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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第陸章 ─
82/82

其ノ拾弐 ── 逍遙桜ニ眠ル者

 時を遡り、金烏(たいよう)が空を茜色に染め始める少し前の許昌。

 その県城周辺において、(からす)こと紗鴉那(しゃあな)呉国(ごのくに)孫権(そんけん)を迎え撃っていた。


「はぁッ!」


 朱色の鎌のような武器を地面擦れ擦れから勢い良く振り上げれば、刃の如き疾風(はやて)(ゴオ)、と孫権を襲う。

 砂埃を巻き上げながら迫り来る巨大な風の刃を、彼は横に飛んで避ける──が、着地の隙を狙って紗鴉那が一気に間合いを詰め、勢い良く鎌を薙ぐ。

 しかし、孫権は半ば体制を崩しながらも、襲い来る鎌を刀でしっかり弾き返した。

 僅かな時ながら、至近距離で交錯する二人の双眸。

 互いに揺ぎ無き瞳をぶつけ合う中で、紗鴉那はふと孫権の全身に意識を集中させるが。


(──なさそうだな)


 そんな結論とともに、後ろに飛んで距離を取る。

 孫権が再び仕掛けてくる前に、紗鴉那は右眼を十字に変化させ。

 再び氷牙の短刀(丶丶丶丶丶)の気配を探る。

 もしも彼がそれを持っているならば、短刀が纏う妖気──即ち、氷牙の妖気の色が視えるはず。

 しかし、孫権からは彼自身の妖気しか見えず、短刀の妖気は見当たらない。


(……ない、と断定したいところだが、やはり確実なのは氷牙本人に確かめてもらうことか)


 十字の瞳を元に戻した直後、仕掛けてきた孫権の刀を受け止めた、刹那のこと。

 武器同士が衝突する音と重なるように、辺りの空気がキン、と冷たく張り詰めた──ような気がした。

 それは瞬く間の出来事で、本来は戦闘中であれば気付かないくらい短い時間の極僅かな変化。

 それ故、孫権はそれに気付いた素振りは見せていない。

 しかし紗鴉那は、まさに今それを(丶丶丶)待っていた(丶丶丶丶丶)


(──来た)


 待っていたが故に、瞬く間の出来事に瞬時に気付き、相手に悟られないよう顔には出さず、内心で小さく嘲笑った。

 受け止めた孫権の刀を弾き返すと、紗鴉那は追撃することなく、すぐさま距離を取り──そしてその場から姿を消す。

 怪訝そうに眉根を寄せた孫権を尻目に、紗鴉那はその場からできるだけ遠くに離れていく。

 ──彼に、転移を使わせる(丶丶丶丶)ために。

 ある程度の距離、孫権の姿が小さく見える程度に離れたところで、紗鴉那は足を止める。

 未だその場を動いていない孫権だが、そろそろ動くはず──と、思った直後には。

 刀を薙ごうとしている彼の姿が目の前に在った。

 瞬発的に薙がれた刀を、鎌で防ぐ。

 しかし、その衝撃を完全には殺しきれず、紗鴉那は刀を弾き返すも僅かに態勢を崩す。


(くっそ、分かってても対応が遅くなる……!)


 忌々しそうに内心で毒突きつつ、態勢を整えるのが間に合わないと判断した紗鴉那は、孫権が再び攻撃を仕掛けてくる様を静かに瞳に映す。

 彼に転移を使わせることは成功した。

 ──ならばもう、転移で近づかせる隙を与える必要はない。

 

「──〈斬風(キリカゼ)〉」


 ほんの一瞬の静の時間。

 その刹那、轟きと共に紗鴉那を中心とした旋風が巻き起る。

 これまでとは対応を変えてきた紗鴉那に対し、当たれば刃の如く斬られることを瞬時に悟ったらしい彼は、巻き込まれまいと間一髪、後ろに飛んで距離を取った。

 砂埃が目に入らないよう、腕をかざしながら見据える孫権の視線の先。

 先ほどまで姿を消していた紗鴉那はその場に姿を現わし、自身の周囲に風を纏いながら孫権を見返していた。

 

