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三國ノ華 ◇ 偽リノ陽ノ物語  作者: 言詠 紅華
― 第壱章 ―
2/81

其ノ壱 ── 咲キ誇ル華ト咲カズノ華 (1/11)


 群雄割拠(グンユウカッキョ)( ノ )三国時代(サンゴクジダイ)

 (イマ) 天下(テンカ) 三分(サンブンシ)

 人間(ニンゲン) 相攻伐(アイコウバツスルニ)異端者(イタンナルモノ) (アリ)

 (ソレ)( スナワチ )(オニ)〟──(ヨウジュツヲ) 妖術(アツカイ)

 操 水炎等(スイエンナド ノ) (トクイ) 得意(ゾクセイヲ) 属性(アヤツル)妖怪(ヨウカイ)(ナリ)


【時は群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の三国時代。

 人間同士の争いの中、異端な者が存在した。

 それ即ち〝鬼〟──妖術を扱い、水や焔等の自らが得意とする属性を操る〝妖怪〟である。】



───────────────



 青春(はる)が終わりを告げ、新たな季節・朱夏(なつ)の始まり。

 そんな時期の、穏やかな昼下がりの時刻。

 洛陽(らくよう)にある建物の一室から、外の世界を眺めている人物が居た。

 幾何学(きかがく)な方形の彫刻が施された、朱色の窓。

 その向こうに広がる青空を、彼は静かに見上げていた。


 肩甲骨の辺りまで伸びた、灰色の髪。

 その前髪は左目を覆い隠しており、何処か神秘的なものを感じる青白い瞳は、右目しか見えていない。

 顔に怪我でもしているのか、と思わせるような前髪の伸び方であるが。

 窓から入り込んだ柔らかな風が、彼の前髪を揺らしたとき。

 その全貌が顕になる。


 傷ひとつない、綺麗な肌。

 そして何より、男女問わず魅了されてしまいそうな、整った顔立ち。

 彼はまさに、眉目秀麗(びもくしゅうれい)という言葉に相応しい容姿を持っていた。


 そんな彼の静かな時間を邪魔するように、戸を叩く音が室内に鳴り響く。


子元(しげん)、少し良いかしら」


 柔らかい女性の声。

 子元と呼ばれた彼は、その声に応じるように戸を振り返る。

 空色の華服(かふく)と灰色の髪が、動きに合わせてふわりと揺れ、その服にあしらわれた銀色の刺繍は、外からの光を受けて小さく輝く。

 そんな華麗さとは対称的に、彼の顔には陰りを含んだ、険しい表情が浮かんでいた。

 彼には声の主が誰なのか分かっていた。

 だからこそ、戸を開けることもせずに、半ば棘のある声音で返事をする。


「……なんですか」

「たまには子上と、手合わせしない?」

「しません」


 戸の向こうから聞こえてくる声を、子元は一刀両断する。

 しかしそれは、相手を思っての発言だった。


「私が行けば迷惑になるでしょう。

 あまり子上に気を遣わせたくないんです、母上。

 それに……子上の相手なら、いつもあの人がしてるのでは」

「旦那様は今日は忙しいみたいなの。

 だから代わりにあなたとできるって、子上……喜んでたわよ?」

「……」


 普段と変わらず、明るい調子で会話をする彼女は、戸の前で柔らかい笑みを浮かべている。

 そんな彼女とは対象的に、子元は神妙な面持ちをしていた。

 木製の戸を一枚隔てているだけだが、そのたった一枚は、二人にとって、特に子元にとっては、とても厚い壁のようだった。


 暫く黙ったまま戸を見詰めていた子元だが、ようやく母と顔を合わせる気になったのか、ゆっくりと戸へ歩み寄り、そして静かに開ける。

 戸の前にいた子元の母、(ちょう)春華(しゅんか)は、戸が開いたことに少し驚いたような顔を見せるも、すぐに柔らかく微笑んだ。

 子元とほぼ変わらない身長を持つ彼女は、女性にしては背が高いほうである。

 特徴的なのは、その髪の色。

 腰のあたりまで伸びているふわりとした髪は、深海のような深い青色をしている。

 そしてその瞳も、同じ青。

 そんな母の笑顔は、今の子元にとっては眩しすぎるもので、彼は逃げるように視線を逸らす。


「ふふ、今日は素直なのね、子元」

「……子上が、俺を必要としてくれているのなら」

「それは子上限定なの? 私や旦那様も、いつもあなたを求めてるわよ?」

