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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第陸章 ─
79/81

其ノ玖 ── 六華ト現世ヲ繋グ者

 子元(しげん)のもとへ状況を共有しに行っていた薙瑠(ちる)が、許昌(きょしょう)県城(けんじょう)に戻ったあとのこと。

 子上(しじょう)から氷牙(ひょうが)(からす)の援護に向かったことを聞きつつ、二人は帝のもとへ向かっていた。


「僕から状況は報告済みだし、顔合わせが終わったら自由に行動してくれていいからね」

「はい、ありがとうございます」

「それと、気になることがあって」


 斜め前を歩いていた子上が、ふと足を止めて振り返る。

 そして何処か慎重に、ゆっくりと。


「君のこと……桜の鬼のことを伝えたら、『久方ぶり』って仰ったんだけど、……会ったことあるの?」


 予想だにしていなかった問いかけに、薙瑠は不思議そうな顔をした。


「いえ、お会いしたことは無いはずですが……その際、私の名はお伝えしましたか?」

「伝えてないよ。桜の鬼、とだけ」

「でしたら、私とは(丶丶丶)お会いしてないだけかもしれませんね」

「……それはつまり、君以外の桜の鬼と会ったことがある、ってこと?」

「恐らくはそういうことかと」


 薙瑠の肯定に子上は「成る程」と小さく頷いて、再び前を向く。

 が、何かを思い出したようで、すぐに彼女を振り返った。


「いや、待って。薙瑠殿が来るまで、桜の鬼は四十年ほどは姿を見せてなかった。つまり、献帝が桜の鬼に会ったとするなら、少なくとも四十年は前……ってことだよね」

「そうなりますね」

「もしかしてだけど。人間(ヒト)である献帝のお姿が数十年変わっていない……という話も、桜の鬼が関係してる……?」


 恐る恐る尋ねる子上だったが、そんな彼が可笑(おか)しかったようで、薙瑠はくすりと笑う。


「普段通り尋ねてくださって良いんですよ?」

「だって、触れてはいけない話かと思って」

「そう思われるのも無理もないです。人間(ヒト)なのに数十年もお姿が変わらないだなんて、本来なら有り得ないお話ですから。

 ですが、触れてほしくない話題ではありません。もとより、帝にお会いして現状を確かめたら、皆様にお話しようと思っていた事柄ですので」

「……そっか。了解したよ」


 それなら今は深堀りしまいと、子上は今度こそ前を向き、再び歩を進めていく。

 彼のあとに続く薙瑠は、どこか浮かない表情(かお)をしていた。


 ──数十年変わっていない。

 そう、変わっていないのだ。

 しかもそれは彼が望んだことではなく、桜の鬼(こちら)から提案したことで。

 強要した──と言われても過言ではないだろう。

 そんな彼は、自分の現状を如何(どう)思っているのだろうか。


(……苦しめている、かもしれない)


 これから会うことになる帝の心情を思いながら、薙瑠は半ば重い足取りで子上のあとに付いていった。

 ──が、その予想は良い意味で裏切られる。


「久しいな、桜の鬼よ」


 許昌の中心にある大広間。

 大きな扉を開いた先、広間の真ん中で玉座に座るは、若々しい姿の帝──献帝(けんてい)

