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白鳥の軌跡  作者: 月森 小雨
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【 1996年7月19日 】




あれから数日がたった。今日は終業式。



いつの間にか私達は、夏に足を踏み入れていた。

空の青さが濃くなって、日差しは朝から白く風の匂いが変わった。



あの事件の次の日、私はちょっとビビりながら学校に行ったけどコウは案の定ぜんぜん気にしてなくて、実際学校はというと拍子抜けする位に普通だった。


突然帰ったけれど、教師達の態度もなんて事なかった。


担任はこう言った。



「 早退するならちゃんと担任の俺に言え~ 」

「 それに何か他に問題有るなら相談しろよー 」



そんなもんなんだな、と何だか気が抜けた。

子供には大問題でも、大人からみれば些細な事。

きっと大概の事がそうなんだ。


でも問題が起きてる時に大人を頼れる子供なんてほとんどいない事を、大人は忘れちゃっているんだろうな、と思った。



いや、でもこの日常はある意味では普通ではないかもしれない。

少なくても、今まで通りっていう訳じゃない。


あの昼休みの一件以来、私達はこの学校という魔窟で特別な市民権を得ていた。

目に見えない何かに、私達は勝利したようだった。



女帝がコウにまとわりつくようになると、他のお姫様達も ゛ 許しが出た ゛ とばかりにまたコウに群がった。


その一人一人に、コウはのらりくらりと愛想をふりまく。

そんな時のコウのニヤケ顔はなんだか妙な感じだった。


コウの ゛ 偽物の笑顔 ゛ は私には何となく見分けがついた。

笑顔にもいろんな種類があるんだなと思った。



女帝は私の事を結構な頻度で面白くなさそうに見つめている。

だけどそれ以外の子達は、何かと私にまでもかまいたがった。

私は差しさわり無い感じで返事をする位がやっとだったけれど。



「 なんでサワはみんなとあんまり話さないの? 」

「 みんな、サワが大人っぽくて前から気になってるって言ってたよ 」



コウの言葉に思わず重たいため息が漏れた。

それは知ってた。

むしろ、そう思わせたくて自分を変えたのだから。


なんでもいいと思った。

゛ 強さ ゛ に繋がる何かが欲しくて私は髪を染め、瞳の色を変えた。


そんな見せかけだけの強さに左右されるみんなも、自分もそんなに好きじゃなかった。



「 私のは見かけ倒し 」

「 コウはいいね本物って感じ 」

「 でも、みんなと仲良くしてみてコウは楽しい? 」



そう言うとコウは少し困った顔をした。



「 見かけ倒しか。それは僕も同じかな 」

「 僕達はたぶん似てるんだよ 」

「 確かに、そんなに楽しくはないねー 」

「 でも、そういうのも上手くやるには必要なのかなってさ 」



言われた言葉の意味はなんとなく分かる。



「 上手くやるって難しいよね 」



そんなふうにコウが呟いたことが意外だった。




放課後、コウはあーだこーだ言いながら日誌を書いていた。



夏休み前の最後の日。

成績表をもらって比較的早く帰れるその日に、担任は順番をすっとばしてコウに日直を言いつけた。


けれどコウは全く日直の仕事が判らない様子で、面白いから少しからかってみた。



「 僕の国にはこんなのないもん 」



とかいいつつ、バツが悪そうにしている。そしてむくれた。

コウは妙に大人びているようで、時に子供みたいな反応をする。


そして世にいう ゛ 常識 ゛ というものがあまり備わっていないように思えた。

外国育ちだからっていうだけでもないようで・・・アンバランスな様子は、少しつっつけば崩れそうな感じだった。


だから、目が離せない。



「 やっと終わったー。せんせーに渡してくる 」



そう言うとむすっとしながら格闘していた日誌を抱えて、コウが教室から出ていった。


すると入れ替わりで誰かが入ってきた。

それはアズサだった。

