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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第伍章 ─
63/81

其ノ玖 ── 後悔ナキ陽光ノ路 (9/15)

 〈(ハナハ)(オニニ) (サク)

 (ミルコト) (アタフル) (モノ)(ソノ) (ソンザイ) 存在(ヲシル)

 (ソノ) (モノノ) (メニ) (ウツル)(ハナ)〉、類似(アルハナニ) 或 花(ルイジス)


【鬼に咲く〈華〉。

 その存在が在ると分かったのは、視える者が居たが故。

 その者が見た〈華〉の形は、現実に存在する、とある花にとても良く似ているものだった】


───────────────


 金烏(たいよう)が昇り、辺りが明るくなり始めた頃。

 薙瑠は子元の部屋へと向かっていた。


 呉国(ごのくに)との戦に備え、子元は最前線とも言える砦に向かうため、(あさ)早く砦に向かうと聞いていた。

 しかし、その出発日は明日だったはず。

 何か予期せぬことがあって、予定を早めたのだろうか。

 そんなことを考えながら、刀を片手に、子元の部屋の戸を軽く叩く。


「子元様。桜薙瑠、ただいま参りました」

「ああ、入れ」

「失礼いたします」


 彼の応えを聞き、ゆっくりと戸を開ける。

 外から差し込む光が僅かに逆光になっており、その眩しさに、薙瑠は一瞬だけ目を細めた。

 背を向けて、華服(かふく)の袖に腕を通している子元。

 服の留具を留め終えて、彼は薙瑠の方を振り向く。

 華服と髪が、ふわりと舞う。

 その優雅さに目を奪われそうになるが、本当に彼女の目を奪ったのは、彼と目が合った瞬間だった。


「……子元様……その前髪……」

「ああ」


 左眼を隠すように伸びていた彼の前髪は、綺麗に切られていた。

 もともと彼は容姿端麗だったが、両目がはっきりと見えるようになったことで、恐ろしいほどに整ったように見える。

 言葉を発さずに驚きの眼差しを向けている薙瑠に、子元は僅かに苦笑した。


「……変か?」

「い、いえ……! とても良く、お似合いです」

「ふ……そうか。

 もともと周りの目を視界に入れたくなくて、伸ばしていただけだからな……今の俺には、必要ない」


 苦笑から一転、安堵の笑みを浮かべる子元。

 その表情ひとつひとつが、とても綺麗で、強かで、彼らしくて。

 彼を見ているだけなのに、心臓の音がうるさくて、それに耐え切れず、薙瑠は思わず目を逸らす。

 そんな自分の状況に半ば困惑しながら、薙瑠は話題を変えた。


「と、ところで……出発日を一日早めたのには、何か理由があるのですか?

 緊急でしたら、もし差し支えなければご教示願えたらと」

「ん? 何を言っている、出発は変わらず明日だ」

「え……? では本日は一体……」


 予想外の返答に、薙瑠は再び子元を見た。

 二人の視線が絡まり合う。

 刹那、子元の口から紡がれた言葉は。


「お前のためだ」


 心地の良い穏やかな声音。

 目を丸くする薙瑠に小さく顔を綻ばせながら、子元は言葉を続けていく。


「時間がほしいと言っていただろう?