 背筋良く座る彼の前で跪くように、薙瑠は子上の斜め後ろで頭を垂れて拱手(きょうしゅ)していた。

 広々とした、しかし何処か薄暗さを感じさせる空間に、重みのある声が響く。


(しか)し、其方(そなた)と会うのは初めてか」

「──お初にお目にかかります。現代桜の鬼を務めております、桜薙瑠と申します」

「現代、と申したな」

「はい」

「では(ちん)が会った桜の鬼は先代か」

「左様にございます」

「そうか。(おもて)を上げよ、桜薙瑠」

「承知いたしました」


 献帝の許可のもと、ゆっくりと顔を上げれば、そこで初めて献帝と目が合う。

 王冠から垂れ下がる装飾から覗く表情は、穏やかでありながら何処か威厳を感じさせるものだった。

 静かに、(しか)して真っ直ぐな視線を向ける薙瑠を見て、献帝は小さく微笑(わら)う。


「先代とはまた違う雰囲気を持っているのだな」

「お褒めにあずかり光栄でございます」

「うむ。では少し話をしよう。まずは体勢を楽にすると良い。司馬(しば)(しょう)よ、其方(そなた)もだ」


 拱手したままの二人の体勢を(おもんぱか)った献帝の発言に「有難う存じます」と礼を伝えながら、子上も拱手の腕を下ろす。


「今現在、朕が狙われる可能性があるということだったな」

「は。理由は恐らく──」

「これ、だろう」


 薙瑠の言葉を最後まで聞くことなく、献帝は首に下げている小さな宝石のようなものに手を触れながら、言葉を続ける。


「〈桜石(サクライシ)〉と言ったか。先代の桜の鬼から貰ったものだ」

「仰る通りでございます」

(しか)しながら薙瑠よ。先代は〈桜石(これ)〉があれば安全だと言っていたが?」


 ──にも関わらず、何故狙われるのか。

 言葉にはされていないものの、静かに淡々と話す献帝の言葉の裏には、そんな無言の圧力とも言える問いが見え隠れしており、薙瑠は思わず息を詰まらせるものの、負けじと応えを返す。


「ご認識されている通り、〈桜石(それ)〉を身につけていれば安全であることは変わりません……が、改めて安全だと断言するため、ひとつ確認したき義がございます」

「申してみよ」

「はっ。現在(いま)に至るまでに、一度でも呉国(ごのくに)何方(どなた)かとお会いしたことはございますでしょうか」

「ふむ、記憶にある限りはないはずだが、どう関係していると?」

「はい。相手……呉国(ごのくに)孫権(そんけん)に関して、彼は瞬間移動とも言える転移の妖術を扱うようです」


 瞬間移動、の言葉に辺りの空気が張り詰める。

 献帝は表情ひとつ変わっていないものの、空気がより一層重たくなったように感じられ、薙瑠は静かに一呼吸。


「ここからは推測でしかないのですが、彼の転移は恐らく、人や物、場所を起点として発動される妖術です。それ故、過去に一度たりとも触れていない物、来ていない場所は移動先の起点にはなり得ません」

「ふむ。逆に一度でも触れた、来た経験があれば、妖術を発動できる可能性があると」

「仰る通りでございます」

「そうか。して、其方(そなた)の最終判断は?」

「はい。孫権が妖術を用いてこの場に現れる可能性は極めて低いと考えます。(しか)(なが)ら、先程述べた妖術の発動条件は(わたくし)の推測に過ぎません。それ故、子上(しじょう)様とともに、(わたくし)もこの場をお守りさせていただきたく存じます」


 真っ直ぐな視線を逸らすことなく述べる薙瑠に対し、状況を把握した献帝は小さく微笑んだ。


「良かろう。守備に務めよ」

「はっ。何があろうとも、お守りいたします」


 深く頭を下げながら拱手する薙瑠に続き、子上も改めて拱手の態勢を取り。


「それでは引き続き、薙瑠殿とともに守備にあたって参ります」

「うむ、最善を尽くすがよい」

「はっ」


 子上の応えに合わせて薙瑠も拱手し、二人は大広間をあとにしようと踵を返す。

 が、数歩歩んだところで薙瑠は足を止め、再び献帝に向き直り、丁寧に拱手した。


「大変恐れながら、最後におひとつだけ……お聞きしたき義がございます」

「申してみよ」

「はっ。〈桜石〉は……いえ、桜の鬼(私たち)は、貴方様にとって重荷になってはいませんか」


 思わぬ問いかけだったようで、献帝は僅かに目を丸くした。

 しかし、答えがすぐに返ってくることはなく、大広間は不気味なほどに静まり返る。

 子上も足を止めて見守る中、薙瑠は拱手の姿勢を崩さず、目を伏せながらひたすらに返事を待った。


「そんなことはない」


 静寂を破ったのは言うまでもなく、献帝によって紡がれた言葉。

 薙瑠が思わず顔を上げれば、献帝の穏やかな瞳と視線が交錯する。

 先の言葉が、心からの言葉なのかを見極め兼ねている彼女に対し、献帝は首から提げる〈桜石〉に触れながら小さく笑う。


「これを受け取ったのは、言うまでもなく朕の意思だ。それにより受けている恩恵は、重荷などではない。寧ろこれこそが今の世(丶丶丶)における朕の役割であると認識しているが、違うだろうか」


