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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 間章[転]─
70/81

隠サレシ鳥ハ解放セラル (1/1)

 冷たい風が身体を冷やす、玄冬(ふゆ)の昼下がりの時刻。

 子元(しげん)薙瑠(ちる)の二人と別れた子上(しじょう)が向かった先は。


「父さん……ちょっと、聞きたいんだけど」


 いやに神妙な顔をして執務室を訪ねてきた子上に、仲達(ちゅうたつ)は椅子に背を預けながら「なんだ」と話を促す。

 険しい顔つきではあるものの、そこに厳しさはなく、家族の前でだけ見せる穏やかな様。

 そんな父の目を真っ直ぐと見ながら、子上が問いかけたのは、二人から聞いた父に聞くべきだという事柄。


「兄さんが〝特別〟って、どういうことかな」


 その言葉を聞くや否や、仲達は視線を落としながら溜め息を吐いた。

 表情こそほとんど変わらないものの、僅かに眉根を寄せた彼の変化を、子上は見逃さない。


「すごい面倒くさそうな顔するね」

「面倒くせぇ話だからな……」

「父さんは知ってるんだね、兄さんは知らないのに」

「誰から聞いた」

「兄さんと薙瑠殿からだよ、現時点では兄さんよりも父さんの方がよく知ってるって」


 今度は明らかに表情を険しくした仲達。


「面倒なことばかり押し付けんじゃねぇ」


 彼は内心で子元に毒づいた。

 そう、彼はあくまでも内心で呟いたのだが、その言葉は子上によって紡がれていた。

 子上は母の春華(しゅんか)に似て、父の気持ちを汲み取るのがとても上手い。


「って思ったでしょ?」

「……子上」

「あっ、はい、すみません」


 時にして瞬きをするくらい僅かだったものの、名を呼ぶ声と空気が重みを持ち始めたのを敏感に察して、機嫌が悪くなる前に子上は取り敢えず謝った。

 取り敢えず、程度で済むのは二人が親子であり、且つ互いの扱いをよく理解(わか)っている〝信頼〟という名の関係性があるからだ。


 しん、と静まり返る室内。

 子上は「面倒くせぇ」と言っていた父が、話題を切り出すのをただ静かに待つ。

 話す気が無いのであれば、父は自分をここに留めておくようなことはしないからだ。


 一方で仲達は、どこから如何(どう)話すべきなのか、考えを巡らせていた。

 知るきっかけとなった『幻華譚(げんかたん)』を読んだとは言え、全ての事柄を「こうだ」と断定できている訳ではない。

 特に子元にまつわることに関しては、どちらかと言えば推測、であることの方が多かった。


 ──否。

 答えは出ているものの。

 信じたくはない──と云うべきか。


「子上。お前は子元(あいつ)やこの世界に纏わることを、どの程度知っている?」 

「他の皆も知ってる程度のことくらいしか知らないよ」


 子上は片手で指を折りながら、これまで聞いた話を思い出しながら言葉を並べていく。


「鬼がいる今の世界は偽りで、本当は鬼がいない世界だったこと。

 その偽りの世界を、在るべき姿に戻すのが〈六華將(ろっかしょう)〉の目的だってこと。

 そして兄さんが、特別な存在だってこと。

 推測するに、兄さんの特別な存在っていうのは、〈六華將〉が目的とする〝世界を正す〟ことと何らかの関係があるってことだよね」

「そうだな……お前の言ってることは間違ってはいない」


 そう言いながら、仲達は懐から四つ折りにした半紙を取り出すと、子上に見せるように執務机に広げられている地図の上に広げた。

 紙には墨で文字が書かれており、五文字の漢字が六列、規則正しく並んでいる。


「読んでみろ」

「これって……詩?」

「読んで何を思ったか、お前の考えを聞きたい」

「分かった」


 素直に頷いた子上は紙を手にとって、その内容にゆっくりと目を通していく。




  短命(タンメイ ナル) 咲儚(サクラ ノ) (ハナ)

  解放(カイホウ スルハ) (ネムリシ) 籠鳥(ロウチョウ)

  (ソレ) (スナハチ) 終焉(シュウエン ノ) (トリ ナリテ)

  不在(アラズノ) (トキガ) 告 終(オハリヲ ツグ)

  (エン ナル)(トリ ハ) 出 自 籠(カゴ ヨリ イデテ)

  其籠(ソノ カゴ) (ヤクメヲ) 役目(オヘル ナリ)


