ロズウェルより愛を込めて
――メーデー。メーデー。
――聞こえますか? 聞こえますか……?
ロサンゼルスの夜は遠目にも眩しい。夜を迎えても昼間を名残惜しむように、街のほうからは多くの人々の声とネオンや窓ガラスの光が溢れ出てきている。
――その街はね、眠らないの。中々寝付けない子供みたいに、夜遅くまではしゃぎたがるのよ。
車の通りの少ない、コンクリートにヒビが入った車道に立って、その男は昔彼の恋人が言っていた言葉を思い出していた。確かに、この街はまもなく日付が変わるというのに眠りに就く気配は無い。
ここまで乗って来た愛機を壊してしまい、途方に暮れていた男は何かを待つようにロサンゼルスの街は見つめる。これでは目的を果たすことも、帰ることもできない。
ふいに道の向こうから低いエンジン音が聞こえてきた。目を凝らすと、街からこちらへ向かってゆっくり一台のバンが近づいてくるところだ。
男はそれを見ても何をするでも無く、今まで通り道の真ん中に立ち尽くしたままだった。彼が車に対して反応を見せたのは、それが彼の鼻先でブレーキをかけて、三マイル先まで聞こえるような大音量のクラクションを鳴らしてからである。
「うわ! 何するんだよ!」
今の今まで車に気づいていなかった、という具合に両耳を手で押さえて叫ぶ男。
車のヘッドライトに照らされて男の奇妙な容姿が闇から浮かび上がった。顔こそどこにでも居る金髪のアメリカ人青年だが、袴を履いて腰に二本の刀を差した姿はまさしく日本の武士である。
「それはこっちの台詞だ。ジャパニーズサムライが邪魔で通れないんだよ!」
運転席から身を乗り出した、屈強そうな体つきのヒゲを生やした男は不機嫌そうな声で怒鳴った。そうしている間も、彼の指は何かをカウントするようにハンドルを一定のリズムで叩き、そのカウントが進むにつれて運転手の機嫌は悪化していくようだった。
「サムライ? もしかしてこの衣装は一般的ではないのかい?」
きょとんとした顔をする袴の男。
「ああ、少なくともアメリカの大地には似合わねえな」
「そうなのか。こっちではこれが誇り高い戦士の志を示す衣装だと聞いていたんだが……ヤマアラシだっけ?」
「ヤマトダマシイか?」
このやり取りの間に運転手の指のカウントが十七回行われた。
「そう! そのヤマアラシだ!」
嬉しそうに言って男は運転手の手を取った。そのまま強引に握手をする。
運転手のほうは妙な日本かぶれの青年と出会ってしまった、と溜息を吐いたが、目の前の男の無邪気さに毒気を抜かれてただ手を握られるままにしていた。
そこで何かを思い出したかのように男が真剣な表情になる。
「そうだ。ここからロズウェルにはどうやって行くんだい? 生憎乗り物を壊してしまってね」
「ロズウェルならこの道を真っ直ぐ東だ。今からちょうど近くへ行くところだが……乗っていくか?」
「是非頼むよ! ちょっと待っていてくれ。置いて来た荷物があるから取ってこなくちゃ」
そういうと袴の男は道路脇の茂みの中へ入っていってしまった。男が草木を押し分けて森へ入っていく音が止むと、辺りは再び静寂に包まれた。
「なんだ、せわしない奴だな」
一人置いてきぼりにされた運転手は車のエンジンを切るのも忘れ、ポカンと男が消えていった茂みを見つめていた。
「やあやあ、待ったかい? これだけは置いて行くわけにはいかないんだ」
数分後、戻ってきた男が抱えていたのはノートパソコンくらいの大きさの機械らしい箱だった。受話器のような物が付いていて、見方によっては無線機に見えないことも無い。
それを見て運転手がボソリと言う。
「随分おしゃれなケータイだな」
「だろ? 先月出たばかりの最新モデルだ。こんなに小型化されるなんて奇跡のような技術力だよ!」
小型化……? 後部座席に乗り込んだ男が抱える機械はお世辞にも「小型」には見えない。
運転手は自分の皮肉が通じなかったのかと思い、今度は間違っても真面目な口調には聞こえないようにしてもう一度皮肉を飛ばす。
「ああ、うちの娘が持ってる奴の五十倍はデカそうだ。クールだよ」
その台詞に男は心底驚いた様子で、
「五十倍! ってことは、私のはもう時代遅れかい。ここはそんなに無線通信が発達してるのか」
「発達し過ぎて鬱陶しいくらいだよ」
「そうかい。なら鬱陶しくて申し訳ないんだが、ちょっと無線をかけさせてくれ。待ってる相手が居るんだ」
男は運転手の返事を待たず、受話器のようなパーツを耳と口に当て、何事か小声で話し出した。漏れ聞こえる単語を拾おうと運転手は耳を澄ましたが、少なくとも英語を話しているようには聞こえない。格好からして日本語かとも思ったが違いそうだ。
ここに来て急に男の詳細が気になった運転手は、ミラー越しに男と目を合わせるようにして尋ねた。
「おい。ところであんたはどこから来たんだい?」
男は運転手の問いかけに「通話中だからちょっと待って!」と手でサインを作り、何事か早口で機械に話した後、腕を組んで考え込んだ。
「う~ん、どこからって……」
うまく言い表すのが難しい様子だ。そして一言。
「あっちからさ」
その瞬間、運転手はおかしさの余り噴き出してしまった。無理も無い話である。
だって男は真っ直ぐ天井を――その向こうの空の上を指差していたのだから。
――メーデー。メーデー。聞こえますか?
――数時間前ロサンゼルス近郊への着陸に失敗。ロズウェル付近に不時着しました。数十年前と同じミスをしてしまい申し訳ありません。救助を求めます。
――繰り返します。メーデー。メーデー。
――ロズウェルより愛を込めて、あなたの助けを待っています。
「やれやれ。僕のほうも墜落したなんて、彼女には死んでも言えないや」
三十分ほど遅刻してしまいましたが五分大祭練習作です。
本祭作品は五月四日ごろに投稿予定です。