其ノ陸 ── 華開クハ終焉ヘノ道標 (6/11)
「桜」──夫 則、
司 記憶 持 能力〈華〉。
辿 記憶、支配 時間 空間。
夫 恐 而 兼備 美。
然而、努 努 勿 忘。
桜 咲 時、物語 者 向 終焉 矣。
【「桜」──それは、記憶を司る能力を持つ〈華〉。
記憶を辿り、時間や空間を支配する。
それは恐ろしくもあり、同時に美しさを兼ね備えているもの。
しかし、忘れてはならない。
桜が咲きし時、この物語は終焉に向かっていく事を。】
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二人が廊下へ出たあとの事。
再び静寂に包まれた大広間で、仲達は〝あの時〟のことを思い返していた。
夜も更け、街が暗闇に包まれた頃。
いつものように、静かな夜を、静かに過ごしていた。
しかしその日は、いつにも増して静寂に包まれた夜だった。
──そう、静かすぎた夜だったのだ。
その静けさは、徐々に嫌な予感へと変わり。
そして現実になった。
城内から聞こえる、破壊の音と大勢の人の悲鳴。
増える死体と、紅に染まる自分の息子。
ゾッとする光景だった。
──殺るしかない。手は抜くな。
その光景を自分の隣で見ていた人物の言葉が、何度も頭の中で繰り返された。
自分に言い聞かせる様に。
その出来事から数日後、幸い息子が死ぬ事は無かったが。
心に、深い傷を付けた。
──魏国の恥だ。
役立たずのお前に居場所はない──
とある人物の言葉。
あの時、自分の隣にいた人物。
その一言が周りの態度を一変させた。
化け物だと、あからさまに彼を避ける者。
鬼の力を扱えないことに対して、嘲笑ったり蔑んだりする者。
鬼と人間、種族を問わず、今まで信頼していた・されていた人物からの、裏切られたような態度。
そんな周りの態度よりも、「役立たず」の烙印を押されたことが何よりも辛かったに違いない。
そしてそんな時、自分は何もすることが出来ずに──
「……仲達? どうかした?」
突如、神流の呼びかけが耳に入る。
その声で我にかえった仲達だが、彼は何も言う事なく二人が出て行った扉を見つめた。
桜の鬼──謎多き伝説の鬼。
自分が生きていた中で、その桜の鬼の話を実際に耳にしたことがない。
だが、あいつは言った。
「俺は桜の鬼に仕えたことがあり、その存在を簡単に見つけることが出来る」──と。
その結果、本当に彼女を連れてきた。
探せと命を下した時は、息子を助けられる可能性があるならばと、僅かな希望にすがるような思いだったが。
何故今まで姿を消していたのか。
何故今姿を現したのか。
ここに来たのは、本当に息子を助けるためだけなのか──
今になって考えれば考えるほど、謎が深まるだけだった。
沈黙が流れる大広間に、突如金属質の開閉音が響く。
二人が廊下から戻ってきたのだ。
「お待たせ致しました。仲達様、お時間を頂戴してくださったこと、感謝致します」
仲達の前に進み出るなり、薙瑠は拱手をしてそう言った。
隣にいた子元も彼女に続いて拱手をする。
「お帰り。準備は整った?」
「はい、大丈夫です」
神流の問いかけに、薙瑠は微笑む。
そんな彼女の隣にいる子元は、真っ直ぐと仲達を見ていた。
仲達もそんな子元の様子に気付いたのか、自分の息子の方へと視線を移す。
二人の目が合った。
今まで顔を見ることすら避けてきた子元も、今は視線をそらすことなく、父親の目を見据えている。
──やってやる。
──やってみせろ。
口にこそ出さないものの、目を合わせる二人の間ではそんな言葉が交わされているようだった。
「──桜」
子元の方へと視線を向けていた仲達が、静かに彼女の名を呼んだ。
はい、と返事をする彼女の方へ視線を向けたあと、僅かに間を空けて言う。
「必ず成し遂げろ」
「はい、お任せください」
仲達の言葉に対し、薙瑠は拱手の姿勢をとりながら、力強く頷いた。
そして子元の方に向き直り、簡単に〈開華〉をするための説明を始める。
「今から〈開華〉させますが……子元様は何もしなくて大丈夫です」
「それで〈開華〉できるのか?」
