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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第肆章 ─
40/81

其ノ参 ── 翼ヲ持ツハ鬼ニ非ズ (3/15)


 舞 桜(サクラ マウ) 流 時間(ナガルル ジカン)

 (アタラシキ) 新 生命(イノチノ ハナガ) (サク)

 逍遙(ショウヨウナル) (サクラ) 咲 永久(トハニ サク)

 (ソレ) (スナハチ) 如 妖怪(ヨウカイノ ゴトシ)


【舞い散る桜 時間(とき)は流れ

 新しき生命の 花を咲かす

 逍遙桜(しょうようざくら) 永久に咲き続くる

 それはまるで──妖のよう……】


───────────────


 どんよりとした、重い空気を含んでいる玄冬(ふゆ)の空。

 本来なら()が傾き、朱く染まり始めている頃だったが、現在の空は灰色に染まり、粉雪がはらはらと舞い降りている。

 周囲の自然が白に埋もれつつある中、子元(しげん)子桓(しかん)の後に続いて、曹操(そうそう)の居る都・(ぎょう)へと馬を走らせていた。


 二人は一切言葉を交わすことなく、ただひたすら馬を走らせる。

 (ひづめ)が地を蹴る音と、風を切る音だけが響く中、子元は灰色の空を見上げた。


 彼から見て丁度前方の空に、ひとつの小さな黒い影。

 距離もあるため、端から見れば、黒い鳥にしか見えないのだが、あれはただの鳥ではなかった。


 ──(からす)


 子元は内心で、その黒い鳥の名を呼んだ。

 彼は今、翼を持つ奇妙なヒトの姿で、空を飛翔している。

 翼の色は実際は茶色だが、距離があるせいで黒にしか見えない。


 今回の目的地は、洛陽(らくよう)の北東方面にある(ぎょう)

 洛陽からは少し離れた場所にあることに加えて、どうやらゆっくり移動している時間はないらしく、馬での移動が必須となった。

 しかし、彼女──薙瑠(ちる)は馬に乗れない。

 そんな彼女は、笑顔でこう言った。


 ──安心してください。

 私は〝時間と空間を司る〟桜の鬼です。

 手段はあります──と。


 その手段というのが、鬼の力を用いる事で、特定の場所に瞬時に移動することだという。

 どういう原理なのか理解もできないが、流石は伝説と謳われる鬼。

 本来ならば鴉がいなくてもその力を用いる事は可能だというが、自分だけ先に到着するというのは失礼だからと、子桓と子元の到着に合わせて移動するという彼女なりの配慮らしい。

 その到着の合図を送るためにも、二人の護衛も兼ねて鴉が同行することになった、と言うわけである。


(護衛も兼ねてとは言え……あんなに離れて飛んでいたら護衛も何もないだろう……)


