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白鳥の軌跡  作者: 月森 小雨
9/13

【 1996年7月28日 】





次の日私は、午前中で塾を切り上げて約束通りコウの家を訪れた。



いざ家の前に一人で立つと門はとてつもなく大きく感じた。

来る者を寄せ付けない雰囲気が漂っている。



今日も蒸し暑い。

立ち止まってじっとしているとじわりと汗が噴き出してくる。


よく見ると潜戸の横に絡まる蔦に隠れるようにしてインターフォンがあった。

私が意を決してそれを押そうとした時、ミシッと扉が軋む音がして弾むように中から開いた。



「 そろそろかなぁ~って思って~ 」



ひょこりと、コウが顔を出す。

きっと待ってたんだろうな、と思ったけどあえて言うのはやめた。



「 ここの扉ちょっと軋んでて硬いんだけど、実はいつも開いてるからサワは勝手に入ってきてもいいよー 」



そう言うとコウは扉の内側から手招きした。

私は腰を少しだけ屈めて、その小さな扉をくぐった。

後ろでバタンと戸が閉まる。




─── そこはついさっきまでいた見慣れた近所の景色とは、まるで違う世界のようだった。



思わず立ちすくんで辺りを見渡わす。



高い塀に隠されていた敷地は、園芸の本なんかで見る外国の庭のようだった。

屋敷に続くなだらかな石畳の坂道はゆうに車が二台は走れそうな程の道幅で、その道全てが木の影で埋まるような高さの木々の並木道になっている。


家の周りをぐるりと囲んでいる高い塀沿いにも木々が立ち並び、敷地内は外に比べたらひんやりとして感じた。


敷地内がまるで一つの森のようだった。



「 サワ~早くっ!こっちー 」



呼ばれた私は慌ててコウの後に続いた。


風に吹かれて木々がサワサワと優しく鳴っている。

石畳で影と光のモザイクが揺れた。

坂を上りきると広い車寄せがあり、その真ん中には崩れかけてはいるものの小さな噴水まであった。


夏だというのに数種類の花が種がこぼれるままに咲いている。

木陰で風に揺れている花々は、とても涼しげに見えた。


手入れが行き届いている、と言えたのはだいぶ過去の事なのだろうけれど、さびれてもなお美しいといった感じの庭だった。



見上げた石の壁の屋敷は、今でこそベージュっぽい色に落ち着いているが昔はきっと白く輝いていたのだろうなと思った。


けれどその時間を経た建物の放つ堂々とした佇まいが、尚更私を圧倒させた。


くすんだベージュの石壁と褪せた紺色の屋根の屋敷は古城を思わせる。



「 コウ、なんかちょっと想像以上かも。すごい・・・ 」



私が茫然と発した言葉を聞いたコウは嬉しそうに答えた。



「 僕もここが好き 」

「 でも、一番好きなのはこの奥の場所なんだ 」

「 サワ、行こう! 」



そう言ったコウに手を引かれて、屋敷の中庭へ向かった。



「 ほら!ここっ 」



木々の間の小道を抜けると一際涼しい風が吹いた。


視界が開けると私達が立っているほんの数メートル先では、水面が揺れていた。

水紋が広がり、風が運ばれてくる。



「 すごい・・・大きな池だねー 」



そう言って私は木々の匂いのする涼しい風に目を細めた。



「 あっ・・・ 」



思わず声がこぼれる。


小島のように陸地から突き出した部分にある大きな木の影から、四羽の白鳥が水面を滑るようにして優雅に現れた。



「 うわぁ・・・池っていうか、白鳥の湖って感じ 」



私が漏らした感想にコウは満足気に頷いた。



我が家からほんの数百メートルの場所に、こんな景色が広がっていたなんて信じられない。


真っ白な白鳥は水面上で心地良さそうに羽根を数回、羽ばたかせたけれど飛び立つ様子は無かった。



「 ねぇ、コウあの白鳥達は飛んで逃げたりしないの? 」



私の質問にコウは少し物憂げな表情を浮かべた。



「 白鳥は本来渡り鳥だからね、こんなふうにずっとここに居るなんておかしいんだ 」



そこまで言うと、ふぅっとため息のように息を吐き出した。



「 けど、今年は大丈夫。僕は風切り羽を奪ったりしない 」

「 夏が終わるまでには、羽根も生えそろうはずなんだ 」



そう言うと、愛おしげな表情で白鳥達を眺めて微笑んだ。



「 だからこの子達も、もうどこへでも旅立てるようになるんだよ 」



普段より一生懸命にコウが私へ、何かを伝えようとしている気がして私は黙ってそれを聞いていた。




そのあと本題を思い出して自転車の練習をしようと言うと、コウは自分の自転車は明日にならないと届かないから明日からにしようと言った。



ほんの軽はずみの提案だったのに自転車まで用意させてしまってなんだか悪かったかなと一瞬考えたけれど、コウが嬉しそうに新しい自転車の話をしているのを見てそんな考えは消えた。



