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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第伍章 ─
57/81

其ノ肆 ── 紡ガレザル桜ノ言ノ葉 (4/15)

 神流達と別れたあと、薙瑠は子元の部屋へと向かう回廊を歩いていた。

 当然、その顔には陰りを含んだ表情が浮かんでいる。

 もちろん、あまり明るい話ではなかったから、というのもあるが、それ以前に。


 ──()えなかった。


 本当に伝えるべきことを云えない、臆病な自分に嫌気が差していた。

 今頃は蜀国(しょくのくに)にいるであろう夏侯仲権(ちゅうけん)

 彼には、狼莎への伝言を託せたのに。

 それと同じことを、二人……否、三人に伝えるだけなのに。

 伝えるべき相手に、自分の口から云うことが、こんなにも苦しくて、辛いものだとは思わなかった。


 そして何よりも。

 彼らは優しくて、そして賢い。

 故に明言を避け、遠巻きに伝えるあんな言い方でも、きっと言いたいことは伝わっているに違いない。

 それに甘えてしまっている自分に、心底嫌気が差していた。


 このことは、本来ならば〈六華將(彼女たち)〉だけでなく。

 彼にも、自分の口から、はっきりと云うべきことなのに──


「……薙瑠?」


 急に名を呼ばれ、薙瑠は驚いたように顔を上げる。

 その目線の先には、どこか心配そうな視線を投げる子元の姿があった。


「大丈夫か……?」

「あ……はい。問題ありません。

 お気遣いいただき、ありがとうございます」


 薙瑠が小さく微笑いながら、丁寧に拱手(きょうしゅ)をして、軽く頭を下げたとき。

 子元が手にしているあるものに目が留まる。

 薄茶の紙を幾重にも纏めた、一冊の書。

 薙瑠も実際に目にするのは初めてだが、それが何なのかは既に理解していた。

 拱手していた手を降ろすと、彼女は未だ心配そうな眼差しを向けている子元を見て微笑む。


「お受け取りになられたのですね」

「……これのことか?」


 薙瑠の問いかけに、子元は手にしていた書を掲げながら、僅かに首を傾げた。

 そんな彼に、薙瑠は「はい」と(いら)えを返す。


「仲達様は既にお読みになった……ということでしょうか」

「そうみたいだ。次は俺が読むべきだと、そう言っていた」

「……そうでしたか」


 何時(いつ)もと変わらない笑みを浮かべている彼女ではあったが、その声音はどこか元気がなく、子元はその僅かな変化を敏感に感じ取っていたようだった。


「……薙瑠」


 心配そうに名を呼ぶ彼の声は、いつも通りの、優しく安心感のあるもので。

 その声に、存在に、甘えて、縋ってしまうことができたのなら、どんなに気が楽だっただろう──


「子元様」


 そんな甘い考えを振り切るように、薙瑠は彼の気を逸らそうと話題を変える。

 きっとそれすらも、彼には見抜かれていると、そう分かっていながらも、薙瑠が目を逸らすことはなかった。


「私はその書の存在は知ってはいたものの、内容までは知り得ていません。

 ですので、全てを読み終えた暁には、感想をお聞きしてもよろしいでしょうか」

「俺の感想など聞かなくても……お前は全てを知っているのだろう?」

「『幻華譚(それ)』を通して、子元様が何を知り、何を考え、何を思ったのか……あなたが知った時間(せかい)を、聞いてみたいんです。

 そうしたら、また違った時間(せかい)の姿を、知ることができるかもしれないので……」


 違った時間(せかい)の姿。

 自分の口からそんな言葉が紡がれたことに、薙瑠は僅かに驚きを覚える。

 そして同時に。


 ──そんなもの、あるはずがない。


 心のうちで、僅かな希望とも言えるその言葉を、即座に否定した。


「分かった」


 子元の一言に、薙瑠ははっと我に返る。

 己のが瞳に映る彼は、柔らかく微笑んでいた。


「読み終えたら、一番最初にお前に報告すると、そう約束しよう」

「……ありがとうございます、子元様。

 それを読み切るのは、時間がかかるかと思いますので……呉国との決着がついた後に読み始めることを、おすすめします」

「もとよりそのつもりだ、安心しろ」


 彼のその笑顔は、何よりの救いであり、同時に、胸を締め付ける苦しみを生むものだった。


 誰にも言わず。誰にも頼らず。

 我慢して、(こら)えて、耐え忍んで。

 自分の逃げ道を、少しずつ塞いでいく──


 そんな(みち)を進むしかないと分かったからこそ、彼の優しさに、縋りたくて。

 甘えてしまいたくて。

 しかしその行動は、更なる苦しみを生むことになる。

 そう理解しているが故に、彼の笑顔を見ることすら辛かった。

 ──そんな感情が、無意識に顔に出てしまっていたのだろう。


「……お前の、そんな表情(かお)は見たくない」


 精一杯の微笑みで、応えていたつもりだったが。

 彼の不安そうな顔を見れば、今の自分が微笑(わら)えていないことに気付くのは容易かった。