 子元は小さな黒い影を見上げながら、内心で彼に対する文句を呟いた。


「そんなに不思議か? あいつの姿は」


 ふと、そんな声が子元の耳に入る。

 前方を走らせていた子桓はいつの間にか子元の隣で並走していたが、その視線は前を向いたまま。

 その飄々(ひょうひょう)とした態度が何とも彼らしく、あの曹操(そうそう)の息子である様を感じさせる。


 暫く黙ったままの子元だったが、その心の内では己の感情と葛藤していた。

 知ると決めたからには、子桓からも情報のひとつやふたつ聞きたいのだが、子元は彼がどうも苦手なのである。

 それは恐らく、というか間違いなく〈狂華(きょうか)〉の一件があったからであろうが、今はそんなことを言ってる場合ではないのは本人も理解しているらしい。


「……知ってた、んですか」


 ぽつりと呟くような子元の問いかけは、蹄の音にかき消されそうなほど小さなものだったが、子桓はそれをしっかりと聞き取っていた。


「何をだ?」

「彼……(からす)の姿のことです」

「まあな、というかお前も()うの昔に知ってるはずだぞ」

「…………はい?」


 子桓の言っている意味が分からず、子元は素っ頓狂な返事をする。


「覚えてないのか? 鴉を拾ってきた(丶丶丶丶丶)のは仲達(ちゅうたつ)だ、そしてその場にお前もいたはずだが」

「……何時(いつ)の話ですか、それは……」

「お前が初めて洛陽の外に出たときだ」


 子元が初めて洛陽の外に出たとき。

 それは紛れもなく、あの村を訪れたときのことだ。

 しかし、当時はまだ幼かった彼にとって、蒼燕(あおつばめ)との出来事が衝撃的だったせいか、それ以外のことがほぼ記憶に残っていなかった。

 そしてもうひとつ、気になるのは鴉は父・仲達が拾ってきたという事実。

 そうであるのならば。


「あの……ということは、父上は鴉のこと、知っているってことですか……?」

「あの姿で負傷してた奴を拾ってきたんだ、知らないはずがない」

「ですが、子桓様がいらっしゃる前に、鴉のことを少し話したのですが……父上は何も知らないようでした」

「ああ……それは本当に何も知らないからだろうな。姿を見たことがあるだけで、どんな存在なのかまでは知り得なかった。そういうことだろう」


 不確かな事は、無闇矢鱈に話さない。

 そんな子桓の話を聞いて、父の対応に子元は小さく納得していた。

 そんなとき、子桓が何かを思い出したように「あー」と声を出した。


「そう言えばあの時、お前は寝てたな。それなら鴉の姿を覚えてなくて当然か」

「……寝てた……?」

「仲達と一緒の馬に乗って、気持ちよさそうに寝ながら帰ってきたぞ。父親の側はそんなに安心できる場所なのか?」


 横目で見ながら面白そうに問いかけてくる子桓に、子元はあからさまに嫌そうな顔をする。

 そういうところは本当に父親そっくりだった。

 本人はそれに気付いていないが。


「……知りません。私に聞かないでください」

「あーあ、あの時はまだ可愛かったってのに、何で今はこんなに可愛げのない奴に育ったんだ? まあ、あれが父親だから当然か」

「私のことはどうでもいいでしょう。そんなことより、鴉のことを教えていただけませんか」

「鴉がどんな存在なのか……についてか?」

「そうです」


 真剣な子元の問いかけに、からかう気が失せたらしい子桓は、つまらなそうな顔をした。


「大した話じゃない。この世には、人間には視えない存在が数多くいる。鬼もその一種であり、あいつ……鴉もそうだ。俺達が鬼という種族であるのに対し、鴉は〝烏天狗(からすてんぐ)〟という種族らしい」

「烏天狗……?」

「ああ、大きな茶色い翼を持つのが特徴みたいだな。鬼と同じで、人間(ヒト)の姿と変化(へんげ)後の姿がある。だが、鬼と大きく違うのは、変化後の姿は二種類ある、ということだ」

「……ということは、人間(ヒト)の姿を含めて、三つの姿を持っている、と?」

「そういうことになるな」


 子元は再び空を見上げた。

 視界の端で次々と過ぎ去っていく木々の景色がある中、灰色の空を悠々と飛んでいる鴉。

 よくよく考えてみれば、鴉というその名前自体、非常に珍しいものである。

 その名が(まこと)の名であるのかどうかは分からないが、その名前が彼の正体を示しているのだと、今更ながら気づく。

 人間(ヒト)の姿と、翼を持つ姿。

 残るひとつとして、考えられるのは──


「……本当の鳥の姿……カラスに変化できる、ということですか」

「そうだ、それが烏天狗特有の変化らしい。まだ見たことは無いんだが」

「では、そのカラスに変化できるという話は、誰から聞いたのです?」

「聞いたんじゃない。読んだ(丶丶丶)んだ」


 ──読んだ。

 その言葉に子元は違和感を覚え、僅かに顔をしかめた。

 それはつまり、鬼や烏天狗にまつわる事が書かれた文献が存在する、ということだろう。


「何か文献が残っているのですか?」

「そうだな。だが、正確には渡されたものだ。それも、桜の鬼に」

「桜の鬼? 薙瑠ですか?」

「……仲達(あいつ)と全く同じ反応をするのはやめてくれ」


 そう言いたくなるのも分かるが、と続けながら子桓は溜息をついた。

 子元にはなんの事なのか分からず、半ば首を傾げる。


「薙瑠じゃない。二人目の桜の鬼だ」

「……ふた」

「ああそうだ二人目だ。お前は暫く黙って聞いてろ」


 子元の言葉を遮って、子桓は早口で苛ついたように強い口調で言い放った。

 子元はそれに一瞬だけ眉根を寄せたが、黙ってそれに応じる。


「『幻華譚(げんかたん)』。

 そういう名の書物がある。その書物は我が父が桜の鬼から貰ったものらしい。今それを仲達に読ませている。お前が洛陽に戻る頃には読み終えている筈だ、だからお前も戻ったら目を通すと良い。

 ……この時間(せかい)の全てが、そこに書かれてるからな」


 ──全てが書かれている。

 そんなものが存在していたとは。

 子元は内心で驚きつつ、その事実に対して僅かなひっかかりを覚えていた。


 彼女のことだ、『幻華譚』という書物の存在については、当然知っていた筈である。

 そして知っていたならば、例えそれが手元に無いとしても、あの時──中庭の〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉の下で真実の一部を聞かされた時、その単語を一度は口にするだろう。

 それでも言わなかったのは、ただ単に冷静ではなかったからなのか、或いは……その書物にすら、〝籠の中の鳥を放つこと〟については書かれていないからなのか──


(……どちらにしろ、それは読めば分かることか……)


