番外篇 ── 天ヲ翔ケル龍ノ如ク
閑話休題。時間遡り、約三年前。
これは、とある鬼が、まだ〈華〉を咲かせていない頃のお話──
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若葉が茂る、朱夏の始まり。
洛陽の都城から少し離れた、大自然広がる長閑な場所。
樹木が疎らに立つ大草原の景色の中、其処に一人、馬を連れた男性がいた。
彼は馬を近くの木に繋ぎ、その木に背を預けて座っている。
木陰の中、黒髪の下から覗く紅の瞳には、眼前に広がる静かな景色が映されていた。
ざわざわと揺れる梢。
さらさらと靡く馬のたてがみ。
彼の短い黒髪も、それらと共に揺らいでいる。
しかし、そんな穏やかな景色とは対象的に、彼の表情は思い詰めているような、険しい表情をしていた。
「……」
その心焉に在らざれば、
視れども見えず、聴けども聞こえず。
彼は自分の息子の事ばかりを考えていた。
現在から二年程前のこと。
それは突然に起こった。
彼の息子の〈華〉が、〈狂い咲き〉したのである。
幸い命は助かったが、〈咲き損ない〉の状態になったら最後、二度と咲かない。
というのは、それを〈蕾華〉の状態に戻せるのは、伝説と謳われる鬼──〝桜の鬼〟にしか為せないことだからだ。
しかし、その鬼を探せると言った人物がいた。
何もできないのなら、せめて可能性のある事を。
そう思い、その人物──鴉に〝桜の鬼〟を探すことを頼んだ。
それから二年が経ち、現在に至る。
烏兎匆匆、未だ何の進展もない。
その事に──いや、何もできない己に半ば苛立たしさを覚えた彼は、気分転換をする為に外に出たきた訳だが、当初よりも更に険しい顔になっており。
(……情けねぇ……)
自分の無力を痛感するばかりだった。
大きく溜息をひとつ。
そして特に何をするでも無く、ただただ静かに景色を眺めていた彼──仲達は、ゆっくりと腰を上げた。
木に繋げていた手綱を解き、馬に跨る。
そして手綱を叩き、馬は大自然の中を颯爽と駆け出した。
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「おかえりなさいませ、旦那様」
「……ああ」
洛陽に帰れば、自室では彼の妻である春華が出迎える。
滑らかで波のある青い髪を揺らしながら微笑む彼女に、仲達は小さな布袋を手渡した。
彼女は自分の手に乗せられた茶色いそれを見て、不思議そうな顔をする。
「旦那様、これは?」
「……子元に渡せ」
「子元に?」
春華は紐を解き、布袋の中を覗く。
中には指輪のような銀色の耳飾りがふたつ、輝きを放っていた。
良く見れば龍のような模様が施されている。
それを見て、春華は小さく笑った。
「これって、旦那様が着けているものと同じ、ですね?」
「…………そうだ」
「親子でお揃い。意外と可愛らしいところがありますわね、旦那様」
嬉しそうな微笑みを浮かべている春華を見て、仲達は眉根を寄せる。
「うるさい。黙って子元に渡せばいい」
ふん、と拗ねた子供のように目を逸らしながら、仲達は足早に執務机に向かい、椅子に腰掛けた。
そんな彼を見て、春華は再び小さく微笑う。
「渡すときはあなたが買ったと、そうお伝えしますわ」
「いや……それは、伏せたほうがいいだろう。
俺の名を出せば、あいつは嫌がるだろうから」
肘をつき、机上に広げられた地図に視線を落とす仲達。
背後にある、幾何学模様を施した朱色の窓枠からは穏やかな陽射しが差し込んでおり、彼の何処か寂しそうな背中を照らしている。
そんな彼を瞳に映す春華の顔にも、寂しさの色が浮かんでいた。
子元に対して、何もしてやれないことに苦しさを感じているのは、母である春華も同じだった。
静寂の時間が訪れる。
しかしその静寂は直ぐに破られた。
「父上ー、今日も手合わせを……」
開いたままの戸を叩く音と共に、そんな声が聞こえてくる。
何処か間の抜けたような、しかし明るい雰囲気をまとった声音の持ち主は、子元の弟である子上だ。
彼は室内に漂う雰囲気に、敏感に何かを感じ取ったのか、中途半端に言葉を止めた。
春華は彼を振り返って、微笑みながら入りなさいと言うように手招きしたが、仲達に至っては顔すら上げていない。
「……また兄さんのこと話してたの?」
「そうよ、旦那様がこれを子元に渡して欲しいって言っててね」
戸を閉めながら入室する子上に、春華が茶色い布袋の中身を見せながら説明すると、彼はむすっとしたような顔をする。
そして視線を父に移し、未だ顔を上げていない彼のもとへすたすたと近付いていった。
執務机の目の前で立ち止まった彼は、母に似た青い瞳に父の姿を映しながら、はっきりと一言。
「ねぇ父さん、僕のこと嫌い?」
頭上から降ってきた予想外の言葉に、仲達は漸く顔を上げた。
しかしその表情に変化はない。
「……なんだ急に」