 姿を消している間は、孫権に紗鴉那の姿は見えていない。

 いないが、転移すればその先にいることは確実な上、武器同士の接触があれば立ち位置もある程度予測されてしまう。

 視えない相手の居場所を把握するという意味でも、転移の妖術は鴉相手には有効──紗鴉那にとってはやりにくいことこの上なく、それ故の防御手段を選んだのだった。

 そんな時。


『紗鴉那、君に刻印がある』


 どこからともなく聞こえる、聞き慣れた静かな声──氷牙からの念話。

 紗鴉那は意識を軽く会話へと集中させる。

 しかし、その瞳は相対する孫権を捉えて離さない。


『場所は』

『左肩。傷を受けた箇所』

『──成る程なぁ。把握した』

『薙瑠に孫権の妖術の仕組みを報告したら戻る。因みに孫権は〈刹華〉を持っていない』

『了解』


 会話が終わると、ほんの微かな冷気が辺りから消え去った。

 それは氷牙が妖術〈銀世界(ぎんせかい)〉を解き、薙瑠の元へ向かったことを意味していた。

 〈銀世界〉──それはより広範囲の鬼の気配を探れる妖術だが、範囲内であれば妖力の反応を感知できるほか、特定の対象に向けて念話を送ることも可能。

 それ故、今回のような転移の妖術の絡繰を見破るには相性が良かった。

 その上〈刹華〉を持っていないことが確認できたのなら上々だろう。

 しかし、となれば、だ。


 ──孫権は今、何を目的として動いているのか。


 許昌には、〈六華將(ろっかしょう)〉にとって絶対に守らねばならない存在がいる。

 この場所で遭遇した以上、呉国(彼ら)はそのことを知った上で此処に来たと思ったのだが。

 〈桜石〉の加護を破る唯一の手段、氷牙の妖刀〈刹華〉。

 それが彼らの元にあるにも関わらず、孫権は妖刀を所持していない。


(わざわざ俺を狙い、その後も許昌に向かう素振りがないことを見るに……〈桜石〉のことは知らなそうか)


 そうなると尚更、孫権の目的が不明瞭だった。

 呉を率いる彼が敢えて此処に来る、その目的。

 鴉に印をつけるためだとしても、自分に関しては既に印を付けられている。

 それも孫権ではなく、孫尚香の手によって、だ。


(……いや、今は考えていても仕方がない)


 どんな目的があろうと、献帝が狙われる可能性がないのであれば、今、己のやるべきことは(ただ)ひとつ──孫権の相手に集中するのみ。

 風の妖術を警戒しているのか、様子を見たまま仕掛けてこない孫権に対し、紗鴉那は一度妖術を解除すると、紅玉に輝く目を細めながら小さく嗤う。


「恩恵を受けているのがお前たちだけだとは思うなよ」

「何の話だ?」

「火徳。お前の〝転移〟のように、火の気を持つお前たちは、他の鬼には使えない特殊な妖術を授かる形で恩恵を受けた。言い換えれば、火の気を持つものなら誰だって現在(いま)時間(せかい)は相性が良いんだよ」


 紗鴉那の言葉に、孫権は僅かに目を丸くする。

 鴉はこれまで風の妖術は扱っていたものの、火の妖術は扱っていなかった。

 しかし、先の言葉が意味するは、己も火の気を持っている──ということに他ならない。

 実は手を抜いていたと言わんばかりの鴉の言葉に、孫権は眉根を寄せた。

 

「舐められたものだな」

「舐めてはねーよ、作戦だ作戦。大体お前も変化(へんげ)してないだろうが」

「今のところ変化(へんげ)の必要性を感じなかったからな」

「そーかよ。なら今からは本気を出した方がいいと思うぜ。さもなくば──死ぬぞ」


 そう呟いた直後。

 紗鴉那はまるで転移でもしたかのように、一瞬で孫権との間合いを詰めていた。

 わずかに反応が遅れ、目を丸くしている孫権の脇腹を、紗鴉那の大鎌が捉える直前。

 

