其ノ零 ── 桜散リシ時ノハジマリ (1/1)
夫或時間之物語。
如 在伝者、則是万世不朽 也。
【とある時間の物語。
語り継ぐ者在るならば、物語は万世不朽なり。】
────────────────────
暗闇に呑まれた、とある建物の庭。
その場所に在るは、一人の男。
彼は何をするでもなく、木に背を預けながら、ただ静かに立ち続けていた。
髪の色、身に纏う装い。
大部分が漆黒で覆われているその様は、闇夜に潜む黒豹の如く。
静寂の中、ふわりと舞うはカラスの羽根。
一羽のカラスは、音もなく木にとまる。
そして暗闇に佇む男を見下ろした。
彼はそれを気配で感じ取ったらしい。
僅かに顔を上げ、薄っすらと開かれた真紅の瞳は、炯炯として獲物を射る。
しかし、男の視線はカラスではなく、前方に広がる暗闇に向けられていた。
「……鴉。
お前に頼みたい事がある」
その声を合図に、男が見据える暗闇の先、カラスがとまる木の影から、新たな人物が姿を現す。
鴉と呼ばれたその人物は、不気味な笑みを浮かべて男を見据えた。
「なんだ? あんたが俺に頼み事とは珍しいな」
「黙って聞け。……俺の息子のことだ」
「あー……お前が殺そうとしたやつのことか。
そいつも気の毒だよなー、自分の意思でやった訳じゃねーのに、実の父親に殺されかけるし、周りからは嫌われるし……まあ、あんな化け物のような状態だったんだから仕方ねーけど」
「鴉」
ヘラヘラと笑いながら話す鴉に対し、男は一言、その名を呼んだだけだったが、その様子を見た鴉の顔から笑みが消える。
そして静かに口を開き、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「──〝桜の鬼〟を連れてこい、だろ?」
静寂の時が刻まれる。
二人の間を、冷たい風がふわりと吹き抜けた。
「……分かってんならさっさと行け」
男はそれだけ告げると、踵を返して闇の中に消えていった。
一人残された鴉はその後ろ姿を見据え、呆れたように溜め息をつく。
「全く……あいつも相変わらずだな。口が悪いところだけは気に食わない。だが、あいつには借りがある。それに、これは俺達の使命……だからな」
そう言葉にすると同時に、男が姿を消した方向の暗闇に向かって、鴉は跪く。
仕方なく、いや、寧ろそうすることを喜ぶように、鴉は深々と頭を下げて言った。
「主の仰せのままに」
静寂の中、ふわりと舞うはカラスの羽根。
二人の様子を静観していたカラスは、音もなく飛び立つ。
そして闇夜の中へと消えていった。