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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第肆章 ─
46/81

其ノ玖 ── 籠目ニ宿リシ青キ鬼 (9/15)


 青鬼(アオキオニ)宿(オノレノ) 己之御霊(ミタマヲ カゴメへ) 籠目(ヤドラス)

 (ソノ) (ムラノ) (シンコウ) 信仰之力(ノ チカラヲ) (カリテ)

 (オノレノ) 己 存在(ソンザイヲ モッテ)(ツミヲ) (ツグナフ) (ガ タメ)


 其鬼之(ソノ オニノ) 御霊(ミタマ) 宿(ヤドリシ) (ハク)

 (タチマチ) 変化(リュウシニ) 粒子 而(ヘンカシテ) 消失(ショウシツス)


【その村の信仰の力を借り。

 後に、自分の存在を以て、罪を償うが為。

 青き鬼は、己の御霊を、蘇塗の籠目へと宿らせた。


 同時に、これまでその御霊を宿していた人間の(からだ)は、すぐに粒子へと変化して。

 その場からは、跡形もなく消えたのだった。】


─────────────── 


 曹操(そうそう)直々の案内のもと、子元(しげん)薙瑠ちるは、とある部屋を訪れていた。


「入るぞ」


 返事を待たずに戸を開ければ、曹操はお構いなしにすたすたと部屋に入っていく。

 彼の後ろをついて歩いていた二人は、部屋の前で立ち止まって中の様子を伺う。

 曹操の姿に隠れて見えないが、その向こうに居るのだろう。


 彼──茱絶(じゅぜつ)が。


「連れてきた。お前が、会いたがっていた人物を」

「……どうも」

「お前の処遇は全てそいつに任せた。この俺が決めたことだ、文句は受け付けぬ」

「……はい」


 そんな会話を交わしたあと、曹操がこちらを振り返る。

 その瞬間、対面の時が訪れた。


 黒髪黒目の、咲かずの〈華〉を持つ鬼──茱絶と。

 幼少期に関わりを持った、薙瑠が。


 目があった刹那、薙瑠の顔には、僅かに怯えたような表情が浮かぶ。

 その横顔を見ていた子元は、そっと。

 彼女の背に手を添えた。


「大丈夫だ」


 彼女にだけ、聞こえるくらいの、小さな声で。


「俺が……側にいる」


 その声は、しっかりと彼女に届いたようだった。

 薙瑠は小さく深呼吸をすると、先程とは一転、真っ直ぐな瞳で茱絶を見据える。


「後は全て任せる、桜薙瑠。

 何かあったらいつでも呼べ」

「はい。お気遣い、感謝いたします」


 部屋を出て、廊下を悠然と去っていく曹操の後ろ姿に、薙瑠と子元は丁寧に拱手する。

 暫くその後ろ姿を見つめ続けている薙瑠に対し、子元は先に部屋に足を踏み入れた。

 その方が、彼女が安心できるだろうと思ったのだ。


「……薙瑠」


 入室を促すように名を呼べば。


「はい、大丈夫です」


 いつも通りの、柔らかい微笑みが浮かぶ。

 少しは心の余裕ができたらしいことに、子元も安堵したようで、自然と笑みが浮かんだ。

 薙瑠は部屋へ足を踏み入れると、その歩を止めることなく、寝台の上に座る茱絶の目の前まで進み出る。

 その背後では、子元が静かに戸を閉める音。


「……お久しぶり……ですね」


 静寂の中、よく聞こえる彼女の声。

 その声は、落ち着きのある、聞き心地のいい声だった。


 目の前に座る茱絶は、何も答えることなく、ただじっと、薙瑠の姿を見上げている。

 その黒い瞳に、映る自分の今の姿。

 彼は何を思いながら見ているのか、瞳からは何の感情も伝わってこなくて。

 薙瑠はただ、彼から発せられる言葉を待つことしかできなかった。


 異様な沈黙が流れる中。

 薙瑠を捉えていた茱絶の視線は、突如として彼女の背後、子元へと移された。


「……あの時の……子供か?」


 低くて冷たい声。

 その声が紡ぐ「あの時」は、間違いなく。


「そうです。あの時……村を訪れた仲達(ちゅうたつ)様と共にいた方です」

「……司馬子元、と言う」


 薙瑠の言葉に続いて、子元は名を名乗るだけの自己紹介をする。

 が、茱絶からは相変わらず、なんの返答もなかった。


「茱絶……様」

「……は」


 薙瑠が名を呼んだとき、茱絶は初めて表情を変えた。

 怪訝そうに顔を歪ませて。


「馬鹿にしてんのか」


 そう言い放った。

 薙瑠はびくりと肩を揺らし、黙り込む。

 その瞬間から、彼の態度は一変した。

 彼女の僅かな油断を、狙ったかのように。


「お前は、幸運だったよな。

 力を授けられて。

 俺に刺されても生きてて。

