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白鳥の軌跡  作者: 月森 小雨
8/13

【 1996年7月27日 】




夏休みが始まって、1週間程が経った。


私は毎日、日中は塾の夏期講習に出席している。という事になっていた。

だけど実際は、毎日顔を出してはいるが夏期講習には半分も出席していない。


最寄駅周辺の繁華街にある本屋と、駅ビルのベンチに通っているという方が正しい感じだろう。



勉強はそれなりにはしていた。

受験、受験、と言われる事にはピンと来ないけど、勉強するのは嫌いじゃない。


むしろ勉強をしている時は色々な事を思い悩まなくていいから結構好きだった。


でも夜中に一人でする方が何倍も集中できたから、日中に塾でみんなと一緒に勉強する気にはなれなかっただけだ。


だから塾には、どうしても判らないとこだけを塾講師に聞きに行っている感じだった。



終業式の日以来、コウには会っていない。

一緒に過ごした時間と、会わなくなってからの時間が同じ位になる。


だけどあの時の事は過ぎ去った出来事とか思えないし、気持ちも落ち着かない。


大人がよく言う ゛ 時間が解決してくれる ゛ っていうのには、どれくらいの時間がかかるものなんだろうな?と思った。


つまり、私にとってはそれ位どう対処していいか判らない出来事だった。



怪我の事も気になるしいっそ話した方がすっきりするのかも?と思ったけど、私はコウの電話番号を知らないしそもそも家すらも知らなかった。


もしやと期待した夏休み用の緊急連絡網には、コウの名前も電話番号も載っていなかった。


学校に行って担任に聞いてみれば解るんじゃないかな?とも思った。

だけどあんなふうに毎日来ていたコウが来ないという事は、向こうは会いたいなんて思っていないのかもしれない・・・。


そんなふうにウジウジと一人で考えていると、気持ちは落ち着くどころか余計に波立っていった。



今日もやけに天気がいい。

それに午前中だというのに、やたらと暑い。

私はのろのろと自転車をこぎ出して塾に向かった。



住宅街を抜けると学校が真ん中に有る、畑が続く一帯に出る。

たまにむっとした強い風が吹いてよろけながら、うねうねと続くデコボコに舗装された畑道を進む。


畑道を抜けて駅前の住宅地を抜けるといきなり繁華街になる。


駅前だけが高い建物で囲まれていてそのすぐ後ろ側は畑と住宅地。

なんだか張りぼての繁華街といった感じ。

都会ぶってるけどその裏には私達が冴えない暮らしを送る町が隠れているのだ。



いつも通り午前中ほんの少しだけ夏期講習に顔を出すと、休み時間に暇そうな塾講師を捕まえて確認したい事だけを聞いた。


そして午後の講習には参加せず本屋に向かった。



暑さのせいで普段以上に食欲の無い私は、昼食用に貰っているお金で漫画とか小説なんかを1冊買う。

そしてそれを持っていつもの場所に向かった。


そこは本屋の入っている駅ビルの一角に備え付けられた空中に浮かんだようなベンチだった。

たくさんの人が行き来している通路の上に張り出した状態で段々に設置された不思議なベンチは、本屋の近くのせいか私みたいに時間を潰しながら本を読んでる人がぽつぽついた。



