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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第伍章 ─
60/81

其ノ漆 ── 望ミシ路ニ花ハ咲ク (7/15)

 時間之(セカイ ノ)結末(ケツマツ) 不変(フヘン) (ナレドモ) (ソノ) (ミチハ) 可変(カヘン) (ナリ)

 多数(タスウ)()意思(イシ)影響(ミチノ) 路之(ヘンカニ)変化(エイキョウス)


時間(せかい)の行く末は変わらずとも、

 結末までの(みち)は変化する。

 数多の意思が折り重なるが故に、路は都度その姿を変えてゆく。】


───────────────


 数日の(とき)が過ぎ。

 ある程度の準備が完了しつつある中で、子元(しげん)は桜舞う〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉の下、幹に背を預けながら腰を降ろしていた。

 その手には、父・仲達(ちゅうたつ)に渡された『幻華譚(げんかたん)』が在る。

 薄茶の表紙を優しく撫でるように触れながらも、彼は中身を覗こうとはしなかった。

 呉国(ごのくに)との一戦が終わってから、と考えているのもあるだろうが、それ以前に。


「俺は……いつ、望んでいたんだろうな……」


 誰に尋ねるでもなく、子元は己の心境をぽつりと呟く。


 ──子元様が、その道に立っているのは……あなたが望んだからこそです。


 そんな彼女の言葉がずっと引っかかっており、それが明確になるまでは、これを読む資格はないのではないかと、そう思っていたのだった。

 しかし、彼を悩ませているのは、それだけではない。

 彼女──薙瑠との距離感を、如何(どう)保つべきなのか。


 それは数日前、回廊で彼女に会ったとき。

 陰りのある表情を浮かべる彼女へと、自然と手が伸びていた。


 守りたい、と。

 自分の手で、守ってやりたい、と。


 そんな想いが募って、軽く彼女を抱きしめたのだった。

 その時のことを思い出しながら、子元は己の手のひらに視線を落とす。

 抱き寄せたときの、彼女の僅かな温もりが忘れられなくて、それを逃すまいと、包み込むように優しく手を握る。


 誰でもいいと、そんな言葉は彼の本音ではなかった。

 本当に言いたかったのは。


「……出来る限り、俺の……側にいて欲しい」


 あの時言いかけたものの、紡ぐことを躊躇われた本心を、桜の木の下でぽつりと紡ぐ。

 躊躇した理由、それは(ぎょう)の平原で時間を過ごしたときのこと。

 その時も、子元は「出来るだけ側にいて欲しい」と、そう伝えていた。

 しかし、彼女の瞳が動揺した瞬間を見逃さなかったが故に、また同じような事を言っても困らせるだけだと、そう考えていた。


 ざわり、と桜が枝を揺らす。

 考えても答えが出ないことばかりが頭の中を駆け巡り、子元は何処か疲れたように溜息を吐いた。

 どうやら、それを聞いていた人物が居たらしい。


「……何だその溜め息は」


 急に声をかけられて、子元はびくりと肩を揺らす。

 半ば慌て気味に顔を上げると、いつの間に居たのか、目の前では父・仲達(ちゅうたつ)が呆れるような顔で子元を見下ろしていた。


「……何時(いつ)から居たんですか」

他人(ひと)の気配に気付かないほど思い詰めてるのか?」

「いえ……思い詰めているというか……」


 子元は目を逸らしながら、力のない声で(こた)える。

 彼が父と会うのは、あの日──『幻華譚』を渡された日以来。

 いやに素直だった父の態度を思い出してしまい、照れくさいことこの上なく。

 そんな子元の様子を知ってか知らずか、仲達は何も言わずに、子元の隣に腰を下ろした。


「余計なことに思考を使う余裕があるほど、準備は順調のようだな」

「否定はしません……が、少しは息抜きも必要かと」

「悩むことがお前の息抜きなのか?」

「……細かいことは如何(どう)だっていいでしょう」


 相変わらず刺々しい物言いではあるものの、その声音は随分と穏やかで、子元も以前に比べて身構えることなく受け答えをする。

 しかし、父が近くにいる、という状況が久しくなかったせいで如何(どう)にも落ち着かないようだった。

 そんな子元を、横目で見遣る仲達。

 そしてふと、彼の手元にあるものが目に入る。

 漆黒の髪から覗く紅き瞳に映るのは、子元が手にしている『幻華譚』。

 彼はそれを見ながら忌々しそうに眉根を寄せたあと、澄んだ空を背景に、気持ち良さそうに枝を広げている桜を見上げた。


「……お前は本当に望んだのか」


