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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第伍章 ─
68/81

其ノ拾肆 ── 溢レ出ヅル想ヒノ欠片 (14/15)

 〈(ハナ)咲 因(アオツバメ二) 蒼燕(ヨリテ サク)

 (シカレドモ) 原因(ゲンイン) (タダ) 彼女(カノジョノミ) 不 在(ニ アラズ)

 蒼燕(アオツバメ) (アル) 或 女(オンナ二 アフ)(ソレ) (スナハチ) (コノ) 時間(セカイ)()(ハジマリ) (ナリ)


【此の時間(せかい)で〈(はな)〉咲くきっかけとなった鬼──蒼燕(あおつばめ)

 しかし、起因となったのは彼女一人の存在だけではない。

 その全ての始まりは、一人の女性と出会ったことだった。】


───────────────


 金烏(たいよう)が大地の下に隠れ、玉兎(つき)が顔を出そうとしている頃。

 子元(しげん)薙瑠(ちる)を連れて来たのは、洛陽(らくよう)から少し離れた丘の上。

 そこは空と大地、二つの景色がよく見える、見晴らしの良い場所だった。

 青春(はる)が近づきつつあるとは(いえど)も、未だ玄冬(ふゆ)の季節。

 陽の暖かさが失われる夜は空気が冷える。


「寒くないか?」

「大丈夫です。お気遣いありがとうございます」


 薙瑠は小さく微笑いながら応えを返すと、再び空を見上げる。

 少しの陽の明るさを残していた空は、あっという間に月光のみの世界に姿を変えた。

 まだ低い玉兎(つき)と共に、綺羅(きら)、と小さく光る星。


 そんな空の移り変わりを静かに見つめながら、彼女はふと瞼を閉じて、時間毎に変わりゆく景色を思い返す。


 宵の冷たさが残る(あさ)の空気。

 金烏(たいよう)陽光(ひかり)と暖かさ。

 夕焼け色に染まった空と、茜さす草木。

 そして──宵闇に浮かぶ玉兎(つき)と星屑。


 金烏(きんう)玉兎(ぎょくと)、春夏秋冬。

 巡り(めぐ)る時間は、生きとし生けるものに世界の記憶を刻んでいく。

 それが例え、偽りの、偽物の時間(せかい)だったとしても。


 現在(いま)時間(せかい)が偽りとされる所以(ゆえん)である、鬼の存在。

 悪は何かと問われれば、それは鬼だと云うだろう。

 でも、それはあくまでも表向き(丶丶丶)の考えだ。

 何故ならば、真実は──誰も。



 ──誰も、悪くないのだから。



 この時間(せかい)に鬼が生まれてしまったのも、きっかけは単なる事故(丶丶)だった。

 それでも、鬼は悪でなければならない。

 予測できない事態が起こり得てしまったとしても、決して交わってはならない人間(ヒト)と鬼の交わりは、全て鬼側の責任となる。

 だからこそ、私は。

 誰も悪くないと知りながらも、自分の護りたいものを、護るために。



 此の世界を〝偽物〟として、そして蒼燕(あおつばめ)を〝悪〟と決めつけて──犠牲にする。



 すう……とゆっくり目を開く。

 彼女の視線の先には、変わらず煌めく星々と静かに大地を見下ろす玉兎(つき)の姿があった。

 子元も同じ情景を眺めながら、彼女の言葉を静かに待っている。


「夜空は……綺麗ですね。

 星屑が散らばっている様は、まるで宝石箱のようで」

「ふ……そうだな」

「子元様は、夜はお好きですか?」

「好きか否か……考えたことはなかったが、嫌いではないだろうな」

「そうなんですね」


 そんな他愛のないやり取りのあと、少しの間を空けて、彼女の口から紡がれた言葉は。


「私は……夜が嫌いです」


 彼女らしからぬ、否定的なものだった。

 子元が驚いたように彼女を見ると、二人の視線が交錯する。

 彼女は微笑んでいたものの、何処か辛そうな顔をしていた。

 薙瑠は前方に広がる大地へと視線を移しながら、胸の内に燻る感情を素直に吐き出していく。


「夜は……死ぬのが怖くなるんです。

 寝る前に、ふと死というものについて考えてしまうことがあって。

 死んだら自分はどこに行くのか、どうなってしまうのか……言葉にできないような、とてつもない不安に襲われるんです」


