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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第伍章 ─
61/81

其ノ捌 ── 桜ノ意思ト護リノ呪縛 (8/15)

 (ミチ) (タヨウニ) (カタチヲ) 多様(カヘル) (ベシ)

 (ソノ) 予測(ヨソク) 不 可 能(アタフ ベカラズ)

 (ユエニ) (ヨソクスル) 予測(アタハザル) 不能(デキゴト) 出来事(オコル)


【様々に姿を変える路。

 その全てを予測することは不可能である。

 だからこそ、時として予期せぬ出来事が起こり得てしまうのだ。】


───────────────


 ふわり、ふわりと、花弁(はなびら)を散らす桜の樹──〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉。

 その場を去る子元(しげん)の背中を、樹の両脇で見守る存在がいた。


 毛先が朱く染まった、白銀(しろがね)の髪を持つ二人。

 胸の辺りまで伸びた髪を、一人は右で、もう一人は左で結っている。

 二人は、彼女──薙瑠(ちる)左眼(丶丶)と同じ桃色の瞳で、子元の後ろ姿を見つめていた。

 しかしもちろん、その姿は誰の目にも映らない。


「後悔はしていない、か」

「有り難い言葉ですね、姫様」


 〈逍遙樹〉の左右で一言ずつ紡がれた言葉は、姿すら見当たらない、第三者に向けられており。


『……そうじゃな』


 姫様と呼ばれた存在の声が、どこからともなく聞こえてくる。

 当然その声も、誰の耳にも入らない。 

 しばしの静寂が訪れ、梢の揺れる音だけが心地よく響く。

 その静寂を破ったのは、お淑やかで、何処か威厳を感じさせる女性の聲。


『人の子は強いな。

 あやつも、薙瑠も、強き心を持っておる。

 そのことが……何よりの救いじゃ』

「まだ何も終わってないぞ」

「ええ、寧ろ乗り越えるべきはこれから……でしょう」

『うむ。あやつらなら乗り越えられよう。そう信じておる。

 しかし……(わらわ)の過ちは赦されるものではない』


 何時(いつ)しか梢の音は小さくなり、はらはらと舞う桜だけが虚しく残る。

 その様はまるで、姿の無き姫様という名の存在の感情を代弁しているかのようだった。


「姫様、ひとつ聞いてもよろしいですか」

 

 右にいる温厚そうな雰囲気を持つ彼が静かに問いかければ、聲はすぐに応じる。


『なんじゃ』

「薙瑠が人間だった頃の記憶を失くしていたのは、力を与えたことによる予期せぬ出来事ですか? それとも……」

『愚問じゃな。それを聞く事自体、既に答えは予測できておるということじゃろ』

「やっぱり姫様が意図的に預かったのか、あいつの記憶を」


 左の彼が紡いだ言葉のあと、僅かな間が空く。

 然れども、その静寂はすぐに破られた。


『恐怖を取り除いておくべきと考えた。

 にも関わらず、真実を言わなかったのは……あやつに拒まれる可能性を恐れたからじゃ。

 妾は嘘つき──反論の余地もない』


 聲が云う、〝拒まれる〟ということ。

 それ即ち、力を授けたあとに役目を放棄されるということだ。

 例えそうなったとしても、従わせる方法がないわけではなかった。

 それでも彼女は、その選択をしなかった。

 ──否。

 従わせるような真似はしたくないと、彼女なりの強い意思があった。

 そしてそのことは、桜樹の両側にいる二人も理解していた事柄だった。


「嘘つき……は、姫様の優しさの表れでしょう。

 私はその選択が間違っていたとは思いませんよ」

「俺も同感だ。何より、既にその選択をしなければならなかった事自体……本来であればあり得ないはずだったんだ」

『そうじゃ。真実を言わなかったこと以前に、薙瑠(あやつ)に御霊を背負わせてしまったこと。

 それこそが、妾の本当の過ちじゃ。

 だからこそ、せめて真実を伝えるときは妾の口から直接、伝えたかったのじゃが……なかなか上手くはいかぬな』


 (みち)は歪む。

 ありとあらゆる要因で。

 はらはらと舞う桜はどこか儚げで、もしも彼女がこの場に姿を表していたのだとしたら、きっと悲しみを含んだ微笑みを浮かべているのだろう。


「預かっていた記憶も、その時に返される予定だったんですね」

『うむ。本当の役目を知ってもらうためには、(ちぎり)を交した時のことを思い出してもらう他ない。

 あの様な形で返すことになろうとは……想定外じゃった』

「良くも悪くも、きっかけさえあれば、姫様が手を貸さずとも記憶は蘇るからな」


 左右にいる彼らは、桜の花弁(はなびら)を儚げに散らす〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉を見上げていた。

 この樹を、薙瑠が一時的に護り宿らせたことが記憶蘇るきっかけとなった。

 そして真実を知った彼女は今──その記憶に苦しめられている。


 夜、という時間帯は、薙瑠にとっては毒だった。

 その日のやるべきことを終え、生きとし生けるものの多くが眠りにつく時間。

 金烏(たいよう)が沈み、玉兎(つき)が顔を出す空。

 その下に広がる静寂の世界は、彼女に自ずと過去の記憶を再生させ、恐怖の感情を作り出す。

 それを少しでも取り除くために、聲の主は彼女に術をかけていた。


 恐怖を強く感じれば、痛みを伴う。

 一方で、僅かでも恐怖の感情が薄れれば、その記憶に蓋をして、静かな眠りを促す──

 過去に体験した恐怖を、少しでも和らげるための、記憶の妖術。


 しかしそれは、彼女を護るためだった。

 恐怖の感情に呑まれてしまえば、彼女は戦いに身を投じるどころか、最悪の場合は己の刀さえ握ることができなくなる可能性があった。

 そうなってしまえば、無理に従わせる他なくなる──

 これ以上、望まぬ路を歩まぬように、彼女が自分の意志で行動できるように、そう思ったが故の行動だったが。


『あやつからしてみれば、最早呪いじゃな……』


 そんな小声の呟きは、風の音にかき消され、側にいた二人には届かなかった。

 彼らの白い髪が風で靡く中、聲は再び言葉を紡いでゆく。

 

『思い通りになる事柄など、どこにも存在せぬ。

 例え神と崇め祀られるような者であろうとも、その者の思い通りに事が進むことなどあり得ぬのじゃ。

 故に妾とてその例外ではない』

「姫様……あまり思い詰められませぬよう。

 その為に私たちが居るのですから」

「ああ。本当に必要なときは……俺たちがあいつを側で支えてやるさ」

『お主らには本当に助けられてばかりじゃな』


 ふふ、と笑みが溢れるような聲が聞こえ、桜樹の下にいる二人も、つられるように柔らかい微笑みを浮かべていた。


『これは妾からお主らへの頼みごとじゃ。

 いざとなった時は……顕現の上、あやつを助けてやってほしい。

 顕現の時間はかぎられるじゃろうが……できる限りの力を貸そう』


 心から忠誠を誓う、主からの頼みごと。

 彼らは〈逍遙樹〉に向かって片膝をつき、敬意を評して頭を下げた。


「「承知いたしました」」


 凛とした二人の声が重なる。

 再び、ざわりと風が吹く。

 数多の桜が舞ったあと、既にそこには何者の姿もなく。

 仄かに桃色の光を放つ、〈逍遙樹〉のみが()った。

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