第四十五話「記憶の宴」
「乾杯!!!」
『ウオオオォォォ!!』
木製のジョッキがいたるところでガコンッとぶつかり合い、
人機たちは勢いよくオイルを浴びていた。
「やっぱ口開かねぇからこうなるわな……」
「ガハハッ、問題ねぇぜ。この酒場の床は格子状になってる。下覗いてみろ」
「んあ? 床??」
言われた通り、コールが足元を覗き込む。
「うおっ!? オイルが全部回収されるようになってんのか!」
「ハハッ、そういうことだ」
「はぇ〜……これなら浴びても問題ねぇし、再利用も可能だな」
「酒ならこうはいかねぇがな」
「おーし、そろそろ長話に挑むとしようじゃねぇか……」
一際でかいジョッキでオイルを浴び終えたドランクが、豪快に割って入ってきた。
「お前たちはどうしてここに……?」
シンが答える。
「僕たちはショウのような人間を探すため、中央都市方面へ向かっています。
次の目的地は、人間の女の子がいると聞いた“聖街セクリプレス”。
森を抜ける最中に――」
「――この街にたどり着いた、ってわけか」
ドランクは状況の確認を終えると、近くのテーブルからジョッキを持ち上げ、
気持ちよさそうにオイルを浴びた。
「そういうことです」
「まぁ、大変だってことだけは分かったぜ。今日はゆっくりしてけ。
ショウの寝る場所もある。眠気がきたらそこへ寝かせてやれ」
「ありがとうございます」
活気に満ちた酒場を眺めながら、シンは気になっていたことを尋ねた。
「……あの、あなた方は、いつからこの街に?」
ドランクはふっと目を細め――
「……ほとんどのやつが“最初”からだ。
この街は昔は開拓地だった。林業から始まり、畑、果樹園、鍛冶……
そして俺の代には酒造がメインになった」
そこで言葉を切ると、近くにいた別の人機が静かに続けた。
「発展して、工業地帯みてぇになったこの場所には……
俺たちの嫁や子供もたくさんいたんだ」
「…………」
ドランクは気まずそうに立ち上がり、そのまま厨房の奥へ消えた。
残された人機たちが、ぽつりぽつりと語り出す。
「……ドランクの嫁さんは、出産がうまくいかずに……な」
「……そっからドランクは酒浸りになっちまって……」
「仕事はきちんとこなすが、片手には必ず酒を持ってた」
「飲んでも飲んでも酔えねぇ。
“あんなに好きだった酒が、今はなんの味もしねぇ”ってよく言ってたよ」
「そん時のあいつは、見てられなかった。
だが――ゼウスが暴走して子供を失った俺たちに、
いちばん寄り添ってくれたのはドランクだった。
嫁だけじゃなく、子供まで失ったあいつは……誰よりも“失う痛み”を知ってた」
「ここの奴らは、ドランクに恩があるやつばっかだ。
あいつのためなら、誰だって力を貸す。
今じゃ“酒場長”は完全復帰さ」
そのとき――
「湿気た話は終わったか?」
ドランクが戻ってきた。
「今も変わらず酔えねぇが……あの時より心は軽い。
昔を思い出しながら飲むのが、今は何よりの生き甲斐だ……」
天井を見上げるようにして、ドランクは静かにオイルを浴びた。
コールがジョッキを前に突き出す。
「……酒場長ドランクに!」
その言葉に応えるように、酒場中の人機たちが立ち上がる。
『酒場長ドランクに!!』
ジョッキを突き出し、勢いよく浴びる。
その光景を見て、ドランクも満足げにオイルを浴びた。
「……今日は気分がいい。特別に酒蔵を見せてやる。ついてきな」
「!? あのドランクが!!?」
「……嘘だろ……?」
「明日は酒の雨が降るぞ!!」
酒場中がどよめきに包まれる。
「ごちゃごちゃうるせぇぞオメェら。俺が見せるって言ってんだ」
「ぜひ見てぇな、酒蔵」
「フッ……ついてこい。こんな機会、なかなかねぇぞ?」
一行はドランクに案内され、酒場から厨房を抜けて歩き――
最奥にある、大きな扉の前へと辿り着いた。
ドランクが巨大な鉄製のレバーを引くと、重厚な扉がゴウン、と低い音を立ててひらいた。
冷たい空気が一行の頬を撫でる。
「ここが……最初に紹介する、“蒸留所”だ」
途端に、皆の視界が一気に開けた。
◇ ウィスキー醸造所
広い空間いっぱいに、銅色に輝く巨大な蒸留釜が並んでいた。
丸みを帯びた胴体、長く伸びたネック、曲線を描くライン――
どれも手入れされ、まるで機械の芸術品だった。
「すっげぇ……!」
コールが思わず声を漏らす。
「ふふん、だろ? このスチルは全部、俺たちの手作りだ。
森の鉱床から取れる銅でな、ひとつひとつ叩いて形を整えたんだ」
ドランクが誇らしげに胸を張る。
「ここじゃ“木樽だけ”じゃなく、蒸留も熟成も全部やる。
麦芽は裏の畑で作ってんだぜ? この香り、嗅いでみろ」
ドランクが蒸留室の奥にある木製の蓋をそっと開けると――
温かい麦芽と甘いアルコールの香りが、もわりと広がる。
「……なんか、パンが焼ける前みたいな匂い……」
ショウが目を細める。
「正解だ坊主。
麦が発酵して糖が酒になってく途中の匂いさ。
この工程が良くねぇと、どんなに良い樽に入れてもまずい酒にしかならん」
シンもじっと見つめて言う。
「……人機がここまで手の込んだ酒造りをしているとは思いませんでした」
ドランクは笑って首を振る。
「手間を惜しんだら、酒は裏切る。
手間をかけたら、酒はちゃんと応えてくれる。
――人間だった頃から、ずっとそうだ」
その言葉にはどこか、深い懐かしさが滲んでいた。
「さぁ、次だ。
ウィスキーってのは蒸留しただけじゃ“酒”じゃねぇ。
樽で育てるからこそ、魂が入る。ついてこい」
一同は奥の階段を降り、木の扉の向こうへ進んだ。
◇ ワイン熟成庫・ウィスキー樽庫
扉を開けた瞬間――
ひんやりとした空気と、木と果実の芳醇な香りが全員を包みこんだ。
「……すごい……ッ!」
天井の見えないほど高い棚に、無数の樽が積まれていた。
その一本一本に、焼印のように文字が刻まれている。
《ALBORIA WHISKY / YEAR 103》
《FOREST RED WINE / YEAR 98》
《AGED 44 YEARS》
それが、壁一面に、延々と。
「こんなに保管してるの……?」
セレナが目を丸くする。
「おうよ。熟成は裏切らねぇ。
十年寝かせりゃ十年分、美味くなる。百年寝かせりゃ……」
ドランクの声が、少しだけ弾んだ。
「むしろ熟成されて、より美味くなる!!
