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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第肆章 ─
43/81

其ノ陸 ── 狂イシ華ト背負イシ使命 (6/15)

 藍色の空が、明るい青に染まり始めた(あさ)の刻。

 (ぎょう)の都にある曹操(そうそう)の部屋で、子元(しげん)は世界の残酷さを目の当たりにしていた。


 そしてその波は、容赦なく彼を飲み込んでいく。


司馬(しば)子元」

「は、はい」


 薙瑠(ちる)を見ていた曹操の視線は、突如として子元を捉え、彼は反射的に拱手の姿勢をとる。

 小さく嗤いながら、曹操は飄々(ひょうひょう)とした態度で言葉を次いだ。


「現時点では、あくまでも予測に過ぎないが。

 お前が生かされたのも、お前に使命が与えられていたが故だ」

「……」


 煌々と輝く曹操の瞳は、鋭く子元の胸を射抜く。

 その言葉の真意は、先程、彼女に向けられた言葉と同じだろう。

 つまり。


 与えられし使命を果たさなければ、この世界で生きながらえた意味はない──


「〈狂華(きょうか)〉。

 あの出来事があったが故に、使命が与えられた者がお前だと、俺は判断した」

「何故……〈狂華〉が判断のきっかけ、なのですか」

「二人目の桜の鬼──桜(さく)から、ある話を聞いてな」


 曹操は僅かに目を伏せながら、記憶の糸をを手繰り寄せるように、静かに言葉を紡いでいく。


「『桜の力を借りし者。その者こそが、鳥を放つ役目を負っている。そしてその役目は、場合によってはその者を苦しめることになる』……と」

 

  桜の力を借りし者──それが〈狂華(きょうか)〉に陥ったことで、桜の力を必要とした子元である、というのが、曹操の出した答えだった。

 子元自身も、直ぐにそれを察したらしい。

 しかし、何と(いら)えを返すべきなのか、子元はただ黙り込むことしかできなかった。


「おい、俺の言っていることは間違っているのか?」


 何も答えない子元に痺れを切らしたらしい曹操の矛先は、突如薙瑠へと向けられた。

 薙瑠は小さく微笑みながら、首を横に振る。


「いえ、間違いではありません」

「そうだよな」


 彼女が肯定したということは。

 彼が生きながらえたのは、使命がある故だと。

 そしてその使命を果たさなければ。

 彼が生きながらえた意味が、無いのだと。

 彼女自身も、子元の存在をそう捉えているということに他ならない。


 胸がちくりと痛むような、そんな苦しみを覚えたものの。

 そう考えることで、理解できたこともあった。



 ──貴方は何も知らなすぎる!!