 〝命短し桜の華が

  解放するのは籠に眠る鳥。

  その鳥は終焉の鳥であり、

  偽りの時間(とき)が終わりを告げる。

  終焉の鳥が籠から出たとき、

  籠は役目を終えるのだ──〟




 読み終えたものの、一度では理解できなかったのか、子上は再度目を通す。

 そんな息子の様子を、仲達は静かに見つめていた。

 漢詩とも言えるその詩は、彼が『幻華譚(げんかたん)』を読んでいたときに、特に印象に残ったものだった。


 読んでいる最中にあの詩が出てきて、息子の役目を知る手がかりのひとつなのではと、仲達は一度(ページ)をめくる手を止めた。

 とはいえ、具体的な内容が書かれている訳ではなく。

 その時は、(ただ)その詩を心に留め、先を読み進めることにしたものの、読み終えた後もあの詩が意味する内容が気になり、彼は半紙に書き留めていたのだった。


 『幻華譚』を読んだが故に様々なことが推測できてしまうのなら、読んでいない者はあの詩を如何(どう)捉えるのか。

 読んでいないからこそ、子上に聞いてみたくなったようだった。


「この詩って、誰が作ったものなの?」

「桜の鬼だろうな。そいつが曹操(そうそう)様に伝えたものらしい」

「桜が解放する……終焉の鳥……」


 二度読み終えた子上は、詩の中に書かれていた単語を呟きながら、今まで聞いた話との関連性を探るように思考を巡らしていく。

 仲達は彼なりの答えを導き出すのを、静かに待っていた。

 再び訪れた静寂の時間だが、それはすぐに終わりを告げる。


「仲達、ちょっといいか」


 どこからともなく、子上の後方、執務室の(とびら)付近に姿を表した(からす)が、二人の様子を気にもせず仲達へと歩み寄る。


「お前に気を遣うという概念はないのか」

「いや、家族の前なら気にせず姿を表していいと、そう言ったのはあんただろ」

「そういうことじゃねぇ……」

「何が違うんだよ」


 遠慮の欠片もないような態度の鴉だったが、それは鴉なりに仲達を信頼していることの証だった。

 そのことを仲達も分かっているからこそ、特に咎めることはしていない。


「話は何だ」

「ああ、薙瑠(ちる)と呉国に向かう(くだん)魏国(こっち)に戻ってくる道なりと時間の目安を伝えておこうと思ってな」


 そう言いながら、執務机の上の地図に視線を落としながら、鴉は指差し伝えていく。

 二人がやりとりをする最中、口を挟んだのはこれまで黙っていた子上だった。


「ねぇ鴉、取り込み中のところ悪いんだけど、〝あおつばめ〟の漢字を書いてくれないかな」

「あ? 何だ突然」

「名前はずっと聞いてるし想像はできてるけど、どんな字で書くのかなって、改めて気になって。

 父さん、少し机を借りてもいい?」

「……ああ」


 父から許可を得た子上は、机上に広げられていた地図を半分折りたたむと、地図の下にあった毛筆用の下敷きの上に、執務室内にあった新たな半紙を置く。

 そして執務机の片隅に置かれていた筆に軽く墨を付けて、鴉へと手渡した。


「はい、これで」

「何だって急にそんなこと……」


 半ば怪訝な顔をした鴉だったが、ふと子上が手にする紙に目が留まる。

 紙の裏に、反転した〝短命咲儚華〟の文字列。


「ああ……そういうことか」


 鴉は何かを察したようで、半紙に向かってすらすらと筆を動かした。

 そして書かれたのは、二文字の漢字。


蒼燕(あおつばめ)……その鬼は鳥の名を持つ。(つばめ)、が鳥の種類の名だ」

「そういう名前として受け入れてたけど、よくよく考えたら漢字も読み方も不思議な名前だよね」

「そうだろうな。一般的にこの漢字を書いたら〝ソウエン〟と読む奴が多いはずだ」


 話しながら、鴉は更に文字を書き足して行く。

 〝蒼燕〟の隣に綴られたのは〝焉〟〝正鳥〟〝青鳥〟の単語。


「〝(エン)〟と〝(エン)〟。

 後者(こっち)は〝正〟と〝鳥〟を組み合わせたとされる文字だ。

 つまり〝(エン)〟という言葉自体が鳥を意味し、ここでは〝(エン)〟を暗に指す。

 そしてもうひとつ、正しき鳥の〝正鳥(セイチョウ)〟は、同じ音を持つ青き鳥の〝青鳥(セイチョウ)〟を指す。

 〝正鳥(セイチョウ)〟が何を意味する鳥かってのは……この時間(せかい)が偽りだってことを考えたら分かるはずだ。

 これでお前が聞きたいことの答えは出たんじゃないか?」

「焉なる鳥……つまり、この詩の中に出てくる終焉の鳥は、言い換えれば偽りを正しい形に戻す鳥──即ち蒼燕(あおつばめ)のことを指しているんだよね」

「そうだ。一種の言葉遊びのようなものだな」


 鴉は手にしていた筆を子上に返すと、己が書いた字を見ながら詩の内容を思い返す。

 鴉に限らず、〈六華將(ろっかしょう)〉はあの詩を知っている。

 そしてその詩が意味するところも理解している。

 しかし、それは当初の意味とは変わっていた。

 否──変わって(丶丶丶丶)しまった(丶丶丶丶)、と云うべきだろう。


 〝其 籠(その籠) 終 役目(役目を終えるなり)〟──


