其ノ陸 ── 鬼在ル時間ハ徒花ノ如ク (6/15)
大広間での劉禅とのやり取りを済ませた仲権は、伯約と狼莎に部屋へと戻る道のりを案内してもらっていた。
「狼莎殿」
「なに〜? というか、狼莎でいいよ〜?」
「いや……一応、所属が違うので」
「さっきのやり取りの後半からは既に敬語じゃなかったのに、何を今更改まってんだ」
「……お前には今後も改まらないからな」
「何だよその態度の差は?」
「何となく」
仲権の前を歩く伯約と狼莎は、警戒心など微塵もないような穏やかな雰囲気をまとっていて、それが仲権も警戒心を解くきっかけになったらしい。
国が違うと雖も、そんな事を気にすることなく、三人は親しげに会話を進めていく。
「それで〜? 私に聞きたいことがあるじゃないの〜?」
「いや……こいつって、いつもあんな突拍子のないことを言うんですか」
「そうだね〜、やるべき事が見つかったら、割とすぐ行動に移す事が多いかな〜。
でも流石に、さっきの提案には私も驚いたよ〜」
先程の大広間で、伯約が劉禅に対して提案したこと。
それは、伯約自身が魏国に赴いて、彼女──薙瑠の側で、彼女を直接支えたい、と言うものだった。
休戦はあくまでも戦をしないためだけのものであり、和解したわけでも何でもない。
それを承知の上で、彼は敵地に赴くと言ったのだった。
「お前は何でそんなにあいつ……薙瑠のことを気にかけてるんだよ」
「んー……何でだろうな。何か放っておけないというか、心配というか……」
「素直じゃないんだから〜、薙瑠ちゃんのことが」
「あーーーーー余計なことを言うなよ狼莎」
「ははっ、なるほどな、今ので大体察した」
「察するなよ」
不貞腐れる伯約を見ながら、仲権は面白そうに口角を上げ、一方で狼莎はくすくすと笑う。
「漢中で会ったときに、随分と気に入ったんだね〜」
「俺の話はもういいだろ」
「そう言えば聞いてよ仲権殿〜、あの戦、実は彼が独断で挙兵してたんだよ〜?」
「は……独断?」
思いもよらぬ言葉に、仲権は素っ頓狂な声を出す。
漢中での戦、それは子元と子上、そして薙瑠が、彼らと相対したときのこと。
あの戦がきっかけで、〈逍遙樹〉の存在や呉の目的が明らかになり、結果現在に至っている。
そう考えれば、呉との対立はあの戦が発端になったと言っても過言ではないだろう。
しかしまさか、あの挙兵が伯約自身の独断によるものだったとは。
「狼莎、流石に独断は言い過ぎだろ」
「言い過ぎじゃなかったら、劉禅様はあなただけに罰を与えるなんてこと、しなかったと思うよ〜」
「……仰る通りです」
「罰って……今の様子を見る限り行動制限もないみたいだが、勝手な軍事行為の割に随分と簡単に許されるんだな」
「──いや、許されてないさ」
先程までとは一転して、急に真剣味を帯びた声音。
伯約は足を止めて仲権を振り返ると、己の左腕を軽く捲くって見せた。
翠色の華服の下から現れた白い肌。
その手首には、腕輪の如く、菱形模様が並ぶ見慣れない模様が刻まれていた。
伯約はその模様に視線を落としながら言葉を続ける。
「俺は今、劉禅様と〈契り〉を交わしている。
劉禅様から許しが下りない限りは、武器を持たない──つまり妖力を使わない、という契りだ。その証がこの模様だ」
「私たち国の、と言うよりは劉禅様の処罰は特殊でね〜、劉禅様の妖術を用いて、〈契り〉という形で行動を制限するんだ〜」
狼莎も振り返りざまに足を止めて、伯約の説明に補足した。
優しげな微笑みを浮かべながら、普段通りのおっとりとした口調で、更に話を続けていく。
「劉禅様と〈契り〉を交わすと、自分の首、若しくは四肢の何れかにこの模様が刻まれるんだよ〜」
「そうだ。だが俺の場合は……首以外の四肢全てに、この模様がある」
伯約は話しながら、右腕も同じように軽く捲くる。
そこには左腕と同様の模様が手首に刻まれていた。
四肢全てに、ということは、彼の両足首にも、同様の模様が刻まれているということだろう。
