其ノ肆 ── 終焉ノ神子【桜】(4/11)
花 為 囮 所 誘。
其 花 咲 時、時間進。
──若 将 向 終焉。
護 人間花、握 物語之鍵花。
其 花 之 名、「桜」也。
【囮に誘き寄せられた花。
その花が咲きし時、この時間の物語は動き出す。
──終焉に向かって。
そしてその花こそ、鬼から人間を護っていた、物語の鍵を握る花。
その花の名は、「桜」と云う──】
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薄暗い廊下。
そこには再び本来の目的の場所へと足を運ぶ子元の姿があった。
冷静になった今、薙瑠という女性のことについていろいろ気になることはあるが、それ以前に自身の行動のほうが謎のままだった。
しかし、子元は既にその行動の正体であろう答えを見出していた。
──一目惚れ。
あの感情が一目惚れというのかどうか怪しいが、決定的な証拠が自分の紡いだ言葉だ。
まさかあんなことを口走るなんて、どうかしているにもほどがある。
しかも、〈咲き損ない〉になって以来、人と関わることを最低限に抑えてきた自分が、初対面の、しかも女性に、声をかけるなんて──
そんなことを考えながら足を進めていれば、あっという間に目的地に着いた。
大きな扉の前で、足を止める。
大広間。
ここに、会いたくもない父親が居る。
俺を殺そうとした──父親が。
ゆっくりと深呼吸をする。
そして意を決して、取っ手の冷たい感触を感じながら、ゆっくりと扉を開けていく。
その先にあるのは、朱色の壁に囲まれた開けた場所。
方形の幾何学模様が施された窓枠から光が差し込むも、全体を照らすほどの光量はなく、天井の方は薄暗い。
その天井には花模様が描かれているが、薄暗いことが影響して、どこか不気味な雰囲気を醸し出している。
そんな空間の真ん中、一際大きな窓枠の前には、見たくもない父・仲達が足を組み、肘掛けに肘をつきながら椅子に座っていた。
その堂々たる佇まいには、国を率いる者としての尊厳を感じさせる。
後ろ手に扉を閉めた子元は、父との距離をある程度保った位置で片膝をつき、右手の拳を左手で包む、拱手の姿勢を取った。
「……司馬子元、只今参りました」
一切目を合わせることなく、静かにそう告げた子元を、仲達は睨みつけるように見下している。
黒生地に白群色の差し色が入った上衣と下衣。
所々に刺繍が施されているとは言え、白の神流とは対称的な黒の華服を着ているその様は、華やかさよりも禍々しさを感じさせる。
挙句の果てに、子元の位置からは仲達が逆光になっていることもあってか、空間に漂う不気味な雰囲気がその禍々しさに拍車をかけていて、漆黒の髪から覗く赤い瞳は眼光炯炯、その視線だけで人を殺せそうな恐怖感を煽った。
親が子供を見る目付きではない。
しかし、この人がこれ以外の表情をしているところを見たことがないのも事実だ。
こういう人なんだ、とは分かっていても、息子である子元でさえ、その目を合わせたら怖じ気付く。
──というのは、子元の場合は殺されかけた過去があるからかもしれないが。
「……お前に会わせるべき人物が、ようやく見つかった」
表情を変えずに、仲達が淡々とそう告げる。
「……神流」
「了解。じゃ、紹介するわね」
仲達が一言声をかけると、後は全て任せなさいとでも言うように、広間の端で待機していた神流が応じる。
今更ながら、見渡せば広間には父以外にも複数の人の姿があった。
その中には神流がおり、そのすぐ横には先程出会った女性、そしてまた別の場所にはあの男──彦靖の姿もあった。
「さっき会ったからもう名前は知ってるわよね、でも一応紹介するわ。彼女が薙瑠ちゃんよ」
神流に紹介された彼女──薙瑠は、子元に向かって丁寧に拱手した。
綺麗な青い髪と可愛らしい華服が、動きに合わせて揺れている。
そんな彼女の動作に、子元は一々目を奪われているようだった。