「──ッ〈炎陽(ホムラビ)〉!」


 そんな言の葉が耳に入ったものの、紗鴉那の大鎌は孫権の身体を切り裂いていた。

 しかし手応えはなく、目の前の彼の身体は陽炎(かげろう)の如く揺らいでいる。

 幻術の一種か、と認識した直後、変化(へんげ)し和服の姿で実体化した孫権の刀が薙がれるように走るが、紗鴉那はそれを避けるため、大鎌を支えに宙返りをするようにくるりと舞う。

 鎌の柄と刀の刃がぶつかる鈍い音。

 わずかな静の時間が生まれたとき、逆さまになって宙を舞う紗鴉那と孫権の瞳が交錯する。

 その瞬間を見計らったかのように、紗鴉那は小さく笑い。


「〈紅燿(コウヨウ)飛緋花(トビヒバナ)〉」


 紗鴉那が、孫権に向けて中指を弾いた刹那。

 勢い良く放たれた数多の何か、そのうちのひとつが孫権の眼前に迫る。

 彼の瞳に映し出されたそれは、紅葉にも似た小さな火の鳥──彼がそう認識した頃には、時既に遅し。

 火の鳥の群れは、孫権の身体や地面に触れると同時に乾いたような音を立てて弾けるように爆ぜた。

 無数の破裂音と煙に包まれる様を、紗鴉那は軽快に着地しながら静かに見据える。

 破裂音が収まった頃、煙が引くのを待たずに孫権は紗鴉那との間合いを詰めて間髪を入れずに刀を薙ぐも、紗鴉那はその行動を読んでいたかのように余裕の表情で大鎌で弾き返した。

 一方で孫権は、頭からの流血のほか、華服のあちらこちらが破けて赤く染まっている。

 その状態でありながら攻撃の手を緩めず畳み掛けてくる孫権に対し、紗鴉那は軽快にいなしながら楽しそうに笑う。


「ははっ! 戦いはやっぱりこうでないと──なッ!」


 力強く、深く、一歩を踏み込む。

 踏み込んだ足に全体重を乗せながら薙いだ大鎌は、防御すべく構えた孫権の刀の芯を捉え、身体ごと勢い良く吹き飛ばした。

 態勢が崩れたこの瞬間を逃すまいと、間髪を容れず。

 

「〈紅燿(コウヨウ)鳳扇火(ホウセンカ)〉ッ!」


 大鎌を再び大きく薙ぐと、その軌道から一羽の大きな火の鳥が姿を現し、孫権目掛けて飛翔した。

 その後ろ姿を追うように、紗鴉那も追撃を狙って駆けてゆく。

 拮抗している情勢が、じわじわと傾き始める。

 ──そのことを、紗鴉那のみならず、孫権も肌で感じ取っていたらしい。

 直後、紗鴉那の瞳に映ったのは、前方にいる火の鳥を貫通して飛んできた──焔の短刀。

 それも複数本。

 紗鴉那は火の鳥が変わらず孫権に向かっていることを確認すると、足を止めて大鎌で器用に短刀を弾き返す。

 が、弾いた短刀は地面に刺さることなく、空中で方向転換して再び迫って来ていた。


(追従式かよ……!?)


 咄嗟に急上昇するも、追従する短刀は当たり前のように追ってくる。

 追従の仕組みは言わずもがな、己についてる〝印〟だろう。

 そうは分かっていても、〝印〟を消す手段がない今、できることは限られている。


(チッ……煩わしい、が、嘆いてもしょうがない)

  

 焔──実態のない妖術で作られている短刀。

 〝印〟を消すまでは一時凌ぎにしかならないが、実態がないのであれば消滅させてしまえばいい。

 空中で大きく旋回し、追従してくる複数の短刀の軌道を揃えたとき、紗鴉那は振り返って迫りくる短刀を瞳に捉えながら片腕を伸ばすと。

 

