【 1996年7月15日 】
カラコンが同じ色だなと思った。
淡いブラウンの瞳がまっ黒い髪から浮いている。
゛ なんか変な感じ ゛
それが私の黒板の前に立っている子への第一印象。
昨夜の雨を含んだじっとりと生暖かい風が、絡みつくように教室の窓に吊るされたカーテンを揺らしている。波みたいに、次々と。
なのに窓際の私の席から見える今朝の空は、これでもかと青い。
もわもわと積み重なった雲も白がくっきりとしている。
まだ明けきらない梅雨と、もうそこまで来ている夏の両方が入り混じった季節に転校生。
中3、しかもあと1週間程度で夏休みなのにえらく変なタイミングだなと思った。
いや、よく見ると黒板には ゛ 聴講生 ゛ と書かれてる。
゛ なにそれ? ゛ と思いながらも耳に埋め込んだイヤホンを引き抜く程興味は無かった。
興味の無いものから遠ざかる為に耳の中に響く音楽に意識を集める。
すると音楽は、教室の窓の外に見える見飽きた景色の輪郭を壊してくれた。
ぼやける視界にうっとりした気分になる。
けれどそんな時でも校舎を囲む畑の肥料が混じった土の匂いやら、ほんの数キロ先に広がる汚れた干潟、更にその先の埋立地に造られた人工海岸から届く海の腐ったような匂がむわりとして途端に現実に引き戻される。
こんな郊外の冴えない市立中学にやってきたこの子も可哀そうだなぁ、なんて考えながら担任の口ぱくを眺める。
黒板に書かれた名前は ゛ 水鳥 縞 ゛
゛ 水鳥 縞 ゛ は俯いている。
緊張のせいなのかふるふると震えている首筋はやけに細くて、そのカタチの良い卵みたいな小さな頭ですら支えるのがやっとですといった感じだった。
暫くすると自己紹介の為にむくりと顔を上げた。
やけに目が大きくてなのにあっさりした印象。
白を通り越して青みを帯びた肌は、髪がやけに黒いせいか薄ぼんやり発光してるみたいに見えた。
いかにも適当に切りましたという感じの、長めの不揃いなショートカットの黒髪から細い顎先が覗いている。
妙に艶やかな黒髪。
゛ 烏の濡れ羽色 ゛ なんて表現があるけど、私はその首筋やら身体の線の細さから黒い白鳥を思い浮かべた。
前の学校の制服なのか、セーラー服だった。
正確にはセーラー服に、膝丈の半ズボン。
うちの学校の紺一色で重苦しいブレザーとジャンパースカートの制服もアレンジのしようが無いくらい変だけど、この子の恰好もだいぶ変だなと思った。
ひょろっとしてて薄べったくて背もそこそこあるけど、あれは間違いなく女子だ。
でも男子か女子かっていう問題じゃない。
だって日本でセーラー男子中学生なんて、見た事ないから男子でも変だもの。
だけど、その変な格好も似あっているから不思議だ。
゛ あぁ、つまり美人なんだ ゛
口ぱくの自己紹介を眺めながら妙に納得した。
そして口ぱくの終わり際ゆったりと教室を見渡してから、ゆらりと微笑む。
余裕の微笑。
上品な顔立ちを歪ませるようにして作られた表情に、何だか妙にドキリとする。
さっきまでの儚げな印象とは全然違う感じ。
そしてその ゛ よくわからない変な子 ゛ という印象は知れば知る程深まっていく。
昼休み、私はいつものごとく一人突っ伏してウトウトと眠っていた。
私はこの学校に友達と呼べるような存在は一人もいない。
というよりろくに口をきく人さえいないのが現状。
妙にガヤガヤ騒がしいなと突っ伏したまま様子を窺うと、今日、飛び入り参加してきた ゛ 水鳥 縞 ゛ の周りには人だかりができていた。
違うクラスからも覗きにきてる生徒がいる。
ちょっと変な美人の飛び入りは、そうそう事件なんて起きない郊外の中学校の大事件になっていた。
「 ねぇ、外国に住んでいるんでしょ? 」
「 日本人じゃないの?親も外国人なの? 」
などと、次々と質問攻めにしている。
「 僕は遠い国から来たんだよ 」
「 そうだね。僕はこの国の人じゃないよ 」
「 親は日本人と、日本人だった人だけどね 」
ホームルーム時の音声なし情報しか無かった私も ゛ へぇー ゛ なんて耳を傾けていた。
しかしやっぱりなんか変なヤツだ。
遠い国?質問攻めに呆れておちょくってるのか?
