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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
─ 第弐章 ─
22/81

其ノ玖 ── 神ニ従イシ翠ノ華 (9/11)


 戻 元来(ガンライノ セカイニ) 世界(モドス)

 (ソレ) (スナハチ)不 鬼 在(オニアラザル) (タダ) 〝惟(ニンゲン) 人間〟(ノミノ セカイニ) 世界(モドスコト) (ナリ)

 望 其 者(ソレヲ ノゾムモノ)不 望 者(ノゾマザルモノ)両者 在(リョウシャアリ)

 然而(シカレドモ)雖抗(アラガフト イヘドモ)無 敵(シンリキニ カナフ)神力(トコロ ナシ)

 (ソレ) (スナハチ) 運命( サダメ ) (ナリ)

 神力(シンリキ)──(ソレ) (サクラノ) 能力(チカラノ) 正体(ショウタイ) (ナリ)


【世界を元に戻す。

 それ即ち、鬼がいない〝人間だけ〟の世界に戻すこと。

 それを望むものもいれば、当然逆もいる。

 しかし、どんなに抗おうと、神の力の前では平伏すことしかできないのが、この世の定め。


 ──神の力。


 それこそが、桜の能力(ちから)の正体だった。】



───────────────



 蜀国(しょくのくに)の都・成都(せいと)に戻る道中でのこと。

 伯約(はくやく)は馬の上から、隣を歩いている狼莎に、先程の出来事の詳細を問うていた。


「なぁ狼莎(ろうさ)

「どうしたの〜?」

「さっきの桜。

 あれって、あの割れるような音と同時に、変化(へんげ)が解けたんだよな?」

「あ……気付いてたんだ」

「一瞬だったから見逃しかけたが、あの割れるような音の直後にお前らを見たら、桜の変化(へんげ)が解けてた。

 だからあの音と変化が関係してるんじゃないかと思ったんだが、当たってたか」


 先の戦の中。

 子元(しげん)と共に、柱の上から飛び降りている最中、割れるような音が耳に届き。

 余裕があった伯約は、急降下する中で、その一部始終を目にしていたのだった。


「もしかして、撤退を切り出したのは、その異変に気付いてたから……?」

「ああそうだよ。なんとなく、だが、退くべきだと思ったからな。……悪いか?」

「そんなことないよ〜、仮にあの後戦おうとしたところで、きっと薙瑠(ちる)ちゃんが撤退を要求してきたと思う〜」

「そうか。……この戦で亡くなった命……無駄にしちまったな」


 伯約は何処か辛そうな面持ちで、(あか)に染まる空を見上げた。


 ほぼ桜と菊が闘うだけで終わった、蜀国と魏国(ぎのくに)の戦い。

 両国の国境付近である漢中(かんちゅう)にて、伯約率いる五百の部隊と、魏国の大将・子元(しげん)率いる一千の部隊が衝突するも、死傷者は両国合わせて数百人。

 負傷者の数が多いだけで、死者は数十人程度、その殆どが魏国の者だった。

 数的にも不利な状況の中、蜀国の死者が少なかったのは、鬼の力による地形変動が功を成したから。

 そしてその後の〈六華將(ろっかしょう)〉の桜と菊の戦いによって、兵士の戦闘意欲が削がれたことも、死傷者を少なくした要因のひとつであるだろう。


 伯約が、桜に斬られるためだけに仕掛けた戦。

 故になるべく死者が出ないよう、彼は最低限の兵数で向かった。

 普通なら、魏国は確実に勝利を収めるために数千の部隊で迎え撃ち、こちらは間違いなく壊滅──いや、全滅していただろう。

 しかしそうならなかったのは、〈六華將〉の狼莎が手を回してくれたからだ。


 〈六華將〉は、国を潰すことを目的としない。

 寧ろその逆で、各国に〈六華將〉が所属する限り、どの国も絶対に潰さない。

 それだけは保証すると、狼莎は言った。

 それは同時に、自国の安全が保証されるだけでなく、他国も潰れることがないということになるわけだが、伯約にとって他国が生き残ろうが潰れようが、そんなことはどうでも良かった。