一瞬時が止まり、私は逃げたい衝動に駆られる。



「 サワー、あの時の事ってーまだ気にしてる~? 」



何も言えない。

押し黙ったまま足元を見つめる。



「 あの時はほんとごめんね 」

「 私はサワの事ずっと友達って思ってたんだよ 」

「 なんか、中学入ってから雰囲気変わったじゃん? 」

「 いいなーって思ってたんだ。また仲良くしようよ 」



耳に届く言葉、一つ一つに身を切られるようだった。

もう、やめて。そう言いたかった。



「 だから今年はさ、昔のグループみんなで夏祭り行こうよ? 」 

「 サワは、水鳥さんとも仲いいよね?サワから誘ってよ 」

「 みんな一緒に行きたがってて、サワと仲良い私が声かけてって言われたの 」



血の気が引いていくのが判る。

怖い。怖い。もう嫌だ。



「 ・・・私はそういうのは、あんまり 」



そう告げるだけで精一杯だった。

その時コウが教室に入ってきた。

スタスタ歩いてきて、俯いている私の手をとる。



「 サワー。おまたせー。行こう 」



引きずられるようにふらふらと歩きかけた時、アズサが私の手を掴んだ。

思わずビクリと身体を震わせる。

コウに繋がれた手を、すがるように握りしめていた。



「 ねぇサワ、私達、友達でしょ? 」



アズサが鋭い視線を宿して、私を覗き込んだ。

コウが振り向きざまに私の手を掴んでいるアズサの手をなぎ払う。



「 駄目~サワは僕のだから、貸してあげない 」



そう言うと私を、悪戯っぽくぎゅうっと抱きしめた。

コウが離れた瞬間、私のスカートが風に吹かれたようにほんの少し揺れた。



「 それにさぁ~ 」



そう言いながらバレリーナのような優雅な動作で、くるくると回転しながらアズサの後ろ側に回った。



「 友達だって言うなら、相手がどんなふうに思ってるか考えない? 」

「 今、目の前で友達がどんな顔してるかも目に入らないの? 」

「 変なの 」



コウの声色が毒を孕む。


後ろからすぅっと綺麗な動作でアズサを抱きかかえるようにして伸ばされた手には、黄色の細いカッターナイフが握られていた。



そう、それはいつも私のポケットに入っているやつだった。


反射的にポケットを探るとそこにあるはずのものが無かった。

きっと今さっき私のスカートのポケットからコウが抜き取ったのだろう。



コウの腕の内側で、アズサは短くて小さな悲鳴を上げた。



「 ねぇ、今動くと危ないよ 」

「 傷つくのって嫌でしょ? 」

「 でも身体についた傷なんて、すぐ塞がるから大した事ないよ 」



ヂッヂッヂとカッターの刃を繰り出す音が人気の無い教室で不気味に響く。



「 でもさ?すぐ直る傷だとしても故意に傷つけてきた相手をごめんで許す? 」

「 そんなヤツと仲良くしたくないでしょ?怖いでしょ? 」



寒くも無いのに鳥肌が立つ。

私は目の前のコウがとても恐ろしく思えた。

だってコウはこんな状況なのにゆったりと笑っている。

これは普通じゃない。



「 身体についたんじゃない傷は、もっと酷いんだよ 」

「 一度ついた傷は、きっと本当の意味で塞がる事なんてないんだ 」



そうコウが言い終えた時、アズサはコウを押しのけた。

カッターが弾き飛ぶ。

アズサはそれを夢中な様子で拾い上げた。


そしてカッターの刃先をコウに向ける。

カッターを握りしめる手は小刻みに震えていた。



「 私はっ!私だって・・・ 」



声を詰まらせて何かを言いかけたアズサの言葉を遮るようにしてコウは続けた。



「 きっと安易に人を傷つける事ばかり選んでしまうタイプなんだね 」

「 こんなに震えて、怖がりなのに 」

「 だけど、僕はこんなの、ぜんぜん怖くない 」



コウはそう言うと微笑みを浮かべながらカッターの刃先を包み込むように握った。



カッターを包んだこぶしから赤い雫が、薄汚れたクリーム色の床にポタっと落ちる。

赤い雫は不規則に落下し続ける。



アズサはまた小さくて短い悲鳴を上げた。