 鬼として国に仕えて。

 幸運だったよなぁ」

「……それは」

「鬼になれない理由も……教えてあげられる? そんなもの聞いたところで、過去は変わらないだろ」

「……」

「時間を戻せるんだってな。だったらその力で……」

「──戻します」


 薙瑠も負けてはいなかった。

 彼の変化には驚いたものの、それに怯えるようなことはなかった。

 それはきっと、彼女の後ろに。

 見守ってくれている人が居るからだ。


「あなたの〈華〉の時間(とき)を戻せば。

 あなたは今からでも、鬼として活躍できます」


 茱絶の視線から逃れることなく、その目を真っ直ぐと見て、はっきりと。


「あなたが望むなら。

 私はそれに応えます。

 〈華〉の時間(とき)を、戻します」


 強かに紡がれた言葉に、呆然としていた茱絶の瞳が、僅かに揺らぐ。

 鬼として、活躍できる。

 それはきっと、彼にとっては願ってもないことだろう。

 しかし、その願いを()うの昔に捨てていた彼にとって、彼女の今の言葉は、苦しみを生むものでしかなかった。

 辛そうな顔をして、茱絶は俯く。


「もう……やめてくれ」


 たった一言、絞り出すように紡がれた言葉からは。


 ──これ以上、俺を苦しめないでくれ、と。


 そんな風に言っているようにも聞こえた。

 彼の言葉を聞いた薙瑠は。

 静かに、而してらしくないほど、拳を強く握りしめていた。

 その顔も、眉根を寄せて、とても苦しそうな表情をしていて。


「私だって……私だって、あなたを苦しめたくて苦しめた訳じゃない」


 らしくない口調に、いや、昔の口調に戻った彼女の言葉に、茱絶は鬱陶しそうに顔を上げる。


「……なんだよ」

「私は生まれつき、他人には視えないものが視えていた」


 話しながら、彼女は徐ろに、懐に忍ばせていた護身用の短剣を取り出した。

 それは彼女が、常に携帯するもう一つの武器。

 唐突な彼女の行動に、茱絶は目を丸くして息を呑む。


「そしてあるとき。

 望んだ訳じゃないのに、力を授かってしまった」


 静かに抜剣して、(さや)をその場に放った。

 鞘が滑る、乾いた音。

 そして左腕の華服(かふく)を、肘まで捲り上げれば。

 顕になるは、彼女の白い肌。

 それを苦しそうに、睨みつけながら。


「全ては……この、体質のせいで」


 右手に持つ短剣の先端を、肌に突き立てて。

 己の左腕に、ゆっくりと一筋の傷をつけた。

 傷口からは赤い雫が流れ()で。

 白い肌を静かに伝っていく。


 徐ろに自身の身体を傷つけた彼女の行動に、茱絶は言葉を失っていた。

 それは、背後で様子を見ていた子元も同じだった。

 静かながらも、自分の感情を顕にしている彼女。

 初めて見る、彼女の姿だった。


 痛みで眉根を寄せながらも、薙瑠は微笑(わら)っていた。

 光の無い、深淵を含んだ瞳で、茱絶を映しながら。


「……ほら、これ。

 あなたも見覚えがあるでしょう」


 茱絶の前に、切り裂いた腕を差し出す。

 もちろん、腕からは血が滴ったているだけだったが。


「……は、何のこと──……」


 そう茱絶が口を動かした刹那のことだった。

 彼女の腕の、傷口から。

 植物の芽が、ゆらりと顔を出す。

 それも、ひとつではなく、複数。


「病でも何でもない。

 御霊(みたま)……霊なるものが憑きやすい体質だった。

 この植物も、その体質だったからこそ、宿ったもののひとつで。

 本来視えない存在が視えてしまうのも、その体質を持っていたが故のもの。

 私はただの人間で、あなたが恐れるような力なんて、少し足りとも持ち合わせていなかった」

「なら……あの膨大な力はなん──」

「私の(からだ)に鬼の御霊が宿ったから。ただそれだけ」


 茱絶の言葉を遮って、彼女は淡々と言葉を続けていく。


「あの蘇塗(そと)……蘇塗に括られていた籠目には、鬼の御霊が宿っていた。

 青い髪を持つ、鬼の御霊が。

 何も知らずに、それに触れてしまったから……この(からだ)の中に、鬼の御霊が入り込んでしまった。

 その鬼は、植物を操る力があったみたいだから……この伸びる植物は、その力の影響を受けたただけ。

 でも、自分の中に鬼がいても、私自身は鬼じゃないから、力なんか使えない。

 だから……私は一切、あなたにも、村の人々にも、病をうつしたり、危害を加えたりするような存在じゃなかった。

 でも、当時の私は、そんなことを知り得るはずがなかった。

 あなたを含めた村の人々も。

 知り得るはずがなかった。