「──〈斬風〉!」


 腕を纏うように発生した風が、(ゴオ)、と音を立てながら勢い良く短刀に向かって伸びていく。

 その様は風を纏う龍さながらで、追従してくる短刀はうねる風に喰らわれ、次々と弾けるような音を立てて消滅する。

 全ての短刀が完全に消滅したことを確認すると、紗鴉那は〈斬風〉を解除して腕を下ろす。

 軽く肩を回しながら、ふと穏やかに雲を浮かばせている青い空を見上げて、ふう、と一息。


(印に向けて追従させることもできる……か、早いとこ印を消すに越したことはないな)


 そんなことを考えながら地上を見下ろせば、刀を構えている孫権の姿。

 どうやら彼も火の鳥を上手く対処したようで、こちら側の状況を伺っているようだった。

 紗鴉那の紅玉のような瞳と、孫権の琥珀色の瞳が交錯する。

 少し冷たいそよ風がお互いの髪や肌を撫でる、束の間でありながら妙に長く感じた静寂。

 孫権に転移で先手を取られる前に、紗鴉那は大鎌を手にしながら急降下──しようとしたときだった。

 

『鴉の姿を確認しました。予定通り、彼にも刻印します』


 どこからともなく、誰の声かも分からない念話が聞こえた。

 しかし内容から察するに、それは間違いなく孫権に向けてのものだろう。

 以前兄である鴉斗から話は聞いていた。

 呉国(ごのくに)には念話を使える鬼がいる、と。

 しかもその念話は、訓練された俺たち鴉なら聞くに(丶丶丶)容易いものだ(丶丶丶丶丶丶)──と。


「──ははっ」


 あまりにも丸聞こえの念話に、紗鴉那は思わず笑いを漏らす。

 念話は、情報伝達をする上でかなり重宝される特殊妖術の一種だ。

 しかし、特定の対象のみに伝える術があるならば、それを聞き取る術を持つ者も当然存在する。

 それ故、相応の対策をしなければ俺たちのように聞き取り(丶丶丶丶)に長けた相手には簡単に伝わってしまう──ということを、氷牙ならば知っていた以上、彼女が呉国(ごのくに)に居たならば対策することもできたはず。