 献帝の言葉に、薙瑠はハッとした。

 彼が言う〝今の世〟という言葉。

 言う必要のない言葉を敢えて紡いだ真意──それは今現在の状況を理解した上で、桜の鬼、ひいては〈六華將(ろっかしょう)〉の目的を受け入れているということに他ならないものだった。

 もしかしたらそれは、彼なりの気遣いによる言葉だったのかもしれない。

 しかし、その言葉に嘘がないことは彼の瞳を見ればすぐに分かること。

 その〝嘘がない〟という事実が、彼女にとっては何よりも心強いものだった。

 献帝の御心を知り、薙瑠は思わず小さく微笑む。


(……なんて)


 ──なんてお優しいお方なのだろう。


「大変愚かな問いかけを失礼いたしました」

「気にすることはない。朕の状況を気遣ってのことだろう」

「寛大なるお言葉、恐悦至極に存じます。

 改めて私は……いえ、〈六華將(私たち)〉は、貴方様と正しき世(丶丶丶丶)をお守りすることをお約束いたします」

「正しき世……か。うむ。期待しているぞ」


 献帝の言葉を心に留め、薙瑠は子上と共に、今度こそ大広間をあとにする。 

 背後から聞こえる、重圧感のある扉が閉まる音。

 緊張感のある空気が徐々に薄れていくのを感じながら、二人は城下町へ向けて足を進めていく。

 薄暗い場所から外に出たことで明るい外の陽光(ひかり)が一層眩しく感じ、薙瑠は目を僅かに細めながら空を見上げた。

 視界いっぱいに広がる青い空。

 暖かく気持ちのいい空気。

 遠くから微かに聞こえる、許昌で暮らす人々の声や生活音。

 脅威なんてまるで迫っていないかのように、ここには驚くほど穏やかな時間が流れている。

 そんな中で、子上はふと足を止め。


「薙瑠殿、確認なんだけど」


 振り返りざまに紡がれた言葉は、どこか緊張感のあるものだった。

 その緊張感が彼女を少しずつ現実に引き戻し、薙瑠は頭を切り替えるように小さく一呼吸してから、彼の問いかけに応じる。


「〈桜石〉のこと……ですよね?」

「色々気になったことはあるけど……うん、まずはそれだね。〝あの石があれば安全〟って言ってたけど、石の効果を知っといたほうが何かと動きやすいかと思って」

「そうですね。あの石は先代桜の鬼が献帝に献上したものです。身に付けることで外部からの物理的な攻撃はもちろん、妖術さえも通さない結界を纏うことができる、特殊な石。それ故〈桜石〉を身に着けている以上は安全ということです」

「へぇ、それなら極端な話、僕たちがいなくても身の安全は保証されるってこと?」

「そうですね……余程のことがない限りは」


 薙瑠は微笑みながらも、まだ確証が持てていない孫権の妖術に不安を持っていた。

 というのも、〈桜石〉も万能ではなく。

 結界そのものを破壊する、もしくは〈桜石〉の効力を無効化する──このいずれかの手段を用いれば、〈桜石〉の守りは崩れる。

 つまり〝弱点〟が存在しているということだ。

 それらは本来〈六華將(ろっかしょう)〉が有する刀、妖術による方法だからこそ、問題はないはずなのだが。


(結界そのものを破壊できる刀……氷牙様が所持する〈刹華(セッカ)〉。それが今……呉国(ごのくに)の手に渡ってしまっている)


 つまり、その刀を孫権が持っていた場合──〈桜石〉の加護を破ることが(丶丶丶丶丶)可能(丶丶)

