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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第陸章 ─
74/81

其ノ肆 ── 隠レル凍華ノ銀世界

 桜之鬼(サクラノヲニ) (ウツシヨ) 火徳(ニ トドマ)之信仰(ルガタメ) 為 留(カトクノ) (シンコウ) 現世(ヲ ヨウス)

 献帝(ケンテイ) 火徳(カトク) (ナリ)(マタ) 魏国(ギノクニ) 庇護(ケンテイヲ) 献帝(ヒゴス)

 (ソレ) 所以(サクラノヲニ) 桜之鬼(ギノクニニ) 関与(カンヨスル) 魏国(ユエン) (ナリ)


【桜の鬼が現世(うつしよ)に留まるためには、献帝の力──火徳とする信仰が必要だった。

 故に桜の鬼は、献帝を庇護した魏国と関係を築いてゆく。】


ーーーーーーーーーーーーーーー


 淮河(わいが)付近の前線拠点、子元(しげん)は角楼から砦の周辺の様子を眺めていた。

 その視線の先には、砦のすぐ側で陸遜(りくそん)──伯言(はくげん)と対峙する公閭(こうりょ)の姿が()る。


 時を少し遡り、母・春華(しゅんか)が対岸からの攻撃に対して迎撃していた中。

 ついに呉国(ごのくに)、伯言が動き出したのだった。

 春華が対岸に放った氷の矢、それは(そん)尚香(しょうこう)に向けてのものだったが。


「〈焔鏡(ホムラカガミ)〉──ッ!」


 子元が身を以て経験した〝反射〟で矢を跳ね返し、淮河の上に一時的な氷の足場を作り出す。

 それを利用して河を渡るなり、彼は真っ直ぐと砦に向かって来て、その姿を確認した子元は公閭に迎撃指示を出し──そして現在(いま)に至る。


 村で対峙した因縁を考えれば、今度こそ決着をつけるべきだと考えもした。

 しかしそれ以前に、子元は予定よりも時間がかかっている薙瑠(ちる)たちを懸念していた。


(珍しく手を焼いているのか……?)


 ──()しくは、何か予期せぬ事態が発生したか。

 (いず)れにせよ、(からす)もついている以上あまり心配はしていない。

 が、万が一の事態を鑑みて、子元は砦に留まっていたのだった。


 その時、背後──砦の地上に、突如として現れた複数の妖気。

 それを察知するなり、子元が身を翻して砦内を見下ろせば、薙瑠と鴉、そして見知らぬ人物が一人。

 恐らくその者が呉にいた〈六華將(ろっかしょう)〉──(ひいらぎ)なのだろう。

 子元は角楼から階段を伝って飛び降り、薙瑠たちの元へと向かう。

 そんな彼に気付いた薙瑠も駆け足で近づき、礼儀正しく拱手(きょうしゅ)した。


「遅くなり申し訳ございません、子元様。

 (さくら)薙瑠、建業(けんぎょう)より戻って参りました」

「よく戻ったな、無事で何よりだが……何かあったのか?

 お前たちにしては時間がかかっていたようだが」

「あ……はい、少しだけ、動揺してしまいまして」


 小さく苦笑しながら、薙瑠は後ろの鴉を振り返った。

 その視線の意味に気付いた鴉は、何処かむすっとしたような顔をする。


「おい、余計なことは言うなよ」

「まだ何も言ってませんよ」

「……お前の肩を見れば大体想像はつくが」

「あ? 無様だと俺を笑うか?」

「笑う気はないが、笑って欲しいのなら笑ってやる」


 そう言いながら、何処か馬鹿にしたように薄ら笑いを浮かべる子元に対し、鴉は「ふざけんな」と眉根を寄せた。

 如何(どう)でも良さそうなことで見えない火花を散らす二人を、薙瑠が続きを報告する形で止めに入る。


「えと、それで……すぐに此方(こちら)に戻れば良かったのですが、動揺のあまり洛陽に……戻ってしまいまして」

「それで時間がかかったのか。

 ……ふ、結果何事もなかったようで安心した」

「ご心配をおかけいたしました」


 安心したように微笑んだ子元に、薙瑠もふわりと柔らかく(わら)う。

 胸がきゅ、と苦しくなるような感覚に気付かぬ振りをしながら、子元は彼女の背後、鴉の隣にいる少女に目を向けた。


「そしてお前が……?」

「……〈六華將(ろっかしょう)〉が一人……(ひいらぎ)氷牙(ひょうが)。……お初にお目にかかります」


 しんしんと雪が降るかのように、静かで透き通るような声。

 青白い髪や蒼玉のような瞳、全体的に玄冬(ふゆ)を印象づける彼女の容姿に対して、身に着けている華服(かふく)は少しくすんだ(あか)、茜色──その色は、彼女には何処か不釣り合いだった。