それに ゛ 僕 ゛ だって・・・ふぅん。
「 ねーうちの学校の男子って、他校よりかっこいい子が多いと思わない? 」
別のクラスの学年を仕切っている女子が乗り出してきた。
゛ 女帝 ゛ 登場である。
くだらない質問。
なんか聞いてる本人自慢気だけど、何もあんたは凄くない。
しかもこのさえない学校の男子。
たかが知れてる。
女子ってみんなこういうくだらない質問好きだよね、などと思ってみてからまた眠りにつこうとした。
その時、゛ 水鳥 縞 ゛ が口を開いた。
「 そんなの知る訳ないよ。今日来たんだもん 」
少しトーンを落とした皮肉られた声色に、何やら女子の輪に不穏な空気が漂う。
今、絶対 ゛ この飛び入り、生意気! ゛ とか思われたんだろう。
めんどくさい。めんどくさい。
「 でも僕はさぁ、男の子の事はわかんないけど、女の子はみんな可愛いよね 」
「 とくに君、可愛い♪ 」
ぎょっとして、思わず頭を上げた。
どんな顔してそういう事言ったんだ。
チラリと盗み見ると、またあの余裕の微笑。
女帝が赤面している。
なんなんだ、この展開。
美人は女子にも効力を発揮するらしい。
少女達が色めき立つのが手に取るようにわかる。
次の一瞬、しらけた目で視線を彷徨わせた ゛ 水鳥 縞 ゛ と目があった。
その様子はとても滑稽で、私は笑いを堪える事が出来なかった。
目があった ゛ 水鳥 縞 ゛も ゛ 見たな ゛ と言いたげな顔してさっきとは違う顔で笑う。
私は視線など合わなかったようなふりをして突っ伏すと、ふつふつと込み上げてくる笑いを一生懸命堪えた。
こうして学校に遠い国から来た少女の王子様が誕生した。
みんな夢中。
ご愁傷様。
変なヤツ。
でも、なんか面白いヤツ。
帰りのホームルームが済むと私は、急ぎすぎてないけど一番早い位のスピードで教室から出た。
目立たないタイミングは心得ている。
部活はしていない。
適当にやりすごし、耐えて、用が済んだら帰る。
それが私にとっての学校。
まぁ、早く家に帰りたいって言うような家でもないけど。
いつも通り帰宅の為に畑道を歩いていてイヤホンを耳に詰め込んだ時、教室にCDを忘れてきたのに気が付いた。
他のものなら取りに戻ったりしないけどあれは特別だから仕方ない。
重たい気分で教室に戻ると、もう教室には誰もいなかった。
なんとなくホっとして机からCDを取り出したところで ゛ 水鳥 縞 ゛ が、貸し出し用の教科書やらプリントやらの新入り用の一式と思われる品々を抱えて教室に入ってきた。
いつもの私なら絶対、声なんてかけない。
だけど、なんとなく魔が差した。
気が付いたら私は声を発していた。
「 取り巻きの女の子にでも呼び出されたの? 」
゛ 水鳥 縞 ゛ は声の主である私をじぃっと眺めてから ゛ 思い出した ゛というような顔をして 「 まだ告白はされてないよ 」 なんて返してきた。
また、あの余裕の微笑。
てか自信家。
でもここまではっきりしていると気持ちがいい位だ。
「 ねー。目、私と同じような色だね 」
「 カラコン、同じやつかな? 」
私の言葉に少し間があってから可笑しそうにコウは答えた。
「 あぁ・・・ハシバミ色、似てるよね。カラコンかぁ 」
「 髪の色も似てるよね。長いね。ツルツルだから許すけど 」
「 ねー君、なんて名前? 」
ハシバミ色?ブラウンじゃなくて?
