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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第伍章 ─
55/81

其ノ弐 ── 心ニ落ツル綻ビノ陰 (2/15)

 (ぎょう)から帰還した子元(しげん)は、軍の編成や配置に関する指揮に加わっており、現在は父・仲達(ちゅうたつ)の居る部屋を訪れていた。


呉国(ごのくに)との戦いにおける、人員配置についてですが……」


 これまでに出た意見を端的にまとめ、且つ分かりやすく説明する。

 仲達(ちゅうたつ)も静かにそれを聞き、時には的確な意見を出して、二人で話を進めていく。


「……では、この形で準備を進めて参ります」

「ああ、任せた」

「承知いたしました」


 そんな親子の様子を、春華(しゅんか)は微笑ましく眺めていた。


「子元、格好よくなったわね」

「……格好いい、ですか?」

「そうよ。やるべきことをちゃんとやる。それができる人は格好いいわ」

「それは……当然のことでは……」

「当然だと思えるのなら、もっと格好いいわ。

 当たり前のことを当たり前のようにやるって、実はとても難しいことなのよ」

「例えば……与えられた役割を全うする。

 それも、当然のことだろう」


 春華の言葉に続いて、意外にも仲達が口を挟んだ。

 子元が半ば驚きつつ父の方を見れば、真剣な紅い瞳と目が合った。


「与えられた役割を全うする。任された事をこなす。できて当然のことだ。

 だが……何故その当たり前のことを、当たり前のようにやることが難しいのか。

 その理由がわかるか?」

「……理由、ですか」


 思いもよらぬことを聞かれ、子元は半ば考え込む素振りを見せるも、その答えがすぐに浮かぶことはなかった。

 そんな彼の様子をいち早く察し、仲達はゆっくりと話を続けていく。


「当たり前、当然、即ち一般的であること。

 役割を全うする、任された事をこなす、ということ自体は、誰だってそうするであろう一般的な行動だ。

 だが、その与えられた役割の中身が、内容が、一般的ではなかったら。

 あるいは、一般的であっても……その者にとっては、成し難い事であったのならば。

 当然のことのようにやる事は難しくなる」


 いつになく真剣で、彼にしては珍しく長く話すその様子を、子元は不思議そうな顔をした。

 そしてふと、机上にある一冊の書に目が留まる。

 成る程、と思ってしまった。

 そう思ったのと同時に、自然と言葉が紡がれて。


「……私の、役割の話……ですか」


 子元が一言そう言うと、仲達は黙って、机上に置いてあった『幻華譚(げんかたん)』を彼へと差し出した。

 子元はゆっくりと手を伸ばし、それを受け取る。

 ざらざらとした肌触りの、薄茶の冊子。

 その表紙の真ん中に、墨で書かれた『幻華譚』の文字。


 これが、全てが書かれていると言う、真実の書──


「俺はこれを全て読んだ。

 次は、お前が読むべきだ」


 真っ直ぐな視線を投げながら、仲達は言う。


「俺からはもう、何も言わない。

 ……曹操(そうそう)様から、散々言われているだろうからな」

「はい」

「……だが」


 僅かに間をおいて、しかし目を逸らすことなく、仲達は言葉を続けた。


「少しでも、苦しいと思ったのなら。

 もう抱え込む事はしないでくれ。

 ……俺も、気付いた時には……手を差し伸べてやるから」


 後半はとても小さな声だったものの。

 いつもよりも柔らかい口調で、そして目を逸らすことなく、素直な気持ちをぶつけてくる父を見たのは初めてだった。

 そんな想いがなんだか(くすぐ)ったくて。

 「ありがとうございます」と拱手する子元の表情(かお)は自然と(ほころ)んでいたようだった。

 それを見て、僅かに目を丸くした仲達は。


「……お前もそんな顔をするんだな」


 ぽつりと、そんなことを呟いた。

 そこで初めて気付いたのだろう。

 自分が父の前で自然と微笑(わら)っていたという事実に、途端に羞恥が込み上げてきたのか、先程までの穏やかな表情も束の間、子元は僅かに眉間にシワを寄せた。

 それが彼の照れ隠しであるという事は、仲達も、そして春華も気付いていて、春華に至っては何処か嬉しそうに小さく微笑っている。


「私が微笑っては変ですか」

「……そんなことは一言も言っていないが」

「馬鹿にしたように聞こえました」

「……初めて見たからな」

「だ……誰に似たと……」

「……? 俺以外に誰がいる」


 子元は目を丸くする他なかった。

 嬉しくない。

 嬉しくないと、そう思いたいのに。

 珍しく素直な仲達に、何と返せばいいのか分からず、子元は言葉を失っていた。

 そんな翻弄され気味の子元と、意外にも素直に応える仲達、彼らの様子を見て嬉しそうにしているのは。


「可愛いところもあるのね、二人とも」


 満面の笑みを浮かべる春華だった。

 「可愛い」と言われたことが気に食わなかったのか、二人は怪訝な表情で春華を見る。


「そういうところよ? 親子って可愛いわね〜」

