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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第伍章 ─
69/81

其ノ拾伍 ── 狙イ定ムル飢エシ虎 (15/15)

 会 蒼燕(アオツバメニ アイシ) (オンナ)(オニノ) (カノジョ) 鬼之彼女(ミルコト アタフ)

 其 故(ソレ ユエ) (ジコ) 事故(オコル)

 (シカレドモ) (モシ) 警告(ケイコクシタラバ)(ソレ) (フセグ) (アタフル) (ナリ)


【蒼燕が出会った女性は、鬼である彼女が視えていた。

 視えていたが故に、起きた事故。

 しかしそれは、予め警告しておけば、防げたはずの事故だった。】


───────────────


 呉国(ごのくに)建業(けんぎょう)

 回復が早かった子明(しめい)は、今尚療養中の伯言(はくげん)の自室を訪れていた。


「もう殆ど万全なのではないですか」

「まあ……多少痛みは残るけど、今まで通り生活したり戦えるくらいにはなってるよ」

「……あの時、見逃してもらえていなかったら、今ここにはいなかったでしょうね、あなたも、そして私も」


 子明の言うあの時とは、村民ともども〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉を焼いた日のこと。

 茱絶(じゅぜつ)が桜の鬼──薙瑠(ちる)を刺した直後、倒れかかる彼女を支えるように、突如現れた蒼髪の人物。

 それを認識した瞬間、首筋に僅かな痛みを感じたかと思えば、子明は気を失っていたのだった。


 次に目が冷めたときには、黒紅(くろくれない)の焔に囲まれていたはずのその場所は、青白い氷の世界になっていた。

 ずきずきと痛む頭を懸命に働かせながら把握できたことと言えば。

 今の自分は手足を凍らされた状態で座らされており、身動きが取れない状態なこと。

 それは己の隣で横たわる茱絶も同じであること。

 茱絶とは反対側の、隣に居る陸遜(りくそん)は──立った状態で胸から下、ほぼ全身を凍らされており、荒い呼吸を繰り返しているものの、意識は朦朧としているようであること。

 そして前方には、横たわる柱に腰掛けて、こちらの様子を伺っている、蒼髪の人物がいること。


「やっと目を覚ましたか」


 その人物が、笑み一つ浮かべることなく呟いた。

 癖のある前髪から覗く鋭い双眸は、髪と同じく、薙瑠と同様の色を持っていた。


「あちこちで倒れていた貴様らを運んでやったんだ、感謝くらいするんだな」

「……誰です、あなたは……」

「ほう、口を聞ける程度は意識がしっかりしてるのか」


 どこか感心するような口ぶりで、蒼髪の鬼は言う。


「隣の奴、死なないようにと呼吸をできるようにしてやったにも関わらず、話すのもままならない。──弱いな」


 その言葉は、項垂れている陸遜(りくそん)本人にも聞こえていたようで、苦虫を噛み潰したような顔をした。

 ……が、その瞳には光がない。

 恐らく、自分の意識を保つだけで精一杯なのだろう。

 屈辱的なことを言われたら間違いなく言い返す性格の彼が、一切反論しない様子を見れば、かなり危機的状況にあることくらい容易に理解できた。

 そんな陸遜(りくそん)の様子を見上げていた子明は、蒼髪の鬼に視線を戻す。


「……話が、あるのでしょう? ……私たちに」

「ああそうだ。だが俺が言いたいことはたった一言だ」


 そう言うと、蒼髪の鬼は初めて笑みを浮かべる。

 今の状況を愉しんでいるような彼の口から紡がれたのは、本当にたった一言の言葉だった。


「抗え」

「……は……」

「それが貴様らの役目だろう」

「……そんなこと、言われなくとも……」


 何を当たり前のことを、とも言わんばかりの子明の言葉を聞くと、蒼髪の鬼はくつくつと笑いだした。

 馬鹿にするような彼の態度に、子明が怪訝な顔をしたのは言うまでもない。


「何がおかしいんです?」

「ふ……馬鹿が。

 その抗うことこそ、利用されている(丶丶丶丶丶丶丶)のだと気付いてないのか?」


 周囲に花咲く氷の冷気をまとった風が、子明の肌を刺すように撫でる。

 子明の姿を捉えて離さない蒼髪の鬼は、口角を上げて嗤っていた。

 髪と瞳の色が同じだからだろうか。

 似ても似つかないものだが、彼の姿が先程相対した薙瑠の姿と重なった。

 その時、微笑む彼女に言われたある言葉が、脳裏に過ぎる。


 ──覚えておきましょう。

 ──〈六華將(ろっかしょう)〉に貢献した者として。


「……そういうことでしたか」 


 あの言葉にはそんな意味が込められていたのだと、今になって気づく。

 だが、〈六華將(ろっかしょう)〉に刃向かうことが、たとえ利用されているものであったとしても。

 彼──孫権様は、抗うことをやめはしない。

 何故ならば。

 彼には、桜の鬼に対して刃向かうための、最もな動機が存在するから。


「なんだ、利用されている心当たりがあったのか?」

「まさか。ただ……彼女が、少しだけ手がかりを教えてくれたので、それに気付いただけです」

「ほう」


 蒼髪の鬼が興味深そうに頷いたとき、頭上から(むせ)る声が耳に入ったかと思えば、ぱたぱたと地を染める血液が目に入る。

 はっとして伯言を見上げた子明は、先程よりも更にぐったりとしている様子に、これ以上無駄話をすることはできないと、未だに痛む頭を必死に働かせる。


「ところで……私たちを如何(どう)する気ですか。

 殺す気が無いのなら、いい加減解放していただけますか」

「はっ……そんな状況でよく強気な口を聞けるものだな。

 まあいい。殺す気が無いのは事実だ。解放してやるとしよう。──ただし」

「ただし……?」

「そいつは貰っていく」


 蒼髪の鬼は、子明の隣に横たわる茱絶を指差した。

 未だに気を失ったままの彼はピクリとも動かないが、死んではいないのだろう。

 しかし、本来の目的である〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉の消滅は成せている。

 このまま魏国(あちら)の手に渡ったとて、不利益になるようなことは何も伝えていない。

 

