隠サレシ鳥ハ解放セラル (1/1)
冷たい風が身体を冷やす、玄冬の昼下がりの時刻。
子元と薙瑠の二人と別れた子上が向かった先は。
「父さん……ちょっと、聞きたいんだけど」
いやに神妙な顔をして執務室を訪ねてきた子上に、仲達は椅子に背を預けながら「なんだ」と話を促す。
険しい顔つきではあるものの、そこに厳しさはなく、家族の前でだけ見せる穏やかな様。
そんな父の目を真っ直ぐと見ながら、子上が問いかけたのは、二人から聞いた父に聞くべきだという事柄。
「兄さんが〝特別〟って、どういうことかな」
その言葉を聞くや否や、仲達は視線を落としながら溜め息を吐いた。
表情こそほとんど変わらないものの、僅かに眉根を寄せた彼の変化を、子上は見逃さない。
「すごい面倒くさそうな顔するね」
「面倒くせぇ話だからな……」
「父さんは知ってるんだね、兄さんは知らないのに」
「誰から聞いた」
「兄さんと薙瑠殿からだよ、現時点では兄さんよりも父さんの方がよく知ってるって」
今度は明らかに表情を険しくした仲達。
「面倒なことばかり押し付けんじゃねぇ」
彼は内心で子元に毒づいた。
そう、彼はあくまでも内心で呟いたのだが、その言葉は子上によって紡がれていた。
子上は母の春華に似て、父の気持ちを汲み取るのがとても上手い。
「って思ったでしょ?」
「……子上」
「あっ、はい、すみません」
時にして瞬きをするくらい僅かだったものの、名を呼ぶ声と空気が重みを持ち始めたのを敏感に察して、機嫌が悪くなる前に子上は取り敢えず謝った。
取り敢えず、程度で済むのは二人が親子であり、且つ互いの扱いをよく理解っている〝信頼〟という名の関係性があるからだ。
しん、と静まり返る室内。
子上は「面倒くせぇ」と言っていた父が、話題を切り出すのをただ静かに待つ。
話す気が無いのであれば、父は自分をここに留めておくようなことはしないからだ。
一方で仲達は、どこから如何話すべきなのか、考えを巡らせていた。
知るきっかけとなった『幻華譚』を読んだとは言え、全ての事柄を「こうだ」と断定できている訳ではない。
特に子元にまつわることに関しては、どちらかと言えば推測、であることの方が多かった。
──否。
答えは出ているものの。
信じたくはない──と云うべきか。
「子上。お前は子元やこの世界に纏わることを、どの程度知っている?」
「他の皆も知ってる程度のことくらいしか知らないよ」
子上は片手で指を折りながら、これまで聞いた話を思い出しながら言葉を並べていく。
「鬼がいる今の世界は偽りで、本当は鬼がいない世界だったこと。
その偽りの世界を、在るべき姿に戻すのが〈六華將〉の目的だってこと。
そして兄さんが、特別な存在だってこと。
推測するに、兄さんの特別な存在っていうのは、〈六華將〉が目的とする〝世界を正す〟ことと何らかの関係があるってことだよね」
「そうだな……お前の言ってることは間違ってはいない」
そう言いながら、仲達は懐から四つ折りにした半紙を取り出すと、子上に見せるように執務机に広げられている地図の上に広げた。
紙には墨で文字が書かれており、五文字の漢字が六列、規則正しく並んでいる。
「読んでみろ」
「これって……詩?」
「読んで何を思ったか、お前の考えを聞きたい」
「分かった」
素直に頷いた子上は紙を手にとって、その内容にゆっくりと目を通していく。
短命 咲儚 華
解放 眠 籠鳥
其 則 終焉 鳥
不在 時 告 終
焉鳥 出 自 籠
其籠 終 役目
〝命短し桜の華が
解放するのは籠に眠る鳥。
その鳥は終焉の鳥であり、
偽りの時間が終わりを告げる。
終焉の鳥が籠から出たとき、
籠は役目を終えるのだ──〟
読み終えたものの、一度では理解できなかったのか、子上は再度目を通す。
そんな息子の様子を、仲達は静かに見つめていた。
漢詩とも言えるその詩は、彼が『幻華譚』を読んでいたときに、特に印象に残ったものだった。
読んでいる最中にあの詩が出てきて、息子の役目を知る手がかりのひとつなのではと、仲達は一度頁をめくる手を止めた。
とはいえ、具体的な内容が書かれている訳ではなく。
