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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第肆章 ─
42/81

其ノ伍 ── 桜ノ傀儡ト存在意義 (5/15)


 (フタタビ) (ヨミガエル)

 (ソレ) (スナハチ)再度(フタタビ)〟──

 (イナ)、〝二度(フタタビ)(ナリ)


【再び蘇る──

 それは〝再び〟ではなく。

 〝二度(ふたたび)〟である。】


───────────────


 冷たい空気に包まれた、青い空広がる(あさ)の時間。

 風の音も、鳥の鳴き声も聞こえない、静かな(あさ)

 そのせいか、他の季節と違って、玄冬(ふゆ)はどこか寂しさを感じさせられる。

 しかし、そんな寂しさを忘れさせてくれる、青春(はる)のような存在がいた。


「おはようございます、子元(しげん)様」


 もういる事が当たり前になっているその存在の声を聞くと、子元はどこか安心できるのである。

 回廊から空を見上げていた彼は、その声がした方へと視線を移す。

 そして小さく微笑んだ。


「おはよう、薙瑠(ちる)

「疲れはとれましたか?」

「ああ、昨日は丸一日、休息の時間(とき)をもらえたからな」

「ふふ、それなら良かったです。あの話があったその日の昼下がりに発って、その翌日……昨日の(あさ)にはこちらに着くなんて、随分急いだようですね」

「……まさか(よる)にも走らされるとは、正直思いもしなかった」


 小さく欠伸(あくび)をしながら、子元はぽつりと不満を漏らす。

 そんな子元をみて、薙瑠は小さく笑った。

 いつも通りの光景だが、二人がいるのは洛陽(らくよう)ではなく、(ぎょう)