 この国を守りたい。


 そして、この世界を──元に戻したい。


 ただそれだけだった。


 鬼として生まれた自分だけが生き残り、親しい関係を築いた兵士たちは死んでいく。

 鬼は不老で長寿だが、人間(ヒト)は違う。

 人間(ヒト)は老いてゆき、尚且つ短命。

 そして何より──圧倒的に脆い。

 それでも、そんな彼らは伯約にとって大切な存在だった。


 そんな大切な存在は、次々と消えていく。

 新たに関係を築いては消えてゆき、また別な人間(ヒト)たちと新たに関係を築く──


 その繰り返し。

 伯約はこの世に生まれてから、まだ三十年程しか過ごしていないものの。

 既に多くの別れを経験していた。

 幼い頃から、自分だけが取り残されたかのように、時を経るごとに周囲にいる者の顔触れが移り変わってゆき。

 二十を過ぎた頃には。


 そんな世界が、嫌になっていた。


 そんな状況にあったとき。

 唯一同じ鬼であった狼莎が、手を差し伸べてくれた。


 ──私だけは、あなたの側に居られるから。


 その言葉が。

 彼女の存在が。

 伯約にとっての、心の支えになった。

 そして〈六華將(彼女たち)〉の目的を知った。


 ──こんな世界はもううんざりだ。


 ──彼女の助けになりたい。


 伯約が世界を戻したい、〈六華將〉に協力したいと思ったのは、そんな単純な理由だった。

 その手助けをするために、唯一自分に出来ること。

 それが〝桜に喰われる〟ことだった。


 桜に喰われる。

 其れ即ち、桜に斬られること。

 後を狼莎に任せて、命を捧げる覚悟で、伯約は戦場に出向いた。

 そんな身勝手な目的のためだけに、自国の兵士たちを命の危険に晒したのにも関わらず。

 伯約は斬られることなく兵を退いた。

 目的を果たすことなく撤退したことで、今回の戦で亡くなった人々は、一体何のために死んだのか。

 目的を果たせば無駄にはならなかったはずの命を、無駄にしたのだから。


 撤退という選択肢は、采配を誤ったか──……?



「無駄なんかじゃ、ないよ」



 足元の辺りから、凛とした声が耳に届いた。

 そちらに視線を向ければ、優しく微笑みながらこちらを見上げている狼莎の姿があった。


「戦の前に言ってたよね、彼らがこの戦についていくと決めたのは、あなたに忠誠を誓ってるから、あなたを守るために戦に行くんだって。あなたの『斬られる』という目的を知った上で、彼らはそう言ってた。それはつまり、あなたを桜以外の人には斬らせないってこと。