学校がある時は学校か家、夏休みになれば塾か家。

それしか選択肢のない私には他に行くところなんてない。


家に帰ればいいのだけど、どうしても帰る気にはなれなかった。

自分で思っている以上に私は、自分の家が好きではないのかもしれない。



いつも通りベンチに辿りつくと、なんとなくすぐに本を開く気になれなくてぼーっと眼下を行き過ぎる人達を眺めていた。


ポケットのイヤホンを取り出そうとした時、視界の端に見覚えのある人影が映る。

大きな本屋の袋を下げて、ベンチに続く階段をよろけながらこちらに向かって登ってきた。



それはコウだった。



休みだというのにセラー服に半ズボンのいつもの姿で、ふらふらと危なっかしく階段を登っている。



私は途端に落ち着かない気持ちになり、イヤホンをポケットに押し込むと慌てて買ったばかりの本を開いた。


新刊を楽しみにしていた漫画だというのにちっとも頭に入ってこない。

視線は同じページの上で絵と吹き出しの上を繰り返しなぞっているだけ。

まさかこんな所で会うなんて思ってもいなかった私はかなり動揺していた。



すぐ後ろでバサバサと本が崩れる音がして反射的に振り返ると、コウが崩れた本の山と格闘していた。

どうやら買ってきた本を横に積んでいてそれを崩したらしい。



目があうと ゛ しまった ゛ と言いたげな顔をした。



私は ゛ 今しかない ゛ と思った。

覚悟を決めて歩みよると、崩れた本の一冊を拾い上げる。



「 ひさしぶり。て、言うか何やってんの? 」



コウはあからさまに ゛ ギクリ ゛ と身体を震わせてバツが悪そうに言った。



「 うん。あー、本、読もうかなーって 」

「 ここ、なんか面白い場所だよね~ 」



これ以上ないって位、白々しい雰囲気の返事。

本を戻すのを手伝いながら目を合わせようとしないコウの手元を見る。

大きな絆創膏がのぞけたが、問題は無さそうだった。



「 ふぅん・・・。もう手は大丈夫なの? 」



「 そっそうだ!酷いよサワ。怪我人置いて帰るなんてっ 」

「 もう・・・平気だけど 」



やっと目を合わせたコウはむすっとした顔をしていた。



「 置いて帰ったのは、ごめん 」



私が謝るとコウはすっと視線をそらして呟く。



「 サワ、少しは僕の事心配してくれてた? 」



゛ ずっと気がかりだった ゛ なんて言うのもなんだか癪で答えに詰まる。

するとコウはみるみるしょんぼりとして視線を落とした。

その様子がなんだかおかしくて、私は小さくふき出す。



「 気になってたよ 」

「 でも私、家も電話番号も知らないから 」



コウは笑っている私が気にくわないようで、またむすっとして言った。



「 僕は、ずっと気になってたんだよっ! 」

「 ワサ、いっつも一人でいるし! 」

「 だから、あれから毎日ここでこうやってっ・・・・! 」



言ってしまってから ゛ はっ ゛ とした顔をしてコウはもごもごと口ごもる。



「 毎日?え・・・?毎日ここに来てたの? 」



そう言うとコウは開き直ったように続けた。



「 そっそうだよ。大変だったんだから! 」



コウはそう言うと、堰を切ったように今日までの事をしゃべりだした。


夏休み初日に夏期講習に向かう私の後を、コウは必死で走って追いかけてきたらしい。

そして炎天下の下ひたすら塾の前で待ち、本屋まで着いて来た。


3日程して最終的に私はここに来ると判ってからは、塾が終わる時間を見計らってここにやって来て傍で一緒に本を読んでいたというのだ。



「 それってストーカーじゃん 」



私があきれたように言うとコウは言い訳をするように言った。



「 だって・・・ 」

「 どうやって声かけていいか解らなかったんだもん 」



その気持ちはなんとなく解らないでもない。というか私もそうだった。

私がウジウジと思い悩んでいる間、コウも同じように悩んでいたのだ。

だけど行動を起こしている分だけコウのが良いのかもしれない。



「 とりあえず、もう黙ってるのはやめてよね 」