この樽たちはなぁ……開けるのが楽しみで仕方ねぇんだ……!」
まるで子供のように両腕を上下に振りながら言う
「ワインの樽もあるんですね……」
シンが指差すと、ドランクは頷いた。
「ここは“森の街”だったからな。
果樹園の名残で良い葡萄が採れるんだよ。
ほら、こいつは二十年前の《アルボリアン・ロゼ》。
隣は《ブラックベリー・ワイン》。
ゼウスが暴走する前は、祝い事の度に開けてた」
ドランクはゆっくりと樽に触れた。
指先が、ほんの少しだけ震えているように見えた。
「……もう飲めねぇ身体になっちまったけどな」
静かに、ぽつりと言う。
ショウは思わず顔を上げた。
「でも……作るの、やめないんですか……?」
ドランクは、しばらく黙っていた。
樽の木目を撫でながら、遠い昔を見るような目で――
そして、少し笑った。
「……飲めねぇからこそ、やめられねぇんだよ」
ショウは息を吞む。
「俺たちは人間だった頃、
“家族や仲間と飲む酒が一番美味い”って知ってた。
ゼウスに身体を奪われて……
もう一緒に酒を飲む相手はいねぇと思ってた」
ドランクの声が、かすかに震えた。
「だがな。
もしだ――いつか俺たち人機が人間の身体に戻れるなら。
その時一緒に飲む一本くらい、残しておきてぇだろうが……!」
セレナが、小さく息を呑んだ。
シンも、コールも、デヘンでさえも言葉を失っていた。
ショウは、そっとドランクを見上げる。
「……ドランクさん。
人間に戻れたら……ぼく、絶対一緒に飲みます!」
ドランクの手がぴたりと止まり――
「……ガッハッ……!」
笑っているのか、泣いているのか分からない声が漏れた。
「あぁ……楽しみが一つ、増えた……!」
ドランクは背中を向けたまま、大きく肩を揺らした。
「……よし、湿っぽいのはここまでだ!
次は最後の部屋――日本酒の仕込み場だ。
これはなかなか見せねぇ。覚悟しとけ!」
◇ 日本酒・仕込み場
三つめの扉が開くと――
甘く凛とした米麹の香りが一気に広がった。
「うわぁ……すごい……」
ショウが思わず声を漏らす。
広い部屋の中央には、“杉の大桶”がずらりと並んでいた。
表面の紐は新しく巻き直され、木肌は丁寧に磨かれている。
部屋の隅では巨大な麹室が稼働し、
内部はほんのりと温かい。
「ここ……なんか神社みたいな空気ね……」
セレナが呟く。
「それはな、酒造りは“祈り”だからだ」
ドランクが静かに答える。
「ウィスキーやワインは“育てる酒”だが、
日本酒は“産まれる酒”だ。
蒸した米に麹菌を合わせ、
水と一緒に桶で寝かせて……
ようやく、酒になる」
デヘンが感心したように腕を組んだ。
「……拙者、初めて見るでござる……なんと手間のかかる……」
「そうだ。気温も湿度も、ぜーんぶ気にしなきゃならん。
しかも一年に一度しか仕込めねぇ。
それでも――」
ドランクは大きな桶の表面に手を置いた。
「毎年、毎年。欠かさずに作り続けてる」
「……なぜ?」
セレナが尋ねる。
ドランクはセレナに振り向き、
まっすぐな声で言った。
「昔、日本酒が大好きな奴らがいた
ゼウスが暴走した時……
人や家族を探しに行って
帰ってこなかったが……
“帰ってこられなかった”のか、
“まだ帰ろうとしてる”のかは分からねぇ」
ドランクは桶を軽く叩く。
コン、コン、と乾いた音が返る。
「だからよ。
もしそいつらが人間になって帰ってきたら……
その時飲ませてやる酒くらい、
ちゃんと用意しときてぇだろ」
ショウは鼻の奥が熱くなり、シンは静かにうなずいた。
コールは腕を組んだまま、そっと顔をそむけた。
セレナは、コメットの背中で小さく呟いた。
「……この街……いいとこね……」
ドランクが手を叩き、皆を振り返る。
「さ、
次は――お前らに“とっておき”を見せてやる」
「とっておき……?」
コールが眉を上げる。
「おうよ。
アルボリアに来たからには、見せずにゃ寝かせられねぇもんがある」
ドランクの瞳の奥が、ランプのように明るく光った。
「ついてこい。
酒造りの“心臓部”ってやつをな――!」




