其ノ弐 ── 真ノハジマリ蒼キ華 (2/11)
蕾 姿、咲 誇 姿、舞 散 姿。
桜 必 持 三種 姿。
蕾、咲、散。 桜 必 全 三種 役割。
蕾 ── 夫 則 表〝始〟 言葉 也。
咲 ── 夫 則 結〝始〟与〝終〟言葉 也。
散 ── 夫 則 表〝終〟 言葉 也。
桜 散 ── 桜 薙瑠。
桜 変 姿、各々 全 役割。
【蕾の姿、咲き誇る姿、舞い散る姿。
桜は必ず三つの姿を持つ。
蕾、咲く、散る。
桜は必ず三つの役割を全うする。
蕾──それは〝始まり〟を表す言葉。
咲く──それは〝始まり〟と〝終わり〟を繋ぐ言葉。
散る──それは〝終わり〟を表す言葉。
桜散る──桜薙瑠。
桜は姿を変えながら、各々の役割を全うしていく。】
───────────────
神流と薙瑠、そして鴉が出て行った後の軍議室は、暫くの間誰もが喋ることなく、沈黙が続いていた。
地図を照らすようにして置かれている蝋燭のみが、机上でゆらゆらとその灯火を揺らしている。
「……鴉が言っていたあの人……のことだが」
静寂を割いたのは、仲達の低い声。
僅かに顔を伏せているため、その表情は前髪に隠れていて見えないが、言葉を紡ぐその声音は穏やかで、その場にいる者は黙って耳を傾けている。
仲達は一呼吸した後、静かな口調で、それでいてはっきりと告げた。
「あの人とは、曹丕様の父親にあたる人物の事だ」
再び沈黙が訪れる。
しかしその沈黙はすぐに破られた。
「……父上、お言葉ですが……それはあのお方が生きている……という認識でよろしいのですか?」
そう問うたのは子元だ。
その言葉通り、ここにいる者──いや、この国に所属する者はもちろん、他国にもその人は「死んだ」と伝えられていたのである。
もちろん、そう伝えるよう本人が命を下していたわけだが。
「そうだ。曹操様は生きている」
「……生きてたんだ」
父の言葉に対して、子上は呆然とするようにぽつりと呟いた。
「名前は聞いたことがあるだろう。この魏国を立ち上げたという話はお前らも知ってると思うが……」
曹操──字は孟徳。
この魏国の建国者であり、世の中で最初の鬼だと言われている人物。
人間の父と鬼の母から生まれた存在。
しかし、彼が〝最初の鬼〟と言われているのならば、その母は一体何者なのか──
その正体は彼にしか分からない。
その圧倒的な力──当時はまだ化け物と呼ばれていた鬼の力で、次々と人間を支配下に置き、国を統べた彼。
そんな彼にも息子が生まれ、その子も鬼の力を宿した。
それが曹丕である。
曹丕が成長すると共に、各地にも鬼の力を宿す者が次々と現れ始める。
どのようにして各地に鬼が現れ始めたのか、その原因は不明だが、ちょうどその頃桜の鬼も現れ、曹操は桜の鬼に会っていたとか──
「実際会ってたのかどうかは知らねぇが……曹操様についてはそういうことだ」
仲達はらしくない程丁寧に、自身が知る彼についての情報を話した。
「何故死んだことになされた?
生きていらしても、問題があるようには思えませぬが」
そう尋ねたのは、年配の郭淮──郭伯済。
この場にいる者の中では、唯一の人間である。
黒髪黒目で、僅かに年老いているその見た目は、人間ならではの特徴だ。
「知らない。そう伝えろと言われたから俺はそうしていただけだ」
「仲達様、俺からも一つ質問いいですか?」
ぶっきらぼうに、しかしいつも通り答える仲達に対して、平然と訪ねるのは夏侯覇──夏侯仲権。
朱色の髪が特徴的な人物だ。
「……なんだ」
「孟徳様と桜の鬼の話で気になったんですけど、孟徳様は桜の鬼とは会ってないんじゃないですか?」
仲達は黙ったまま彼の言葉を聞いている。
その様子を見た仲権は、少し間を開けて言葉を続けた。
「さっき、彼女……薙瑠は、鴉とかいう人に孟徳様について尋ねられた時、『少し話を聞いた程度で』知っていると言ってました。会っていたとしたら、わざわざそんな言い方しませんよね?」
「……」
「その事について、私なりに考えたことがあるのですが……よろしいですか?」
黙ったままの仲達に代わり、礼儀正しく拱手をして発言の許可を待つ者がいた。
彼の名は賈充──賈公閭。
髪も瞳も紫色で、仲達や子元と同じ闇属性を得意とする鬼だ。
仲達は彼にちらりと視線を移し、彼の発言を待つ。
公閭はその合図に軽く頭を下げ、拱手していた手を下ろした。
「孟徳様が桜の鬼と会っていた事が仮に事実だったとし、また先程の彼女の発言も嘘ではないとすると、あることの裏付けになると言っても過言ではないと思います。
桜の鬼は一人ではない──という話のことです」
「……どういうことだ?」
淡々と語る公閭に、顔をしかめながら質問したのは子元だ。
「桜の鬼は一人ではないというならば、桜の鬼は薙瑠以外にもいる……ということか?」
「はい。正確には、いたと言ったほうが正しいかもしれません」
灯されている蝋燭の炎が、ゆらりと揺れる。
「ですが、その話も事実を確認できない限りは、流言飛語、ただの噂話に過ぎません。正確なことは彼女に聞いた方が良いでしょう。
しかし、孟徳様が〈六華將〉について、手を出すなとの命を下したのには、彼女が──桜の鬼が現れたことと、何か関係があると考えた方が良いのでは」
真剣な表情で静かに紡がれる彼の言葉には、確かな説得力があった。
桜の鬼についても、〈六華將〉についても、多くのことがまだ謎のままだ。
しかし、これから何かが起こる──仲達にはそんな予感がしていた。
いや、彼だけでなく、その場に居る全員がそう感じていたかもしれない。
灯火はゆらゆらと揺れ続けている。
室内をほんのりと照らす蝋燭の蝋は、既に残り少なく。
今にも消えてしまいそうな、儚い灯りが揺れ動いていた。