そう言うと ゛ うん ゛ と気まずそうに、なのにどこか嬉しそうな感じで頷いた。


少しするとコウは思い出したようにニヤニヤと笑いだした。



「 サワっていつもあーんな無表情なのに、本読んでる時は違うんだね 」



私が ゛ え? ゛ と言う顔をするとコウは得意気に続けた。



「 サワはなんか読んでる時、くるくる表情が変わるんだよ 」

「 今どんなシーンなのか、顔見てればわかるくらいだった~ 」

「 おーもしろいのっ! 」



思いもよらぬ指摘に、恥ずかしくなる。

私は公共の場で百面相を繰り広げていたらしい。



「 なっなんか、ムカつく 」



コウはそんな私の様子を見て、愉快そうにケラケラと笑い出した。



「 ねーこれって、僕しか知らない事だよねー♪ 」



横からニヤニヤと覗き込んでくるコウから顔を背けて漫画を読んだ。

得意気な顔にはムカついたけれど、気が付くと私達はすっかり一週間前と変わらない雰囲気に戻っていた。


しばらくするとコウもかまってもらう事を諦めて横に積まれた本を読みだした。


私達は同じベンチで少しだけ離れて、本を読んだり行き過ぎる人を眺めたりしながらその日の午後を一緒に過ごした。




夕方になって私が ゛ そろそろ家に帰る ゛ と言うと、コウも帰ると言うので私達は一緒に帰る事にした。


コウは歩きだと言うので、私は自分の自転車を駅前の駐輪所から出して押しながら歩く。



「 ねぇ、コウそれ買いすぎじゃない? 」

「 そんな量一人で持って帰るつもりだったの ?」



午後の暇つぶしとしては明らかに多すぎる量の本を、引きずりそうになりながらぶら下げて歩くコウは見てるこっちまでしんどい感じだった。

コウから本の入った袋を奪うと、自転車のカゴに入れた。



「 サワ、助かる~ 」

「 だってさー見ると欲しくなるし、家でも読むもん 」

「 それに僕はいつもアレに乗って帰るから 」



そう言ってコウが指さしたのはタクシーだった。



「 中学生のくせに、タクシー? 」

「 贅沢すぎるでしょ。自転車とか乗らないわけ? 」

「 それに、本だってそんな沢山。高そうな本ばっかりだし 」



コウはじーっと私を見つめてから言い訳するように言った。



「 魔法使いはお金の心配なんてないの 」

「 それに・・・自転車乗った事ない。乗れない 」



゛ また魔法か ゛ と思うとなんだか意地悪な気持ちが湧いた。



「 え、乗れないの? 」

「 普通は小学生位の時に練習するじゃん 」

「 だいたい魔法で乗れるようにできない訳? 」



そう言うといつもは調子のいいコウが少し傷ついたような顔をして言った。



「 それは無理 」

「 魔法でもできない事はあるの 」



なんとなく悪い事をした気分になった私は少し考えてから言った。



「 じゃぁさ、明日から午後はコウの自転車の特訓ね 」

「 2、3日も一緒に練習すればきっと、乗れるようになるから 」



それを聞いたコウは嬉しそうに無邪気な笑顔で首をぶんぶん縦に振った。

通りすがりの人がコウをチラリと盗み見る。

その顔、ほんとズルいよなーと思った。


それから私はなんとなく、目を逸らして言った。



「 だからさ、もう色々・・・ 」

「 無茶な事するのやめてよ 」



するとコウは聞いてるのか聞いてないのか判らない様子で 「 はーい 」 と返事した。




帰り道の途中、私はコンビニでパプコを買った。


コウは不思議そうに私が手にしたチューブ状のアイスを見ている。

パキッと折って半分を手渡すと 「 なにこれー? 」 と目をキラキラさせた。



「 こうやって蓋のとこをとって食べるの 」

「 コウ食べた事ないの? 」



「 ない!ぜんぜんない!一度もない! 」



「 えー、日本人的にはかなりメジャーなアイスなんですけど 」



「 これ絶対半分こする為のアイスだよね! 」

「 仲良しの為のアイス! 」



一人っ子だし友人関係も希薄な私も実際のところ、誰かに半分を渡したのは初めてだった。

なんだかコウの言葉がくすぐったい。



