其ノ伍 ── 花咲クハ徒花散ルル後 (5/15)
即 短命 也。
神 代行 者、必要 人間之魄、為 留 人間之世。
能 維持 其 魄、最長 五年之月日 也。
【謂わば、短命であるということ。
神相応の力を持つものが、人間の世に留まるために必要な魄を維持できるのは、最長五年程度だった。】
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(……なんで俺が蜀に来てんだよ……)
蜀の県城・成都。
魏国で子元たちが戦準備を進めている頃、仲権は蜀を訪れていた。
到着するなり、客室とも言うべき一室へと通された彼は、不満げな顔で椅子に座っていた。
何故なら、彼にとって蜀という国は、最も敵視している国だったから。
「仲権殿。
公嗣様の準備が整いましたので、ご案内いたします」
そんな女官の声が聞こえ。
仲権は溜息をつきながら椅子から立ち上がる。
今回は、話をしに来ただけ。
今はまだ、その時ではない。
──親父の仇を取る、その時では。
ぐっと拳を握りしめて、大きく深呼吸をする。
そうして気持ちを落ち着けてから、仲権はその部屋を後にした。
*
*
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「待たせてごめんね、夏侯覇殿」
案内された大広間。
伯約や狼莎など、他にも数人の姿が見られる中、数段の段差の上にある一際豪華な椅子に座るは、幼き子供。
彼がよく響く透き通った声で、仲権へと話しかける。
が、仲権は片膝を付いて拱手した態勢のまま、目を丸くするばかりだった。
「ちょっと、聞いてる?」
「あ……大変失礼いたしました。
夏侯仲権、魏国より使者として参りました」
慌てて応えを返したものの、仲権は内心で唖然としていた。
蜀国を率いる立場に在る者──彼の名は劉禅、字は公嗣。
その父親は、関羽や張飛と共に蜀を率いていた劉備である。
そのことは当然知っていた。
知らない者はいないだろう。
だが、齢三十近くの彼がまさか、こんな子供だったとは。
しかし、それだけではなく。
驚きにさらなる追い打ちをかけたのは、彼から感じる〝気〟だった。
間違えるはずもない、鬼である証の気。
鬼は不老だ。
鬼である以上、見た目の幼さに納得はできるが、蜀の鬼は、伯約と狼莎、その二名だけだと言われていたはず──
「鬼……で在られたんですね」
「うん、でも戦わないから僕は鬼じゃないってことになってる」
「戦わない……とは?」
「僕争いごとが嫌いだから。
そういうのは全部姜維や狼莎に任せてるんだ。
だから僕は鬼として数えなくていいよ。
──むしろ数えるな」
最後の一言に、嫌悪にも強い似た感情を感じて、仲権は思わず息を呑んだ。
鬼を嫌っているかのような彼の様子は、子供でありながらも権力を握る立場であるが故に、異様な重圧として仲権に重くのしかかる。
「早速本題に入ろう。話っていうのは何?」
そんな仲権の気を知る由もなく、平然と尋ねてくる劉禅に、仲権は拱手しながら、負けじと真っ直ぐな視線を返す。
「単刀直入に申し上げますが……我ら魏国と、休戦協定を結んでいただきたく存じます」
「うん、いいよ」
「有り難きお言葉……は?」
あっさり過ぎる返答に、再び唖然とする他なく。
目を丸くして、素っ頓狂な声を出す仲権。
「ははっ、相変わらずだなぁ劉禅様は」
やりとりを静観していた伯約が笑う。
隣に居る狼莎も微笑んでおり、辺りには和やかな空気が流れていた。
しかし劉禅は、笑われたことが気に食わなかったのか、どこかむすっとした顔をする。
「さっきも言ったけど、僕争いごと嫌いだし。
それが避けられるならなんだっていいよ」
「でも、私たちにとっても、戦いが避けられるなら願ったり叶ったりだね〜」
「そうですな。断る理由がないと言えよう」
劉禅の言葉に、狼莎と費禕も賛同の意を表する。
こんなにもあっさりと承諾されるとは思っていなかったが、目的を果たせたならば直接赴いた甲斐があったというもの。
仲権は賛同した狼莎たちにも、拱手をして感謝の意を示す。
真っ直ぐな瞳で彼女たちを見据える彼にはもうひとつ、大切な役目があった。
「提案をお受けいただき、恐悦至極に存じます。
実はもうひとつ……狼莎殿に、お伝えしなければならないことがあるのですが」
「私に〜?」
「はい。彼女……薙瑠から、言伝を預かっております」
薙瑠の名が出たとき、何かを察したらしい狼莎の表情から笑みが消えた。
しかし、それは一瞬のことで、彼女の顔には直ぐに微笑みが浮かぶ。
その笑みは、先程までの明るいものではなく。
対照的な、悲しい色が含まれているものだった。
「そう……それで、言伝の内容は?」
言葉を紡ぐ彼女の薄茶色の瞳は、まっすぐと仲権を捉えて離さない。
だからこそ仲権は、彼女の瞳が切なげに揺れていることに気付いた。