 思いもよらない仲達の言葉に、子元は目を丸くして父を見る。

 険しい顔をしているのはいつものことなのだが、桜を見上げるその表情には、怒りの感情が見て取れた。

 怒りの矛先は──自分か、はたまた別の何かか。

 その答えが分からないだけでなく。

 望んだか否か。

 それは子元自身、己に最も聞きたい問いかけだった。


「……分かりません」

「分からない……だと?」


 現状を素直に伝えると、仲達は怪訝な顔をした。

 分からない、という答えはどうやら予想外のものだったらしい。

 しばらく子元を見つめて逡巡したあと、仲達は再び口を開く。


「お前……覚えていないのか?」

「覚えていない、とは……?」

「お前が自分で、助けたいと望んだことを……だ」


 ──助けたいと望んだこと。

 その言葉はまるで、自分の記憶にない出来事を、彼は、父は知っていると、そう言っているようにも聞こえた。

 仲達の真剣な紅き瞳は、真っ直ぐと子元の姿を映し、捉えて離さない。


「……助けたいと……望んだ……」


 仲達の瞳を見返しながら、子元は言葉を反復させる。

 答えがあるはずのその先は、黒い靄に覆われていて見えないまま。

 でも、もう少しで、その靄が晴れる気がする。

 そんな根拠のない確信を現実にするために、子元は探るように父に問う。


「父上は……思い当たる出来事を、ご存知なんですね?」

「『幻華譚(それ)』を読んで確信した。

 ……と言うより……納得した」

「納得、ですか?」

「お前が寝ているときに(丶丶丶丶丶丶丶)呟いていた(丶丶丶丶丶)言葉……その言葉の本当の意味を、『幻華譚(それ)』によって気付かされた」


 視線を地に伏せる父から紡がれる言葉は、子元にとって記憶を辿る手がかりとなるもので。


「それは……何時(いつ)の事ですか」


 それさえ聞けば思い出せる自信があった。

 確かに、自分は、間違いなく。

 その瞬間を知っている(丶丶丶丶丶)はずだから。

 真っ直ぐな視線を向けてくる子元を、仲達は静かに見返したあと、その赤い瞳で妖艶に咲く桜を再び見上げた。


「この樹……〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉があった村から、洛陽(らくよう)への帰路についたとき……だ」


 ざわざわと、風に揺れる桜の樹。

 頭上から舞い落ちる桜の雨音に混ざりながら、子元の頭の中で鮮明に蘇る〝聲〟。


『お主は──あの少女を助けたい、か?』


 お淑やかで、かつ威厳を感じさせる女性の声。

 それに、(こた)えた。

 洛陽への帰路、揺れる馬上で、微睡(まどろ)む意識の中、助けたい、力になりたいと、確かに応えていた。 

 その声に応えることこそが──望んだ(丶丶丶)証。


 子元はふと、頭上で花咲く桜を見上げる。

 本人が覚えていない記憶までをも遡るという、〈逍遙樹〉。

 今再び、その力に助けられたような、そんな気がしていた。


「……思い出したのか」 


 静かな問いかけに視線を降ろせば、穏やかに視線を向けている父と目が合う。

 子元は視線を逸らすことなく「はい」と頷いた。

 それは、迷いなき真っ直ぐな(こた)え。

 桜雨の中、さらさらと靡く灰色の髪と、その下から覗く青白い瞳。

 揺るぎない意思を感じさせる子元の視線を受けながら、仲達は静かに口を開いた。


「お前自身が望んだ。それが答えか」

「はい。私は……他の誰でもない、私自身の意思で、現在(ここ)に立っています」

「……」


 仲達は何も言わずに視線を伏せる。

 その顔には、息子の選択を尊重したい一方で、望んでいたという事実に納得しきれていないような、そんな複雑な感情が滲んでいるように見えた。

 だからこそ子元は、言葉にするべきだと思ったのだろう。

 父に心配をかけないために、そして──自分の迷いを、完全に断ち切るために。


「きっかけは……幼い自分の、些細な感情だったかもしれません。

 ですが今も、その意思は変わりません。

 そして……望んだことに対しても、一抹の後悔もありません」


 強かに紡がれた子元の言葉に、仲達は僅かに目を丸くした。

 その視線は地を見つめたままで、子元を捉えることはなかったが。

 枝の揺れる音と共に、数多の花弁(はなびら)舞う桜樹の下で。


「……そうか」


 呟くように応える仲達は、小さく(わら)っていた。

 子元の「後悔していない」という言葉が、彼に(えみ)をもたらしたらしい。

 そんな父の、初めて見せる表情を、子元は見逃さなかった。

 だからこそ、何処か可笑しそうに笑いながら。


「父上もそんな顔をなさるんですね」

 