その後私達は何をするでもなく、屋敷の中で本を読んで午後を過ごした。




喉が渇いたと言ってコウが運んできた檸檬ソーダは、薄い硝子のゴブレットに入っていた。


エッチングで描かれた唐草模様の繊細さや、唇に伝わる薄い硝子のひんやりした感触、氷が溶けた時に響くカランという音なんかがこの冷たい飲み物を余計に美味しく感じさせた。


良いモノってこういう事なのか、となんとなく思った。



もちろんゴブレットだけじゃない。

屋敷の中全部がそういう ゛ 良いモノ ゛ で溢れかえっていた。


庭同様に暫くの間手入れがされていなかった気配はあるものの、選りすぐられた美しいモノが品よく配置されている。


けれど屋敷の中には全くと言っていい程人の気配が無くてシンと静まり返っていた。


精巧な彫り模様の施された硬質で深みのある色調のアンティーク家具や、すべらかな大理石の床、見事な硝子細工のシャンデリア、それに銀製や真鍮製の調度品、そのどれもが冷たく鈍い光を放っていた。



本来ならば憧れすら感じるような屋敷なんだろうけど、ここにコウは一人きりで暮らしているのかと思うとなんだか気の毒にすら思えた。


屋敷にはそういう孤独と寂しさを感じさせる空気が流れていた。





───そして私達は次の日から屋敷の車寄せで自転車の練習をはじめた。



届いていたコウの自転車は、外国の車のメーカーのものらしくアンティーク調のカラーリングで洒落たデザインのものだった。


・・・また高そうなのを、と思いつつもコウが乗る自転車はやっぱりこんな感じじゃないとしっくりこないよなと妙に納得したりもした。



ママチャリがお似合いな自分に苦笑しつつも、自転車のベルを嬉しそうにはじくコウが早く乗りこなせるようになればいいなと思った。



最初コウはだいぶ怖がって、よろよろとしながらペダルを半分程こいでは弱音を吐いていたけれど、勇気を振り絞るようにしてペダルをぐるりと一こぎしてからは転ぶ事も恐れなくなった。


私が後ろを押さえているのを確認すると、ぐんぐんこぎ出そうとして何度も一緒に転んだ。


コウは半ば一緒に転んでいる事を楽しんでいるかのようでもあった。



「 ちょっとー。コウはもう少し慎重になってもいいと思うよ~ 」



そんなふうに私が言う度に



「 もうちょっとで、こう・・・感覚がつかめそうなんだもん 」



と言って、めげずに日が沈むまで何度も練習を繰り返した。



そんな事を3日程繰り返した後、なんだかあっけない感じでコウは急にスルスル~っと自転車に乗れるようになった。



「 うぁーっ曲がるのっ怖いぃ 」



おっかなびっくりペダルをこいでいたのも初めの数十分で、気が付いた時には車寄せをぐるぐる回りながら得意気に黒髪をなびかせていた。



「 サワーっやったー。僕すごくない?ねー! 」



そんなふうにはしゃいでいるコウは、小さな子供みたいだなと思った。



ふと、涼しい風に当たりたくなって夢中で車寄せを走り回るコウを残して私は中庭に向かった。



木陰に腰を下ろすと、その先には白鳥が一羽水辺に上がってきていた。


ほんの数メートル先にいる白鳥は足元に、無残にもバラバラと白い羽根を落としていた。

くちばしを翼の中に埋めてはまた羽根を落としていく。


その様子はなんだか痛々しくて、見てはいけない物を見てしまったような気分になった。



「 あーサワこんなとこにいたー 」



いつの間にか、コウがやってきていた。



「 ねぇ、あれ・・・大丈夫なの? 」



そう聞くとコウは優しい眼差しを白鳥に向けた。



「 あー順調なんだね。今、あの子達は換羽期なんだ 」



「 換羽期? 」



「 古い羽根が抜け替わって新しい羽根になる時期って事 」

「 白鳥は古い羽根を押し上げるようにして、新しい羽根が生えてくるんだよ 」

「 だから今の時期に羽根が抜けてるって事は、順調に羽根が生えてきてるって事なんだ 」



私はへぇーっと感心してその様子を眺めた。



「 きっと風切り羽も、新しい立派なのが生えてきてるんだろうな 」

「 僕が自転車に乗れるようになったみたいに、あの子達も新しい羽根で遠くに飛んで行けるようになるんだよ 」

「 もうそろそろ、この子達も飛び立つ練習をしなきゃいけないよね 」



そう言ったコウは少し寂しそうな、でも嬉しそうな表情をしていた。







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