カラコンでそんな色の名前見た事ないな。
確かに私は髪をカラコンの色と同系色の栗色に染めているけど・・・。
マヤマ サワ
「 私は 真山 紗羽 」
「 てか許すって、エラそうに言うよね 」
ミズトリ コウ
「 よろしくね。サワ。僕は 水鳥 縞 」
「 あーコウなんだ。シマかと思った!」
「 ホームルームでちゃんと自己紹介したよー 」
「 ごめん、ぜんぜん聞いてなかった。てか聞こえてなかった 」
コウが不思議そうな顔をしたから手に持っていたCDをひらひらさせてみる。
「 これ、聴いててさ 」
コウが目を細めてなんだかちょっと嬉しそうな顔をした。
「 へぇ。そのCDのどのへんが好きなの? 」
コウも好きなのかなと思って思わず前のめりで説明する。
「 これさー音楽が最高なのはもちろんなんだけど、なんかジャケットとかブックレットの写真も凄くいい感じで、もうなんていうか・・・全体的な雰囲気が凄くいいんだよね! 」
「 最近聴いてるので、ダントツ一番なんだ! 」
「 プレミアライヴが8月にあるんだけど抽選ハズレてさ、かなり悔しいよー 」
「 へぇ。そっか 」
コウは興味が有るんだか無いんだかよく判らない感じで、なのにニヤニヤしながらうんうん頷いていた。
「 ねぇサワ、友達になってよ 」
急に言われてびっくりする。
窺い見たコウ眼差しがあんまりにも真っ直ぐで、私は思わず目を逸らした。
「 あー。私は遠い国から来た王子様には不釣り合いな身分なの 」
「 だから無理 」
ちょっとおちゃらけて、でもしっかり否定した。
「 ふーん。サワの中で僕は王子様認定されてるんだー 」
「 なんかうれしー 」
「 で、なんで?僕の事嫌い?身分違いとかそういう設定燃えるよね! 」
憎たらしくも、可笑しな事を言って返してくる。
そういうやつだから、嫌いじゃない。たぶん。
でも。
「 私はね、呪われてる少女なの 」
節をつけて、哀れっぽく言ってみる。
せめてもの試みだった。
「 私と関わると王子様の虜の女帝やらその他大勢のお姫様達に、たぶん嫌われるから 」
コウは余裕しゃくしゃくといった顔をした。
そしてふっと笑う。
「 女帝とかお姫様とか、サワはやっぱり面白いね 」
「 呪われた少女かぁ。僕にうってつけだ 」
「 僕はさ、魔法が使えます。だから大丈夫 」
「 むしろ、僕が呪うし 」
魔法とかまた一段とおかしな事を言いだした。
しかも自分が呪うとか。
゛ 設定 ゛ に乗っかってみたってだけかも知れないけど、やっぱりだいぶ変なヤツ。
と、思いつつも私は笑ってた。
CDも回収できた事だしと、教室を後にしようとすると何故だかコウもついて来て一緒に下校する事になってしまった。
「 サワ、明日一緒に学校行こう 」
「 えーやだっ!」
「 私となんて絶対後悔するよ!てか王子様と登校とか目立つじゃん 」
「 そんなのやだー 」
「 そんな目立つ髪の毛の色して、カラコンまでしてて変なの 」
「 不良中学生のくせにー 」
「 なんか先生みたい。別に不良じゃないし! 」
「 コウのが変だよ色々!」
「 それに私のこれは武装なの。必要なの。だからいーの 」
「 なにそれ。サワ、変 」
「 変なヤツに変て言われたっ! 」
来るなーとか、絶対一緒に行くーとか、下らない押し問答を繰り返しながら私はすっかりコウのペースに嵌められていた。
歩く速度すら思い通りにならない。
早くなったりゆっくりになったり調子が狂う。
バカな私は浮かれながらまっしぐらに自宅に向かって歩いてたから、しっかり家を知られてしまった。
だってこんなに笑いながら下校した事なんて、無かったから。
「 じゃぁ、明日迎えに来るからね 」
コウはそう言い残すと、満足そうにセーラーの襟を翻す。
焼けに染まったオレンジ色の坂道を登って、元来た道を辿るように帰って行った。
なんだ、偵察の為に家までついて来たんだ。
してやられた感でいっぱいだ。
でもムカつきながらも私はこの時心底嫌な気持ちじゃなかった。
こうして私は、変わり者の少女の王子様に見初められたのだった。