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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第参章 ─
32/81

其ノ漆 ── 繋ガリ示ス過去ヘノ誘イ (7/11)


 (ハジマリ)()(ツナガリ)() 記憶(キオク)

 意味(サクラノオニノ) 誕生(ウマルルコトヲ) 桜之鬼(イミスル)(ハジマリ)()

 示 神(カミトノ) 誓約(セイヤク シメス)(ツナガリ)〟。

 人生(ジンセイ) ()(ハジマリ)()人々(ヒトビトトノ) ()(ツナガリ)〟。

 (コノ) 記憶(キオク) 誘 彼女(イバラノミチニ)於 茨道(カノジョヲ イザナウ)


【始まりと繫がりの記憶。

 桜の鬼の誕生を意味する〝始まり〟と、神との断ち切れぬ誓約を示す〝繋がり〟。

 そして、人生の〝始まり〟と、人々との〝繋がり〟。

 この記憶が、彼女を荊棘(いばら)の道へと(いざな)ってゆく。】



───────────────



 少しの時を遡り、子元(しげん)伯言(はくげん)が戦闘を始めた頃。

 薙瑠(ちる)は〝視えない〟相手と静かに対峙したままだった。

 彼女の背後では、刀同士が激しく交錯する音が響いている。


「姿を現したらどうですか?」

「……そうですね」


 目の前にいる相手を静かに見据えている彼女の言葉に、相手は素直に応じたらしい。

 その場にゆらりと、幽霊の如く姿を現した。

 丈の長い(あか)華服(かふく)の下から覗く、灰色のゆったりとした下衣(ズボン)を身に纏い、焦げ茶の髪を右側で結っているその姿。

 それは、彼女が(しょく)との闘いで見かけた、あの姿だった。


 狂気じみている伯言とは違い、穏やかな雰囲気のある彼は、優しく微笑む。


「桜の鬼としての力が使えない気分はどうですか?」

「なんともありませんよ。使えなくなった、だけなので」

「随分余裕ですね、貴女の大切なお仲間が囚われの身であるというのに」

「……」


 薙瑠は答えることなく、ただただ静かに彼を見ていた。

 小さな火の粉がふわふわと舞う中、炎の海と化した森を背に佇む彼。

 恐らくこの計画──柊を囚え、〈逍遙樹〉を狙うことを考案したのはこの者だろう。


「あの奇譚(きたん)の解釈を考えたのも貴方、ですね」

「よくお分かりで。私には(りょ)子明(しめい)という名があります。ぜひ覚えていただきたいものですね」


 彼は表情を変えることなく穏やかに応じる。

 薙瑠もそれに応えるように、優しく微笑んだ。


「子明殿ですか、覚えておきましょう。

 ──〈六華將(ろっかしょう)〉に貢献した者(丶丶丶丶丶)として」

「……どういう意味で──」


 子明の言葉が最後まで紡がれるよりも早く、薙瑠は地を蹴っていた。

 瞬間移動の如く、突如目の前に現れた彼女の姿。

 動きに合わせて彼女の前髪がふわりと揺れ、左眼にしている黒い眼帯が覗いている。

 その様子を瞳に映しながら、子明は咄嗟に後方に飛び退く。

 力強い一歩を踏み出して左から右へと薙いだ彼女の刀は、桃色の軌跡を残しながら空を斬った。


 薙瑠はすかさず更に一歩踏み込み、今度は斜め下から斬り上げるように刀をはしらせる。

 子明も次は避ける事をせずに、己の刀で迎え撃つ。

 桃色と銀色の刀身が交錯するも、鍔迫り合いになる前に、薙瑠の方から距離をとった。


「いくら〈六華將〉と言えども、女性であることに変わりはないのですね」

「鍔迫り合いは力勝負、ですから。男性相手には到底かないません」


 何処か嘲笑(あざわら)うような笑みを浮かべる彼に、薙瑠は小さく微笑む。

 しかし、その青い右眼は決して笑っておらず、深海の如く暗い色をしていた。


「一言だけ、言わせていただくと。

 柊を囚え、〈六華將〉の目的や桜の力の弱点を知ったからと言って、あまり余裕を持たないほうがいいですよ」


 どこか(とげ)のあるその言葉に、子明は怪訝な顔をした。

 初めて彼の顔から笑みが消えた瞬間だった。

 薙瑠は気にせず言葉を続ける。


「この世界に、鬼なんていりません。

 人間以上に力を持つ異形な存在なんて、いなくても成り立ちます。