 桜の木の下で、彼女が子元へと突き付けた現状。

 〈狂華(きょうか)〉に陥ったことは、偶然じゃない。

 彼女が、自分の前に桜の鬼として現れたのも。

 そして、自分の〈開華(かいか)〉をしたのも。

 それは、役目を負った(丶丶丶丶丶)からこそ起きた(丶丶丶丶丶丶丶)出来事なんだと。


 しかし不思議と、子元は傷付いていないようだった。

 これから知っていくと、心に決めたからだろうか。

 辛い現実を突き付けられているのにも関わらず、気持ちは落ち着いていて。

 そのことに、子元だけでなく、彼の様子を伺っていた薙瑠も安堵していた。

 彼の〈華〉は、強かに咲いている。

 酷な現実の、感情の波に呑まれることなく、己の輝きを保っている。

 それを視た薙瑠は、酷く悲しそうな顔をして微笑(わら)っていた。


「子元」


 子桓は静かにその名を呼んだ。

 真っ直ぐと子元を見据えながら、どこか重みを感じる、そんな声音で。


「『その役目は、場合によってはその者を苦しめることになる』……その言葉の真意は分からないが、俺はその苦しみが、これから生まれるような、そんな気がしている」


 子元の〈華〉が、動揺の風に吹かれたように、ざわりと揺れる。

 その風は柔らかではあるものの、花弁(はなびら)を数枚、崩してしまいそうだった。


「だが、その顔を見る限り、何も問題なさそうだな」


 しかし〈華〉は崩れることなく、寧ろどこか気持ちよさそうに、風に揺れている。

 そんな子元の表情も、爽やかで。


「はい、子桓様。覚悟は……できております」


 子元は、穏やかに笑う子桓を、(おの)が意思をしっかりと伝えるように、真っ直ぐ見返した。

 彼のはっきりとした宣言に、曹操も満足したらしい。


「ふ、良い顔になったな。

 ならば一つ、お前に試練を与えよう」

「試練、ですか」


 突如そんなことを言われ、子元に緊張が走ったものの、それを察した曹操は「安心しろ」と一言。


「試練とは言ったが、ただ確かめたいだけだ。

 お前が、桜の力を借りし者であるという〝証〟を──な」


 曹操は愉しそうに口角を上げた。

 爛々とする瞳は、逃さないとばかりに、子元を鋭く射抜いており。

 子元は背筋に悪寒が走るのを感じていた。


「桜薙瑠。

 刀は今、部屋に置いてあるのか?」

「はい。何をしたいのか察しはついておりますので、お持ちいたしますね」


 失礼いたします、と言って丁寧に拱手をした彼女は、踵を返して戸へ向かう。

 静かな空間に、戸の開閉音だけが響く。

 室内にいる三人は、彼女が姿を消していった戸を、暫くの間黙ったまま見つめていた。


「あいつは普段からああ(丶丶)なのか?」


 静寂を割いたのは、子桓による子元への問いかけだった。


「と言いますと……?」

「刀だ。いつも手に持っているのか?」


 子桓の意図が分からず、僅かに首を傾げていた子元だったが、すぐにその意味を理解したようだった。

 鬼は内に刀を納められる。

 それはつまり、常に携帯する必要がない、ということだ。


「確かに……彼女は普段から刀を携帯しております」

「やはりそうなんだな。

 父上、あなたはあの刀に触れてみたいだけですね?」

「ふ、それの何が悪い」


 悪戯好きの子供のように言う曹操に、子桓は半ば呆れている。

 しかし、子元だけはその話の意図を把握できずにいた。

 曹操はそんな子元に視線を移すと、にやりと口角を上げて嗤う。


本人と(丶丶丶)特定の者(丶丶丶丶)以外は(丶丶丶)触れられない(丶丶丶丶丶丶)──そういう刀だ、あれは」


 その言葉を聞いて、子元は漸く理解したのだった。


 特定の者。

 それ即ち、桜の力を借りし者であること。

 そして、その者は、あの刀に触れることができるのであり。

 それこそが──〝証〟なのだということを。


 とは言え、刀に触れられない、という状況がどんなものなのかまでは、理解できるはずもなかった。

 故に彼は、それを実践しようとしているのだろう。


 触れられない者が、その刀に触れようとしたならば。

 一体──どうなるのか。


 そんなことを考えていれば、戸を叩く音が耳に入り。

 同時に、戸の向こうから彼女の声が聞こえてくる。


「桜薙瑠です。入室してもよろしいでしょうか」

「ああ、良いぞ」


 曹操の返答を合図に戸が開けられ、薙瑠は失礼致します、と挨拶をして入室する。

 そんな彼女の左手には、普段から携帯している太刀が握られていた。


「お待たせいたしました、曹操様」

「ああ」


 再び机の前に立って報告する彼女を、曹操は穏やかな表情で見ている。

 そんな彼を見て、薙瑠は小さく微笑んだ。


「早速ですが、触ってみますか?」

「ふ……話が早くて助かる」

「詳しいことは敢えて述べませんが。

 気を付けてください、とだけ、申し上げておきます」


 彼の意図を早々に理解していたらしい彼女は、手にしている刀を両手のひらの上に乗せて、曹操の前へと差し出した。


 室内に、静寂が落ちる。