その時は、唯その詩を心に留め、先を読み進めることにしたものの、読み終えた後もあの詩が意味する内容が気になり、彼は半紙に書き留めていたのだった。
『幻華譚』を読んだが故に様々なことが推測できてしまうのなら、読んでいない者はあの詩を如何捉えるのか。
読んでいないからこそ、子上に聞いてみたくなったようだった。
「この詩って、誰が作ったものなの?」
「桜の鬼だろうな。そいつが曹操様に伝えたものらしい」
「桜が解放する……終焉の鳥……」
二度読み終えた子上は、詩の中に書かれていた単語を呟きながら、今まで聞いた話との関連性を探るように思考を巡らしていく。
仲達は彼なりの答えを導き出すのを、静かに待っていた。
再び訪れた静寂の時間だが、それはすぐに終わりを告げる。
「仲達、ちょっといいか」
どこからともなく、子上の後方、執務室の戸付近に姿を表した鴉が、二人の様子を気にもせず仲達へと歩み寄る。
「お前に気を遣うという概念はないのか」
「いや、家族の前なら気にせず姿を表していいと、そう言ったのはあんただろ」
「そういうことじゃねぇ……」
「何が違うんだよ」
遠慮の欠片もないような態度の鴉だったが、それは鴉なりに仲達を信頼していることの証だった。
そのことを仲達も分かっているからこそ、特に咎めることはしていない。
「話は何だ」
「ああ、薙瑠と呉国に向かう件、魏国に戻ってくる道なりと時間の目安を伝えておこうと思ってな」
そう言いながら、執務机の上の地図に視線を落としながら、鴉は指差し伝えていく。
二人がやりとりをする最中、口を挟んだのはこれまで黙っていた子上だった。
「ねぇ鴉、取り込み中のところ悪いんだけど、〝あおつばめ〟の漢字を書いてくれないかな」
「あ? 何だ突然」
「名前はずっと聞いてるし想像はできてるけど、どんな字で書くのかなって、改めて気になって。
父さん、少し机を借りてもいい?」
「……ああ」
父から許可を得た子上は、机上に広げられていた地図を半分折りたたむと、地図の下にあった毛筆用の下敷きの上に、執務室内にあった新たな半紙を置く。
そして執務机の片隅に置かれていた筆に軽く墨を付けて、鴉へと手渡した。
「はい、これで」
「何だって急にそんなこと……」
半ば怪訝な顔をした鴉だったが、ふと子上が手にする紙に目が留まる。
紙の裏に、反転した〝短命咲儚華〟の文字列。
「ああ……そういうことか」
鴉は何かを察したようで、半紙に向かってすらすらと筆を動かした。
そして書かれたのは、二文字の漢字。
「蒼燕……その鬼は鳥の名を持つ。燕、が鳥の種類の名だ」
「そういう名前として受け入れてたけど、よくよく考えたら漢字も読み方も不思議な名前だよね」
「そうだろうな。一般的にこの漢字を書いたら〝ソウエン〟と読む奴が多いはずだ」
話しながら、鴉は更に文字を書き足して行く。
〝蒼燕〟の隣に綴られたのは〝焉〟〝正鳥〟〝青鳥〟の単語。
「〝燕〟と〝焉〟。
後者は〝正〟と〝鳥〟を組み合わせたとされる文字だ。
つまり〝焉〟という言葉自体が鳥を意味し、ここでは〝燕〟を暗に指す。
そしてもうひとつ、正しき鳥の〝正鳥〟は、同じ音を持つ青き鳥の〝青鳥〟を指す。
〝正鳥〟が何を意味する鳥かってのは……この時間が偽りだってことを考えたら分かるはずだ。
これでお前が聞きたいことの答えは出たんじゃないか?」
「焉なる鳥……つまり、この詩の中に出てくる終焉の鳥は、言い換えれば偽りを正しい形に戻す鳥──即ち蒼燕のことを指しているんだよね」
「そうだ。一種の言葉遊びのようなものだな」
鴉は手にしていた筆を子上に返すと、己が書いた字を見ながら詩の内容を思い返す。
鴉に限らず、〈六華將〉はあの詩を知っている。
そしてその詩が意味するところも理解している。
しかし、それは当初の意味とは変わっていた。
否──変わってしまった、と云うべきだろう。
〝其 籠 終 役目〟──
鴉は最後の一文を思い返したところで、僅かに顔を歪ませた。
そんな鴉をよそに、仲達は筆を元の位置に戻す子上を見ながら静かに口を開く。
「お前は何故その詩と蒼燕が関係すると思った?」