「先程は何も言えずにすみません。私が、只今神流様に紹介された、桜薙瑠です」
「……桜……?」
変わった姓だな、と思うと同時に、子元にはあることが思い当たり、はっと目を見張る。
「おい……まさか」
「ええ、そのまさかよ」
驚きを隠せない子元に、神流は追い討ちをかけるように、にやり、と口角を上げ。
「この薙瑠ちゃんこそ、あなたが求めていた〝桜の鬼〟よ」
そう告げたのだった。
神流の言葉に、辺りがざわつく。
子元だけでなく、この場にいた人たちは誰一人知らされてなかったらしい。
桜の鬼。
その存在に関するある言い伝えが、子元の頭の中で過ぎる。
──伝説の鬼。
それは、この世界に鬼が現れ、人間と共に暮らすように──いや、鬼が人間の上に立つようになった時代のこと。
唯一、鬼から人間を守る鬼がいた。
名も性別も謎に包まれている鬼。
はっきりしているのは、他の鬼よりも圧倒的な力を持ち、その鬼に勝る鬼は存在しないと言われているほどの実力の持ち主だということ。
その鬼の特徴として噂されているのは、その鬼だけが持つ力──〈空間変化〉。
その能力はどんな傷も癒やしてしまう、まさに神の力だった。
それは過去に数回しか使われておらず、実際に目にした者は少ないと言う。
しかし、その能力を目にした者は全て人間であり、現在に於いて彼らの生存は確認できていない。
そして、その鬼はある時を境に姿を消し、以後行方知れずになっていた。
それ故「伝説」と謳われているのだ。
存在したのかどうかも怪しいと言われる、伝説の鬼。
その鬼は当時、こう呼ばれていた。
美しき桜の鬼神──即ち〝桜の鬼〟と──
「──五月蝿い、黙れ」
ざわつく空間に、突如低くて重い声が響いた。
その一言で先程までのざわつきが嘘のように静まる。
一喝したのは仲達だ。
「嘘だと思うなら、ここでやって見せてもらえばいい」
そう言う仲達の視線は薙瑠に注がれている。
やって見せるとは、当然伝説に伝わる〈空間変化〉のことだろう。
「本当にここでやるっていうの? 薙瑠ちゃんだって今来たばかりだし、もう少し後の方が……」
「神流様」
仲達の言葉に反論しようとした神流だったが、名を呼ばれ、その声の主を振り返る。
神流を止めたのは他でもない薙瑠だった。
「私は大丈夫です、その為にここに来たんですから。でも……私よりも、彼の意思を尊重した方が良いのではないかと……」
薙瑠は静かに子元へと視線を移す。
彼女の左目は黒い眼帯で覆われているために右目しか見えないが、その瞳が子元を映しながら心配そうに揺れている。
どうやら彼女は、既に〈咲き損ない〉になったときのことを知っているらしい。
それも当然だろう。
彼女はそれを二度と起こらないようにするために、そして彼を──子元を助けるために来たのだから。
彼女の言葉を黙って聞いていた子元は、顔を上げられずにいた。
桜の鬼との出会いは、諦めを感じながらも、心の何処かで願っていたことだった。
それが現実になって、嬉しいはずなのだ。
しかし。
子元はその現実を、素直で喜べないでいた。
というのも。
もしも、再びあんな事になったら──今度こそ、殺される。
そんな考えが頭に過っていたからだった。
「あの……仲達様」
そんな子元の様子を見かねたのか、薙瑠は遠慮がちにも仲達へあることを願い出た。
「今から〈開華〉はさせます。
ですが……その前に少しだけ、私に時間をください。
子元様と一度、廊下に出てもよろしいでしょうか?」
薙瑠の言葉に仲達は僅かに顔をしかめたが、直ぐに「構わん」と応える。
その対応に、彼女は「ありがとうございます」と丁寧に一礼してから、子元に向かって僅かに微笑んだ。
「私のお話を聞いて下さいますか?」
「……ああ」
子元が頷いたのを見届けると、薙瑠はゆっくりと扉へ向かって歩き出した。
ふわりと舞う青い髪を追うように、子元も立ち上がって彼女の後に続く。
大広間に響く、二人分の足音。
それは開閉音と共に、扉の向こうへと消えていった。