 彼は少しの間、その刀をじっと見つめたあと、ゆっくりと右手を伸ばしていく。

 その長くて白い指先が、漆黒に塗られた刀の鞘部分に触れようとした──その刹那。


 ぼっ、と小さな炎が燃え上がった。


 表情ひとつ変えることなく、至って冷静にその様子を瞳に映していた曹操は、その手を戻す。

 指先に視線を落とせば、炎に直接触れたその指先は、僅かに火傷を負っていた。


「……なるほど」

「大丈夫でしたか?」

「ふ、何も問題ない。

 次はあいつらに触らせてみろ」


 そんな事を言い出した曹操に、僅かに驚きの表情を見せたのは子桓だった。


「父上、何故私もやらねばならないのですか」

「文句言わずにやれ」


 反論も虚しく一刀両断され、子桓は小さくため息をつく。

 そんな彼のもとに、薙瑠は苦笑しながら刀を差し出した。

 目の前の刀に、子桓は渋々と手を伸ばす。

 結果は同じ。

 小さな炎が、彼の指先を僅かに焦がす。


「これ……頑張れば掴めるんじゃないか?」


 指先の感触からそう感じたらしい子桓が小さく呟いた。


「やってみますか?」

「いや……いい。もしかしたら、右腕ひとつ犠牲になるかもしれないからな」

「右腕だけで済むと良いですが」

「……微笑みながら言うな」


 眉をひそめる子桓を見て、薙瑠は小さく笑う。

 そしてその隣の子元に、刀を差し出した。

 じっと刀を見つめている子元に、薙瑠は優しく微笑む。

 そして。


「安心してください」


 そんな一言が紡がれた。

 その言葉が既に、触れても大丈夫だということを証明しているようだった。


 小さく、深呼吸をして。


 恐る恐る、刀に向かって手を伸ばす。


 すると──


 つ、と漆黒の鞘に指先が触れた。


 曹操と子桓は、触れることすら許されなかったのにも関わらず。



 子元の指先は、確かに鞘に触れているのである。



 本当に触れることができてしまった事実に驚きを覚えながらも。

 子元はその現状を再確認するかのように、指先で漆黒の鞘を優しく撫でた。


「触れたな」


 そんな声が耳に届き、子元は視線を上げる。

 声の主である曹操と目が合えば、彼は面白そうに、而して真剣な瞳で此方を見ていた。

 そして低く、滑らかに紡がれた言葉は。


「それに触れたということは。

 もう逃げることはできないと、しかと胸に刻んでおけ」


 そんな言葉だった。

 試練。

 彼がその言葉を使った意味は、そこにあるのだろう。

 それを理解した上で、子元は拱手し、真っ直ぐと見返しながら。


「承知いたしました」


 確かな意思を込めて、(いら)えを返した。

 そんな子元を見て、曹操は満足そうに笑う。


「ならば、俺が言うことはひとつだけだ」


 いつも通りの、彼らしい笑みを浮かべながら。


「己が役目──必ず果たせ」

「はっ!」


 心強い曹操の言葉に、子元は再び拱手(きょうしゅ)して頷く。

 薙瑠は一連の流れを見守りながら、子元は、彼は、本当に強い人だと、内心で感心していた。

 それと同時に。



 自分とは、正反対だと。



 そうも思っていたのだった。

 だからだろうか。

 子元の爽やかで落ち着いた表情(かお)を見るのが辛くなったようで、薙瑠は視線を落とすように彼から目を逸らした。


「さて……桜薙瑠」


 そんな彼女の耳に、曹操の滑らかな声が届く。

 彼女が視線を上げれば、そこには自分を見つめる、彼の瞳があり。

 その瞳もまた、嫌になるくらい真っ直ぐなものだった。


「今度はお前の番だ」

「……はい」


 その言葉の意味するところを、すぐに察したのだろう。

 薙瑠はどこか、陰りを含んだ表情になりながらも、しっかりと頷いた。

 そんな彼女の様子を瞳に映した曹操は、悠々と席を立ち。


茱絶(じゅぜつ)──あいつの処分を、お前自身で決めてこい」


 煌々と揺れる、龍の如き蒼い焔。

 それを瞳に宿す最初(はじまり)の鬼が、桜を過去へと(いざな)うのだった。


───────────────


 (ソノ) (ムカシ)在 鬼神(キシンヲ シン)信仰(コウスル) 農村ノウソン アリ

 或 時(アル トキ)現 其村(ソノ ムラニ) 青髪(セイハツ)青眼 之(セイガン ノ ) (オニ アラハル)

 村人(ムラビト) 呼 其鬼(ソノ オニヲ)〝青(アオキオニ)鬼〟(ト ヨブ)

 其鬼(ソノ オニ) (シンコウノ) 信仰(オンヲ )之恩 為(カエサンガタメ)(ノウソンニ) 農村(スウジツ) 数日(トドマルル)


 (シカシテ) 其鬼(ソノ オニ)忽然(コツゼントシテ) (スガタ) 姿(ケス)


【その昔、鬼神を信仰する農村があった。

 或る時、その村に鬼が現れる。

 髪と瞳の色から、その鬼は〝青き鬼〟と呼ばれた。

 その鬼は信仰の恩を返すべく、

 数日の間、その村に留まったと云う。


 しかしその鬼は、突如として姿を消したのだった。】

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