 鴉は最後の一文を思い返したところで、僅かに顔を歪ませた。

 そんな鴉をよそに、仲達は筆を元の位置に戻す子上を見ながら静かに口を開く。


「お前は何故その詩と蒼燕(あおつばめ)が関係すると思った?」

「ああそれは、兄さんが特別だってことを聞いたときに、話の流れで薙瑠殿が言ってたんだ。

 時を戻すには、蒼燕の存在も必要だって」


 その言葉に反応を見せたのは、意外にも仲達ではなく、鴉の方だった。

 黙って次の言葉を待つ仲達に対し、鴉は伏せていた視線を上げて子上を見遣る。

 その顔はらしくないほど、真剣そのもので。

 僅かに空気が変わった鴉の様子を肌で感じながらも、子上は怯むことなく自分の考えを紡いでいく。


「薙瑠殿は自分のことを、蒼燕の御霊(みたま)を守る器、とも言ってたんだ。

 あの詩を読んだとき、籠っていうのが器──即ち薙瑠殿自身を指していたら、鳥っていうのが蒼燕を指すんじゃないかって。

 だから鴉に聞いてみたくなったんだよ、蒼燕の書き方を」


 ──その考えは、きっと正しい。


 仲達も鴉も、子上の推測が間違っているとは思わなかった。

 それでも二人が「間違いなく正しい」と言いたく(丶丶丶丶)なかった(丶丶丶丶)のは、自分と深い関係を持つ存在が、あの詩に関わっているからだった。


 沈黙する二人の空気が決して明るいものではないことを、当然子上も感じ取っており。

 そのことが、まだ口にしていなかった推測を、確信へと近づける手がかりのひとつになり得てしまったようで。


 ──蒼燕を解放するのって、兄さん?


 紡ぎかけていたその問いかけを、子上は声にすることなく飲み込んだ。


「偽りだろうが、一度刻んだ時間(とき)は正しくあろうとする」


 ふと、鴉が呟くように言葉を漏らす。

 己が書き記した〝蒼燕〟の文字に視線を落とす彼の顔は、険しいものだった。


「その結果がこれか……やはり、こんな時間(せかい)は存在するべきじゃない」

「どういうこと?」

「何でもねぇ、忘れてくれ」


 鴉は、己が文字を書き記した半紙をくしゃりと鷲掴んで丸めると、片手のひらの上で、ぼうと燃やす。

 小さな炎に包まれた半紙は一瞬にして塵となり、跡形もなく消え去るまで燃やし尽くした。

 その様はまるで──この時間(せかい)の結末を暗示しているかのように。

 

 先の鴉の言葉は、あの詩の意味することに納得がいってないような、そんな言葉だった。

 それは裏を返せば、詩が意味する本当の結末や、子元の役割を知っているということ。


「鴉、お前が知っていることを話してくれないか」

「悪いが仲達、今はそんな気分じゃない。

 話を戻すが、俺たちの道なりは頭に入れたな?」

「……ああ」

「そうか、なら俺の用はもう済んだ。

 俺はこのあと、一足先に呉へ向かう。

 ひとつだけ言うとすれば、あいつ……子元の役割は、お前たちが考えている通りだろうよ」


 それだけ言い残すと、鴉は数枚の黒い羽根を舞わせながら姿を消した。

 詩の話題になってからは、終始険しい顔をしていた鴉の、核心を避けるような対応に、仲達は小さく溜息を吐く。

 一方で子上は、その場に落ちる黒い羽根から、詩が書かれた手元の半紙へゆっくりと視線を移した。


「最初は偽りだなんて言われても、あんまり理解できなかったけど……今ならさっきの鴉の言葉、なんか分かる気がする」

「この世界は存在するべきではない……か」

「そう。兄さんはまだ何も知らないんでしょ?

 この詩、伝えなくていいの?」

「あいつにはその詩が書かれていたものを既に渡してある。

 呉との戦いが終われば目を通すはずだ」

「そっか」


 子上は手にしていた半紙を元通りに折り畳むと、黙って仲達へと手渡した。

 静かで暗い雰囲気が漂う室内とは対称的に、仲達の背後、朱色の幾何学紋(きかがくもん)の窓から見える外の景色は、陽が傾く頃でまだ明るい。

 ふわりと風が入り込めば、彼らの髪や華服が小さく揺れ、地に落ちていた鴉の羽根もが宙へと舞う。

 しかし、その羽根が再び地に触れることはなかった。


 飛花落葉(ひからくよう)泡沫夢幻(ほうまつむげん)──散る花、落つる葉、泡の如く消える水。

 時間(せかい)の全ては夢幻の如く。

 そう訴えるかのように、黒い羽根は静かに姿を消したのだった。


───────────────


 (タニンニ)他人(アフコト)(ザンコク)(ナル ケツマツ)残酷(ヲ ショウズル) 結末(コト アリ)

 (モシ) 不 会(カノ トキ)彼時(アハザレバ)(モシ) 不 会(カノジョニ) 彼女(アハザレバ)

 (オソラクハ) (コノ) 出来事(デキゴト) (オコラ)(ザラン)


【出会いは時に、残酷な結末をもたらす。

 あの時、出会っていなければ。

 彼女と、出会っていなければ。

 こんなことにはならなかったのに。】

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