 その土地にある曹操の屋敷内だった。


 子桓(しかん)からの話があったのは、今から僅か二日前。

 そして昨日の(あさ)に、子桓と子元の二人は鄴に着いていた。

 普通ならば、宵の刻は賊の奇襲などを避けるため、戦以外の時には無闇矢鱈に移動をしたりはしない。

 しかし、賊は人間(ヒト)であることが殆どであるため、鬼であるならば時間を問わず外に出る場合がある。

 今回がまさにそれだった、らしい。


「お前はいつ来たんだ?」

「先日の夕刻、です。私が来たこと、鴉様から知らせがいきませんでしたか?」

「鴉……あいつ、護衛も兼ねてと言っていたが、洛陽を発ってからほぼ姿を見てないぞ」


 空を飛んでるのは見たが、とどこか不満そうな顔で言う子元を見て、薙瑠は半ば苦笑する。


「ああ……そういうところがある方なので……すみません、鴉様に代わって私から謝罪します」

「いや、別にお前が謝る必要はどこにもない」


 申し訳なさそうにしゅんとする彼女を見て、子元は小さく微笑みながら優しく頭を撫でてやる。

 そんな二人の微笑ましい光景を、離れて見ている人物が一人。


「……何も知らないってのはお気楽でいいな、全く」


 聞こえないように小声で呟く彼の青い双眸には、二人──特に子元の姿が映し出されていた。

 暫くその様子を傍観したあと、彼はゆっくりと二人へ近づいてゆく。


「よお、ゆっくり休めたか?」


 足音と共に紡がれた挨拶の言葉に、二人の視線は彼へと向けられ、その存在を確認すると丁寧に拱手(きょうしゅ)した。

 いつも通り微笑んでいる薙瑠とは対象的に、子元は先程の微笑みから一転、真面目な顔になる。


「おはようございます、子桓(しかん)様」

「……おはようございます」

「おい子元、なんだその不服そうな顔は? 二人きりの時間を邪魔されて不満なのか?」

「はっ……!? いえ、そんなつもりは」

「お前は顔に出過ぎだ。そこだけは仲達(ちゅうたつ)と似ても似つかないところだな」


 出会って早々にそんなことを言われ、子元は反論する術もなく押し黙る。

 子元としては普通の顔をしていたつもりだったのだろうが、どうやら無意識のうちに眉を(ひそ)めていたらしい。

 そして彼が眉を顰めたのは、二人の時間を邪魔されたからではなく、単純に子桓のことに慣れていないから。

 ──と言うのが本人の認識なのだが、他人から見れば、邪魔されたことに対する反応だと捉えてしまってもおかしくない。

 朝から言い合う二人を見て、薙瑠は楽しそうに笑っていた。


「ところで桜薙瑠。お前は力を使って此処(ここ)に来たんだったな?」

「はい。ですので、先日の昼過ぎまでは洛陽で過ごしていましたが、夕刻にはこちらにいました」

「考えられんな……まあいい。それより、その力を使えば何処でも一瞬にして行けるのか?」

「いえ、一度訪れたことがある場所か、鴉様が居る場所に限られます」

「ん……? 待て、俺達が洛陽を発つ時点で、お前は先に行くことも可能だと言っていたな。

 ……ということは、今回の場合は前者になるのか」

「はい、仰る通りです、子桓様」


 嬉しそうに笑う彼女の言葉に、子元は首を傾げていた。

 今回は前者、つまり一度訪れたことがある場所だったからこそ、彼女はここに来れたと言う。

 それはつまり、彼女は過去に一度は此処(ここ)──鄴に来たことがあるということになるからだ。

 子桓も同じような疑問を抱いたらしく、僅かに怪訝な顔をしていた。


「お前、ここに来たことがあるのか?」

「いいえ、私は(丶丶)ありません。初めてです」

「私は……か。なるほど、つまりそれは」

「はい、そういう事です」


 薙瑠と子桓は二人で話を進めているが、子元には何がどういうことなのか、さっぱり理解できていなかった。

 ──が、「私は」という彼女の言い方から、推測できることがあった。

 

 彼女が(ここ)に来ることは初めてであるが、この場所は既に「過去に訪れた場所」とされていること。


 父親である仲達から、曹操は桜の鬼に会ったことがあるという事実を聞いたこと。


 そして、桜の鬼は一人ではないということ。


 これらのことから推測できるのは──


「薙瑠ではない桜の鬼が、過去に鄴を訪れた……?」

「なんだ、お前にしては冴えてるな」

「では……孟徳(もうとく)様が会っていた桜の鬼、というのは……」

「そうだ。こいつの前に居た、二人目の桜の鬼だ」

「……二人目」


 道中でも『幻華譚(げんかたん)』の話のときに関わっていたのは〝二人目〟の桜の鬼だと言っていた。

 二人目がいるならば必然的に一人目も居るはずで。

 しかし、何故今のところ話に出てこないのか、子元は不思議に思っていた。


「その辺りの話の詳しいことは、帰ってから『幻華譚』で読むといい」


 子元の考えていることを見抜いたのか、子桓がそう付け加えたとき、彼の背後から女官が三人に近付く。

 子桓がその気配に気付いて振り返ると、女官は立ち止まって礼をした。


「子桓様。曹孟徳様がお呼びです」

「ああ、今から行く。こいつらも連れていけばいいんだな?」

「はい、そのように聞き及んでおります」

「そういうわけだ、行くぞ」


 身を翻して歩き始める子桓のあとを、子元と薙瑠の二人もついてゆく。


 ──ついに(きた)る、対面の時。

 何が語られ、何を知るのか。


 子元はどこか緊張した面持ちで、子桓と薙瑠の二人とともに、最初(はじまり)の鬼──曹操の元へと向かった。


 *

 *

 *


 向かった先は大広間。

 ──かと思いきや、子桓が二人を案内した場所は、小さな一室。

 大広間のような広い場所ではなかった。

 閉じられている戸を軽く数回叩いてから、子桓は室内にいるであろう父に声をかける。


(そう)子桓、只今参りました」

「──ああ、入れ」


 滑らかでいて威厳のある声が聞こえ、子桓は戸を開ける。

 開かれたその場所は、執務室であるようだった。

 机上に置かれている複数の竹簡と、広げられた地図。

 それと向き合うようにして、彼はいた。


 机上に落とされていた視線が前を向き、癖のある前髪から覗く双眸が、三人の姿を捉える。

 ただ視線を向けられただけだというのに、子元は僅かに悪寒を覚えていた。

 一方で子桓は相変わらずの飄々(ひょうひょう)とした態度で室内に入り、机の前で丁寧に拱手する。


「お待たせいたしました、父上。

 司馬子元と、そして桜薙瑠の二名を連れて参りました」


 子元も薙瑠と共に室内に入り、子桓の隣に並ぶ。

 背後から聞こえるは、女官が戸を閉める音。

 外界と遮断されたことで、より一層緊張感のある空気の中に包まれ、子元はどこか息苦しさを感じた。

 それでもその空気に呑まれぬよう、自分の気を引き締める思いで、それでいて丁寧に拱手した。

 薙瑠も彼の隣で拱手する。


「司馬子元、只今参りました」

「子元様にお仕えする、桜薙瑠と申します」

 