 今回の戦は、確かに本来の目的を果たすことはなかったけど……でも、彼らの『あなたを守る』『桜以外に斬らせない』という目的は、達成してるよね」


 彼女にしては珍しく、はきはきとした口調で言葉を紡いでいる。

 彼女の言うとおり、今回の戦で、伯約は無傷だった。

 子元との交戦はあったものの、それは無傷で切り抜けることができていて。

 それ以前に、人間の相手は人間で十分だからと、彼らは「桜と戦いたい」という伯約の意志を尊重して行動してくれた。

 それがあったからこそ、伯約は人間相手に余計な戦いをすることなく、余裕を持って魏国の鬼の相手をすることができたのである。

 彼らの行動なくして、無駄な戦いをせずに済むことはなかっただろう。


 そしてそのことは同時に。

 「伯約を守る」という目的を、彼らなりに達成させたことに、他ならない。


 そんなことを考えながら、伯約は彼女の言葉に耳を傾けていた。


「もしも、同行してくれた人の一人でも欠けていたとしたら、その結果にはなり得なかったかもしれない。

 そう考えると、ひとりひとりの行動が全て、意味のある現在(いま)という結果に繋がってるって言えるよね。

 無駄だと思ってしまったら、本当に無駄になってしまう。

 けれど、考え方を少し変えるだけで、それは決して無駄ではなくなる。

 大切な存在(ひと)の死を、どう捉えるかはあなた次第、だよ」


 静かに話を聞いていた伯約に、狼莎はにこりと笑いかける。

 そんな彼女の言葉を、伯約以外にもすぐ近くで聞いていた者がいて。


「あの……伯約様。

 恐れながら、少しだけ申し上げてもよろしいでしょうか」


 おずおずと口を挟んだのは、伯約と狼莎のすぐ後ろで、馬に乗っているの兵士の一人だった。

 彼は二十五歳くらいの若い青年。

 伯約が今回の戦において、兵の指揮を任せた才能ある人間だ。


「……どうした?」

「はい。今回の戦に参加した兵士は皆、確かにあなたの目的を……死ぬつもりであるということを、理解した上で参りました。

 しかし、本心は違います」


 落ち着いて話す彼の声に、僅かに力が入る。

 それまでどこか柔らかだった表情も、真剣な顔になっており。

 真っ直ぐと伯約を見て、彼ははきはきと言葉を紡いでいく。


「鬼にまつわる詳しい事情は知り得ないので、なんて身勝手なと、お思いになるかもしれませんが……わたくしを含む、同行した兵士は皆。

 あなたに死んでほしくないと、思っておりました。

 それが我々の本心です。

 鬼と人間(ヒト)という種族の違いはあれども、あなたは我々に、とても優しくしてくださった。

 そして鬼であるが故のあなたの苦しみも、少しは理解しております。

 故に本心を隠してまで、皆同行したのです」

「……つまり?」

「つ、つまり、ですか……?」

「ああ。その先の言葉を、ちゃんとお前の……お前らの口から聞きたいんだ」


 伯約の思わぬ言葉に、彼は一度動揺するも、その意図を理解して、嬉しそうに微笑(わら)った。

 そして言う。

 力強く、はっきりと。



「人間である我々でも。

 あなたをお守りすることができて、幸せです」



 そんな彼の声に、周囲にいた多くの兵士たちも賛同の声を上げた。


 彼の微笑みが。

 兵士たちの賛同の声が。

 とても眩しく、温かくて。


 伯約は思わず、前を向くことで視線を逸らした。

 そして同時に。

 大切な存在(ひと)の死を、一度でも無駄だと思ってしまった自分を恥じた。

 恥じたが故に、彼らを見ていることができなかったのだ。

 伯約は自身の手のひらに視線を落とす。

 そしてひとつひとつ、ゆっくりと、自分の思いを言葉にしていく。


「……俺は……自分が鬼として生きてる、この世界が嫌いだった。

 そんなときに狼莎……お前から目的を聞いて、そして待ちに待った桜の鬼が現れたと知って。

 俺一人だけで、成し得ることじゃないのに。

 世界をもとに戻すことを、焦りすぎてた」

「……うん」


 少しずつ紡がれる言葉を、狼莎は優しく、包み込むように受け止めている。


人間(ヒト)は鬼より脆いのに……鬼の俺は、守ってもらわなくても大丈夫なのに。

 それを分かっていながらも、あいつらは俺を守ってくれてる」

「そうだね〜」

「それは俺が、自分を慕ってくれてる兵士や国民を守るのと同じで。

 あいつらも俺を守ろうとする。

 今回の戦で、今の話を聞いて、改めて気付かされたよ。鬼とか人間(ヒト)とか関係なく、守りたいと思うものを守るのが当たり前なんだって。

 そして……自分の命を捨てることは。

 自分を守ろうとしてくれてる奴らを、裏切る行為なんだってことにも」

「……うん」

「あいつらが守ってくれたこの命。

 ──いや、命だけじゃなくて身体も。

 俺は大切にしていきたい」


 伯約は、見つめていた自身の手のひらを、ぐっと力強く握りしめた。

 そんな彼を見て、相槌を打ちながら聞いていた狼莎も、ふふっと微笑んだ。

 近くにいた青年を含む兵士たちも、嬉しそうな顔になっていたのは言うまでもない。


「じゃあ、『桜に斬られる』以外の方法を考えなきゃだね〜」

「それ以外の方法なんてあるのか?」

「ん〜、どうだろうね〜……でも、それよりも今は、あの異変の謎を解くのが最優先、かな」

「ああ、変化(へんげ)が解けたやつか」


 ふわりと吹いたそよ風が、二人の髪を揺らす。

 真っ赤に染まっていた空は、徐々に暗くなりつつある。


 そしてこのとき、既に。

 空が闇に染まっていくように。

 〈六華將〉──特に桜のもとに、とある影が忍び寄っていた。


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