 その為の時間を、一日作った」

「え……そんな、一日もいただかなくても……!」

「俺がそうしたかった」


 そういう子元の瞳は、揺らぐことのない真っ直ぐな視線で、薙瑠の姿を映し出す。

 〈逍遙樹〉の下で、父・仲達と話したあの日、己が紡いだ「後悔していない」という言葉。

 それこそが、薙瑠との関わり方に対する答えなのではないかと考えたのだった。

 故に時間を創ったのだ。

 この先──後悔していないと、そう言える(みち)を歩んでいくために。


「お前が必要とする時間はどのくらいだ?」

「少しだけ、お話を聞いていただければ……と思ったので、そんなに長くいただかなくて大丈夫です。

 できれば……陽が沈んだ、星空が見える時間帯だと嬉しいなと……」

「分かった」


 子元は瞳を伏せて頷くと、再び真剣な瞳を彼女に向ける。

 ある種の決意を含んだ、青白い瞳。

 先ほどとは少し違う雰囲気を持つ彼に、薙瑠も自然と背筋を伸ばし、体の前で両手で刀を携えて彼の言葉を待った。


「俺は……現在(いま)の時間を大切にしたい。

 例え消えてなくなる世界だとしても。

 その選択をしたことで、この先、辛い思いをするとしても。

 俺は……お前との時間を、大切にしたい」


 そこまで言葉にしたところで、子元は一度目を伏せた。

 そして、何処か苦しそうな表情を浮かべて、己の胸の辺りを片手で掴む。


「だが、この……俺の想いが、お前を苦しめる糧になることも……分かっている。

 だからこれは、俺の我儘だ。

 今日一日だけでいい。

 今後はもう……お前を苦しめる糧となるようなことは、一切しないと誓う。

 だから……今日というお前の時間を。

 俺に……預けてくれないか」


 最後の言葉を紡ぐときには、子元は揺らぎない瞳で薙瑠を見ていた。

 目を丸くしながら僅かに驚きの表情を見せる彼女は、きっと困惑しているだろう。

 そんな問いかけをする自分は、彼女に対して酷なことをしているという自覚はあった。

 しかし、それでも。

 己のために、そしてある意味では彼女のためにも、気持ちをはっきりさせておく必要があると、そう思っていた。


 一方で、子元の言葉を聞いた薙瑠は。

 驚き、困惑、嬉しさ──様々な感情が混ざり合う中で、一番強く感じていたのは。


 ──ああ、なんて、格好いいんだろう。


 意外にも、彼に対する好感だった。

 何故ならば、その想いも、想いの強さも、真っ直ぐな瞳も。

 必ずと言っていいほどに。

 自分の心を──揺さぶってくるものだったから。


 これまで幾度となく、彼の想いの本音を聞くことがあったが。

 その度に、彼の抱える、そして自分の背負う役割が頭をよぎり、薙瑠はその想いから目を背けていた。

 しかし、今までと違うのは、彼女がこれまで目を背けてきたことを知った上で、想いを伝えているということ。

 だからだろうか、彼に対する好感を、より強く感じられているのは。


 そして彼女もまた、あることを心に決めていた。

 共に過ごす時間を創る。

 その約束の時間(とき)には、彼を頼り、彼に縋る勇気を持つ──

 その第一歩を踏み出す時が、まさに今、この瞬間なのではないだろうか。


「もちろんです」


 僅かな静寂の時を超え、薙瑠は答えを待つ彼を、彼の青白い瞳を見つめ返しながら、小さく微笑(わら)った。

 そんな彼女の表情(かお)には、これまでとは違って、動揺や困惑の色は見えなかった。


「もともと、時間がほしいと言ったのは私です。

 それに……子元様との時間を大切にしたいのは、私も同じですから」


 悲哀のない彼女の微笑みを見るのはいつぶりだろうか。

 久しく見ていなかったその表情(かお)を直視できず、子元は照れくさそうに目を逸らす他なかった。


「……恩に着る」


 小声で呟いたその言葉はしっかりと彼女にも届いていたようで、薙瑠も「こちらこそです」と応えた。

 髪を切ったことにより、視界が広がった世界で彼女を見るのは、しばらく慣れそうにない──

 そんなことを思いながらも、子元は彼女に視線を戻すと、そっと、自らの手を差し伸べた。


「……行こう」


 時たま視線が逸れるものの、子元の双眸(そうぼう)には、一寸光陰(いっすんこういん)──僅かな時を、決して無駄にしないという、確かな決意が現れていた。

 それを敏感に感じ取っていた薙瑠は、心からの(えみ)を浮かべながら。


「よろしくお願いします」


 目の前に差し出された彼の手に、ゆっくりと己の手を添えた。

 子元はそんな彼女の手を包み込むように柔らかく握ると、手を引いて、ゆったりとした足取りで部屋の外に出ていく。

 彼に連れられて、薙瑠も部屋を後にする。

 髪や華服を靡かせながら回廊を歩く二人の後ろ姿は、儚いながらも、強かな雰囲気を纏っていた。

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