「はい。先ほど少しお話しましたが、これからやることは、私の力を使うことで、あなたの〈華〉を〈狂い咲き〉する以前の状態に戻すことが目的です。強いて言うなら……落ち着いていてくださると、楽にできると思います」
薙瑠はそう言いながら、神流に預かってもらっていた自身の刀を、軽く礼を言って受け取った。
鬼の象徴である、刀という武器。
剣や柳葉刀と呼ばれる刀が一般的だが、鬼が持つ刀はそれらとは全く別物で、〝太刀〟と呼ばれている。
その太刀の鞘の部分を左手で、柄の部分を右手で持ち、横に構える。
刹那、桜の花弁が彼女を取り巻くように舞い──彼女の姿が変化した。
鬼は誰しも、人間の姿と鬼の姿、二つの姿を持つ。
普段は人間の姿で過ごすが、鬼同士での戦闘や本来の実力を発揮させる必要がある時に鬼の姿になるのだ。
姿が変化した彼女は、見た目が大きく変わっていた。
青い髪は、桜を連想させる淡紅色に。
衣装も華服ではなく、鬼特有の装い──〝和服〟と呼ばれる衣装に。
上衣と袖が分かれている桜色の着物、胸元のすぐ下で締められた茜色の帯、そして足元へとのびる若紫色の袴。
それらの至る所に桜の花弁が散りばめられている。
左目にしていた眼帯はなくなり、左側だけ長めだった前髪も、今は両目がしっかり見える長さになっていた。
その瞳も、青ではなく桃色になっている。
そして、鬼の特徴である深紅の角が額に現れ、その姿は〝桜の鬼〟という言葉通りの姿だった。
青い水面に、ぱっと桜が咲いたような姿の変化に、その場に居合わせた数人の人間から「おお…!」と驚きの声が上がる。
鬼が人間の前でその姿を見せることは殆ど無いため、人間にとっては珍しいものなのだ。
鬼である仲達や子元は、その時点ではまだ驚きは少ないようだった。
変化を終えた彼女は、前で構えていた太刀を引き抜き、その刀身を露わにさせる。
広間に差し込む光を反射し、桃色に輝く刃。
それも〝伝説の桜の鬼〟が持っていたとされる刀と同じ特徴だ。
刀を抜き終えたところで、漸く彼女が口を開いた。
「お待たせ致しました。
まずは、〈開華〉をさせる為の、場を整えます」
その言葉で、広間が異様な沈黙に包まれた。
その場にいる全員が、あの伝説の〈空間変化〉の話を思い出していたからだ。
もしも〈空間変化〉がこの場で起こり得たならば、あの伝説の桜の鬼の話は事実だった事になる。
その瞬間を見逃すまいと、神流を除く全員が注目する中、薙瑠は抜刀した太刀の切っ先を軽く地面にあて、静かに言った。
「〈空間変化・逍遙〉」
その瞬間、地面に当てられた切っ先を中心に、一瞬にして空間が変化した。
幾ばくかの光が差し込んでいた、広間の姿は跡形もなく。
大きな桜の木を中心に広がる、大草原の空間に変わっていた。
それと同時に、その場にいた人々が口々に驚きの言葉を言い始める。
仲達と子元は黙り込んでいるものの、驚きは隠せないようだった。
大草原にそよ風が吹き、桜の花弁がひらひらと舞う。
それに合わせて薙瑠の髪や和服もふわりとなびいており、その姿はまさに、桜の護り神の如く。
「……相変わらず綺麗ね、この場所は」
空間の変化に驚くこともなく静かに呟いた神流は、愛おしそうに、それでいて懐かしそうに桜の木を見上げている。
そんな神流の様子を見て、薙瑠は小さく微笑む。
「神流様、また今度……姫様のお話を聞かせてください」
「もちろんよ、あなたは姫様に欠かせない存在であると同時に、今は姫様でもあるんだから」
「……そうですね」
そう答える薙瑠の表情は、確かに微笑んではいたのだが、どこか寂しさを感じているような、そんな微笑みだった。
神流と言葉を交わした後、薙瑠は絶景に見とれるように桜の木を見上げている子元に視線を移した。
彼の少し長めの髪もそよ風に吹かれて軽くなびいており、眉目秀麗という言葉が似合う彼の様子に、薙瑠は思わず見入っているようで。
彼女の視線に気付いたらしい子元は、薙瑠の方へと視線を移した。
「……なんだ?」
「あ……い、いえ、何でもないです」
突然の子元からの問いかけに、薙瑠は慌てて視線を逸らす。
自分の気持ちを落ち着かせるように深呼吸をした彼女は、真っ直ぐな瞳で改めて子元を見た。
