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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第陸章 ─
71/81

其ノ壱 ── 狙ワレシ朱華ノ抗イノ形

 (オニ)之子(ノコ)生 自(ヒトノオヤ) 人間之親(ヨリ ウマルル)

 (ソレ) 因 妖気(カクリヨト) (ウツシ)(ヨノ) 隠世(キョウカイ)(ヨリ)現世(イヅル)之境界(ヨウキニ ヨル) (ナリ)


【人間の両親から生まれる鬼の子供。

 その原因は、隠世(かくりよ)現世(うつしよ)の境目から溢れ出る、妖気が影響していると考えられた。】


───────────────


 透き通るように晴れ渡る空の下。

 淮河(わいが)付近に位置する、石造りの砦の小さな角楼──砦を囲う外壁の四隅に一段と高く作られた少し広めの(やぐら)で、子元(しげん)公閭(こうりょ)と共に、呉国(ごのくに)の出方を伺っていた。


 前方を見渡せば、葉を茂らせる常緑樹の木々の向こう側に、金烏(たいよう)陽光(ひかり)を反射して輝く、大きな河がある。

 呉国は、淮河を挟んで向こう側からの進軍になるため、こちら側に攻撃を仕掛けようとすれば、舟を使って河を渡る以外に手段はない。


「……はずだが、見る限り舟は見当たらないな」

「ですが、呉国には(すい)()を持つ鬼が居ないのは確かですので……やはり懸念材料となるのは孫向香(そんしょうこう)殿、でしょうか」

「そうだな……そいつがこの場に居る可能性も捨てきれないからな」


 孫向香──孫権(そんけん)の妹にあたる人物であり、若くして人間(ヒト)である劉備へと嫁いだ、呉国の鬼。

 彼女は人間(ヒト)に嫁ぐ〝政略的な道具〟として扱われたことに不満を抱いていたらしく、夫・劉備の死後も、呉国に帰ることなく、行方を晦ましていた。

 そんな彼女を、懸念材料としている所以(ゆえん)は。


「もしも、彼女が呉国に戻っていて、この場に参じていたならば。

 先ず間違いなく、対岸からの遠距離で──」


 そう、話していた矢先だった。

 淮河の対岸、生い茂る木々の中から上空へ、突如として黒い影が跳躍する。

 その正体は、弓を構える人──否、鬼。

 子元がそれを認知した瞬間。

 目にも留まらぬ速さで、無数の焔矢(ほむらや)が飛翔した。


「伏せろ!」


 同じ角楼にいた者にそう合図し、子元は瞬時に右手に出現させた刀の切っ先を空へ向けて、砦の上空を護るように水の盾を展開させた。

 盾に触れた複数の焔矢は、弾けるように消滅していく。

 が、当然、それは砦の上空のみで。

 周囲は一瞬にして焔炎(ほむら)の海と化す。


「居ましたね、孫向香殿」

「ああ……蜀から情報をもらえたのは幸いだったな」

「そうですね。それに応じて編成を変えた仲達様のご判断は、適切なものでした」


 砦の周囲が炎に包まれているにも関わらず、冷静に会話する二人。

 というのも、今回の戦、事前に蜀から孫向香の話を聞いたことで、対岸からの攻撃を鑑みて、砦の周辺には一人として兵士を配置していなかった。

 その采配が功を成し、周辺の状況とは対称的に、砦内に居る人材には今のところ何の損害も出ていない。

 それ故に余裕綽々としている子元と公閭。

 彼らの背後には、もうひとりの人物の姿があった。


「ふふ、私の出番のようね?」


 深き海のような、艶のある青い髪を揺らして微笑むのは、子元の母・春華(しゅんか)