「……言い方に語弊があります、母上」


 目も合わせず会話する子元は、同時に心の中でこう呟いた。



 あの人──父親に関しては、自分を求めている訳がないだろう、と。



「子上が待ってるわ。そろそろ行きましょう?」

「……はい」


 春華は踵を返して、何処か嬉しそうに廊下を歩き始める。

 後ろ手に戸を閉めた子元は、先を行く母の後ろ姿を見つめながら歩き出す。

 青い髪と、子元と同じ空色の華服を揺らす母。


 ──母と弟だけは、自分の味方をしてくれた、数少ない存在。


 そのことを胸に秘めながらも、母の後ろを歩く子元の顔には、陰りのある表情が浮かんでいた。


 *

 *

 *


「あっ、兄さん! 待ってたよ」


 春華と子元が向かった先は、小さな自然の空間だった。

 朱色の柱で構成された回廊と、少しの黄土色(おうどいろ)装飾が施された白壁の建物に囲まれた、小さな庭。

 透き通るような青の下、暖かな金烏(たいよう)陽光(ひかり)に包まれたその場所の中心では、大きな樹木が一本、深緑の葉を揺らしながら佇んでいる。

 その木の下で、兄である子元を待っていた子上は、兄の姿を見るなりすぐに彼のもとへと駆け寄った。

 母よりも濃い青、藍色の短い髪が動きにあわせて揺れる。

 気持ちが顔に出にくい子上だが、彼の表情の僅かな変化に、家族は敏感に気付く。

 だからこそ、駆け寄ってきた子上の顔には、ほんの少しだけ笑みが浮かんでいることに、春華も、そして子元も気付いていた。


「久しぶりに手合わせしよう、兄さん」

「分かってる。その為に来た」

「そうだよね、じゃあこれ」


 子上は手にしていた二本の木刀のうち、一本を兄へと手渡す。

 子元はそれを受け取ると、弟の真っ直ぐな視線から逃れるように、木刀へと目線を落とした。


「……で、昔みたいにやればいいのか」

「あ……うん、昔みたいに、やってくれればいいよ」


 昔、という単語に、その場の穏やかな空気が僅かに陰りを見せた。

 それを誤魔化すように、子元は言葉を紡ぐ。


「分かった。任せろ」

「本気でやってね、兄さん」

「ふふ、頑張ってね。私もここで見物させてもらうわ」


 春華はそう言いながら木陰へと歩み寄り、木の根本に腰を下ろした。

 二人はそれを見届けると、静かに互いの距離を取る。

 そして向き合うと同時に、木刀を己の前で構えた。

 樹木を堺に、左右に立つ兄弟は静かに見つめ合う。


 風が木の葉を揺らす音。

 その音に耳を澄ませ、子元は目を閉じる。

 肌を撫で、髪を揺らす柔らかいそよ風に身を任せながら、昔の記憶を辿っていく。

 瞼の裏に浮かべるのは、毎日のように子上と手合わせをしていた、あの頃の記憶。

 今日と同じこの場所で、子上と共に、父から剣術を学んでいた、あの頃の記憶。



 今はもう──亀裂が入ってしまった関係性。



 風がやむと同時に、子元はゆっくりと目を開けた。

 前方にいる子上を見据えれば、静かに交錯する二人の双眸。


「行くぞ」

「行くよ」


 ほぼ同時に言葉が紡がれたその直後、木刀同士がぶつかる乾いた音が鳴る。

 手合わせとはいえ、お互いに本気の剣(さば)きを繰り広げる様子は、見ていて感心させられるものがあり、そんな息子たちの成長を春華は心内で喜んでいた。


 木刀同士が交錯する。

 その度に己の思いを一撃に込める。


 兄に負けない、という子上の想い。

 そして──〝鬼〟に負けない、という子元の想い。


 それぞれが、それぞれの想いを胸に秘め、木刀を打ち合った。

 互いの一撃同士がぶつかり合い、鍔迫り合いになったとき。

 至近距離で二人の双眸が交錯し、同時に後ろに退いて距離を取った。


「上達したな、子上」

「兄さんも、全然引けを取らないよ」

「……そうか」


 子元は右手に握る木刀へと視線を落とす。

 そして心内で呟いた。


 ──そんなわけがない。


 弟との力の差は、ほぼ互角。

 剣捌き、身の(こな)し、何をとっても大して差はないだろう。

 だが、それはあくまでも、子上が力を抑えている場合(丶丶丶丶丶丶丶丶丶)に限る。

 二人の間──否、子元と家族の間には、決定的な違いがあった。

 正確には、違いができた(丶丶丶)