 ぽつり、ぽつりと、紡がれる彼女の想い。

 月明かりを反射しながら、ふわりと靡く青い髪はとても儚げで、切ない美しさを纏う彼女の横顔を見つめながら、子元は静かに耳を傾ける。


「死の先に何があるかなんて、誰にも分からない。

 分からないからこそ、怖くて。

 昼間、金烏(たいよう)が空にいる時に、同じように死について考えても、全然怖くないんです。

 でも、夜は……怖い。

 孤独で、寂しくて、不安で、どうしようもない感情の波に呑まれてしまう」


 胸の内で燻る感情が、ひとつ、またひとつ、言の葉となって紡がれていく。

 溢れて零れそうになる自分の感情を、何とかせき止めようと、薙瑠は刀を強く握りしめた。


「それが毎晩……毎晩続くんです。

 夜になって、寝ようと横になって、目を閉じたとき。

 毎晩のように苦しくて。怖くて。

 私は……死ぬのが怖いんです」


 彼女の顔に浮かんでいた微笑みは、既に消えていた。

 堰き止められなかった感情が、涙となって頬を伝う。

 それでも尚、薙瑠は言葉を止めなかった。


「昼間なら、死ぬ覚悟もできていて、死に対する恐怖もないのに……夜になると突然、そんな覚悟なんかできていないかのように、不安と恐怖に襲われる。

 心が……ぎゅって、縛り付けられるような、そんな感覚に襲われるんです。

 だから私は……夜が嫌い……っ」


 涙を流しながらそう言い切った彼女を、子元は自然と抱きしめた。

 半ば驚いたような反応があったものの、彼女もそっと、子元の背に腕を回した。

 小さく震える、彼女の手。

 それが背中越しに伝わってきて、子元は抱きしめる腕に僅かに力を入れる。


「俺が、側にいる。必ず。

 お前を一人で死なせはしない」


 その言葉が正解だったのかは分からない。

 分からないが、彼女は死ぬ覚悟ができていないわけでも、死ぬことに恐怖を覚えているわけでもなく。

 夜になると、覚悟によって心の奥底に沈めた、己の素直な感情が溢れ出てくる──それが怖いのだと、そう言っているように聞こえた。

 もちろん、死に対する恐怖は少なからずあるのかも知れないが。


 冷たい風が肌を撫でる、静かな夜。

 腕の中で小さく震える身体を見下ろしながら、子元はそっと頭を撫でる。


 言葉が紡がれる度に笑顔が消えていく彼女を、一度は止めようと思った。

 しかし、わざわざ時間がほしいと言って来たことを考えれば、普段は言えない内に秘めていた気持ちを、誰かに聞いてほしいのだと、もう我慢できないのだと、遠回しに助けを求めているようにも見えて。

 子元は止めることなく、最後まで彼女の言葉を聞き届けた。


 ──自分は……どうなんだろうか。


 死の覚悟ができているのか。

 死に対して、恐怖を覚えているのか。

 戦乱の世に在る今、明日は我が身となる可能性もある死。

 人を殺すことに躊躇いなどなければ、死ぬ時に怖いと思うこともないのだろう。

 そんな曖昧な考えしか持てないのは、彼女のように〝死〟というものと正面から向き合っていないから。


「お前はすごいな、薙瑠」


 心の底から感じた、彼女への称賛。

 子元はその気持ちを、素直に言葉にした。


「世界の現状のみならず、自分自身の気持ちとも向き合える強さを持てることは、称賛に値することだ。

 そんな強さを持つお前を、俺は心から尊敬している」

「……私は、自分の役割を熟しているだけです。

 与えられた役目を全うすることは当たり前でしょう。

 強さなんて……持っていない」


 顔を埋めたまま、小声ながらも子元の言葉にしっかりと応える薙瑠。

 これほど弱々しい姿を見るのは初めてで、まるで小動物のような可愛らしさに、子元はついつい口元を綻ばせてしまう。


「ふ……俺も母上に対して同じことを言ったな。

 やるべきことをやるのは当たり前のことだと。

 だが母上は、当たり前だと思えることが格好いいことなんだと、そう言っていた」

「格好いい……ですか?」

「ああ。与えられた役目を全うすることが一般的であっても、その内容が一般的な事柄とかけ離れた内容であるほど、当たり前のように熟すことは難しくなる。

 お前や俺の役目はそういう類のものだろう?