 子元は仕返しとも言わんばかりに、この前自分が言われた言葉をそのまま言い返した。

 そのことに気付いた仲達の目尻がぴくりと動く。

 先程の(えみ)が嘘だったかの如く、今の彼は何処か不機嫌そうに眉根を寄せていた。


「悪いか」

「いいえ」

「……お前、本当によく笑うようになったな」

「……はい?」


 形勢逆転、子元が優勢だったのも束の間、すぐに仲達が話題の主導権を握る。

 思いもよらぬ父の返しに、子元は呆けたような顔をした。

 そんな彼を横目に、仲達は彼の目──否、左目を隠すように伸びている前髪を見つめながら言う。


「その髪」

「髪……が何ですか」

「切ったら如何(どう)だ。

 笑わないお前は、もう見る影もないようだからな……」


 再び思いもよらぬことを言われ、子元は目を丸くした。

 そしてふと、自分の伸びた前髪をそっと触れる。

 〈咲き損ない〉になってから、周りの反応をできるだけ視界に入れないようにするために、伸ばしていた髪。

 それを「切る」という、考えたこともなかった選択肢。


 現在は過去の続きであり、過去に綴られた日常が変わることは決してない。

 しかし、過去に囚われたままである必要もない。

 何より現在(いま)はもう、〈咲き損ない(あの時)〉の自分ではないのだから──


「仲達様、子元様」


 突如名を呼ばれ、逡巡していた子元は我に返る。

 二人が声のした方を見遣れば、そこには薙瑠(ちる)の姿があった。

 何処か急ぐようにぱたぱたと駆けて来る彼女の左腕には、一羽の烏が()まっている。

 薙瑠は二人の前方で足を止めると、目線を合わせるように片膝をついた。


「お邪魔して申し訳ございません。

 お時間よろしいでしょうか」

「……どうした」


 仲達が彼女へ発言を促せば、薙瑠は「ありがとうございます」と軽く拱手(きょうしゅ)をしてから、言葉を続けていく。


蜀国(しょくのくに)の〈六華將(ろっかしょう)〉・和菊(なごみのぎく)狼莎(ろうさ)様より、報せを受けました」

「そのカラスが報せ(それ)か」

「仰る通りです。単刀直入に申しますが、休戦は受け入れると。

 しかしそれだけではなく……というより、恐らくここからが本題です」

「本題……だと?」


 薙瑠から紡がれる言葉に、仲達は怪訝な顔をする。

 それは隣で聞いていた子元も同じだった。

 彼女は真っ直ぐな瞳を向けながら、静かに頷く。


「はい。本題は、呉国(ごのくに)の鬼──(そん)向香(しょうこう)殿に関してです」


 その名を聞いた瞬間、子元は目を丸くした一方で、仲達の顔つきは険しくなった。

 僅かに逡巡するように瞳を伏せたあと、仲達はその場に立ち上がる。


「子元、今すぐ公閭(こうりょ)春華(しゅんか)を呼んで軍議室に来てくれ」

「母上も……ですか?」

「ああ。久しぶりに……力を借りる時が来た」


 そう言いながら、すたすたとその場を去っていく仲達。

 笑みこそ浮かんでないものの、前方を見据える彼の紅き瞳はその人物の登場を愉しむかのように、燃え盛っているようだった。

 そんな父の後ろ姿を見ながら、子元は立ち上がりながら薙瑠に指示を出す。


「お前は先に父上と軍議室に向かってくれ。

 報せの詳細は先に伝えておいてくれても構わない」

「承知いたしました」


 薙瑠は片膝をついた状態のまま再び拱手(きょうしゅ)をすると、烏に「少しだけ待っててね」と声をかけてから空へと放った。

 そしてすぐに、仲達の後を追って駆け足で去っていく。

 動作にあわせて揺れる彼女の髪と華服(かふく)

 その姿が徐々に離れていく距離感が、子元にとってはとても遠いもののように感じられた。

 ──が、今はそんなことを考えてる場合ではない。

 思考を止めるように深呼吸をしてから、枝を揺らす〈逍遙樹〉を背に、子元はその場を後にした。

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