 そのことが、関係性に亀裂を生じる原因となり。



 ──周りからも(さげす)まされる、状況を生んだ。



「面白そうなことをしてますね」


 それは子上でも春華でもない、第三者の声。

 彼は回廊の片隅で、二人の様子を傍観していたらしい。

 男は子元の背後から、ゆっくりと二人に近付いてゆく。


「私も混ぜていただけませんか?」

「何? 邪魔しないでくれない?」


 男を鋭い視線で睨みつけながら、子上は棘のある声音で応じた。

 その男──(てい)彦靖(げんせい)は、子上たち家族にとって、亀裂を広げる杭のような存在で。


「子上殿。あなたも私が相手のほうが本気を出せるでしょう」

「今は兄さんがいるから必要ないんだけど」

「手加減することが修行になると?」

「お前、いい加減に──」

「おい、貴様」


 子上の言葉を遮った子元は、子上の前に立ちはだかって彦靖を睨みつける。

 子元には、彼の目的が己であるということが分かっていた。


「言いたいことがあるならば直接言え」

「ならば言いわせていただく。

 〈()(ぞこ)ない〉のお前が、今更何を頑張っている?」


 彼の言う、〈咲き損ない〉。

 その状況こそが、子元と周囲の関係性に、亀裂を生じさせた原因だった。

 その出来事から既に五年の月日が流れており、今や子元はそういう類の嫌味に慣れてしまっていた。

 だからこそ、何を言われようが彼の表情は揺らがない。


「何をしようと、あなたの〈(はな)〉は二度と〈開華(かいか)〉しないというのに」

人間(ヒト)はもともと力を持たない。

 それでも各々鍛錬して、戦場に向かう。

 それと同じだろう。何が悪い?」

人間(ヒト)と同じ……鬼でありながら、人間と同程度の事しかできない……? はははっ! あの司馬(しば)仲達(ちゅうたつ)も、こんな息子がいては、国を治める者として恥ずかしいことこの上ないでしょうねぇ」


 直後、辺りに鈍い音が響く。

 同時に、春華と子上が息を呑んだ。

 彦靖が言葉を紡いだ直後、子元は彼を殴っていた。

 その場に思い切り倒れ込む彼を、子元は更に殴ろうと掴みかかる。

 人を殺しそうな目付きに変わった兄を見て、危険な空気を感じ取った子上は、振り上げる子元の腕を掴んで制止する。


「に、兄さん! 駄目だよ、落ち着いて」

「……は、今の言葉を聞いても耐えろと?」

「気持ちは分かる! けど……!」


 殺しちゃだめだ──その一言が言えず、子上は口を噤む。

 子元の、彼に向ける感情は、怒りではなく、殺意。

 それも本気で殺さんとしていることに気付いたからこそ、子上は兄を止めた。

 しかし、その殺意ある行動を止めるということは、殺すなという意思表示に他ならない。

 それが今の兄にとって、いかに耐え難いものであるのかを理解していた子上は、どこか辛そうな顔で兄を見ていた。


 そんな子上の気持ちを察したのだろう、子元は彦靖の胸ぐらを掴んでいた左手を離す。

 そしてその場を去ろうと、彼に背を向けて歩き出した。

 その時だった。


「……この野郎……!」


 彦靖が上身を起こし、子元に向かって右手から何かを放った。

 振り向いた子元の瞳に映ったのは、己に向かって飛翔してくる──無数の氷の刃。


 避けきれない──そう思った直後。


 子元の目の前に何者かが立ちはだかり、その刃を弾き返した。

 弾き返された氷の刃は、彦靖の周囲の地面にザクザクと突き刺さり、そして粉砕する。


「こんな場所で力を使うなど……どういうつもりだ、貴様」


 立ちはだかった人物。

 漆黒の髪と金色の刺繍が入った黒の華服(かふく)を靡かせている後ろ姿は、子元が一番、会いたくない人物の姿だった。


「殴られたので、己の身を守ったまでですが」

「……」


 立ち上がりながら平然と答える彦靖に対し、漆黒の彼は何も言わず、静かに彦靖を睨みつけていた。

 そしてすぐに、その視線の先は彼の背後にいる子元へと向けられる。

 彼が振り返ったことで子元と彼の視線がぶつかりそうになるが、二人の視線が交錯する前に、子元が顔を背けた。


「……何故殴った」

「……」

「答えろ、子元」

「私を処罰するならすればいいでしょう」


 それだけ吐き捨てるように言うと、子元は逃げるようにその場を立ち去る。


 ──何故。


 速歩きで、歯を食いしばりながら、拳を強く握る。



 何故──俺だけがこんな思いをしなければならない──……



 そんな彼の心の叫びは、誰にも届くことなく、己の内で反復した。

 咲かずの華は、咲く華と並ぶべきではない。

 その事実が、彼の肩に重くのしかかっていた。

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