「これで……準備は整いました」
静かに告げる彼女の言葉を合図に、それまで口々に会話をしていた者も口を閉じる。
桜の木を見上げていた神流も薙瑠に視線を移し、仲達は依然として黙ったまま二人を見守っていた。
「今から始めます。……よろしいですか?」
「ああ」
彼の了承を得ると、薙瑠は太刀を鞘に収め、空いた右手で彼の胸元に軽く触れて、静かに目を閉じた。
子元も身を委ねるように目を閉じる。
薙瑠の行動に呼応するように、それまで吹いていた微風もやみ、静けさが空間を覆う。
彼女の右手からは柔らかな桃色の光が発せられ、それはやがて二人を優しく包み込んだ。
そんな彼らの様子を眺めながら、神流は仲達に問う。
「あの子が本物だってこと、信じた?」
「……まだ〈開華〉はしてないだろうが……」
「でも〈空間変化〉の証明はしてるわよ?」
「五月蝿い。お前は黙ってろ」
仲達はぶっきらぼうに答えるが、二人を見つめるその表情は、安心して息子を託している親の表情になっていることに、神流は気付いていた。
神流と仲達がそんな会話をしている時、子元の頭の中では、まるで時間が戻るかのように、記憶が逆再生されていた。
人との関わりを避けていた日々。
化け物だと罵られ。
〈咲き損ない〉だと嘲笑され。
「役立たず」「魏国の恥」という烙印を押され──
そして、殺されかけたときの記憶。
死にかけている自分を見下ろす、父親ともう一人の視線。
その後は、自分の記憶にはない映像が流れた。
多くの人を、片っ端から虐殺している──そんな自分の映像。
でもそれは本当に一瞬で、瞬く間に流れていった。
そして、自分が〈狂華〉に陥る直前──自分が記憶を失う直前にまで戻ったところで、映像は止まった。
「もう、目を開けてもいいですよ」
そんな彼女の声が聞こえ、恐る恐る目を開ける。
微笑んでこちらを見ている薙瑠の顔が目に入った。
自分の胸元に触れていた彼女の右手が下ろされているのを見ると、どうやら〈開華〉は終わったらしい。
吹き止んでいた微風も再び吹き始め、ふわりふわりと桜の花弁を運んでいた。
「気分はどうですか?」
「……特に異常はない」
「ふふ、それなら良かったです」
薙瑠は楽しそうに笑っていた。
あまりにも変化が無さ過ぎる自分に疑問を感じたのか、子元は彼女に恐る恐る問うた。
「〈開華〉……できたのか?」
「なーに言ってんのよ子元、自分の姿を見てみなさい」
問いかけに答えたのは薙瑠ではなく、二人の様子を離れて見ていた神流だった。
彼女の言葉を聞くなり、子元はすぐさま自分の姿を見下ろす。
その視線の先では、いつもの空色の華服ではなく、水色の生地に黒の差し色が入った和服が、風に揺られてふわりと舞っている。
同時に、はらりと髪が垂れ、普段よりも長くなっている髪が視界の両端に入り込む。
その髪色は、左が黒で右が青という何とも奇妙な状態で、左右で髪の色が違うという事実にたどり着くまでに数秒を要した。
予想外の状況に、思わず固まる。
しかし、すぐにあることに思い当たり、子元は恐る恐る自分の額に手を触れた。
得体の知れない、つるつるとした硬いもの。
それは、鬼であることを象徴する──鬼の角だ。
「鬼の姿になっているのか? 俺は……」
「はい、〈開華〉した事で自然とその姿になったみたいです。髪の色が黒と青の二色なのは、きっとあなたのお父様とお母様、双方の力を受け継いでいるからだと思います。
……素敵です、子元様」
「良いじゃん! 似合ってるわよ子元!
ね、仲達、あんたもそう思うでしょ?」
神流の問いかけに、仲達は答えなかった。
薙瑠と神流の笑顔とは対照に、彼は相変わらず鋭い視線を送っている。
睨むのではなく、ただ鋭いだけ。
その違いに気付いている神流は、仲達がどこか安堵したような気持ちでいることを見抜いていた。
しかし、そんな神流でも、仲達の考えていることまでは分からない。
──いや、寧ろ彼の考えていることが分かる人物は、彼の妻である春華を除いて他にいないだろう。
だからこそ、この後の彼の行動は誰にも予測できなかったのだ。