 人間を苦しめる、人間を滅ぼす力は、この世界には()るべきじゃない」

「よく言いますよ、その鬼をこの世界に招いたのは、貴女方〈六華將〉なのでしょう? 柊はそう言ってましたよ」

「そうです。それでいいんです。この時間(せかい)に生まれたあなた達には、〈六華將(わたしたち)〉の邪魔をする権利がありますから」


 彼女の瞳には未だ陽光(ひかり)が灯らない。

 その様はまるで、この時間(せかい)の終わりを見ているかのような底知れぬ恐怖を感じさせ、子明は背筋に悪寒が走るのを感じていた。

 しかし、そんなことを気にすることなく、子明は再び嘲笑(ちょうしょう)を浮かべる。


「この世界に生まれたあなた達……という言い方は、まるで〈六華將〉は別の世界で生まれたのだと、そう言っているように聞こえますが?」

「はい、その通りです。

 あなた達には知る由もないので、知らなくて当然です」

「では仮に、それが本当の話だとしましょう。

 その話は──あなただけには当てはまらない、のではないでしょうか?」


 彼女の瞳が揺らぎ、笑みが消えた。

 そんな彼女の様子に、子明はクスリと小さく笑う。


「意味がわからない、というような顔ですね。では教えて差し上げましょう」


 子明は手にしていた刀の切っ先を、真っ直ぐと彼女に差し向けた。

 弧を描いた彼の唇から紡がれるは、彼女も知らない真実の欠片。



「あなたは──この村で生まれた(丶丶丶丶丶丶丶丶)のではないですか?」



 子明の発言に合わせて、辺りの炎が一層燃え盛る。

 爛々(らんらん)と揺れる焔を映す、薄茶色の彼の瞳。

 そこから嘘は微塵も感じられない。

 何か根拠があってそう言っているのだということは、薙瑠も理解していた。

 ──しかし。


「その、根拠は何ですか?」


 顔色を変えないように平静を装っているものの、根拠がある事自体が信じられず、薙瑠は動揺が滲んだ声音で尋ねた。


 ──もしもその根拠があるのなら、自分の失われた過去が、何かわかるかもしれない。


 そう思うと、彼女の中で心臓が激しく音を立てる。


「その話は彼──茱絶(じゅぜつ)に聞いたほうが早いかと」


 そう言いながら、子明は薙瑠に向けていた切っ先を、そのまま真横に薙いだ。

 その動きに反応するように、切っ先を向けられた先にある炎が、道をあけるが如く左右に避ける。

 開けた場所には、一人の人物が立っていた。

 民のような出で立ちの、貧相な装い。

 そこには赤黒く染まった返り血がついている。

 先程の、村の民を襲っていた青年。


 〈華〉が咲いていない──〈蕾華(らいか)〉の鬼。


 彼はゆっくりと足を進めて二人に近付く。

 ある程度の距離を保ったところで足を止めると、憎悪にも似たような鋭い視線を薙瑠に向けた。

 彼女の姿を瞳に映して、小さく呟く。



蒼燕(あおつばめ)



 彼女の心臓が大きく波打った。

 名を呼ぶ言葉。

 それは紛れもなく目の前の彼女、薙瑠に向けて発せられた言葉であり、同時に子元が過去に出会ったと言う少女の名前。



 そして──全ての元凶の名(丶丶丶丶丶丶丶)でもあった。



 薙瑠は原因不明の苦しさを覚え、思わず衣服の胸元をぎゅっと握る。

 そんな時だった。



『蒼燕』



 同じ声で、同じ名前を呼ばれる。

 しかし、今の言葉を紡ぐとき、彼の口は動いていない。

 自身の中に宿る桜の木が、〈逍遙樹(しょうようじゅ)〉が、ざわざわと揺れている。

 恐らく今の言葉は、頭の中に響いた、〈逍遙樹〉に眠る記憶の声。


「……お前、俺を覚えてないのか?」

「……」

「この村で、お前がどんな立場にあったのか、俺にどんなことをされてたのか、何も覚えてないのか? まさか本当に──生き返ったのか? だから今までの記憶を失くしてるのか?」

「…………それは」


 薙瑠は何を言われているのか分からず──いや、その言葉が自分に向けられているものであることが信じられず、不安げな顔で彼に尋ねた。


「それは……本当に私──」

「なぁ、何でお前ばかりそんなに恵まれてるんだ? 俺よりも後から生まれたくせに、女のくせに、強い妖気を持って、殺しても生き返って、今や伝説の鬼だか何だか知らないが、国にまで求められて……ふざけるな」