 だから……責めることなんて、できない。

 ……でも」


 半ば早口で紡いでいた言葉を、一度止めた薙瑠は。

 ひと呼吸すると、どこか泣きそうな顔で。

 そして酷く、辛そうな声で。


「でも……できること、なら。

 危害を加えていない限りは。

 自分とは違う体質を持つ存在を、受け入れるってことくらい……してほしかった」


 茱絶の瞳が、わずかに見開かれた。


 ──自分とは、違う体質を持つ存在を。

 受け入れるってことくらい、してほしかった。


 ──危害を(丶丶丶)加えて(丶丶丶)いない(丶丶丶)限りは(丶丶丶)


 同じだ、と思った。

 自分も、目の前にいる彼女も。

 求めていたことは、同じだったのだと。

 彼女の言葉は、茱絶の中で何度も反復されて。

 同時に、ある言葉を思い出していた。


 ──わたしは、おにいさんのこと……こわくないよ。


 暴力を振るうようになる前。

 共に過ごすようになって少しした頃、少女が、蒼燕(あおつばめ)が、今目の前にいる彼女が、言った言葉。

 それは、当時の彼にとっては、力があるからこその、自身を見下したような発言にしか聞こえなくて。

 その言葉をきっかけに、暴力を振るうようになったのだった。


「ああ……そうか」


 あれは本当に、怖くなかったのだと。

 自分を受け入れてくれていたのだと。

 暴力を振るい始めた頃、虚ろな瞳で見るようになったのは、哀れだと思われていたのではなく。

 受け入れるという姿勢を、暴力で返されたことへの失望だったのだと、今になって気付く。


 幼くて、歳が離れている少女であっても。

 彼女は唯一、自分を受け入れてくれた存在だったということに。

 そのことに気付いていれば、自分たちは。


 ──もっと違う、関係を築けていたはずだ。


「自分が鬼かどうかなんて……どうでもよかった」


 ふと、茱絶がそんな言葉を漏らした。

 寝台に腰掛けている彼は、俯き、前かがみに手を組みながら、ゆっくりと。

 自身の思いの丈を紡いでいく。


村人(あいつら)との関係も……どうでもよかった。

 お前が現れたときには、もうそのどちらもどうでもよかったんだ。

 ……そのはず、だったんだけどな」


 彼の声はか細くて、今にも消えてしまいそうで。

 纏う空気も、徐々に穏やかになっているようで。

 静かに耳を傾けながら、今までの茱絶からは感じられなかったものを、薙瑠は敏感に感じ取っていた。


「お前の……力を授かったお前の、あの言葉が。

 怖くないという言葉が、信じられなかった。

 受け入れられなかった。

 あの夜、お前の強大な力を感じ取って。

 感じ取っていたからこそ、その力の強大さに、恐れて、嫉妬して。

 そんな感情が芽生えてきた頃……怖くない、なんて言われて。

 力のない俺を、嘲笑っているようにしか感じなかった」


 そこで漸く、茱絶は顔を上げた。

 彼の顔には、悲しみが混じった、小さな笑みが浮かんでいて。

 初めて見た、彼の柔らかい表情(かお)だった。


「なぁ……蒼燕(あおつばめ)


 その顔で見つめながら呼ばれた名は、昔のように棘のある呼び方ではなく。

 優しく触れるような、安心感のある呼び方だった。

 だからだろう。

 薙瑠にも自然と、小さく微笑む。

 彼の前で初めて見せた、優しい表情(かお)だった。


「……はい」

「いや……今は薙瑠……だったか」

「……はい、どちらでもいいですよ」

「薙瑠、にしとく」

「ふふ、そうですか」

「……薙瑠」

「はい」


 茱絶は僅かに間を開けると、真っ直ぐと彼女の目を見て。


「最初で最後の……俺の頼みを聞いてほしい」


 そんなことを言ったのだった。

 薙瑠は僅かに驚いたものの、直ぐに笑みを浮かべ。


「はい、喜んで」


 快く承諾した。

 薙瑠にはもう、茱絶に対する警戒心など、欠片も残っていなかった。

 そんな彼女に安心したのか、茱絶もまた、柔らかく笑う。


 自分とは違う、差異ある体質を持つ存在。

 それは、人間と鬼の違いだったり。

 御霊を宿しやすい人間だったり。

 力を使えない鬼だったり。

 いろんなことに当てはまる差異。

 それが恐ろしいと感じるのは、その実態を知らないが故だろう。


 しかし、それらと向き合い、対話することさえ、できれば。


 今までとは明らかに違う、穏やかな雰囲気を纏う二人を見ながら、子元もつられるように小さく微笑んでいた。

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