「……分かりました」

「なんだ、随分とあっさり手放すんだな。所詮は利用するための道具に過ぎないってか」

「なんとでも言えばいいでしょう。解放の条件はそれだけですか」

「……そうだな」


 蒼髪の鬼は、漸く重い腰を上げた。

 ゆったりとした足取りで子明の隣、横たわる茱絶の元へ向かい、彼の目の前で足を止めるなり、軽々と茱絶を肩に担いだ。


「桜の鬼に喰われたあいつ(丶丶丶)は、桜の鬼の標的として選ばれし者だ。

 それはただの気まぐれかもしれないし、何か意図があったのかも分からん。

 だがそれが如何(どう)であれ、お前たちは忠実に、眼前に広がる路を進んでいる訳だ。

 精々、その道を突き進め。絶対に迷うことなく──な」


 子明を横目で見ながらそう告げた後、蒼髪の鬼は、その場に白銀の粒子を残してゆらりと消えた。

 同時に、辺りに咲き誇っていた氷華も白銀の粒子となって昇華していく。

 手足を拘束していた氷も昇華し、身動きが取れるようになった子明は、その場に倒れかかる伯言を、ギリギリのところで受け止めた。

 かなり冷え切っているその様子に、子明は小さく舌打ちをして、節々が痛む身体にむち打ち、伯言を抱えてその場を後にしたのだった。


 そんな状態からようやく、万全に近い状態まで回復した伯言だったが、「見逃された」という子明の言葉に、痛む左脇腹をさすりながらも、琥珀色の瞳をぎらつかせながら顔を顰めた。


「舐めやがって……精々敷かれた道を進めだと?

 利用なんか……されてたまるかよ……っ!!」


 朦朧とした意識の中、聞こえてはいたらしい蒼髪の鬼の言葉に、納得がいっていないようだった。

 反論ができるということは、それほど体調が回復してきているという証だ。

 そんな伯言の様子に、子明は心の内でほっとしていた。


「落ち着いたらどうです?

 そんなに喚いてもどうにもならないのも確かでしょう」

「あんたは悔しくないのかよ!?」

「利用価値があるから見逃した、なんて言われ方をされておいて、悔しくない者がいると思います?」

「だったら何でそんなに落ち着いてんだよ!?

 桜を殺す機会をみすみす逃しておいて──」

まだ方法がある(丶丶丶丶丶丶丶)から、に決まってるじゃないですか」


 珍しく鋭い声音で発せられた子明の言葉に、伯言は目を丸くして怯む。

 いつも穏やかで、常に微笑んでいるような呑気な印象が強い子明だったが、今の彼には笑み一つ浮かんでいなかった。


 確かに、あの村を襲撃した目的は〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉の消滅。

 だが伯言の言うとおり、あのとき桜を殺してさえいれば、勝ったも同然だっただろう。

 予期せぬ妨害が入ったとはいえ、その機会を逃したことは自分たちの失策に他ならない。


 一方で子明には、桜を殺すべきは自分たちではないという気持ちが強くあった。

 今の呉国(ごのくに)を率いるは、江東(こうとう)の小覇王とも呼ばれた孫策(そんさく)の弟、孫権(そんけん)

 彼にはまだ、敵国(あいて)に明かしていない能力がある。

 それを用いて、最終的には桜を消す──

 今度の戦は、あくまでもそれを仕掛けるための準備(丶丶)にすぎない。


魏国(ぎのくに)に宣戦布告した今、一戦交えることになるのは必至。

 ですが今回の戦。あの方にも協力していただきます」

「……え? どうやって説得したのさ?」

「少々手を焼きましたが……少しだけお手伝いしていただけたら、あとは自由に戦っていいという条件で協力していただけることに」

「ああ……なるほど」


 子明の説明に、伯言も納得がいったように頷いた。


「あの人を呼んだってことは……いよいよ仕掛けるんだね」

「そうです。こちらもそう易易とやられる気はありませんが……如何(いか)ような展開になっても仕掛けられるようにする、最初で最後の機会になるでしょう」

「〝刻印〟の標的は〈六華將(ろっかしょう)〉と──」

「ええ、司馬(しば)一族。ですが、最有力候補となるのは……」

「──(からす)


 伯約は、琥珀色の瞳を煌々とさせながら、その名を紡いだ。

 次こそは逃さないという、決意の現れ。

 そしてそれはまた、子明も同じだった。


 *

 *

 * 


 同刻、建業の城門前。


「……まさか、またここに戻ってくるなんてねぇ」


 橙色の毛並みを靡かせながら、もう一匹の飢えた雌虎が姿を現していた。

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