 茱絶は薙瑠の言葉を遮って、溜まりに溜まっていたのであろう自分の気持ちを吐き出した。

 当然、今の彼女には身に覚えのないことだった。



 ──そう、今の(丶丶)彼女には。



「お前が何度も、俺の前に現れるのなら」


 茱絶は歯を食いしばり、剣を握る手に力を入れて、ゆっくりと、一歩一歩、薙瑠へと近付いていく。


「その度に──殺してやる」


 彼の声を、殺意の篭った言葉を、心の叫びを聞きながら、薙瑠はその場から逃げることも動く事もせずに、ただただ静かに、近付いてくる茱絶を見ていた。

 そんな彼女の態度に耐え兼ねたのだろう。


「何度も、何度でも、何度だって殺してやる!!」


 茱絶は地を蹴った。

 殺意に満ちた、焦げ茶の双眸を見開きながら。

 己の奥底に眠っていた、彼女に対する憎悪の言葉を叫びながら。

 その時、彼女の頭の中では。


『お前はもういらない』


 彼の言葉に呼応するように声が響く。

 己に迫る彼の姿。

 それでも。

 ──いや。

 そんな状況だからこそ。

 頭に響く声に耳を傾けようと、胸元をぎゅっと握ったまま、薙瑠は瞳を閉じた。



 (まぶた)の裏に再生されるは、〈逍遙樹〉に眠る誰か分からない少女の記憶。

 この村で、忌み嫌われていて。

 とある青年から、暴力を受けていて。


 寂しい。 悲しい。


 苦しい。 つらい。



 ──消えてしまいたい。



 そんな感情が渦巻いている、少女の記憶。

 それでも彼女は泣いていなかった。

 自分がその境遇にある事を、諦めや絶望にも似た心境で、それを受け入れていた。


 けれど。

 その少女でも泣いた瞬間があった。

 それは、自分に訪れるであろう〝死〟というものに、気付いた瞬間のこと。


『や……めて……』


 尻もちをついている彼女を、剣を持って見下す青年。

 暴力を振るっていた青年だが、その顔までは思い出せない。



 ──思い出せない(丶丶丶丶丶丶)のだ。



『……やめてっ……おねがい……しにたくない…………っ!』

『──死ね』


 彼の剣は容赦なく、彼女の心臓部を貫いた。



 悲しくて、苦しくて、辛い記憶。

 薙瑠はゆっくりと目を開けた。

 その右眼からは、一筋の涙が伝っている。


 あの記憶は、確かに少女の記憶だった。

 けれど、そこに刻まれた感情には、彼女以外の、別の人物──彼女に暴力を振るい、そして殺した青年の感情も混ざっていた。


 辛い。 苦しい。 助けてくれ。


 彼の心も、少女と同じように、悲痛な叫び声を挙げていた。



 その彼こそが──今目の前にいる茱絶で。




 少女は────私だ。




 潤んだ瞳に迫る茱絶の姿を映しながら、薙瑠は彼の想いを受け入れた。

 ──己の身体で。


 火の粉が舞う、緋色の世界の中。

 茱絶の剣が、薙瑠の腹部を貫いた。

 鮮血が飛び、辺りに紅い花を描く。

 薙瑠は自身を貫く剣を握る彼の手に、己の手を添えた。

 茱絶はそれに驚いて、思わず彼女の顔を見る。

 そして更に驚かされることとなる。

 彼の瞳に映った彼女は、苦痛で顔を歪ませながらも、涙を流しながらも、柔らかく微笑んでいたのだから。

 至近距離で、二人の視線が交錯する。


「……つら、かった……んです、よね……」

「……は」

「思い……出し、たんです、今……全部。

 あなたは……私を恨んでいい、んです」

「……っうるせぇ!!」


 彼女を貫いていた剣が、勢い良く引き抜かれた。

 その勢いで前方に倒れそうになるも、薙瑠はしっかりと足を踏み出して耐える。

 とはいえ、どくどくと流れる血は、彼女の水色の衣服を赤く染めており、その勢いは留まることを知らない。


「お前に……!! 何が分かるんだよ!?」

「っ分かります!! 今だから……っ、分かるんです……!! それに…っ今なら、あなたが鬼になれない理由も……教えてあげら……れ、る……」


 精一杯の力で言葉を紡ぎ終えた直後、彼女の身体は崩れ落ちた。

 しかし、その身体が地に打ち付けられることはなかった。

 それを受け止めたのは、茱絶でもなく、傍観していた子明でもなく。

 どこからともなく、ふわりと舞うように現れた第三者だった。



「──後は任せるがいい」



 その一言を聞いて安心したのか、薙瑠は薄っすらと開けていた瞳で彼を確認し、小さく微笑む。

 そしてすぐに、その意識は闇の中へと落ちていった。


 *


 *


 *


 闇夜にたゆたう、小さき桜。

 それを優しく受け止めたのは、幼き少年の両手だった。

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