そしてそれは同時に、自分の考えは当たっていると、推測を確信へと近付ける要素になり得るものだった。
仲権は一度深呼吸をしてから、彼女から預かった言伝を。
一言一句、丁寧に伝えていく。
「──〝徒花に、実は生らず。
生ける徒花、散りて真の花と生る〟……」
花筏の如く、流れるように紡がれた言葉。
沈黙が訪れた空間が、より一層切なげな雰囲気を醸し出していた。
「……気付いたんだね、彼女」
そんな中、第一声を発したのは、意外にも劉禅だった。
「恐れながら申し上げますが……気付いた、とは?」
「僕たちはね、狼莎から全てを聞いてるんだ。
この時間の事とか、彼女──桜の鬼のこととか。
だから僕だけじゃなくて、ここにいる姜維や費禕も、恐らくその言葉の意味を正しく理解してるはずだよ」
そういう劉禅の視線の先には、微笑わずに目を伏せる狼莎と費禕、そして真っ直ぐな瞳で仲権を見る伯約の姿があった。
伯約と仲権、二人の視線が交わったとき、伯約は真剣な声音で仲権に尋ねる。
「お前は、あの言伝に……どんな意味が込められていると思う?」
彼の問いかけに、仲権は言伝を聞いた瞬間のことを思い出していた。
徒花、其れ即ち「無駄」を意味する言葉。
一方で、仲権は、彼女が自分のことを徒花と言う言葉に置き換えているような、そんな予感がしていた。
つまり。
成果を残さなければ、無駄でしかなく。
桜の花は、生きているだけでは無駄な存在。
でもそれは、散ることで初めて意味を成す──
彼女はそう言っているように聞こえていたのだった。
「徒花は……桜の花」
ぽつりと、仲権は自分の考えを口にした。
そのたった一言で、伯約は仲権の考えていることを見抜き、頷いた。
「そうだ。お前の考えは間違ってない。
それこそが、彼女に……桜薙瑠に課せられた、死生有命の役割だ」
己の考えを肯定され、仲権は眉根を寄せた。
表情一つ変えずに、淡々と言葉を紡ぐ伯約の態度が気に入らなかったのだ。
「俺は何も知らない。知らない……けど。
生きるだけでは無駄とか……そんなのおかしいだろ。
なのに、お前らはそれを知っていながら……否定しなかったのか?」
「だから、死生有命って言っただろ。
如何にもできないんだよ」
「違う。そうじゃない。
生きてることも無駄じゃないって……そう寄り添ってやることはしなかったのかって聞いてんだよ」
「……できなかったんだ」
仲権の言葉に応えたのは、先程まで視線を伏せていた狼莎だった。
薄茶の瞳は真っ直ぐに仲権を捉えているものの、その顔はどこか苦しげで、言葉を紡ぐその声にも力はなかった。
「薙瑠ちゃんに、今の役割を背負わせてしまったのは……私のせいだから。
私には、寄り添う資格なんて、ない」
「そもそも、だ。俺たちの居る場所は蜀国で、桜薙瑠は魏国。
どんなに状況を理解していても、国が違えば敵なんだ。
寄り添える状況にあるわけないだろ」
背負わせてしまった、という狼莎の言葉が気になったものの、彼女に継ぐ伯約の言葉は最もだった。
今となっては、とは言え、つい先程休戦の申し出を受け入れたばかりの状況の中、彼らが彼女を支えることなどできるはずもない。
確かにその通りではあるのだが。
「けど、このままじゃ、死生有命の役割ってやつを全うする前に……あいつ自身が、壊れてしまいそうな気がする」
仲権はそんな言葉を漏らした。
どんなに強くても、いくら伝説と謳われていても、精神的な脆さは実力に比例しない。
言伝を預かったときの彼女から、仲権は直感的に、ある種の弱さを感じ取っていた。
そんな彼の言葉に、伯約は何かを思い当たったらしい。
仲権を見据えていた翡翠色の瞳を僅かに伏せて、考え込む素振りを見せた。
「なぁ……狼莎。俺、思ったんだけどさ」
「うん……どうしたの?」
「薙瑠のためが駄目なら……自分のために動けばいいんじゃないか?」
「……!」
伯約の言わんとしていることをすぐに察した狼莎は、僅かに目を丸くする。
劉禅と費禕も、彼の意図は理解できたらしい。
「そっか、そういう考え方もできるんだね」
「しかし……それは少々強引だろう……」
「そうかもしれない。だが……何もしないより、多少強引でも、あいつの負担を減らせるなら、壊れることを防げるなら、絶対にそのほうがいい。
それに今なら、魏とは休戦協定を結んでるんだ、行動範囲は広がったって言えるんじゃないか」
「行動範囲ってお前……一体何をする気だよ」
唯一、伯約の意図を理解できず、警戒心を顕にする仲権を見て、伯約は口角を上げる。
しかし仲権に対しては何も言うことなく、
伯約はそのまま、劉禅に向かって拱手の姿勢を取った。
「劉禅様、恐れながら申し上げたき義がございます」
そうして紡がれた伯約の提案は、仲権はもとより、意図を理解していた狼莎たちにとっても、思いもよらぬものだった。