 そんなことを感じながらも、挨拶しながら拱手(きょうしゅ)する氷牙に、子元は「よく来たな」と小さく頷く。


「話は聞いている。俺は司馬子元だ、宜しく頼む」

「……はい」


 口数が少ない彼女は薙瑠よりも僅かに小柄で、何処か目立たない印象を感じさせる、物静かな雰囲気があった。

 ──いや、敢えて目立たない(丶丶丶丶丶)ようにしている(丶丶丶丶丶丶丶)のか。


  (ヒイラギニ)(ヒソムハ)、〝(カクレ)()白蛇(シロヘビ)

  ──柊に潜む〝(かくれ)〟の白蛇は

    雪に忍びて姿消す──


 奇譚(きたん)の内容を考えれば、まさに言葉通りの存在。

 成る程、と一人納得して子元は小さく笑った。


「ところで子元、今の状況は?」

「対岸からの孫向香には母上が、河を渡った陸遜には公閭(こうりょ)がこの砦のすぐ近くで応戦している」

「……となると、動きが見れないのは孫権(そんけん)呂蒙(りょもう)か」

「ああ、お前たちが戻った以上、魏国(俺たち)としては奴らをこの拠点で足止めできれば良いだけなんだが」

「だな。じゃあ早速、氷牙、お前の出番だ」


 口角を上げながら、鴉は氷牙の肩をぽんと叩く。

 氷牙も意図を汲み取ったようで、表情を変えることなく小さく頷いた。


「孫権と呂蒙の……居場所を探る……?」

「そうだ、今まで近くにいたお前なら、あいつらの妖気をよく知ってるだろ」

「……余裕」

「ははっ、頼もしいぜ」


 愉しそうに笑いながら背中をばしばしと叩く鴉に、氷牙は少し嫌そうな顔をする。

 弟の子上をよく見ているからか、感情が表に出にくい氷牙の小さな表情の変化は、子元にも不思議とよく分かった。

 そんな二人を見ながら、子元は側にいる薙瑠に小声で問う。


「あいつは察知能力が秀でている……だったか」

「はい、かなり広範囲の気配を感じ取れるんです」

「広範囲、というのはどれくらいだ?」

此処(ここ)からであれば、対岸の呉国(ごのくに)の拠点くらいまでは可能かと」

「……かなり距離があるが……?」

「信じ難いですよね」


 薙瑠が小さく微笑(わら)ったとき、氷牙が右手に短刀を出現させた。

 真っ白な(つか)に、陽光(ひかり)を受けて輝く白銀(しろがね)の刀身。

 彼女は片足をついて軽く地に振れると、短刀を己の前で横に構える。

 そして瞳を閉じたのち。


「〈凍華(トウカ)銀世界(ギンセカイ)〉」


 しん、と響く声で唱えた言葉こそが、氷牙の妖術のひとつ。

 声に応えるように、刀身に刻まれた蛇の彫刻──その瞳が、僅かに蒼く輝いたように見えた。

 それ以外は、傍から見れば何の変化も見受けられない。

 (しか)し、氷牙には辺り一面、雪景色に姿を変えた真っ白な世界が見えている。

 雪は舞っておらず、ただ積もっているだけの静かな世界。

 それは遥か彼方まで続いており、探るべき存在の気配が雪景色の範囲内に在ったとき──


「まるで自分の肌が凍るような感覚がして、距離と場所を正確に感じ取れるそうです」

「ほう……それが今、あいつが見ている世界か」

「〈銀世界〉という名に相応しい、素敵な妖術ですよね」

「言い換えれば、〈銀世界〉の対象範囲にいたら隠れる術はないってことだ。

 ただでさえ一般的な鬼よりも広い範囲の気配を〝自然に〟感じ取れるってのに、更に広範囲を探る術がある……絶対に敵に回したくねー奴だな」


 薙瑠と子元の会話に続いて、鴉がゾッとするように両腕をさすりながら氷牙を待った。

 僅かな沈黙のあと、伏せられていた青白い睫毛(まつげ)がゆっくりと持ち上がる。

 そして、彼女から紡がれた第一声は。


「…………いない」

「……は?」

「……え?」


 予想外の言葉に、鴉も、そして薙瑠も驚く他なかった。


「感じ取れたのは、陸遜、孫向香と、それに応戦している鬼の気配だけ……孫権と呂蒙は、少なくとも……対岸の拠点と、この拠点の周辺にはいない」

「陸遜と孫向香が囮である可能性は考えていた。

 既にいないとなると……現状最も手薄な許昌が不安の種か」

「ああ、俺は今すぐ許昌に向かう。

 無論、上空から奴らの姿がないか探りながら、だ」

「呂蒙は姿を消している可能性があるだろう、上空から探したとしても──」

「安心しろ、俺には視える(丶丶丶)


