に負けて、後悔して、八つ当たりしたら、後になってきっと恥ずかしい思いしますし」

「まあ、そうだな」

「けど、わかっててもやっちゃうことって、あると思うんです」

「ふむ。君ならどうする?」

「謝ります。それから、また進みます」

 やってしまったものは仕方ない。時間は戻らない。なら、そこで止まるのは馬鹿らしい。

「君は強いな……」

「強くないから、進むんです。止まったら、きっと本当に進めなくなっちゃいますから」




「メーラさん。ちゃんと謝って下さいよ?」

「わかってるよ……」

 丘の上の分館、その玄関ポーチでルドヴィヒとメーラは立っていた。

 そろそろ黄昏も茜に変わる。森や分館の周囲に広がる草原も金色(こんじき)から赤銅(しゃくどう)に移り、そよそよと軽く頬を撫でる風も、寂しくなるような冷たさを帯びてきた。

 わかっていると言ったメーラをちらりと見れば、どこかぶすくれて腕を組んでいる。ご機嫌はあまり良くなさそうで話し掛け難い。本当に大丈夫かなこの人、とルヴィは軽い疲れを感じた。

 依然メーラは口をへの字に曲げたまま。それを見て隣のルドヴィヒが盛大にため息をつく。

「メーラさん」

「~~っ! わかって」

 ――――パッパアァ!

 聞きなれた車のクラクションと、ライトにそちらを見る。

「お待たせしました。準備できましたよ」

 紺色のメタリックカラーのワゴン車、その運転席の窓からクーベルトが顔を出す。セレーヤとパロマも後ろの席に乗って、後はメーラ達が乗り込めば出発である。

「メーラ、どうです?」

 パロマの問い掛けに、メーラが口を開く。

「周囲の見回りしてみたけど異常はなかったし、一応戸締まりの確認も問題ないよ」

「同じく。メーラさんと一緒に確認した限りは問題ないと思います」

「わかりました。二人とも、ありがとうございます」

 メーラとルドヴィヒが乗り込み、車はゆっくり動き出す。

「ルドルフの方はどうだったの?」

 ガタゴトと車体が揺れる悪路にも構わず、メーラがパロマに問い掛ける。安静にとは言うものの、図書館では流石に何かあっても医学的には対応できない。なので昼間のうちにトーヤを街の病院に移し(病室にそれとなく安全策は講じ)、そのついでに同じ病院に入院しているルドルフをパロマが見舞っていたからだ。

「お元気そうでした。命に別状もなく、何よりです」

「そ。しぶとくて何より」

 素直じゃないですね、と言いたげな顔でパロマはメーラを見るも、そこは長い付き合い。表情には出しつつもあえて口にはしない。

 舗装されていない悪路を抜けて街へ入る。やっと文明社会に道路が切り替わり、秋の日は釣瓶落(つるべお)としと言うが(ごと)く夕闇のベールが掛かり始めた街並みにメーラは葡萄酒(ワインレッド)の瞳を向ける。

「それにしても、大げさなお祭りだよね」

 たった一冊の本の発売に合わせ、開催されるには大きすぎる祭りだ。

「そこは書籍の刊行一つに盛り上がる本好きな街に喜ぶところでは?」

 クーベルトの台詞にメーラは呆れた視線を外へ向ける。

「能天気な街。だから住人も似たような感じになるんだろうね」

 それが決して嫌いではない。

 ただ、少し面白くないだけ。

「カノンちゃんは友達と一緒に先に会場入りしてるんでしたっけ?」

「ええ。そう聞いています」

 ルドヴィヒの問いにパロマは頷き、やがて車は会場近くの駐車場(パーキング)に停まる。

「あ! カノンの先生達」

 パタパタと軽い足音と共に金髪の少女が、車から降りたメーラ達へと駆け寄って来た。

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