「ああそれは、兄さんが特別だってことを聞いたときに、話の流れで薙瑠殿が言ってたんだ。
時を戻すには、蒼燕の存在も必要だって」
その言葉に反応を見せたのは、意外にも仲達ではなく、鴉の方だった。
黙って次の言葉を待つ仲達に対し、鴉は伏せていた視線を上げて子上を見遣る。
その顔はらしくないほど、真剣そのもので。
僅かに空気が変わった鴉の様子を肌で感じながらも、子上は怯むことなく自分の考えを紡いでいく。
「薙瑠殿は自分のことを、蒼燕の御霊を守る器、とも言ってたんだ。
あの詩を読んだとき、籠っていうのが器──即ち薙瑠殿自身を指していたら、鳥っていうのが蒼燕を指すんじゃないかって。
だから鴉に聞いてみたくなったんだよ、蒼燕の書き方を」
──その考えは、きっと正しい。
仲達も鴉も、子上の推測が間違っているとは思わなかった。
それでも二人が「間違いなく正しい」と言いたくなかったのは、自分と深い関係を持つ存在が、あの詩に関わっているからだった。
沈黙する二人の空気が決して明るいものではないことを、当然子上も感じ取っており。
そのことが、まだ口にしていなかった推測を、確信へと近づける手がかりのひとつになり得てしまったようで。
──蒼燕を解放するのって、兄さん?
紡ぎかけていたその問いかけを、子上は声にすることなく飲み込んだ。
「偽りだろうが、一度刻んだ時間は正しくあろうとする」
ふと、鴉が呟くように言葉を漏らす。
己が書き記した〝蒼燕〟の文字に視線を落とす彼の顔は、険しいものだった。
「その結果がこれか……やはり、こんな時間は存在するべきじゃない」
「どういうこと?」
「何でもねぇ、忘れてくれ」
鴉は、己が文字を書き記した半紙をくしゃりと鷲掴んで丸めると、片手のひらの上で、ぼうと燃やす。
小さな炎に包まれた半紙は一瞬にして塵となり、跡形もなく消え去るまで燃やし尽くした。
その様はまるで──この時間の結末を暗示しているかのように。
先の鴉の言葉は、あの詩の意味することに納得がいってないような、そんな言葉だった。
それは裏を返せば、詩が意味する本当の結末や、子元の役割を知っているということ。
「鴉、お前が知っていることを話してくれないか」
「悪いが仲達、今はそんな気分じゃない。
話を戻すが、俺たちの道なりは頭に入れたな?」
「……ああ」
「そうか、なら俺の用はもう済んだ。
俺はこのあと、一足先に呉へ向かう。
ひとつだけ言うとすれば、あいつ……子元の役割は、お前たちが考えている通りだろうよ」
それだけ言い残すと、鴉は数枚の黒い羽根を舞わせながら姿を消した。
詩の話題になってからは、終始険しい顔をしていた鴉の、核心を避けるような対応に、仲達は小さく溜息を吐く。
一方で子上は、その場に落ちる黒い羽根から、詩が書かれた手元の半紙へゆっくりと視線を移した。
「最初は偽りだなんて言われても、あんまり理解できなかったけど……今ならさっきの鴉の言葉、なんか分かる気がする」
「この世界は存在するべきではない……か」
「そう。兄さんはまだ何も知らないんでしょ?
この詩、伝えなくていいの?」
「あいつにはその詩が書かれていたものを既に渡してある。
呉との戦いが終われば目を通すはずだ」
「そっか」
子上は手にしていた半紙を元通りに折り畳むと、黙って仲達へと手渡した。
静かで暗い雰囲気が漂う室内とは対称的に、仲達の背後、朱色の幾何学紋の窓から見える外の景色は、陽が傾く頃でまだ明るい。
ふわりと風が入り込めば、彼らの髪や華服が小さく揺れ、地に落ちていた鴉の羽根もが宙へと舞う。
しかし、その羽根が再び地に触れることはなかった。
飛花落葉、泡沫夢幻──散る花、落つる葉、泡の如く消える水。
時間の全ては夢幻の如く。
そう訴えるかのように、黒い羽根は静かに姿を消したのだった。
───────────────
会他人、有生残酷 結末。
若 不 会彼時。若 不 会 彼女。
恐 此 出来事 不起。
【出会いは時に、残酷な結末をもたらす。
あの時、出会っていなければ。
彼女と、出会っていなければ。
こんなことにはならなかったのに。】