 にも関わらず対策がなされていないということは、氷牙も敢えて助言するようなことはしなかった、ということなのだろう。


「悪いなぁ、孫権」


 紗鴉那は空中でぽつりと呟いた後。

 その場から瞬時に姿を消した。

 ──否、目にも留まらぬ速さで孫権との間合いを詰めた。


「──ッ!?」

「お前たちの念話はな」


 孫権が気付いたときには、紗鴉那は既に大鎌を構えて彼の背後を取っており。


「俺たち鴉には筒抜けなんだよッ!!」


 紗鴉那の力強い言の葉と同時に、孫権が振り返ろうと身体を捻る。

 時の流れが遅くなったかのように、ゆっくり振り返る孫権の琥珀色の瞳は、紗鴉那の動きの速さに対してか、はたまた念話を聞き取ったことに対してか、動揺の色が見て取れた。

 しかし当然、容赦する理由などなく。

 次の瞬間には、孫権の身体は紗鴉那の大鎌によって吹き飛んだ。

 傷を負わせるつもりが吹き飛ばす形になったのは、寸前で孫権が刀で受け止めていたからで、その事実に軽く舌打ちしながらも、追撃をかけるべく紗鴉那はすぐ様孫権を追う。

 一方で孫権も鬼ならではの身体能力を活かし、砂埃を巻き上げながらも両足でしっかり着地すると、追ってくる紗鴉那目掛けて地を蹴った。

 刹那、大鎌と刀がぶつかる鈍い音。

 そこからは激しい打ち合いが続いた。

 奇しくも同じ火の気を持つ者同士、立場も考えも何もかもが違うものの、お互いに譲れないもののために武器を振るう。

 長いようで短い時間、互角の打ち合いが続く──かに見えたものの。


「──〈凍華(トウカ)・乱れ咲き〉」


 第三者の声が両者の耳に届いた刹那のことだった。

 ──孫権の身体に、無数の氷華が咲き誇ったのは。


「……!?」

「おっと」


 突然の出来事に孫権が目を丸くする一方で、驚きもせずに距離を取る紗鴉那。

 打ち合いの最中に刀を薙ごうとしていた体勢のまま動きを止めている孫権の身体は、首から下のほぼ全身を無数の氷華で覆い尽くされていた。

 動けば簡単に崩れそうに見えるが、それが如何に強固な〝拘束術〟であるかを紗鴉那は知っている。


「いつから居たんだよ、危うく俺も巻き込まれるところだったじゃねーか」


 そう言う紗鴉那の視線の先、孫権の斜め後ろには、未だ呉の朱い華服を身に纏っている氷牙の姿が在った。

 彼女は孫権の横を通り過ぎ、紗鴉那の元へ近寄りながら静かに応える。


「……少し前。君なら巻き込まれても問題ないと判断した」

「問題大ありだろ、動けなくなったらどうすんだ」

「? 解毒するから問題ない」


 その解毒が苦手なんだよなぁと呟きながら、紗鴉那は孫権に近づいていく。


「悪いな、お前らの目的が分からない以上、こっちも手段は選ばない」

「……殺さないで」

「殺さねーよ、どうするかは仲達の判断を仰ぐ必要があるが、ずっと此処に置いとくわけにもいかないだろ、こいつを」

「……それはそう」

「だろ、だからちゃんと拘束するためにも一旦解放してやってくれ」

 

 どこに隠し持っていたのか、拘束用の綱を手にしている紗鴉那を見ながら小さく頷いた氷牙は、孫権に向けて片手を伸ばして掲げると。

 硝子が割れるような音と共に、孫権の身体を覆っていた氷華が飛散して消え去った。

 同時に孫権の変化も解け、ヒトの姿へと戻ったその瞬間、孫権は紗鴉那に対して攻撃──を仕掛けることはなく。

 その場に力無く倒れ込もうとしたところを、紗鴉那が器用に襟足を掴んで座らせた。

 拘束されていないにも関わらず、身動きが取れない己の状況に怪訝な顔をした孫権に対し、紗鴉那は小さく笑いながら彼の腕を背中側に拘束していく。


「さっきの氷華に麻痺毒が仕込んであったんだよ、動けはしないが話すことはできるだろ」

「相当な実力を持つ〈六華將〉ともあろう者が、目的を明かさない俺のことがそんなに恐ろしいか?」


 孫権から思いもよらぬ言葉が返ってきて、紗鴉那は先ほどとは一転、不機嫌そうな表情を浮かべる。

 

「……あ? 恐がっているようにでも見えたのならとんだ節穴だな、お前の目は」

「……紗鴉那、ただの挑発」

「分かってるって。因みに薙瑠にもついさっき連絡を入れた。早ければそのうち来ると思う……が」


 拘束を終えた紗鴉那は立ち上がると、孫権と向き合うように彼の前で胡座をかいて座り。


「なぁ、少し話をしないか」


 そんな一言を投げかけた。

 揺るぎない紅玉の瞳はしっかりと孫権の姿を捉えており、対する孫権も視線を逸らすことなく、琥珀色の瞳で真っ直ぐと見返している。

 

「お前たちの話など興味はない」

「なら聞き流してくれてもいいが、このまま話は続けるぞ。──お前の目的は、桜の鬼への復讐か?」


 復讐、という言葉に孫権の表情がわずかに険しくなるも、対話には応じる気があるようで。


「俺が私情で動いているとでも思っているのか?」

「まさか。呉を率いているあんたが復讐だけを目的にしてるとは思わないさ。

 思わないが、それ以外の理由が考えられないのも事実だ」

「……考えられない、か」


 孫権は呟くように紗鴉那の言葉を繰り返す。

 かと思えば、はは、という乾いた笑いが彼の口から漏れた。

 そんな彼の表情には何処となく笑みが浮かんでいたが、その瞳は一切笑っていない。


「確かに、俺自身の目的、と言われれば否定はできない。だが、俺が……呉国(俺たち)が桜の鬼に敵対するよう仕向けた(丶丶丶丶)のは、他でもない桜の鬼(あいつ)自身だろう」