 ──私も、あなたにそんな表情(かお)は……させたくない。


 心の内でそう呟きながらも、それが言の葉として口から紡がれることはなかった。

 でも、今ならまだ、彼に縋ってしまったとしても──自分を、(ゆる)せる。

 そんな気がした。

 だからこそ、逃げ道を、完全に塞いでしまう前に。


「もうひとつだけ……わがままを言ってもよろしいでしょうか」

「ああ、構わないぞ」


 即座に応えを返した子元に、薙瑠は今度こそ、ちゃんと微笑みながら言葉を紡いだ。


呉国(ごのくに)と戦う準備が、全て整ってからで構いません。

 少しだけ……私にお時間をいただきたいんです」

「……分かった。必ず時間を作ろう」


 なんのための時間なのか。

 そんな疑問を抱くであろう彼女の要望に、子元は何も言及することなく頷いた。

 彼の小さな気遣いですら、今の彼女には(くすぐ)ったいもので、彼女の表情には嬉しそうな微笑みが溢れる。


「ありがとうございます。

 準備中、私にもできることがあるようならば、何なりとお申し付けください」

「ああ、お前にも少し頼みたい事があるからな、また改めて声をかける。

 だが、それまでは、出来る限り俺の……」


 不自然に途切れた子元の言葉に、薙瑠は僅かに首を傾げる。

 目を逸らしながら、先の言葉を言おうかどうか迷っているようだったが。


「……いや、何でもない。

 俺が声をかけるまでは、自由に過ごしていてくれ」

「承知いたしました」


 軽く頭を下げながら拱手したとき、ふと彼が近付いてくる気配がした。

 彼のつま先が視界に入り、ゆっくりと顔を上げれば。

 真剣な青白い瞳と視線が交錯する。

 刹那のこと。

 後頭部に手を添えられたかと思えば、彼の胸元へと引き寄せられていた。


「……誰でもいい」


 頭上からそんな言葉が降ってきて、薙瑠は静かに、彼の言葉に耳を傾ける。


「俺以外に、言葉にして伝えられる存在がいるのなら……そいつを頼ってほしい。

 できることなら……あまり抱え込まないでくれ」


 すぐ近くで聞こえる、低くて優しい、聴き心地の良い声。

 密着しているからこそ感じられる、強かで温もりのある彼の存在。

 その声と温もりを忘れまいと、自身の記憶に刻もうと、薙瑠は静かに瞳を閉じた。


「……もし……もし私が、あなたを選んだら……」


 心の奥には、その先の言葉を紡ぐことを躊躇う感情が燻っていたものの、それすらかき消してしまうほどの安心感があって。


「私があなたに縋ったら……あなたは、私に手を差し伸べてくれますか……?」


 本当は言いたくなかった、甘えとも云えるその言葉を、迷い無く紡いでしまったことに、少しだけ後悔した。

 それでも、後悔が少しだけで済んだのは。


「当然だ」


 強かに紡がれた声のお陰だった。

 たった一言だが、その言葉は彼女に、より一層の安心感と勇気を与えるもので、薙瑠は彼の背中に腕を回そうとする。

 しかしその手は宙でぴたりと動きを止め、彼の華服を掴もうとしていたその手は、ゆっくりと下ろされた。


 ──まだ、彼に縋る勇気は……持てていない。


 そう心の内で呟きながら、薙瑠は行きどころを失くした手で、自分の華服をぎゅっと握りしめた。

 すると、後頭部に添えられていた彼の手が離れ、同時に彼の温もりも遠ざかる。

 どこか寂しさを覚えながらも、彼の顔を見上げれば、彼は寂しげな色を滲ませた微笑みを浮かべていた。


「……無理はしなくていい。

 お前が安心できる場所を……選んでくれ」


 そんな言葉を言い残して、子元は彼女の横を通り過ぎて行く。

 薙瑠は彼の背中を振り返ることはしなかった。

 彼を追いかけたところで、今の自分には、引き止めるほどの言葉を言う勇気がない。

 縋らせてほしい。

 頼らせてほしい。

 側にいてほしい──

 その想いがあっても、臆病であるが故に、きっと言葉にはできない。


 だからこそ、せめて。

 彼と交した、約束の時間。

 それ迄には、縋る勇気を持てるようにしたい──


 その、約束の時間が。

 きっと、彼の前で素直な自分でいれる、最後の時間になると思うから。


 そんな彼女の青い瞳は、強かな決意を含み、煌々とした輝きを放っていた。


───────────────


 護 蒼燕(アオツバメ ノ) (ミタマ) 御霊(マモリタル) (サクラ) () (ヲニ)

 (シカシテ)其者(ソノモノ) 神之(カミ ノ) 代行(ダイコウ) (ナリ)

 非 神(カミニ アラズ)(マタ) (カミノ) 神之力(チカラヲ カリタル)存在(カミソウオウ) 神相応(ノ ソンザイ) (ナリ)

 其 故(ソレユヘニ)不 能(ニンゲンカイニ) (チョウキ) 長期(トドマルコト) 人間界(アタハズ)


蒼燕(あおつばめ)の御霊を護るという、桜の鬼。

 しかし、桜の鬼は神の代行的存在。

 神でなくとも、神から力を借りる、神相応の存在だ。

 それ故に、人間(ヒト)の世に長く留まることはできなかった。】

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