 二人がそれぞれ挨拶をしたところで、曹操は漸く顔を上げ、椅子の背もたれに背を預けた。

 そんな彼の口角が上がる。

 青い双眸も爛々としており、彼は今この瞬間を楽しんでいるようだった。


「漸く会えたな……桜薙瑠」

「はい、お初にお目にかかります、曹操様」


 薙瑠は普段通りに、柔らかく微笑んで対応する。


「こうして会話をするのは初めてだが、あの村で既に会っている。そんなに畏まらなくていい」

「お心遣い、感謝いたします」

「司馬子元、お前もだ」

「はっ、お気遣いいただき、ありがとうございます」


 丁寧に拱手しながら応える二人をじっと見たあと、曹操は穏やかな声音で。


「桜」


 彼女の名を呼び、軽く手招きした。

 もっと近くに来い、という意思表示らしい。

 薙瑠はそれに素直に応じて、数歩歩み寄り、机の直ぐ前に立った。

 すると曹操は、机の上に片肘をついて彼女を静かに見詰める。

 癖のある青い髪──彼女と同じ色をした髪が僅かに揺れ、前髪の下から覗く鋭い双眸に、彼女の姿が映り込む。


 曹操は座り、薙瑠は立っているため、普段なら彼女が曹操を見上げる形になる筈なのだが、今はそれが逆転しており、彼が彼女を半ば見上げている。


 静かに交錯する、二人の視線。

 その間には穏やかな時間(とき)が流れていて。

 まるで、親子のように意思を通わせているような──そんな雰囲気があった。


「……同じだな」


 曹操は小さく呟くと、己の右手をゆっくりと伸ばし。


「違うのは……ここだけだ」


 指先でさらりと、彼女の長い前髪を退けた。

 そこに在るは、右眼とは似ても似つかない、桃紅(ももくれない)の瞳。

 その瞳をじっと見つめながら、曹操は薙瑠の頬に手を添え、桃紅の目の周り、頬骨の辺りを親指で撫でる。


「この右眼は、桜の鬼の証だな」

「はい」

「お前は、今の自分の立場をどう思ってるんだ?」


 彼女の目元付近を撫でながら、曹操はそんな問を投げかけた。

 思いもよらない言葉だったのか、薙瑠は僅かに驚いたような表情を浮かべている。


「私の立場、ですか?」

「この時間(せかい)に生きる者を手駒に、偽りを終わらせようとしている……そんなお前は、どんな思いでそこに立っている?」


 曹操の問いかけに、薙瑠は直ぐには答えなかった。

 僅かな間を開けて、彼女は小さな笑みを浮かべるが。

 その瞳に、光は宿っていなかった。


「私は〈六華將(ろっかしょう)〉として、桜の鬼としての立場に在りますが……それらを以てしても、皆様と同じ状況だと考えます」

「同じ、だと?」


 彼女の目元を撫でていた曹操の手が止まる。

 頬から手を離す曹操の顔には、怪訝そうな表情が浮かんでいた。


「それは手駒としての俺たちに、気でも遣っているつもりか?」

「いいえ。本当に同じだからです。

 立場は違えども、状況は同じなんです。

 この時間(せかい)に生きる者が手駒であると言うのなら、私は──」


 彼女は俯き気味に小さな声で、しかし確かにこう言った。



 ──私は傀儡(かいらい)です、と。



「自分を立場を言い表すのなら、これが一番相応しいと、そう考えています」


 その言葉の真意を探るように、曹操の青き瞳は、爛々と彼女を射る。


「神に全てを捧げる……その言葉は、今でも嘘偽りないということだな?」


 曹操の問いかけに、薙瑠は直ぐには答えなかったものの、その微笑みを崩すことなく。


「それが私の存在意義(しめい)ですから」


 ただ一言、そう答えた。

 神に全てを捧げ、傀儡と成る。

 それが己の使命だと、一切の迷いなく言ってのけた彼女だが。

 そのとき子元には、彼女の瞳から一瞬だけ、光が消えたように見えていた。

 一方で曹操は、彼女の僅かな陰りに気付くこともなく、満足そうに嗤っている。


「ふ、それでいい。

 そうでなければ、お前がこの時間(せかい)に居る意味がなくなるからな」

「……はい」


 存在する意味がなくなる──ある種の恐ろしさを含んだそんな言葉を、嗤いながら言う曹操。

 そしてその言葉に、哀しそうな色を見せながらも、否定することなく頷く薙瑠。

 そんな二人から垣間見えるのは、残酷な世界の現状。

 子元は胸の辺りが、紐で締め付けられるように、息苦しくなる感覚を覚えていた。


 しかし、当然ながら。

 世界の残酷な波に呑まれるのは、子元も同じ事だった。

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