 だからこそ、己の気持ちと向き合って、その上で役割を全うしようとしているお前は……とても強かで、格好いい」


 子元が紡いだ言葉は、しっかりと彼女に届いていたらしい。

 背中越しに伝わっていた手の震えは、いつの間にか止まっていた。

 そしてふと、埋められたままだった彼女の顔が僅かに上がる。

 その視線は月明かりの下に照らされる大地へと注がれており、二人の双眸が交わることはなかった。


「……死に対する、不安と恐怖に襲われたとき……いつも、子元様の事を考えるようにしてるんです」


 ぽつりと呟かれた彼女の言葉に、一瞬どきりと胸が騒ぐ。

 密着している状態での心拍音までは誤魔化せないものの、声音だけは平静を装いながら、子元は優しく(いら)えを返す。


「俺のことを考えて如何(どう)するんだ」

「子元様のことを考えると……落ち着くんです。

 不安も恐怖も、嘘みたいに消えて……眠りにつける。

 だから何時(いつ)も、子元様の為ならって、ある種のおまじないのように唱えてから寝てるんです」

「……それで本当に眠れてるのか?」

「本当です。子元様は……子元様の存在は、いつも私を護ってくださっています。

 本来は私が護る立場なのに、護られてばかりで……子元様がいてくださって、良かったです」


 そう言いながら、薙瑠はようやく顔を上げた。

 目元が僅かに赤くなっているものの、小さく(わら)うその表情は普段通りの彼女だった。

 小さくて、温かくて、それでいて強か。

 その一方で、酷く儚く──そして脆い。

 そんな一面を隠し持つ彼女の存在は、今手放してしまったら、もう二度とこの手には戻らないのではないかと、そんな気がして。

 上手く笑えていない自覚はあったものの、子元は誤魔化すように小さく微笑う。


「俺自身が、お前を護れる存在になっているのなら……何よりだ」

「ふふ、本当にありがとうございます。

 だから今度は、私が子元様を護ります」

「側近として、か?」

「それもありますが、桜の鬼として、子元様の未来を護りたいんです」

「……未来?」


 意外な単語が出てきて目を丸くする子元に、薙瑠は小さく苦笑した。


「時を戻すとか、消えてなくなるとか……そんなことばかり言ってるのに、今更〝未来〟だなんて可笑しいですよね」

「いや……お前のことだ、きっと俺とは違う世界を見ているんだろう」

「そうでもないです、時を戻した先の世界は正しい時間(とき)を刻んでいくことになります。

 ですから当然、その先には未来が存在する。

 私はそこでの、戻った先での子元様の未来を護りたいんです」

「……やはりお前はすごいな。

 俺は一生、お前には敵いそうにない」

「それは大袈裟ですよ」


 再び苦笑する彼女を見下ろしながら、子元も笑みを浮かべた。

 夕陽が映り込んでいた彼女の瞳は今、玉兎(つき)の光を取り込んで、また違った美しさを持ちながら綺羅(きら)綺羅(きら)と揺らいでいる。

 ずっとこのまま、静かな時間を過ごしたいとは思うものの、そういう訳にもいかず。


「そろそろ戻らないとな」

「そうですね」

「だが俺はまだ、お前を解放する気にはなれない」

「えっ……何故ですか?」

「お前が、俺を解放してくれないからだ」


 その言葉に、薙瑠は一瞬思考を停止したような顔をすると、顔を逸らしながら慌てて腕を広げた。

 意地悪な言い方だと思いつつも、自分から放す気になれなかった今、これが一番効率が良かった。

 子元は小さく笑ってから、耳を赤くしている彼女をそっと解放してやる。

 彼女の体温で暖かくなっていた身体を、玄冬(ふゆ)の風は容赦なく冷やしていく。

 その事に若干の不満を感じながらも、樹に繋いでいた馬へと足を進めようとした、刹那。

 華服(かふく)の背中側を軽く引っ張られる。

 子元が不思議そうに振り返れば、彼女は俯き気味に、不安そうな表情を浮かべていた。


「……今日も」


 雫が落ちるが如く、紡がれる呟き。

 それは静かな音を響かせながら、水面に大きな波紋を創り出す。


「今日も……私を、護ってください」


 留めなく落ちる雫は、次々と異なる大きさの波紋を描き出していく。

 言葉の意味を把握した子元は、柔らかく微笑えんで。


「もちろんだ」


 応えを返したあと、子元は己の華服を掴んでいた彼女の手を、優しく包み込むように握った。

 ふと、留めなく落ちていた雫が止まれば、水面の波紋も徐々に姿を消してゆく。

 いつも通りの、静かで平らな、綺麗な水面。

 薙瑠は顔を上げ、安心したように息を吐きながら「ありがとうございます」と(わら)った。

 その()みを見届けてから、子元は彼女の手を引いて、馬へと足を進めていく。


 清風明月(せいふうめいげつ)玉兎(つき)明かり照らす静かな夜。

 二人で過ごす、最初で最後の、自由な時間(とき)が終わりを告ぐ。

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