 彼女がここに居るのもまた、遠距離が武器の孫向香に対抗するならと、仲達がお願いしていたからだった。


「母上、お手を煩わせて申し訳ございませんが……」

「子元、そんなこと言ってる場合? 兵士を配置していないとは言え、相手は鬼よ。

 急がないと、無駄な被害を生みかねないわ」

「……仰る通りです。母上は孫向香の相手にのみ、集中してくださって構いません」

「子元殿と共に、砦内にいる兵士及び物資は守ります故、周囲を気にせず、遠慮なく」


 拱手(きょうしゅ)して会話する子元と公閭を見て、小さく「分かったわ」と頷いた春華は、未だ次々と矢を放ってくる敵──孫向香へと、視線を移した。

 対岸で、木々を伝いながら器用に上空から矢を放つ、孫向香。

 今は子元による水の盾に守られる範囲内だが、そこから一歩でも外に出れば、あの鋭く飛翔する焔矢の的になり得る可能性がある、戦場。


「長い闘いになりそうね」


 そんな一言を紡いだ彼女の表情(かお)には、未だ微笑みが浮かんだままではあったが。

 その瞳は真剣そのものだった。

 普段、彼女が戦場に直接赴くことは滅多にない。

 無いが故に、息子である子元も、そんな母の表情(かお)を見るのは初めてだった。


「行きましょう──〈水月(すいげつ)〉」


 左手に弓を出現させると同時に、彼女の姿は変化(へんげ)した。

 髪の色や長さに変化はないものの。

 額から伸びる青白い角や、その身に纏う勿忘草(わすれなぐさ)色の和装は、強かな雰囲気を持つ彼女に良く似合うもので。

 そんな彼女は、まるでふわりと消えるかのように、その場から姿を消した、刹那。

 子元たちの上空、砦の角楼の屋根の上から、向こう岸に向かって飛翔する氷の矢。

 それは鋭い剣の如く、対岸の木々を斬り倒していく。


「公閭、この戦場には他に誰がいると思う?」

「孫向香が参じていることで、呉国の鬼は全員で四人。

 建業(けんぎょう)を手薄にできないことを考えれば、孫権(そんけん)に加えてもう一人は残っているはず。

 そして残って防衛するのならば、姿を消せる呂蒙(りょもう)ほど最適な人材はいないでしょう」

「そうだな、俺も同じことを考えていた。やはり気がかりなのは……」

(からす)殿が事前偵察した、人や物資の動きが少なすぎる……という(くだん)ですね?」


 子元は対岸を睨むように見据えながら「そうだ」と頷く。

 事前に偵察していた(からす)の話では、呉国に人や物資の動きがほとんど見られなかったと云う。

 つまり、呉国に軍を動かす様子がなく、裏を返せば鬼のみで攻撃を仕掛けてくる可能性があるということ。

 これもまた、砦の周辺に兵士を配置しなかった理由のひとつだった。


 彼らの狙いは、恐らく〈六華將(ろっかしょう)〉の目的を妨げること。

 とは言え、桜の鬼の力の根源である〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉に関しては、既に消滅したと認識しているはず。

 にも関わらず、わざわざ鬼のみで戦闘を仕掛けてくるのは、〈六華將〉を、中でも桜の鬼を完全に仕留める為か、はたまた別の目的があるのか──


「今は(からす)からの報告を待つのが最善か」 


 子元がそう呟いたとき、下から駆け上がってくる一人の兵士。

 彼は息を切らしながら、ばたばたと慌てるように子元のもとへ駆け寄る。


「子元殿……っ! (からす)殿からの(しら)せを受け取ったと、神流(かんな)殿よりご報告をいただきました……っ!」


 どんなに急いでいても、丁寧に拱手しながら発言の許可を待つ彼を見て、子元は「ご苦労だったな」と一言、労いの言葉をかけた。


「呉国の鬼の件だな? 誰が参じていると?」

「それが……四人共この戦場に参じていると……」

「……は?」


 予想外の報告により、低めに発せられた子元の声に、報告した兵士がびくりと肩をゆらす。

 思いもよらなかったのは公閭も同じだったようで、驚いたように目を丸くしている。


「まさか……建業の守りを捨てたというのですか……?」

「詳しいことは存じませぬが……鴉殿からの報告によれば、薙瑠(ちる)殿が四人全員の姿を確認した……と、仰っていたそうでございます」

「あいつが見間違えるはずがない。

 だとしたら、本当に建業の守りを捨てたか、或いは……」

「また別なる手段で建業を守っている、のどちらかでしょう」


 現在の漢王朝は〝火徳(かとく)〟──つまり、火の気を持つ者が恩恵を受けやすい時代。

 蜀からの情報により、孫向香が火の気を持つ鬼であることは確認していたが、陸遜(りくそん)呂蒙(りょもう)と同じように特殊な妖術を持ち得ているのかについては定かではない。

 が、それに値する可能性がある妖術については情報をもらっていた。


 それが〝分身〟──全く同じ姿の自分自身をもう一人出現させ、各個で行動できるというもの。


 蜀にいる〈六華將〉・和菊(なごみのぎく)狼莎(ろうさ)曰く、その〝分身〟が陸遜(りくそん)の〝反射〟や呂蒙(りょもう)の〝透過〟と同様に、彼女固有の妖術である可能性が高いらしい。

 しかし、分身できるのはどうやら自分を含めて二人までとのこと。

 それを踏まえれば、孫向香の分身が建業を守っている可能性が高い──が。

 