 そうなったら終わり。

 ──終わりだ、何もかもが。


「……薙瑠殿?」


 突如耳に入った子上の声に、薙瑠ははっと我に返る。

 伏せていた視線を上げれば、じっとこちらを見ていた彼と目が合った。


「大丈夫? 険しい表情(かお)をしてたけど」

「すみません、少し考え事をしておりました。

 孫権の妖術、あれは未だ私の推測でしかないので。ですが大丈夫です。それは間もなく、氷牙様が解決してくださいます」


 微笑(わら)いながら真っ直ぐ発せられた言葉は言い聞かせなどではなく、確かな自信と、彼女──氷牙への信頼が込められていた。

 そして氷牙は、その信頼にしっかり応える。


「──薙瑠、見てきた」


 凛とした声音が二人の耳に届く。

 薙瑠の斜め後ろ、誰もいなかったはずの場所に、片膝をついた体勢で突如姿を現した氷牙。

 妖気さえ一切感じなかった彼女の登場に、子上は驚いたように目を丸くする。

 一方で薙瑠は、驚くことなく氷牙を振り、「お待ちしてました」と小さく微笑んだ。

 氷牙はそれに応えるように、静かに言葉を紡いでいく。


「単刀直入に……孫権の妖術の(くだん)。あれは、〝印〟を対象に発動されるみたいだった」

「印、ですか?」

「そう。鴉との戦闘中、彼についていた印から僅かに妖気を感じた。その直後に、孫権は鴉の近くに転移した」

「ということは、その印がなければ転移はできないってことだよね?」

「……はい」


 薙瑠と共に話を聞いていた子上の問いかけに、氷牙は静かに頷く。


「印の付け方は断定できない、けど……多分、孫権本人が触れたもの、或いは訪れた場所。そして……厄介なのは、孫権以外の人物が触れたり訪れたりした場合でも、印がつけられる可能性が……ある」

「……やはり、呉国(ごのくに)の鬼であれば、誰でも印をつけることができるかもしれないのですね」

「印の有無を確認する方法はあるの?」

「……それは難しい、です。鴉についていた印も、最初から印がついていると分かったわけではなく……転移の妖術が発動したからこそ、気付けた事柄なので。……ですが」


 氷牙はそこで一度言葉を止めた。

 不自然に途切れた言葉に子上は僅かに首を傾げたが、氷牙は伏せ気味だった視線を上げて、彼を真っ直ぐと見返しながら、はっきりと。


「孫権がこの許昌に転移してくる可能性は、極めて低いと断言します」


 先程までの控えめな雰囲気とは打って変わって鋭い視線を向ける彼女に、子上はもちろん、薙瑠も僅かに目を丸くした。


「鴉の相手をしている間に私たちが何らかの手を打ってくることくらい、孫権も予測できるはず。にも関わらず、未だ鴉のみを相手にしていて、こちらに来る気配がまるでない……何か別なる考えがあったとしても、狙いが許昌にあるならば、私たちが動く前に仕掛けるのが得策……よって、孫権は恐らくここには来ない」


 珍しく饒舌な氷牙だったが、最後に一言、薙瑠にしか聞こえない念話で。


『──孫権は、私の刀を持っていなかった』

 

 付け加えられた言葉に、薙瑠は目を丸くした。

 その言葉は、今彼女が一番懸念していた〈桜石〉の結界を破られること──その可能性が低くなったことを意味するものだった。

 薙瑠が安堵の表情を浮かべる一方で、刀の存在など知る由もない子上は、氷牙の言葉に静かに頷く。


「推測の域を出ない話ではあるけど……その考え方には一理あるね。もし〝印〟があるなら、僕たちが守りを固める前のほうがよっぽど奇襲になるし、何よりわざわざ鴉殿を狙いに行く必要性も感じない」


 子上に続き薙瑠も、今は刀のことは伏せながら賛成の意を示す。

 