「もし……その〈契り〉を破ったら?」
仲権の問いかけに、伯約と狼莎は微笑った。
いや、微笑っていた、と言うべきか。
「「死」」
「……だな」
「だね〜」
同時に発せられた単語は、仲権もある程度予測していたものだった。
故にその結末に恐ろしさは感じない。
それよりも、死にまつわる話を穏やかに、しかも微笑いながら話す二人の態度の方が、感情の起伏が感じ取れない分、余程恐ろしいものだった。
「まあでも、それは最悪の場合だ。
実際は〈契り〉を破ったその瞬間に、この模様がある部位が切断されるだけだな」
「だから片手や片足を失った程度では即死ではないよね〜」
「だな。だが己の首だったら……即死、だ」
伯約は自分の首筋を指差しながら口角を上げる。
彼の翡翠色の瞳は煌々と、何処か愉しげだった。
「四肢だって、同時に失ったら即死ではなくとも、己で生きる手段がないに等しい。だから俺なら殺せと嘆願する。
つまり結果として死、だな」
「その時は、私が苦しむことなく、楽に逝かせてあげるね〜」
「なんで少し愉しそうなんだよ」
淡々と話す伯約と、相変わらずの穏やかさを崩さない狼莎。
信頼なのか、はたまた別の何かなのか。
自分の全てを任せられるような、そんな二人の関係性を、仲権は少し羨ましそうに見つめていた。
そんな仲権の視線に気付いた伯約は、意地悪く口角を上げる。
「他人事のように聞いてんなーお前」
「は? だって他人事だろ、罰せられてるのはお前だし」
「そうじゃねぇよ、さっきの休戦の話。
あれでお前も劉禅様と〈契り〉を結んでるんだぜ?」
「……はぁっ!?」
慌てて袖を捲り上げようとする仲権に対し、伯約は捲っていた両腕の袖を直しながら一言。
「冗談だ」
「……は?」
動きを止めて呆然とする仲権を見て、伯約はくつくつと笑う。
「だから冗談だって」
「うわ〜最低〜」
「ふざけやがって……」
苛立たしげに睨み返す仲権に、伯約は「おー怖」と呑気に呟きながら再び歩き出す。
仲権も忌々しい背中に付いて行く中、これまで伯約の隣を歩いていた狼莎は、仲権の隣に来て苦笑した。
「ごめんね〜、あまり気を悪くしないでくれると嬉しいな〜」
「いえ、狼莎殿が謝ることではないかと。
そんな事より……劉禅様の固有能力とも言える妖術の話を、所属が違う俺に話してしまってもいいんです?」
「別に? 普通の戦闘技術とは違って、話したところで対策ができるものじゃないしな」
お前に聞いてない、と心の中で突っ込みながらも、仲権は黙って耳を傾ける。
「劉禅様にはちゃんと許可を得てるから安心して〜」
「それに、この時間はそう遠くないうちに終わりが来るんだ、隠しておく意味もないだろ」
振り返りもせずに応える伯約に、狼莎もそうだねと頷く。
今の言葉に、仲権は蜀という国の在り方を垣間見た気がしていた。
この国は、この国に生きる彼らは、現在の時間に意味を見出していない。
そんな彼らにとって、この時間での魏や呉との争いは無駄に等しいのだろう。
だからこそ休戦の話をあっさりと受け入れ、身内の貴重な情報を提供することさえ、何の抵抗もないようだった。
そしてふと、伯約が何かを思い出したかのように、「そう言えば」と仲権を振り返る。
「お前って確か、夏候仲権……父親はあの夏侯淵殿、だよな?」
突然その名が出され、仲権はぴたりと足を止めた。
爛々と光り輝く朱色の瞳は、これ迄に無いほど鋭く、伯約の姿を射抜いている。
「……それが何だ」
「いや、よく蜀に来る気になったなと思ってさ」
様子が変わった仲権に驚くこともなく、伯約は平然としていた。
単純に、思ったことを言葉にしているだけ。
それが分かっていたからこそ、仲権は怒りにも似た感情を抑えつつ、ぶっきらぼうに応える。
「命令だ。そうでもなければ俺はこの国なんかに来ていない」
「だよなぁ、俺がお前の立場だったら、多分同じこと思ってる」
「ちょっと〜、さっきから喧嘩売りすぎだよ〜?