「母上と私も親子、でしょう」

「そうね、私だって子元のことを気にかけてるし、愛してるわ」

「あ……愛、してる……など恥ずかしげもなく言うのはおやめ下さい」


 翻弄されまくる子元が面白いのか、それとも可愛さ故に揶揄(からか)いたくなるのか、春華はとても楽しそうだった。


「でもね、悔しいけれど、旦那様の愛情のほうが一枚上手だったのよ」

「……余計なことを言うな」

「まだ何も言ってませんわ」

「……先の言葉が既に余計だと言っている……」

「そうでした? でもいい加減、あなたが贈ったもののことくらい、話してもいいでしょう?」


 贈ったもの。

 そんな春華の言葉に、子元は引っかかりを覚え、不思議そうに母を見る。

 何故なら、父から物を贈られた記憶がなかったから。

 しかし、そう思う一方で、心当たりもあったようで。

 彼は自然と、『幻華譚』を手にしていない方の手で、己の耳──そこに付けている装飾品に手を触れた。

 そんな子元の行動を見て、春華は柔らかく微笑む。


「あら、気付いていたの?」

「いえ、贈られた……というものが、母上からいただいた耳飾り(これ)のことしか、記憶になかったもので」

「ふふ、察しがいいわね。驚いた?」

「……はい」


 子元は小さく頷くと、黙ったままでいる父に視線を移す。

 どんな顔をするでもなく、いつも通りの笑みひとつ浮かばない表情で、仲達は目を伏せていた。

 そして、ぽつりと。


「……あの時のお前は、俺からだと言ったら嫌がっただろう」


 仲達の呟きに、子元は僅かに目を丸くした。

 それは〈()(ぞこ)ない〉だった、父のことをよく思っていなかったときの事。

 春華が子元に耳飾りを渡したのは、ちょうどそんな時期の事だった。

 故に仲達は、春華を通して、また自分からの贈り物である事を隠して、子元に贈っていたのだった。


「何故……これを私に?」

「……言わないといけないのか?」

「いえ……言いたくないのであれば……」

「……龍」

「龍……?」

「その耳飾りに刻まれている紋様だ」


 そう言いながら、仲達は席を立った。

 そして子元の横を通り過ぎて、そのまま退室する──かと思いきや。

 子元の横で、一度足を止め。


「……あとは自分で考えろ」


 あろうことか、子元の頭をくしゃくしゃと雑に撫でてから、仲達は部屋を後にした。

 父から頭を撫でられるなど、いつぶりだろう。

 しかも子元が知る限り、あんなに素直で穏やかな彼は、あまり見たことがなかった。

 理解し難い状況に、子元は時間差で仲達が出ていった戸を振り返る。


「な……なん……父上、何かあったのですか……?」

「何もないわよ? いつも通りじゃない」

「いつも通り……あれがですか?」

「私からしたら、あれが普段の旦那様よ」


 楽しそうに話す彼女の言葉が嘘ではないことは、子元も分かっていた。

 父の意外な一面。

 しかしそれは、どこか懐かしくもあって。

 まるで、昔に戻ったような、そんな感覚を覚えていた。


「ねぇ子元」


 春華の柔らかな声音に、戸を振り返ったままだった子元は、春華へと向き直る。


「私はその本は読んでいないから、どんな内容なのかまでは分からないけれど……旦那様が言った、手を差し伸べるって言葉。

 あれは、私も同じ気持ちだから」


 そんな言葉に、子元は僅かに目を丸くした。

 しかし同時に、嬉しくもあって。

 子元は父・仲達にも見せた、柔らかな笑みを浮かべた。


「ありがとうございます」

「ふふ、いいのよ。

 さ、私はここを少し片付けるから、あなたもあなたのやるべきことをしなさい?」

「承知いたしました」


 感謝と敬意を込めて、母に拱手したのち、子元は父のいた執務室を後にする。

 金烏(たいよう)の暖かな陽射しが心地よい時間帯。

 両親からの気遣いのおかげか、彼の心は光風霽月(こうふうせいげつ)、澄みわたっているようだった。


 しかし。

 子元はふと、胸に抱えていたものへ視線を落とす。

 仲達から渡された『幻華譚』という名の書。

 その存在が、澄んだ空の片隅に、僅かな陰を落としていた。

 


───────────────



 (シカレドモ)有 離(ゲンザイノ)現在(ヨリシロ)()依代(ハナレテ) (ベツナル) (ヨリシロニ) 別 依代(ウツルルコト アリ)

 (ソレ) (ヨリシロ) 依代(ノ チカラ)之力(ヨハマリテ)而、(ミタマ) 御霊(ショウメツ) 消滅(ノ キキ)之危機(オトズレシ) (トキ) (ナリ)

 (カツ) 存在(アラタナ) 為 新(ヨリシロト) 依代(ナリシモノ)(フキン) 付近(ニ アリシ) (トキ) (ナリ)

 (コノ) 条件(ジョウケン) 不 揃(ソロハザレバ)御霊(ミタマ)消滅(ショウメツス)


【しかし、現在の依代を離れ、別の依代へと移ることもある。

 それは、依代の力が弱まり、御霊に消滅の危機が訪れたとき。

 尚且つ、すぐ近くに、新たな依代になり得るものが在る時だ。

 この二つの条件が揃わなければ、御霊は消滅する。】

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