そしてそのまま、カッターから手を離して後ずさった。



「 わっわたしは、何にもしてないしっ!私は悪くない! 」



そう言い残して、アズサは教室から走り去っていった。




静まり返った教室。

遠ざかってゆくアズサの足音だけがいつまでも耳にこびりついている。



私は我に返ってコウが呆けたまま握りしめているこぶしを無理やり開いた。

ゆっくりとカッターの刃を取り除くとぷわっと鮮血が溢れる。


私の手の平の中のコウのこぶしはとても熱くて、べったりと赤く濡れていた。



血の匂いに動悸が激しくなる。

赤いコウの手の平に透明な雫が落ちきて落下した部分に肌色の斑ができた。

どうやら私は泣いているらしい。



鞄からなんとか取り出したハンカチも、押し当てるとあっという間に赤く染まる。

手元がうまく動かない。指先がぬめる。

私の手もコウの血に染まる。息が詰まる。



「 な、なんで、なんで・・・あんな事したの? 」



口の中がカラカラに乾いていて舌がもつれる。

上手くしゃべれない。声もうわずっている。



「 サワがあんな顔してたから・・・ 」

「 助けてって・・・・・伝わってきたから 」



「 だ、だからってあんな事する?おかしいよ 」



「 そうだね・・・僕は頭がおかしいのかもね 」

「 でも、僕をこんなふうにさせたのはサワなんだよ 」

「 だから全部・・・サワのせいだ 」



私は思わず言葉を失った。

代わりにハラハラと涙だけが落っこちてゆく。



「 ねぇ・・・サワぁ責任とってよねー 」



そう言ったコウはニヤニヤと、だけどか弱く今にも消え入りそうな感じで笑っていた。



「 ちょっと・・・僕疲れちゃった 」



そう言うとコウはぐにゃりと私にもたれかかってきた。



「 僕はサワがいればなんだって・・・ぜんぜん怖くないよ。きっと 」



コウは私にもたれながら青白い顔で、褒められるのを待つ子供みたいに微笑んだ。

私はこの子が、いとおしくて、かわいそうで、こわくなった。




その後コウは、あんな事を起こしておきながら無責任にも貧血で気を失った。



私は何がなんだかわからないまま、そしてずるずるに大泣きしながら自分の体操服でコウの手をぐるぐる巻きにして倒れたコウの傍らでへたり込んでいた。



だいぶ時間が経ってからおそるおそる傷口を見ると血は止まったようだった。

コウは穏やかな寝息を立てている。



教室に備え付けの救急箱から取り出した消毒薬やら、ガーゼやら、包帯やらを総動員してコウの手の平を手当てをした。



それから、ごろりと横たわっているコウの為にせめてもと思って枕になるモノを探した。

あんまりちょうど良さそうなものは無くて、仕方なくコウのカバンを持ってくる。



頭に差し入れようとした時 ゛ カラン ゛ と軽い金属音をたててコウのカバンのポケットから何かが落ちた。


それは綺麗な装飾が柄の部分に施された銀色のペーパーナイフだった。



゛ 僕達はたぶん似てるんだよ ゛



コウの言葉が思い出される。



私達は何から自分を守りたかったんだろう。

こんなものに頼ろうなんて弱虫の考えそうな事だ。


綺麗な刃物の刃を軽く撫でる。



でも実用性なら黄色のカッターの方がましだなと思ってから、またひとしきり泣いた。




学校を出る時焼却炉に立ち寄ると都合よくまだ燃えていた。



そこに血まみれのハンカチと体操服と、ちょっとコレはダメだよなと思いつつもカッターとペーパーナイフを放り込んだ。



沢山泣いたから頭の奥の方がじぃんと痛い。

教室にコウを置いてきた事が気がかりで無いと言えば嘘になるけれど、私はコウと一緒にいる事を選べなかった。


帰り道、今日は終業式で ゛ コウと学校に行く明日 ゛ はしばらく来ない事を思い出す。


正直なんだか、ほっとしていた。

だけど心の奥の方ではちりちりと燻るものがある。



私はいろんな気持ちの混ざり合う複雑な気持ちで夏休みを迎えようとしていた。




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