 口角を上げて自慢げな顔をした鴉は、その場で地を蹴って上空へ。

 途中、その姿が光に包まれたかと思えば、彼は〝烏〟の姿になって空へと羽ばたいて行った。

 視えると言われたこと、そして初めて烏の姿になる瞬間を見たこと、二重の驚きで呆気にとられながらも子元は頭を切り替える。


「お前が奴らの姿を見た、と報告を受けてから半刻(三十分)はとうに過ぎたが、一刻(一時間)は経っていないはず。

 だが動き出したのが何時(いつ)か分からない以上、移動した距離や場所を推測するのも難解だな」

「子元様、遅ればせながらお伝えしたいことが」

「何だ?」

呉国(ごのくに)の狙い──の(くだん)です」


 改まって話す薙瑠から紡がれた、思いもよらない言葉に子元は僅かに目を見張った。

 しかし、話の詳細を訊いて彼は怪訝な顔をする。


「狙いが鴉だと……? 尚更目的が不明瞭だな……」

「これまでの動向を考えれば、〈六華將(ろっかしょう)〉──いえ、私を狙うが故の行動であることは間違いないかと」

「柊はあくまでも鴉を誘き寄せるだけの人質だったということか。

 だが鴉を仕留め損ねている以上、あいつらの作戦は失敗している……?」

「──してない、かもしれない」


 ぴり、と糸が張り詰めるような、静かで、(しか)してはっきりと紡がれた言葉。

 伏せ目がちな長めのまつ毛の下から覗く蒼玉の瞳は、真っ直ぐと子元を捉えて離さない。


呉国(ごのくに)は……(みな)火の気を持ってる。それは間違いない。

 でも……孫権(そんけん)だけ、分からない」

「──奴の特殊な妖術が、か」


 彼の鋭い推察に、氷牙はこくりと頷いた。

 己の推測が肯定されたことを確認すると、子元は再び伏目がちに思考を巡らせる。


「最終的な狙いは桜の鬼を仕留めること。

 そのために敢えて鴉を狙うのは……そこに答えがあるということか」

「その可能性が高いかもしれないです。

 ですが、全員が建業に留まらずこちらに赴いている以上、狙いは鴉様……いえ、〈六華將〉だけではない可能性も考慮すべきかと」


 ──()しくは、鴉が(丶丶)二人いる(丶丶丶丶)ことに、気づいているのか。


 薙瑠がちらりと氷牙を見遣ると、彼女も同じことを考えていたらしく、再び小さく頷いた。

 一方で子元は、先の薙瑠の言葉の裏にある推測など知る由もなく、彼女の意見に賛同する。


「そうだな。ならばお前たちは孫権と呂蒙、二人を探し出すことに注力してくれ。

 〝視える〟桜と〝感じる〟柊。(まさ)に完全無欠の組み合わせだろう」

「褒め過ぎですよ、子元様」

「でも、あながち間違ってない」


 苦笑する薙瑠に対し、表情一つ変えずにはっきりと応える氷牙。

 正反対な二人の受け答えが少し可笑しくて、子元はふっと笑みを(こぼ)す。


此処(ここ)は俺たちに任せておけ。

 気がかりな呂蒙が居ないのであれば、俺たちだけで何とかなる」

「かしこまりました。では……私たちは地上から許昌、そして洛陽(らくよう)方面に向かって探って参ります」


 丁寧に拱手して述べられた彼女の言葉に、子元が「頼んだ」と応えを返すと、二人の姿はその場からふっと消え去った。

 否、消えたように見えるくらい、一瞬で場を移動したようだった。

 (はる)(ふゆ)、二つの妖気が遠ざかっていくのを(かす)かに感じながら、子元はゆっくりと踵を返す。


 ──やるべきは、二人の鬼を逃さないこと。


 前を向く青白い双眸に、静かに宿るは強かな決意。

 子元が再び周囲に意識を集中させた、矢先のことだった。

 砦付近の戦場に()った二つの妖気が、一瞬にして消え去った(丶丶丶丶丶)のは。

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