「ですが推測の域を出ない以上、変わらず守備に務めるべきでしょう」

「勿論、そこは怠らないよ。その守備に関してだけど、薙瑠殿はどうするつもり?」

「私は先程進言した通り、許昌をお守りできればと思います。ただ、可能でしたら孫権の様子が伺える場所……そうですね、外壁あたりで守備につかせていただけたらと」

「それは構わないけど……万が一、推測が外れて都城内に孫権が現れたら?」

「子上様がいる以上、孫権がどこに現れようと問題ないのでは?」


 微笑みながら紡がれた薙瑠の言葉に、子上は思わず言葉を詰まらせる。

 全面的な信頼の言葉を、面と向かって言われるのは面映(おもはゆ)いことこの上なく。

 おかげで兄の子元の気持ちが少し理解(わか)ったような気がした。

 真っ直ぐな瞳を見れば、その言葉がお世辞などではなく、彼女の本心から紡がれたものであることがよく分かるからこそ、余計に気恥ずかしくなって子上は思わず目を逸らす。


「僕がいる以上は帝のもとになんか行かせないけど。薙瑠殿がいたほうがより強固な守りを固められるでしょ」


 照れを誤魔化すように半ば早口になる子上を見て、薙瑠はくすりと笑う。


「そうですね、より強固にするに越したことはありません。ですので孫権が現れた際は、私は子上様の元へ転移した上で、共に孫権を迎え撃ちましょう。状況に変化があったときも、私が伝達を担います」

「分かった。氷牙殿はどうする?」

「……私は、鴉の応援に。お二人のお手は煩わせません」


 今まで静かに話を聞いていた氷牙の言葉は、短くも頼もしさを感じられるもので、子上は珍しく小さく微笑(わら)った。


「よし。じゃあ今から各自守備に。鴉殿のことは任せたよ」

「はい、お任せください」


 薙瑠、そして氷牙が拱手するのを確認したあと、子上は城下町へとつながる城門に向かって駆けて行く。

 その後ろ姿を見送ってから、薙瑠はどこか真剣な表情で氷牙に向き直る。


「先程の件を詳しく伺っても?」


 念話で伝えられた刀の話。

 敢えて念話だったのは、おそらく子上に〈桜石〉の弱点を悟られないようにするためだろう。 

 

「……私は呉国(ごのくに)に居たとき、一度たりとも〈桜石〉の話はしていない。だから、彼らが〈桜石〉の存在を知っている可能性は低いと思う」

「故に、献帝が狙われる可能性も低い……と?」

「そう」


 氷牙は頷いたあと、再び薙瑠にしか聞こえない念話でこう付け加えた。


『仮に〈桜石〉の存在を知っていたとしても、〈桜石〉の弱点を把握していないのは間違いない。現時点で孫権が〈刹華(セッカ)〉を持っていないのが、何よりの証』


 彼女がはきはきと喋る様は「安心してほしい」とも言っているようで、〈桜石〉の加護を破られる可能性の低さが確定したことに、薙瑠は心の底から安堵した。

 〈桜石〉の弱点は話したら最後、誰にその弱点をつかれるか分からない事柄。

 それ故〈六華將(ろっかしょう)〉以外の人物で誰一人、〈桜石〉の弱点を知る者が在ってはならない──

 弱点があるという事実さえも徹底して秘めるべきだからこそ、念話は有効な手段のひとつだった。

 薙瑠は頭を孫権との対峙に切り替えるべく、小さくひと呼吸。


「もしかしたら、呉国(ごのくに)の真の狙いは許昌(こちら)ではないかもしれませんね」

「……だとしたら、狙いは恐らく……」

洛陽(らくよう)、でしょう。ですが心配は要らないと思っています」


 柔らかく微笑いながら話す薙瑠に、氷牙も「同意」と小さく頷いた。

 

「では、私は外壁から様子を伺います。何かあれば念話でお伝えを」

「……承知」

「──守りましょう、この場所を、人々を、そして在るべき未来の時間(せかい)を」


 蒼の双眸を赤く染めた柊は、瞬時にその場から姿を消し。

 桜は城門を潜り、連なる家屋の屋根上を軽快に駆けて外壁を目指す。

 許昌であれ、〈桜石〉であれ、そして洛陽であれ。

 何処(どこ)の何を狙いにしても、最終的な目的は間違いなく──桜の鬼。

 外壁の上へと辿り着けば、周囲を遮るものがなくなり、見晴らしのいい景色と穏やかな風が彼女を迎える。

 水色の華服(かふく)や髪が靡くのと同時に、前髪に隠れていた左目も顕になり。


 ──必ず守ってみせる。


 その意思、墨翟之守(ぼくてきのまもり)の如く。

 蒼と桃色の双眸は静かに、そして強かに、鴉と相対する孫権の姿を捉えていた。

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