「 じゃあ仲良くたべましょーねぇ。はいはい 」



「 素晴らしいアイスだ!物凄い発明だ! 」

「 だって絶対一人で食べるより美味しいもん! 」



コウはものすごい大げさに喜びながら、ちゅるちゅるとアイスを食べていた。



茜色に染まる畑道は、日中の日差しで温められたアスファルトが纏わりつくような熱気を発しているし、熱のこもった畑の土はむわりと肥料の匂いをさせている。


そんな中だというのにコウは、中身がとうに無くなったアイスのチューブを咥えながらくるくると踊るようにして歩いていた。

こんなに楽しい事は無いといった感じで、私の横をはしゃぎまわる。



私はきっとこの光景を、ずっと忘れずに覚えてるんだろうなと思った。

思い出の出来る瞬間を感じたのは、初めてだった。




住宅街に入り私の家に続く大きな坂道に差し掛かると、思いもよらぬ事が起きた。



「 ここだよ、ぼくの家 」



コウが立ち止まったのは小さな頃から見慣れた近所の大きな屋敷、そうあの幽霊屋敷の前だった。



「 え?ここ? 」



思わず私は聞き返した。

城門のような屋敷の入り口はいつも閉ざされていて、高い塀に囲まれた敷地の中は覗く事すらできなかった。

敷地内はいったいどんななんだろう?と考えていてふと思い出す。



「 ねぇ・・・コウって最近引っ越してきたんだよね? 」

「 姉妹いる?妹とか、歳の離れたお姉さんとか一緒に暮らしてない? 」



コウは少し間をおいてから不思議そうな顔をして答えた。



「 ここに来たのは学校に通うようになる少し前かな 」

「 僕は一人っ子。それに今ここに住んでいるのは僕一人だよ 」

「 両親は仕事が忙しくて、別の場所にいるんだ~ 」

「 家政婦さんならたまに来るけど? 」



私は少し前の夕方の出来事を思い出していた。

あの時ここで見た人達は誰だったんだろう?



あの人達を見た時も幽霊か何かを見たんじゃないかと思う位現実味が無かったけれど、あれは本当に夢か何かだったのだろうか?


ぜんぜん自分の記憶に自信が持てない私は、ぼんやりしたままコウの家だという屋敷を見上げた。



「 コウはお嬢様なんだね 」



そう呟くとコウは苦笑いをした。



「 お嬢様は僕じゃなくて、僕の母だよ 」

「 ここは母の実家だったんだ 」

「 だいぶ前に祖父が亡くなってからは、誰も住んで無かったけど 」



それにしてもコウの家はどこなんだろう?と悩んでいたのが馬鹿らしく思える位、ものすごく近所だった。


この大きな坂の頂点がコウの家で、終わりが私の家。

坂の上と下は、ほんの数百メートルの距離だった。



「 すっごい近所だったんだね、ほんとびっくりした~ 」

「 小さい頃からよく知ってる場所だったからさ 」

「 まぁそうは言っても、すっごい塀が高いし中の事は全く知らないけど 」



そう言うとコウは嬉しそうに話だした。



「 それならさ、明日自転車の練習は僕んちでしようよ 」

「 サワに見せたいものもあるしさ 」



自転車の練習を家でする。

普通に考えたらこの細々とした住宅地ではありえないような事だけど、この敷地の広さから考えても相当庭が広いのは確かだ。きっと問題ないのだろう。



「 わかった。じゃぁ塾が終わったら来るね 」



コウは返事を聞くと満足そうにうなずいた。

そして大きな門の横に有る蔦のはう潜戸を体重をかけるようにして、ギシシと音をたてて開けた。



「 明日、楽しみだなぁ~ 」



そう言い残してまた、ギシシと音をたてて扉の向こう側へ消えて行った。


私はその後ろ姿を見送ってからもう一度屋敷を見上げた。

こんな広い屋敷にコウが一人で暮らしているなんて、なんだか奇妙な感じだなと思った。



自転車にまたがると私は勢いよく坂を下る。


吹き抜けてゆく夏の夕暮れ時の風にはほんのりとオシロイバナの香りがした。

青臭いようだけど爽やかで優しいその香りと、コウとの ゛ 明日の約束 ゛ がある事が私を優しい気分にさせた。




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