「父さん母さんも、二人が兄さんのことを気にかけてるのは分かるし、それは僕だって同じだけど」
「……けど?」
「……もう少し、僕のことも見てほしい」
拗ねたようにしゅんとする子上は、子犬のような可愛さがあって、ついつい分かったと頷きたくなるが。
彼はそう簡単には頷かない。
「……手合わせ。してやってるだろうが」
「それはそうだけど! そうじゃなくて! というか、一番最初の質問に答えてよ父さん」
目の前にいる息子をじっと見つめる紅い瞳は、表情こそ笑顔はないが、子供を見る親の瞳でしかなく、それに真っ先に気付いたのは春華だった。
斜め後ろから子上の頭を軽く撫でながら、優しくなだめる。
「子上、旦那様はあなたの父親よ。嫌いなわけないじゃない」
「知ってる。だけど父さんからちゃんと聞きたい」
なかなか折れないしつこさは誰に似たんだと思いながら、仲達は小さく息を吐いたあと、ぼそりと呟いた。
「……嫌いなわけあるか」
「ほんと?」
「嘘をつく理由がない」
「そっか、ありがとう、僕も父さんのこと大好きだよ」
笑顔で紡がれた息子の言葉に、仲達は半ば驚いたような表情を見せたあと、直ぐにいつもの険しい顔に戻り、視線を落とした。
しかし、彼の周りには花が見えるかのように穏やかな雰囲気が生まれていた。
(わかりやすいなぁ……)
(わかりやすいわね、ほんとに)
子上と春華は内心でそんなことを呟きながら微笑んでいる。
二人は家族故に、彼の変化を敏感に感じ取っていた。
「子上、子元の様子は」
「えっ? あ、はい、いつも通りです父上」
「今のは業務報告じゃないだろう、普通でいい」
「分かった。
兄さんはいつも通りだよ、父さん」
「……そうか」
子上の「いつも通り」という報告に、一転しゅんとする父親は、子上の目から見ても分かるほど兄を溺愛していた。
しかし、その溺愛の程度は己にも向いている事を、彼は知っている。
知っているからこそ、そして彼自身もそんな父が好きだからこそ、からかいたくなってしまうのだった。
「もーほんと父さんって、兄さんのこと大好きだよね」
「……またか?」
「何が?」
「またお前のことが嫌いだとかどうとか……」
「まだ何も言ってないけど?」
「……」
仲達の眉がピクリと動く。
苛ついてきてる証拠だった。
しかし、それに慣れている子上は春華と同様、父親の扱いには長けている。
「でも正解、よく分かったね、やっぱり僕のことも大好きだね父さん」
「…………だったら何だ」
「嬉しいなーと思って」
仲達と子上の平和なやり取りに、春華は小さく微笑う。
しかし、本来そこに居るはずの、大切な存在が一人欠けている。
そのことに一番傷ついてるのは、言うまでもなく仲達だった。
何をするでもなく、ただ地図に視線を落としているだけの彼は、顔を上げることなく寂しそうに呟く。
「……あいつは、俺を恨んでる。
話したところでそれは変わらない。
殺そうとしたのは、紛れもない……事実だからな」
己に言い聞かせるようなその言葉は、普段の威厳のある彼らしくもない、弱々しい言葉だった。
「何より……一番辛いのはあいつなんだ。
何も出来ない俺に、言葉をかける資格なんてない。
だから、せめてお前たちだけでも……子元に寄り添ってやってくれ」
「……はい、分かってますよ、旦那様」
「大丈夫だよ父さん、こんな状態が続くのは、〝桜の鬼〟が見つかるまでのことだからさ」
──それは、一体何時になるのか。
そんな思いを抱きながらも、仲達は小さく一言、「そうだな」と呟いた。
「じゃあ、僕はそろそろ戻るね。
父さん、手合わせはいつでもいいから」
「私もこれを子元に渡してきますね、旦那様」
「……ああ」
子上と春華は、仲達が頷いたのを確認すると、静かに部屋を出ていった。
一人残された仲達は、大きく息を吐く。
そして己の掌へと視線を落とした。
〈華〉は成長するにつれ、〈蕾華〉から〈開華〉の状態になってゆく。
そして〈開華〉する時期は人によって様々だ。
そんな〈華〉を内に眠らせる鬼。
一昔前までは、鬼などという存在は居なかった。
もしも鬼がいなければ、人間として生まれていたのならば、子元が苦しむことはなかった筈だ。
そして親子としての関係にも。
こんなに亀裂が入ることなどなかったはずなのだ。
仲達は見つめていた掌を、力強く握りしめた。
──鬼なんて、存在しなければ。
そんな思いを、燻らせながら。
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その翌日。
自室で静かに佇む子元の両耳に、光り輝く銀色の耳飾りが在った。
それに刻まれし龍の紋様。
龍は、鯉が努力の末に滝を登りきり、天に向かって飛翔した成長後の姿であると、そんな言い伝えも存在する。
だからこそ。
──天を翔ける龍の如く、上を向け。
そんな想いが込められた〝父親からの贈り物〟であることを彼が知るのは、まだ先の未来の物語。