「なら、今こうして敵対していることこそが、桜の鬼の思惑通りだとは思わなかったのか?」

「お前たちは、俺たちを甘く見過ぎだ」


 孫権の瞳が一層真剣味を帯びた。

 真っ直ぐと紗鴉那を捉えて離さない琥珀色の瞳には、ある種の決意にも似た感情が見て取れる。


「きっかけが桜の鬼によって仕向けられたものだとしても、抗うのは桜の鬼に従ったわけじゃない。これは俺たちの意志だ。俺たちは俺たちなりの考えを持ってここにいる。何でもかんでもお前たちの思惑通りに行くと思うなよ」

「分かってるさ」


 対する紗鴉那も、彼から視線を逸らすことなく言葉を続ける。


「偽りだろうが、一度刻んだ時間(とき)は正しくあろうとする……それは運命でも何でもなく、今を生きる人の意志によるものだ。あんたが今ここに来ているのも、あんた自身の意志であると同時に、そこにはあんたが守りたいと思ってる人々の意思も含まれてるはずだ。だから俺たちはちゃんと受けて立つ。──その上で忠告だ」


 孫権を見据える紗鴉那の紅い瞳が、朱く染まり出した空に呼応するように色を深める。

 紡がれる言の葉は、文字通りの忠告。


「もう気付いてるだろうが、お前たちが狙った〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉は無事だ。だが、お前の兄の死を無駄にしたくないのなら、〈逍遙樹〉だけは傷付けるな」

「……」


 紗鴉那の言葉の真偽を量っているのか、孫権は鋭い視線を向けたまま何も答えることはなかった。

 対する紗鴉那は、自身の言葉を信用されてなさそうな空気感を敏感に感じ取り、仕方なさそうに小さく一息。

 そんなときだった。

 ふと、空気が変わったような感覚。

 微かな緊張を帯びたような空気の中、どこからともなく姿を表したのは、桜の鬼である彼女──桜薙瑠。

 紗鴉那は自分の斜め後ろに現れた彼女を、小さな笑みを浮かべながら見上げる。


「なんだ、早かったじゃねーか」

「これでも子上様には報告して来ましたよ」

 

 紗鴉那の言葉に、ふわりと微笑みながら応える薙瑠。

 

其方(そちら)も思ったより早かったですね」

「まぁな、俺にかかればこんなもんだぜ」

「拘束したのは私」

「それまでの俺の努力あってこそだろ」

「……それはそう」

「ふふ、お二人の努力の賜物ですね。ところで紗鴉那様、神流様達へのご報告は?」

「これからだ。兄貴に連絡して、ついでに仲達にも判断を仰ぐよう聞いてみるな」


 よろしくお願いします、と応える薙瑠の声を背に、紗鴉那は距離を取るべく立ち上がってその場を離れて行く。

 そんな鴉の背を少し見送った後、薙瑠はふう、と一息ついてから、座らされている孫権に視線を移した。


「初めまして、ですね?」

「……仲が良いんだな、〈六華將(お前たち)〉も」

「一番身近にいる存在ですから」


 穏やかな表情で応える薙瑠だったが、その後の孫権の言葉に、その表情は僅かに陰りを見せることとなる。

  

「いつも自分の側にいる存在。それが当たり前(丶丶丶丶)だと思うなよ」

「……というと?」

「自分にとっての当たり前は……何時(いつ)だって突然居なくなる。偽りだ何だと言う前に、お前が現在(いま)立っている世界はそういう場所だと、本当に理解してるのか?」