 ぽつり。

 考え込んでいた子元の頬に、冷たい雫が当たる。

 はらはらと舞っていた粉雪が雨に変わったようだった。

 子桓もそれに気付いたらしく、小さく舌打ちをする。


「……くそ、そのうち降り出すぞ、これは」

「どこかで一度休憩しますか?」

「そうだな、黄河(こうが)を過ぎたところに確か砦があったはずだ。そこで一刻(一時間)ほど休憩したら直ぐ発つぞ」

「あの……急ぎの理由は何なんです?」

「あの人はできる事をしないのを嫌う。つまりは一日で移動できるこの距離を、わざわざゆっくり二日かける理由がないからだ」


 半ば強引なその理由は、とても曹操らしいものであった。

 しかし、その言い分は子元にも理解できた。


 ──時間がない。


 そんな言葉を聞いた今、できる限り有効的な時間の使い方をするのが道理だろう。


 ぽつりぽつりと雫が降り注ぐ空の下、二頭の馬の蹄の音が木霊する。

 次々と過ぎ去る景色の前方にあるは、開けた空間。

 陸ではなく、なみなみと揺れる大河──黄河だ。

 近付くにつれて、水の流れる音が徐々に大きくなってゆく。

 本来ならば舟を用いて河を渡るのだが、河が見えても二頭の馬の速度が落ちることはなかった。


「子元、このまま突っ切るぞ」

「え……あの黄河をですか?」

「ああそうだ」

「ど、どのように……?」

「まあ見てろ」


 そう言いながら、手綱を離した子桓の右手が青白い光に包まれ、光が収まったときには氷槍(ひょうそう)を手にしていた。

 そしてすぐさま、その氷槍を斜め上の角度、灰色の空に向けて構える。

 子桓の蒼い瞳が、前方の大河を見据え、僅かに煌めく。


「あんなもの──」


 刹那、彼の顔には狂気じみた笑みが浮かんだ。



「通れるようにすればいいだけだっ!!」



 空気を震わせる叫び声と同時に、颯爽と駆ける馬の上から勢い良く氷槍が投げ放たれる。

 それは風切り音を纏いながら弧を描き、前方にある大河へと吸い込まれるかのように飛翔した。

 そして荒れる大河の水面に到達した──直後。

 子元の目に映ったのは、一輪の巨大な華が咲く映像だった。

 大河の上、氷槍から氷が広がり、左右に花弁(はなびら)を広げるような形で氷の華が咲いたのである。

 それも、一瞬にして。

 その花弁は何層にも重なるようにして広がっており、中心には向こう岸に届く一本道がある事で、見方によっては胡蝶が羽ばたいているようにも見えた。


「こんなもんか」

「…………」


 一息つく子桓に対し、子元は呆気にとられて言葉を失っている。

 それも当然だろう。

 瞬時に巨大な造形を作り上げることは並大抵のことではない。

 しかも彼は、それを己の身長程しかない、たった一投の氷槍のみでやってのけたのだ。

 ──圧倒せざるを、得なかった。


 二人を乗せた二頭の馬は間もなく氷の橋へと突入し、ひんやりとした冷気が二人の肌を撫でる。

 荒れ狂う水流をものともせず、その上に堂々と咲き誇る、水晶の如く輝く華。

 それは金烏(たいよう)陽光(ひかり)が灰色の雲で遮られている景色の中では、目が眩みそうな程の透明感があった。


「……凍ってる……」


 目の前で起こった出来事に言葉を失っていた子元は、周囲に広がる氷の造形を眺めながらぽつりと呟いた。

 そんな彼の様子を横目で見て、子桓は得意げに嗤う。


「そんなに驚くことか? 俺が何かすると言った時点で、何となく予測はできただろ」

「ですがまさか、こんなに巨大な氷を造形することができるとは思わず……」

「黄河には大量の水があるからな、それを利用させてもらった。見ての通り、この下に黄河を流せば水流の妨げにならず、周囲が浸水する心配はない。

 ──自然の力を借りつつ、自然を壊さない。

 それが鬼が持つ本来の力、とも言えるかもな」


 そんな子桓の言葉を残して、二頭の馬は再び大地の土を踏む。

 直後、子桓は右腕を横に薙ぎ払うように動かした。

 それ即ち、〝解〟の合図。

 二人の背後で、巨大な氷の華は粒子が舞うように砕け散り、普段の黄河の景色へと戻ってゆく。

 唯一変化したことは頭上に広がる空の色。

 灰色の空はより黒みがかってきており、ぽつりぽつりと空から降り注ぐ雫の量も、次第に多くなり始めていた。


「急ぐぞ、砦はすぐそこだ」

「はい」


 子元の返事を合図に、二頭の馬は速度を上げる。

 二人が急ぎ向かう、その先──(ぎょう)の一室には。

 孤高で、孤独な、しかし悠々自適(ゆうゆうじてき)に咲く、最初(はじまり)の鬼の姿があった。

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