あんまり控える気がないなら、私も黙ってないからね〜?」
「え、いや、悪い、今のは本当に気になっただけだって」
狼莎の半ば真剣な声音に身の危険を感じ取ったのか、伯約は慌てて謝罪する。
分かればよし、と微笑む狼莎に、伯約はほっと胸を撫で下ろした。
「でも……夏侯淵殿……弓の使い手……か」
狼莎が呟いた言葉は、伯約を睨んでいた仲権の耳に入ったようで、仲権は不思議そうに狼莎を見遣る。
彼女の視線は何かを考え込んでいるようで、静かに地に落ちていた。
「俺の父が、どうかしたんですか」
「夏侯淵殿と同じ、弓を得意とする人がいたな〜って思ってね〜」
「それは……」
「ううん、黄忠殿の事じゃないんだ〜」
仲権が言い淀んだ言葉を見越して、狼莎は首を横に振った。
黄忠──字は漢升。
劉禅の父である劉備に仕え、弓を得意としていた人間。
そして彼は──仲権の父を討った張本人だった。
しかし彼は既に亡き人であり、今や仲権にとっての父の敵は、蜀国そのものとなっていた。
「──あの人か」
伯約の真剣な声音が耳に入り、仲権は我に返る。
翡翠色の瞳はいつになく真剣で、決して笑ってはいなかった。
「どこにいるか分からない、でも生きてることは間違いない」
「そう〜、だから今回の戦には、もしかして……も考えられるかもしれないね〜」
二人の会話の内容は、仲権たち魏への情報提供──
そのことを察すると、仲権は胸の内に渦巻く複雑な感情を押しのけて、半ば前のめりに尋ねる。
「あの人……ってのは、呉国の奴なのか?」
「そうだ。すぐに伝えたいんだろ? だったら狼莎に任せればいい」
「うん、薙瑠ちゃん宛になら簡単に、そして素早く伝えられるよ〜」
仲権の態度を素早く把握した二人は、得意気に微笑っていた。
狼莎は徐に左腕を胸の高さまで掲げると、凛とした声でその名を呼ぶ。
「おいで──〈黎〉」
僅かな静寂のあと、どこからともなく羽ばたきの音が聞こえ、澄んだ空から滑空しながらやってきたのは、漆黒の鳥──烏。
烏は翼を羽ばたかせながら、狼莎の腕にふわりと留まる。
「ふふ、いい子」
狼莎の指で喉元を撫でられるのが嬉しいのか、烏はとても気持ち良さそうに身を委ねている。
「黎、あなたに届けてほしいものがあるの」
そう言いながら、狼莎はいつの間にしたためたのか、一枚の小さな紙切れを、烏──もとい黎の脚へ、片手で器用に括り付けた。
そして再び、今度は額を軽く撫でてやりながら。
「薙瑠ちゃんにお願いね?
久しぶりだろうから、ゆっくりしておいで」
伯約と仲権が見守る中、狼莎の「行ってらっしゃい」という言葉とともに、烏は大空へと気持ち良さそうに飛び立っていった。
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留 於 人間之世 五年、
其 者 帰還 陰之 世界。
而 能 帰還 者、唯 陰之世界之住人 也。
【人間の世に来て、五年が経った時。
魄を必要としない陰の世界へ還ることになる。
しかし。
それはあくまでも、代行者がもともと陰の世界の住人である場合に限られる。】