 ひゅう、と冷たい風が吹く。

 赤みを帯びる世界とは対照的に、辺りには暗い陰が落ちており、それはまるで彼女の心情を現しているかのようだった。


「私は何も分かっていないのだと、そう仰りたいんですか?」

「そうだ。お前は一度でも身近な存在を失ったことがあるか?」


 孫権の問いかけに、薙瑠はすぐには答えなかった。

 ──否、答えられなかった。

 何故なら、彼女は本当に、一度たりとも失うという経験をしたことがなかったから。


 ──ああ、嫌だ。

 こんなことは考えたくない。

 考えたくはないけれど、彼がそんな話を無意味にしてくるとも思えない。

 つまり。

 あの言葉や問いかけは、自分以外の、〈六華將〉の誰かを未だ殺す気でいるのだと──


「薙瑠」


 背後から凛と響くような声で名を呼ばれ、薙瑠はハッと我に返る。

 振り返れば、氷牙が心配そうにこちらを見ており、その隣には念話を終えた紗鴉那の姿もあった。


「大丈夫か? さっきより顔色が悪くなってるみたいだが」

「……いえ、ご心配なく。それよりも、仲達様に確認が取れたんですね?」

「ああ、孫権は洛陽に、移送手段は任せる、と。だからお前の〈記憶(きおく)辿咲(てんしょう)〉で連れていけばいいと思うがどうだ?」

「異論ありません。氷牙様も問題ないですか?」

「問題なし」

「よし、じゃあ後は頼んだ」


 紗鴉那の言葉に氷牙は小さく頷くと、蒼き双眸を静かに孫権に移す。

 此方を見ている彼を、静かに捉えている瞳が刹那、一瞬だけ紅く輝いた。

 直後、先程まで意識を保っていた孫権がその場に倒れ込む音。

 倒れ込んだ孫権の襟元から、いつから潜んでいたのか一匹の小さな白蛇がするりと姿を現した。

 白蛇は音を立てずに氷牙の足元まで寄ると、慣れたように足を伝い、胴を伝い、氷牙の首元に辿り着けば彼女の頬に擦り寄っている。

 褒めて、と言わんばかりの小さな白蛇の行動に、普段あまり表情が変わらない氷牙も口元を僅かに綻ばす。


「……ありがと」


 氷牙が白蛇の喉元を指で優しく撫でてやると、白蛇は嬉しそうに尻尾を揺ら揺らと動かしている。


「蛇って嬉しいと尻尾を揺らすんだな……」

「氷牙様の白蛇に関してはどの子も感情豊かですよね」

「そうだよな〜だからこそ落差が苦手なんだよな」


 そんな二人の会話を聞いていたらしい白蛇が、ぴたりと尻尾の動きを止めた。

 そして先程までとは一転、狙いを定めるような目つきでジッと紗鴉那を見据えれば、紗鴉那は瞬時に薙瑠の背後に隠れながら小さく叫ぶ。


「それ……! それが苦手だって言ってんだよ……!」

「でも今回はこの子の」

「お手柄だな!! 麻痺毒も眠らせたのもお手柄だよ有難うな!!」


 分かったからさっさと行こうぜ、と半ば早口で言いながら眠っている孫権の元へ行く紗鴉那を見て、薙瑠は小さく笑う。

 氷牙も白蛇も、彼女なりの褒め言葉が本心だったからこそ、どことなく満足気な表情を浮かべている。

 紗鴉那に続き、薙瑠と氷牙、三人で眠る孫権を囲むように立つと、そこからはあっという間の出来事だった。

 孫権の背後に立った薙瑠は、紅桜を抜刀し、その尖先を地に触れるように突き立てる。


「──〈紅桜(クオウ)〉」


 彼女が小さく呼びかけた直後、彼女を中心に桜の模様が描かれた妖術の陣が、四人の足元に展開する。

 一際大きな雲が夕焼けの陽光を遮り、辺りに陰が落ちたとき。

 

「〈記憶辿咲〉」 


 彼女の掛け声を合図に、陣が静かに光り出す。

 朱く染まった空の下、夕陽が再び顔を出す頃には、彼女たちの姿はその場から消えており、その場に残った幾ばくかの桜の花弁が、魏と呉の戦いの幕引きを物語っていた。

 ──然し、真の幕引きにはならず。

 誰もが理解していた。

 朱き〈華〉の策略が、未だ燻ぶっていることを。

 而して、誰も予想しなかっただろう。

 その燻ぶる〈華〉が、思わぬ形で再び燃え盛ることになろうとは──

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