「建業を手薄にしてまでこの場に来る目的は……一体何なんだ?」


 呟きながら、子元は呉国の鬼が潜んでいるであろう対岸を見据える。

 その顔には一層険しい表情が浮かんでいた。

 相手の目的が予測できない状況での応戦は容易ではない。

 加えて、呉国の鬼が四人とも、この場に参じているとなれば。


呂蒙(りょもう)が厄介だな」

「ええ。加えて、舟を使わずしてこの河を渡る方法があるとは思えませんが……河に一艘も見当たらない以上、あちらには何か策があるということでしょう」

「そうだな……」


 呟く子元の脳裏には、子桓(しかん)(ぎょう)に向かったときの光景が過った。

 淮河よりも川幅があるはずの黄河(こうが)を、子桓が一瞬にして凍らせたことで、舟を使うことなく対岸に渡ったあの時。

 それは、彼が水の気を持つ鬼であったが故に成し得たこと。


 子元はふと、対岸に向かって母が放つ矢に視線を向ける。

 彼女が放つ矢は、水の気から生み出される氷の矢。

 矢が触れた地や木々の一部分はすぐ様凍り、それはしばらくの間、溶けたり消えたりすることはない。

 つまり、河を渡るために必要な条件は揃っているということ。

 対岸に潜んでいるであろう呉の鬼たちが河を渡るならば、ほぼ間違いなく(こちら)の鬼の力を利用するだろう。


「公閭、あいつらがこちらに渡る方法だが」

「……心当たりがあるのですね?」

「ああ。身を以て経験したことだからな」


 子元の視線の先は対岸。

 煌々と睨む青白い双眸は、未だ姿こそ見えないものの、対岸に潜む呉国(ごのくに)の鬼──中でも陸伯言(はくげん)に向けられていた。


 *

 *

 *


 同時刻、淮河(わいが)の対岸。

 子明(しめい)と伯言は、河から少し距離がある小さめの砦の角楼で、淮河を挟んで繰り広げられる双弓戦の様子を伺っていた。

 それぞれの矢が飛び交う度に、一方では焔がぱちぱちと草木を燃やし、もう一方では氷がぱきぱきと大地を凍らせていく。

 そして空中には、小さな灯火のように燃える火の粉や、金烏(たいよう)陽光(ひかり)を反射して綺羅綺羅(きらきら)と輝く氷の結晶が漂っている。


「やはり魏国(あちら)にも弓を扱う鬼がいましたね」

「向こうも向香殿がいる事を予測してたんだろうけど、ここまでは呂蒙さんの狙い通りだね」

「水の気であることはともかく、氷……という点は賭けでしたが」

「でも結果的に大当たりじゃん、最高だよ」


 淮河周辺の大地の一部が、氷に染まりつつある景色を見ながら、伯言は(たの)しそうに(わら)う。

 既に右手に刀を握っている彼は、村での出来事が相当溜まっているようで、今にも飛び出して行きそうな雰囲気があった。

 それを少しでも落ち着かせようと、かつ戦意を失わせないよう、子明は巧みに言葉を紡ぐ。 


「向香殿が充分にあちらの弓を引きつけて、ある程度飛んでくる場所を絞れたら……あなたの出番ですよ、陸遜(りくそん)

「ははっ……任せてよ」


 嬉しそうに嗤う伯言(はくげん)は、光焔(こうえん)の如くぎらついた瞳で、対岸で舞う水月華(すいげつか)を見据える。

 そんな彼とは対称的に、子明(しめい)の顔には笑みひとつ浮かんでいなかった。

 真剣な瞳で見据える先は、魏国(ぎのくに)がいる対岸の、更に奥。

 その場からは見えるわけがない行き先を、少しの間静かに見つめていた。


 そんな時、地上から角楼へと軽快に飛び上がって来た人物。

 すた、と着地する際に舞う、臙脂(えんじ)色の華服(かふく)と三つ編みに結われた明るい緋色の髪。

 その姿を確認するや否や、子明と伯言はその場に跪いて拱手(きょうしゅ)する。


「様子は如何(どう)だ?」

「はい。予想通り、あちらも弓で応戦しております」

「そうか。ここまでは計画通りだな」


 明るい声音で紡がれる声の主は、両腕を前へ伸ばしたり肩を回したりと、身体をほぐしながら話を聞いている。


「そのうち、陸遜(りくそん)が動くかと」

「はい。前線にいる奴等が孫権(そんけん)様の邪魔をしないよう……全員仕留めます」

「ははっ、いい心構えだ」


 孫権と呼ばれた三つ編みの彼は、嬉しそうに笑った。

 孫権──(あざな)仲謀(ちゅうぼう)

 呉国(ごのくに)を治める立場にある鬼で、孫向香の兄である。

 そして彼には孫策(そんさく)という兄がいた。

 父・孫堅(そんけん)人間(ヒト)だったものの、鬼として生まれた彼ら。

 国の中で始めて鬼の力を授かったのは、一番早く生まれた兄の孫策だった。

 それ故、標的に(丶丶丶)された(丶丶丶)のだろう。


「俺は桜の鬼(アイツ)と同じことはできない……だから違った形で、()り返しに行く」


 笑みを消した孫権は瞳を閉じながら、額に巻いている鉢巻きにそっと手を添える。

 それは、兄が常日ごろ額に巻いていたもの。

 彼はそれを兄の形見として、肌身離さずつけていた。


「だから見ててくれ──策兄(さくにい)


 すう、と開かれるは、静かな闘志を含んだ黄玉(おうぎょく)の瞳。

 虎視眈眈(こしたんたん)、獲物を定めし虎が動き出す。

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